『遺物』と願い その7

 ルチアから聞かされた衝撃の発言に、ミレイユは苦々しく顔を歪めた。

 唯一、この事態を重く受け止めていないアキラ以外、誰もが深刻な表情で曇らせている。

 特に二柱の神は、暗澹たる、と言って良い表情で顔を青くさせていた。


姿を取り戻した世界に、大神は含まれていなかった……。だから、つまり……そういう事か」

「はい、そうだと思います。必然として、彼らが行った改変も消えてしまった」

「しかし、待って下さい。魔力とマナは残す、そういう願いでもあったのでは?」


 アヴェリンが焦った顔で口を挟み、ミレイユへと懇願するかのような顔を向ける。

 自分の意見が採用された結果がこれ、となれば、責任を感じずにいられないだろう。

 しかし、実際にそれを良しとしたのはミレイユだ。


 だから、もしもそこに責任を追求するとしたら、それはミレイユでなければならない。

 そして、この場合、全ての想定を理解した上で、願いを口にするのは不可能だった。

 避けられたものを避けずに当たった、というのなら誹られて仕方ないが、この展開を予想できた者などいなかった。


「実際に魔力とマナは残ってる。それはドーワが空を飛んでいる事、魔力制御が出来ている事が証明しているし、願う前から存在した……既に宿していたものに関しては、取り除かれていないんだろう」

「でも、姿の中に魔力やマナは必要ない、そう判断したんだわ。願った内容をどちらも正しく採用しようとした結果、その折衷案として、新たに創造し直したものには、それらが含まれていないんじゃないかしら」


 最終的な結論を下すには、もっと詳しい調査が必要だろう。

 だが、遺跡から出た時に覚えた違和感と既知感は、マナの有無と考えると、じつにしっくり来るのだ。

 そして、そこに誰も異議を唱えない、という事態が、真実を物語っている気がした。


「……参ったな」

「まぁ、そうね……。即座に今の形態が崩壊する事はないでしょう。でも、歪みは生じると思うわ。そこに適応できるか、出来るとしてどれ程の混乱が生まれるか、それはその時になってみるまで分からないけど……」

「私の責任だ……」

「いいや、違うぞ、アヴェリン。それを採用した、私が担う責だ」

「誰の責任でもないでしょ。放っておけば、世界は滅んだ。それは確かだわ。その滅びを回避する、最善を選んだ結果だもの。……全か一か、そういう極端な結果しか認めない、って話でもないでしょ」


 暗い顔をさせたミレイユに、ユミルが肩を叩いて励まし、そこにルチアも隣に立って擁護する。


「そうですよ。完全で完璧で、ケチの付けようもない結果なんて、物語の中でしか生まれません。それを考えたら、取り得る手段の中で、よほど上等な結果を手に入れたと思いますけどね。他の誰であろうとも、これより更に良い状況を作り出せたとは思えませんもの」

「ルチアの言うとおりよ。神々は『遺物』を使えなかった、そして他の誰であろうと、アンタと同じ規模で『遺物』に願いを通す事は出来なかった。もっと他に良い文言は無かったのか、それを考えずにいられないけど……。でも、アンタが悔やむ事じゃないのよね」


 ユミルがキッパリと断言し、力強く頷く。

 それにつられて顔を上げると、他の誰からも同じ様にミレイユを肯定する視線を向けていた。


 ――実際に。

 選び取れる手段の中で、最善を選べたと胸を張って言える。それは事実だ。


 掌で掬い取った水を、一滴も零さずにいる事は出来ない。

 ミレイユはその多くを掬い、一時を維持する事が出来たが、これから指の隙間から漏れ出す物を止める事は出来ない。


 元より穴だらけの器に、薄い紙を使って何とか塞ぎ、無理に維持していたようなもので、しかも罅だらけで自壊する寸前だった。

 そこに留めて置くより遥かにマシなのは確かだが、同時に指の隙間から零れ出るものを、許容する結果にもなってしまった。


 今はまだ変化の直後、デイアート大陸にいた人々にも実感は薄いだろう。

 だが、その綻びはいずれ兆しを見せる筈だ。

 それがいつ訪れるのか、それはミレイユにも分からない事だった。

 しかし、いつか必ず訪れるものでもある。


 それが分かってしまうから、ミレイユは大きく溜め息を零すのを止められなかった。

 堪らず見兼ねたのか、インギェムからも声が掛かる。


「実際、上等な結果だろ。今までは世界を維持する為……っていうと聞こえは良いが、神々だって死にたくないから、その土台を維持していた訳だ。そして、その為に願力がどうしても必要だった。願い、請い、祈る力を求め、それをどうあっても民に捻り出させなきゃならなかった。――でも、今となっては、それも必要なくなった」

「……そうですね。畏怖を植え付け、畏敬を受け取り、その為に世の動乱を扇動する必要はない。オズロワーナを支配する者が全てを支配する、という常識も消せるでしょう。平穏を享受できる世界は作られる。そこから本当に平穏を作られるかは、そこに住む人々に掛かっています」


 平和の維持には、努力が必要だ。

 ただ口を開いていれば、投げ込まれていくものではない。

 平和が叶うとしても、紛争が起きる理由は一つではないし、原因が一つ消えても他の原因は残るだろう。


 そして、新たに生まれる原因もある。

 確かにそこは、住む人々の努力が必要になるところだ。

 海にマナはなく、空気中のマナは霧散し流れた事で希薄になり過ぎたて感じ取れないが、元よりあった大陸には存在しているだろう。


 木々や石、草の一本に至るまで、元からあったマナは取り除かれていないとしたら、確かに混乱は即座に起こるものではない。

 しかし、新たに生まれる物に関して、どうなるかまで予想が付かなかった。


 人は本来魔力を母の半分を受け継いで生まれるものだが、これも同じ様に考えて良いのか。

 草木にしても、同じ様に新たな生命もマナを含むのか。動植物や魔獣、魔物に関しては、一体どうなるのだろう。


 だが、そこまで将来を見据えて考えるのは、まさに神の思考だ。

 ミレイユは頭を振って、その思考を振り払った。


「少し考えれば、問題は幾つも噴出しそうなではあるが、それは別の者に任せよう。何もかも、一つの問題さえ起こさず解決するなんて、それこそ神の所業だ。私には無理だった……そう、思う事にしよう」

「それぐらいの考えしてる方が健康的かしらね。ただでさえ、問題なんて人間に限らず他種族たちが、勝手に作り出すもんでしょ。一々、それに首を突っ込んで解決する? 有り得ないわよ、そんなの」


 ユミルがうんざりした顔で顔を背け、眼下に広がる世界を見据える。

 確かに、同じ民族同士でも問題は起きる。他種族も同じく暮らすというなら、更に多くの問題が起こるものだろう。


 これまでは神々の畏怖や、実際に起こす神罰が一種のセーフティを担っていたが、それが消えるとなれば、相応に別の問題は起きそうなものだ。


 神の畏怖が堰き止めていた問題にまで対処を決めたら、それこそ体が幾つあっても足りない。

 里長として預かる民の問題解決程度ならまだしも、それ以上手を広げて解決に乗り出すなど、ミレイユとしても考えたい事ではなかった。


「新たな問題は、当人同士で解決して貰うとしてだ……。生態系に生まれるかもしれない問題も……、一々考えて分かるものでもないな」

「そりゃ、アンタが神として降臨するってモンでもなければね」


 言外に大きく含むものを感じさせながら、ユミルは視線を向けて来る。

 ミレイユはそれに返事せず、改めて眼下へと視線を向けようとして、そこにアキラから声が掛かった。


「あの……、マナがないって話だと、それって遠からず魔力を失うって事ですか?」

「今あるものは残された筈だから、即座にどうこう、という話にはならないと思う……。ただ、大気のマナが希薄すぎるから、吸収効率は下がるかもしれないな。それでも、土や石など、含まれる物質は多く残ってる筈で、そこから受け取る事は出来るだろう」

「だから、攻勢的にしろ治癒的にしろ、使う分には問題ないと思いますね。でも、刻印魔術に頼っていた人は、うまく魔力を練り込めないでしょうから、その回復により多く時間掛かりそうですけど」


 ルチアがその様に補足し、ミレイユとしても妥当な分析だと頷く。

 それでアキラの懸念も晴れると思いきや、更に顔を険しくさせていた。

 むしろ、悪い予感が的中した、とでも言いたそうな顔をしている。


「……何か問題か? 冒険者稼業は少し辛いものになりそうだし、魔物や魔獣の在り方次第では、廃業の可能性もありそうだが……」

「アタシはそこ、あまり問題とは感じてないのよね。結局、食物連鎖の頂点にいる様な奴らなんだし、それよりずっと下にいる様な草食魔獣なんかは、結局マナを含有する植物食べるんだから。そこから取り込んだものを食べて力にしていたのが魔物なら、種の絶滅までは考えられないのよね。戦闘中の弱体化っていうなら、それは冒険者連中も同じな気がするし」

「世代を経る毎に、マナ薄弱になる可能性は?」

「ないとは言えないけど、それって結局遺伝の問題でしょ? 人間だって外から取り込んだマナで成長するっていうんじゃなく、元は母体から受け継いだ魔力を源にしてるんだから。取り込める魔力量は成長速度に影響を及ぼすかもしれないけど、より多く吸収できたからって、限界を越えて成長できるものじゃないからね」


 確かに、とルチアはアキラに視線を移してから、興味深そうに上から下まで見つめた。


「日本にいた時より、更に成長したと思いましたけど、マナの影響というのは考えられますよね。あちらでは基本的にないものでしたし、場所を選ばないとマナの吸収が出来ませんでした。学園にいる最中には、その影響は強いものだったでしょうけど、こちらと同じ濃度であったかは疑問です」

「隔たれた空間を作ろうとも、やっぱり漏れ出て、霧散していくのは止められないと思うのよ。それが、こっちではその心配はなかったワケでしょ? 限界を越えられるものでないとしても、限界まで到達する速度は上がった。そういうコトだと思うのよね」


 ユミルは自身の推測に納得し、実にご満悦な顔をさせたが、話が大きく脱線していた。

 結局のところ、遺伝に頼る部分が大きいというなら、人から魔力は失われないだろうし、魔獣や魔物についても同じ様に考える事が出来そうだ。


 その根幹となる植物にまで同じ事を言えるか分からないが、生態系の破綻からの生命の破滅という、最悪の想定にはならないかもしれない。

 生命というのは、実に強い。

 特に植物は、その環境に合わせて柔軟に変容、進化していくものだ。

 あっさりと枯れてしまう事も多いものだが、悲観的に考える必要もないだろう。


 しかし、アキラは自分の評価など全く思慮の外で、話を聞くだに不都合な事を聞いた様な顔をしている。

 むしろ、懸念は更に強まったとでも言いたそうだ。

 それを素早く感じ取ったアヴェリンが、語調を強めながら問い質した。


「……どうした、難しく考えるのはお前の役目ではないぞ」

「分かってます。僕の考えぐらい、きっとミレイユ様が考え付きます。頭脳労働は僕以外の方の役目です。でも、ミレイユ様。……この元々あった魔力やマナは残ったまま、というのが拙いかもしれません」

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