『遺物』と願い その6

 ミレイユの願いに呼応し、『遺物』から眩い光が巻き起こった。

 咄嗟に腕で目を庇い、エネルギーの奔流が収まるのを待つ。


 内側に蓄えていたエネルギーが、光の奔流となって部屋を包み、そしてその脇を通って過ぎ去っていく。

 その光はまるで体積を持っているかのような圧力を掛かて来るものの、殴り付けられるような重たいものではなく、むしろ包み込むような優しさがあった。


 その奔流は実に三十秒近く続いていたが、『遺物』に溜め込んでいたエネルギーを消費し尽くすと、次第に光も収まっていく。

 そして、それも完全に途絶えると、忙しなく歯車を動かしていた『遺物』も、最後に部屋を充満させる程の蒸気を吐き出し停止した。


 『遺物』の中にあったエネルギーは全て使ってしまったらしく、機構の溝を走っていた光は一筋すら見受けられない。

 何の光も発しない『遺物』は、まるで火の消えたカンテラの様な物寂しさを感じられた。


「……叶った、と見て良いんだろうな」

「蓄えたエネルギーで賄えたのか、それとも叶えられる範囲で行ったに過ぎないのか……。それは確認するまで分からないけどね」

「でもとりあえず、私は魔力を失ったようには感じませんし、皆もそうでしょう? 上手くいったんじゃないかと思うんですけどね」

「……そうだな。だが、確認してみない事には始まらない。すぐに戻るぞ」


 ルチアが自身の身体を見下ろし、以前と寸分違わぬ魔力制御をしてみせる事で、その確信を強めた。

 しかし、個人の保有魔力などは良しとして、もっとも大事な瘴気の消失や、『世界のあるべき姿』に関して、ここでは確認のしようのない事だ。


 ミレイユは全員を引き連れ、急いで入り口まで戻ると、開けた場所で待っていたドーワへと近付いて行く。

 そのドーワも、ミレイユが姿を見せた瞬間から、不安げな視線を向けていた。


「どうやら、『遺物』の稼働は出来たようだねぇ。……しかし、どうもおかしい」

「……どういう意味だ?」

「さぁて……、初めての感覚で良く分からないね。ただ、何かが違うと、肌で感じる。それだけは分かるのさ」


 それだけでは、やはり何を言いたいのか分からない。

 ただ、同じ様な違和感は、ミレイユも感じていた。


 それはドワーフ遺跡から外に出て、風が肌を撫でた時から感じたものだ。

 同時に既視感の様なものも感じたが、それよりまずは、世界の様子を確認する事の方が重要だった。


「世界を元の世界に戻すよう、『遺物』に願った所為だろう。世界の形が変わったと思うし、それで色々勝手が変わった可能性もある。だが、まずは瘴気の有無を確認したい」

「そうだね、まずはそっちが優先だ。――早く乗りな。もしも残ったままだったら、対処の必要もあるだろう」


 あれに出来る対処というのも思い浮かばないが、残っているなら座視して放置する訳にはいかない。

 そして何より、蓄えたエネルギーで叶えられた願いの範囲が、どれ程のものか確認したい気持ちが強かった。


 全員がドーワの背中に乗り込むと、翼を一度、強く打ち付け浮き上がる。

 重力を感じさせない力で舞い上がると、更に高度を上げつつ遺跡から離れて行った。

 その際にも、肌を撫で髪をなぞる風に違和感を覚え、だがやはり、不思議と既視感も覚える。


 その違和と既視を感じたのはルチアも同様だったらしく、困惑した視線を向けて来た。

 何かを言おうと口を開けた時、飛行角度が直角に近い形に持ち上がる。

 咄嗟に背棘へしがみつき、何のつもりだと抗議のつもりで顔を上げた。


 しかし、それに合わせるように角度も戻り、何かあったのかと周囲に視線を向けた時、それに気付いた。

 頭上からも、興奮したドーワの声が響く。


「――ご覧! 世界が……!」


 言われるまでもなく、それが視界に映っていた。

 二段重ねのホールケーキを、半分に削ったような歪な姿――それが、このデイアートという世界だった。


 しかし今は、ミレイユも知る球形の世界が広がっている。

 勿論、空高い位置にいるからといって、それが完全な惑星としての形を目視できる訳ではない。


 しかし、大瀑布は姿を消しているし、見渡す限りに世界は続いているように見える。

 地平線、そして水平線の境までハッキリと確認でき、そしてその稜線が僅かに曲線を描いている事も確認できた。


 本来の姿を取り戻した世界は、どこまでも雄大に続いているように見えたし、広がる海の先には別の大陸と思しき陸地も見える。

 ――あるべき姿を。

 それが今、目の前いっぱいに広がっている。


「美しいねぇ……。遮る何物も存在せず、そして空には……」


 ドーワが殊更大きく首を巡らせると、そこには以前とは比べ物にならない程、視界いっぱいに埋め尽くされた星々が見えた。

 壁に付いた無数の傷ではない。大小様々な点の光が、彩りと共に空を飾っていた。


 稜線の向こうからは太陽が顔を出し始めていて、夜を払暁ふつぎょうしようとしている。

 夜の空と星々が西の空に残り、東から空が白んでいく光景は実に美しい。

 インギェムが恍惚とした表情を浮かべ、誰にともなく呟く。


「これが夜空……、そして朝陽か。あるべき姿の、空なのか……」

「感動するのも分かるが、瘴気についても確認してくれ」

「え、えぇ……そう、そうでした……」


 呆けた様に見つめていたのはインギェムだけでなく、ルヴァイルもまた同様だった。

 二柱はミレイユの一言で我に返り、そして眼下へと視線を移す。


 アヴェリン達も夜空を見つめていたが、同じ様にドーワの背中で左右に分かれて、瘴気の痕跡を探していく。

 遺跡へ移動する際には、神域を覆うほどに肥大化した瘴気が広がっていた。


 発声から肥大化するまでの時間は僅かで、大瀑布から下界に落ちるまで一時間と掛かっていなかった筈だ。

 そしてミレイユ達は、それらを置き去りにする速度で遺跡まで辿り着いた。


 だが、それでも瘴気の広がる時間を考えれば、大陸の端に魔の手を伸ばしていたとしても不思議ではない。

 それが消滅する事なく存続しているなら、発見自体はそう難しいものでもない筈だ。

 だというのに――。


「……ありませんね」


 しかし、目を皿のようにして探しても、どこにも瘴気の痕跡は発見できない。

 『遺物』により、これ程の変貌が世界に起こったのだ。


 その世界に、あるべきものではない、と判断されたのなら、どこを探しても見つからないのは道理だった。

 胸の奥から安堵と喜びが持ち上がり、大きな息として吐き出される。


「……どうやら、大丈夫と考えて良さそうだな」

「えぇ、やったんですよ、ミレイさん!」


 ルチアも破顔して喜んでくれたが、ミレイユはそこまで喜びに浸れなかった。

 世界が無事なのは喜ばしい。瘴気も消えた事実に、喝采を上げたい気持ちは本当だ。

 だが、まだ喜びに没頭する事は許されなかった。


「ありがとう、ルチア。だが、まだ考えなければならない事がある。肝心の部分が……」

「大神がどうなっているか……そして、どう出て来るか、という問題ね」


 ユミルが言葉を引き継ぎ、難しそうに眉を顰めて周囲を窺う。


「この世界は、あるべき姿を取り戻した。それは喫緊の破滅から免れ、そして恐らく、今後の破滅からも救ってくれるとも思う。だけど、姿の中に大神の存在も含まれるなら、厄介なコトになる……」

「実際のところは、『遺物』がどう判断したかだから、私達には分からない。居ない事を証明するのは、至難の業だしな……」


 ミレイユまで難しい顔をして腕を組むと、ドーワから気楽な口調が落ちてきた。


「分かると思うけどね。……そこの二柱は、特にそうだろうさ」

「……どうなんだ?」


 ミレイユが顔を向けると、二柱は曖昧に頷き、そしてインギェムの方から口を開いた。


「まぁ、一度あの気配を感じれば、そうそう忘れられないってのはあるな……。あんまり、感じの良いものじゃないしな、あれ」

「酷く独特な気配の御方々ですから……。人にとっては不快に感じる類いかもしれません」


 言いたい事の内容は分かり難いが、しかし、何を言いたいかは漠然と理解できた。

 とにかく、この二柱は一度経験している気配だから、もしも察知できたなら、決して間違えないと言いたいのだろう。

 大神に隠す意図がないなら、二柱は容易に発見できる、という事でもあるようだ。


「で、どうなんだ。それはどこまで離れていたら、分かるなくなる?」

「どこまで……、か。この膨大な世界を前にすると霞んじまうが、かつては何処に居ても分かったもんだったな」

「つまり、封印されるより前は、という事ですが……」


 ふむ、とミレイユは首を傾げる。

 かつて世界を創り変え、この世界をマナの溢れる世界にしたというのなら、その根元と大神は全く無関係ではなかっただろう。


 特に持っていた権能からして、世界と密接に関わる筈だ。

 それ故に、彼ら大神の存在は、どこにいても感じられるものだったのかもしれない。

 ミレイユの推論を裏付けるように、ユミルは幾度か頷いてルチアへと顔を向ける。


「なるほど、権能ね……。それ故の改変というなら、分かる気がするわ。一瞬でガラリと置き換える事は出来ず、染み込むように変容させていったからこそ、その力が乗っていたんじゃないかと推測するんだけど……アンタ、どう思う?」

「どう考えても、推論の幅を越える答えは出そうにありませんけど……」


 そう一言断ってから、ルチアは持論を展開する。


「大神の権能で何が出来るかまで、詳しく知らないのがちょっとマズいですが……。ただ、徐々に世界を変えていったという部分が、個人的に引っ掛かりを覚えているんですよ。そして、変貌させたのが大神で間違いないのなら、その余波というか残り香みたいなものを、どこに居ても感じ取れて……い、たら……」


 持論を展開しつつ、流暢に話していた言葉が、油が切れたゼンマイの様に、ぎこちなく止まる。

 その顔は青褪め、不都合な真実を突いてしまったかの様で、気付いてしまって後悔しているようにも見えた。

 ルチアは下唇を噛んで、必死に自分を自制しながら、ゆっくりとルヴァイル達へ顔を向ける。


「先程、大神の気配は分かる、と言いました……。今はどうですか?」

「……いや、感じない」

「そちらも……?」

「えぇ、感じません……けど」


 ルチアが放つ気配に圧倒され、二柱は戸惑いながらも言葉短げに否定した。

 それを聞いたルチアは、きつく瞼を閉じて、同じくきつく唇も閉じる。

 震える身体から絞り出すかのように、細く息を吐き、それからミレイユに向き直った。


「感じていた違和と、既知の正体が分かりました。ここ、ミレイさんの世界と同じ空気です。分かりますか? この空気に、マナが含まれていないんです……!」

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