孔を抜けた先は その9
猛々しい形相から、ミレイユのうめき声で一転したアヴェリンを見ながら、ルチアが恐縮したように頷く。
「アヴェリンの言う事、間違ってないと思いますよ。魂一つでは燃料とするには心許ないのでしょう。ならば数が必要という話になるんでしょうけど、その数を用意するのも簡単ではないと。それなら高純度、高水準の魂を造ってしまえば良い、という話なのではないでしょうか」
「その為の素体か? 拉致した魂が簡単に死んでは元も子もない、と。頑丈な器に入れて、それで良く熟すように、上手く調整してやるという訳か」
「細かい部分は知りようもないですけど、そういう事なんだと思います。……そうですね、欲しいのはガソリンじゃないんですよ。むしろ炉の方――それも核融合炉とか、そういう高エネルギーを生む炉を造っていた、という感じじゃないですかね?」
アキラは唸って腕を組んでは頭を捻った。
ルチアの見解は的を得ているような気がする。世界の維持や、その危機について知りようもないが、ユミルの話などを聞くに、その前提で考えるしかない。
そして維持するエネルギーを得る度に、己の世界の魂を使えば目減りしていって、いずれは果ててしまうのだろう。だから別の手段でエネルギー問題を解決せねばならなかった、そういう事なのかもしれない。
ひと一人で作れるエネルギーと言えば、自転車発電などが思い浮かぶが、そこから得られるエネルギーは微々たるものだ。
もしルチアが言うように、ミレイユが核融合炉並みのエネルギーを生み出すというのなら、比較するのも馬鹿らしい価値がある事になる。
ユミルは細かく頷きながら、はんなりと笑ってルチアを見返す。
「なるほど、核融合炉ね。言い得て妙だけど、確かにそれならって納得するかも。造るのが簡単ではない、という理由だけでもないでしょうけど、捨てるには惜しいと思える程には貴重よね」
「ガソリンがいらないというより、強く欲しているはあくまで炉。炉を使い潰して得るエネルギーですか。さぞかし良いエネルギーが得られるんでしょうね。そもそも無限に使える炉も存在しませんが……」
「ここで考えられる推論では限界があるけどね……。間違ってないと思うわよ。そして貴重だと思うからこそ、あそこまで躍起になって奪取しに来てたんでしょうよ」
ユミルが吐き捨てるように言って、アキラは眉根を寄せた。
「あそこまで、というのは?」
「執拗なまでに千年も付け狙ってたコトよ。逃げられたなら、まぁいいか、とはならなかったワケでしょ? それだけの価値あればこその執拗さでしょ」
「あぁ、そうですね」
アキラは素直に納得したが、ルチアは柳眉に皺を寄せて考え込んでいる。顎の先を摘むようにして、何かへ深く思慮を巡らせているようだった。
一同が自身へ視線を集中させているのに気付いて、ルチアは顎から手を離して言う。
「いえ、炉を欲しているとはいえ、既に六つ手中に収めている訳ですよね? 小神が既に存在しているのですから。そこでまた逃した一つに固執するものなのかなぁ、と……」
「じゃあ、六つでは足りていないとかですかね?」
アキラが聞くと、ユミルが首を横に振って答えた。
「そうでもないと思うけどね。小神の数はストックの数と言い換えても良い筈だし」
「……では、それが間違いだとか? 炉を同時に稼働させるつもりでいたとか、そういう理由が思い付きますけど」
「ふぅん……? それには一考の価値があるかもねぇ」
面白そうに片眉を上げたユミルに、反対の声がルチアから上がる。
「だったとしても、既に幾つも造っているのは証明されているんですから、また新たに造ればいいんですよ。千年追い続けるより簡単な気がしますけどね」
「それもそうね。……あぁ、でも追っていたのは自動的だって推測もあったじゃない? 続けているのではなく、止めていないだけだって。だから千年も続いていたとかさ」
「んー……、でも追い続けていたのは確かなんですから、それだと今一しっくり来ないんですよね」
それぞれに推論を持ち出すものの、結局ハッキリした事は誰にも言えないだろう。
説得力のある考察が出たところで、その答えは、まさに神のみぞ知るだ。ここで深く考える事にあまり意味はなさそうに思えるのだが、ユミルの考えは否だった。
「どうせ分からないから考えないなんて、そんな馬鹿な発言しないでよね。むしろ都合よく答えなんて降ってこないけど、考える意味があるから考えるんじゃない」
「えーと……、それはどういう?」
「最初に言ったでしょ、これはループしてるの。抜け出す方策を思い付けなければ、また繰り返す破目になる。観測できる主観において、少なくとも三回繰り返しているのは確認できたから、それ以上の回数である事は確実よ」
「三回……」
ミレイユにオミカゲ様が居たように、繰り返す時の中で、前周の自分と出会う事は確かだ。
ループを抜け出すという意志があるなら、その蓄積された経験、抜け出す為の試行錯誤が伝言ゲームのように継承されていく事になる。
失敗したというなら、何をやって失敗したのか、何をすれば有利に働くのか、そういった細かな情報を繋ぎ合わせれば、最終的に脱出が成功するだろう。
――だが、と思う。
ミレイユが飛ばされた状況は異常だった。
余裕はなく、切羽詰まって逃げ出したと表現するに相応しい。
一つ一つの対処を適切に行えば、いつかはミレイユの思いを束ねて抜け出す事も叶うように思うが、あの状況でそれが正しく出来ていなかったというなら、非常に厳しい展開になるだろう。
「ミレイユ様は、オミカゲ様から託された時、必要な情報は受け取っていたのでしょうか」
「話す機会は幾らでもあったもの、していたんじゃないの? それこそ、アタシ達が知らないコトまで知ってそう。自身が小神として神造され、贄として欲せられているコトくらい、承知の上でしょうよ」
「辛いですね……」
それを受け取らざるを得ないと悟った辛苦は、アキラには到底想像できない。その一割でさえ理解できないだろう。したいと思って、出来るものでもない。
アキラは消沈して顔を曇らせる。
それを見たユミルは、大いに顔を顰め、盛大に溜め息を吐いた。そうして、またアキラの額を叩き始める。それも一度ではなく、聞き分けのない子供を叱るように、幾度となく繰り返された。
「辛いに決まってるでしょ。自身の命運のみならず、オミカゲサマが背負ってきたもの、それを託されたのよ。余りに重く、あまりに大きい。簡単に受け取れもしないし、背負えもしない。……だからってアンタ、そんな表情、あの子の前でするんじゃないわよ」
「はい、すみません……」
「ほんとに分かってるのかしらね……。情けだとか憐憫だとか、下手な感情持ち出すなって言ってんのよ。よく覚えておきなさい」
「はい……」
アキラにその重荷を共に背負う事は出来ない。
背負えたら、と思いはするが、しかし出来るとすれば、それは共に歩んできた彼女達だけだろう。共に生きたのは数年の事かもしれないが、その数年には互いに信頼と信用を育むには十分な密度があった筈だ。
アキラが友人たちと過ごした数年と比較できないだけの、互いの命を預け合い、助け合うような壮大な何かがあった。それは時折、アヴェリンが語ろうとしていた英雄譚からも窺える。
人が一生に体験できないだけの偉業が、その数年に詰まっていた。
そして、それこそれがアヴェリン達に慕われる理由だ。
強く魔力が豊富なのは、神の素体を持つからかもしれない。強敵との遭遇も、お膳立てされたものかもしれない。
だが、ミレイユが示した行動は違う。それは本来滅ぶ筈だったという、ユミルの台詞からも見て取れた。そしてそれら幾つもの偉業が、彼女たちに鮮烈なものとして映っているのだ。
ユミルはアキラから目を離し、場の空気を切り替えるように手を振って、それから神妙な顔つきで言った。
「でもまぁ……、知り得る限り、同じ流れで失敗を繰り返しているワケでもなさそう。そこには間違いなく差異がある。付け入る隙があるとしたら、そこかもね」
「私はそれ、詳しく知らないんですけど、一体どういう差異があったんですか?」
ルチアが聞くと、ユミルは記憶を探るように上方を見て、それらを整理するのに数秒使ってから口を開いた。
「オミカゲサマがこの世界から、現世へ最初に降り立った時点で、見える範囲全てが既に崩壊していたらしいのよね。つまり、アタシ達がアキラと出会ったあの日、同じ繰り返しをしていたなら崩壊した世界に降り立っていたコトになる」
「……なるほど。オミカゲサマの前の周のミレイさんは、何か別の失敗を早い段階でしていたと」
「そう、到着したその日に強制送還されたという話で……後はまぁ、その時点で更に大きな差異があったのよ」
ユミルは口を濁してアヴェリンを見る。
目を向けられた当の本人は、先程とは随分と違った沈痛の
ユミルもまた、その二人を複雑な表情で見やって続ける。
「その更に前にはどういう差異があったのか、となると分からないけど、前回の失敗から、多くを推測して対抗しようとしていたのは分かる」
「オミカゲ様は、そうなさっておいでのようでしたね」
「憶測も混じっていた部分はあったでしょうけど、最悪を避ける為の準備を怠らなかった。世界の破滅を防ごうとしながらも、現世にいる限りは全てを解決できないコトも理解していた。――自分は踏み台だと受け入れた上で、次へ託すミレイユの為に、十全な準備を整える方針へ舵を切っていた」
ルチアは内容を吟味するように、幾度となく頷く。
「だからミレイさんが到着した時点で、世界は破滅していなかったし、その兆候もなかった。ミレイさんは良く似ているけど違う世界だ、と言ってましたが……」
「まぁそれが、オミカゲ様が残した足跡、というコトになるのかしらね」
「そういえば、世界と自分の間にズレがある、という様な事も言ってましたっけ……」
唸るように息を吐いて、ルチアは自分を抱き込むように腕を組んだ。
前のめりに身体を傾け、焚き火を覗き込むように視線を固定する。
「いっそ後ろ向き過ぎた、というところなんでしょうかね。失敗を恐れ、次に託す事へ集中し過ぎたあまり、可能性を一つ摘み取ってしまっていた」
「そうね、孔の完全封印。あるいはそれが叶っていれば、と思うけど……でも、それってやっぱり、神々が別の方策を思い付けば同じコトなのよね。孔とは違う手段を講じられるかもしれないし、完全に手を引かせるには、やっぱり現世にいては不可能なのよ。必ず、新たに現れるミレイユへ託す必要に迫られる」
ルチアのみならず、ユミルもまた唸りを上げて腕を組む。
「あるいは、オミカゲ様よりも攻撃的な方法を選んだが故に、前周ミレイユは失敗したのかもしれないけど。何をして失敗したのか、それまでに何を知ったのか。伝達すべき情報も、そこで途絶しちゃってるらしいし……」
「上手くやろうとしても、あちらが立てばこちらが立たず、の典型なのかもしれませんよ。オミカゲ様の失敗も、そのようなものでしょう」
それに応える声はない。
失敗を認めたいのではなく、どう声を返せば良いのか分からなかったのだ。沈黙と火の粉が爆ぜる音ばかりが支配する中、アキラも何も言えず口を閉じた。
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