孔を抜けた先は その10

 アキラは話を聞いているだけだったが、壮大な話になり過ぎて途中から付いていけなくなった。

 オミカゲ様は単に千年前から顕現したのではなく、初めから神だった訳でもなく、そしてその背景には神々の思惑と、それに抗おうとする戦いがあった。


 オミカゲ様は只与え、民を守護する存在――。

 その様な認識でいた。一般人のままでいたら、きっとそれ以上の事を知らず、純粋な信仰を向けるままだったろう。艱難辛苦の果てに、ミレイユへ託す思いなど知る由もなかった。


 そしてきっと、オミカゲ様にも多くの背負ったものがあったのだろう。それすら今となってはミレイユが引き継ぎ、新たな戦いへ赴こうとしている。

 アキラに何が出来るかは分からない。突発的に身体が動いて付いて来ただけだったが、アキラの人生に意味があるのだとしたら、この為だったのではないか、と思い直す。


 微力な助けにしかならないし、それがどれ程のものになるかも分からない。

 しかし純粋に、自分に出来る事ならどのような助けもしたい、という気持ちに溢れていた。


 未だ起き上がらないミレイユを見る。

 アヴェリンも同様、時折薪を入れて火力を調整しながら、気遣わし気に視線を向けていた。上から掛けたマントの位置を調整したりと、甲斐甲斐しい世話を見せている。


 普段は粗暴としか思えないのに、ミレイユに対してだけ敬意を向けるのも、今なら分かる気がする。彼女の根底にあるのは信仰だ。人として、主として、力ある存在として敬意を向けつつ、ミレイユが歩んできた行動に尊崇も向けている。


 アキラがオミカゲ様を愛するように、アヴェリンもミレイユを愛している。

 遠くから見るしかないアキラと、直接触れ合えるアヴェリンとで立場は違うが、その想いは共通している気がした。


 また一つ、火の粉が弾けた時、ルチアが溜め息を吐くように言葉を落とす。


「……全貌は見えずとも、ミレイさん――ミレイさん達、と言うべきなんですかね。彼女達が繰り返し抗ってきたのは分かりました。そして恐らく、私達の想像以上の回数を繰り返して来た事も」

「だから、どこかで断ち切る妙手が必要とも思うのよ。前回のオミカゲ様と違って、こっちはフルメンバーでいるワケだし、予想外の味方も出来た」


 そう言って、ユミルはアキラに流し目を送った。その瞳には僅かな期待も籠もっている。

 それを見たルチアが、訝しげな表情をアキラとユミルの間で動かす。


「だから最初、ユミルさんはアキラに協力的だったんですか。変に庇うとは思っていましたが……」

「どれ程の回数ループを繰り返して来たのか、それは分からない。でも抜け出す為には、火種となるものが求められる筈よ。最低でも前回と違う行動が必要になる」

「アキラが、その火種になると?」


 アヴェリンが疑わしげに目を向け、その圧力すら感じる視線から、逃げるように顔を背けた。


「今は火種にすらならない小さな火よ。結局着火せず、ただ消えるだけかもね。……でも、アタシ達四人で十分打開できるなら、こんなコトにはなってない。変化が欲しいと思ったら、何かを外から加えなきゃ」

「なるほど、尤もな話だ。お前がイレギュラーとして使える奴なら、それに越した事はない」


 アヴェリンの視線から受ける圧が高まる。

 それは重圧となってアキラの身体にぶつかった。まるで実際に重りを載せられたかのように感じたが、アキラ自身、そのようなプレッシャーを与えられても困ってしまう。


 助けたい気持ちは本物だが、まるでキーパーソンのような言われ方をされても、それに応えるなんて気安く受けられない。凡人以上にはなれないという、生来の卑屈さも加わり、アヴェリンに返答する事さえ出来なかった。

 そこへルチアが容赦ない言葉と共に、冷たい視線を向けてきた。


「……それって別に、手心を加えるって意味じゃないですよね? 邪魔なら切り捨てるっていうのは変わりませんか?」

「それはそうね。何か違ったコトを加えたいっていうのは、つまりアキラを優遇するって意味じゃないから。こちらの有利に働く確約を得られるモノでもないしね。期待と言っても、そこまで大きなものじゃないわよ」

「それもまた、尤も話だ」アヴェリンは頷いて腕を組む。「どこかに石を置いておけば、それに躓くかもしれない。向ける期待は、その程度のものか」


 ユミルは我が意を得たり、とでも言いたそうな笑みを浮かべる。人差し指を向けて、片目を瞑った。


「それで転べば万々歳よ。石を置く程度は労力にもならないんだから、持ってるだけで邪魔なるようなら、捨ててしまえば良いのよ」

「目茶苦茶辛辣な上に、とんでもない事いわれてますね……」

「別に良いでしょ。不確定要素だと思うものは、取り入れてみる価値がある。そう思われて、アンタも本望じゃない?」

「とはいえ、ミレイ様が許可を出さなければ、それにも意味はないがな」

「それはそうね」


 ユミルは当然だと頷いてから続ける。


「一応、アタシなりの見解や、連れて行くだけの根拠を言ってやるつもりだけど、あの子が嫌がればこの話はナシよ。どこか大きめの街で別れるコトになるでしょうよ」

「はい、分かってます。ミレイユ様が駄目と言って、なお付いて行く気はありません」


 そこは最初から覚悟していた部分だ。

 アキラを高く買ってくれていた訳ではないにしろ、その存在に価値を見出してくれたから欲が出てきた。まだ共に歩けるかも、という未来が垣間見えて、それに縋りたくなる。


 だがやはり、アヴェリン達の言うとおりなのだ。

 どれだけ弁舌が立とうと、優位性を説こうと、自分を奴隷扱い便利使いしてくれとアピールしようと、ミレイユの許可次第なのは変わらない。


 それは最初から解っていた事だ。

 だが、アキラの一助を求めてくれるなら、これ以上光栄な事はない。熱の籠もった視線でミレイユを見ていると、そのミレイユが身じろぎをする。


 アヴェリンに運ばれている時でさえ、そして火を焚いてからも一度も反応を見せず、昏倒するように眠っていたミレイユが、いま起き上がろうとしていた。

 ゆっくりと目を開き、それからふらつくような心許なさで、いっそ無防備に起き上がった。現状を確認するような素振りもない。未だ夢心地といった感じで、完全に目が覚めた訳でもないようだ。


「あぁ……、なんだ。なにが……」


 ミレイユは自分の上に掛かっていたマントを不思議そうにどかし、髪を掻き上げながら焚き火へ顔を向ける。普段目にする事の出来ない仕草に、アキラが胸をドキリとさせていると、アヴェリンが気遣わし気にマントを拾ってその肩に掛けた。


「大事ありませんか。まだ横になっていても……」

「うん……。どういう状況だ……焚き火……? 何でわざわざ……」


 現状の理解も追い付いておらず、寝起きである事を差し引いても、あまりに察しが悪すぎるように思えた。それとも、アキラが知らないだけで、彼女の寝起きとはこういうものなのだろうか。

 ミレイユは不思議そうに焚き火を見つめた後、緩慢な動作で頭を掻き回す。


「あぁ……そうだ、箱庭はないんだったか。……それにテントは、あぁ……私が持っていたな」

「ミレイさん、とりあえずお茶をどうぞ」


 ルチアが器に淹れたお茶を差し出すと、薄く開いた目で受け取る。

 のろのろとした動作で口元へ運び、啄むように少しずつ嚥下していく。


「今スープを温め直しますから、何かお腹に入れておいた方が良いと想います」

「うん……」


 ミレイユは覚束ない足取りで立ち上がると、アヴェリンの助けを借りて倒木に腰を下ろした。まるで病人のような足取りで、ただ立ち上がって何歩か歩く事さえ大変な労力に見える。

 アヴェリンに支えられ腰を下ろしても、背もたれもなく丸みもある倒木に、座り難そうにしていた。フラフラと揺れるのに見兼ねて、アヴェリンが自分の肩を貸して、そこにもたれさせる。


 ミレイユも抵抗する事なく受け入れ、薄く開いた目で焚き火を見ていた。

 誰からも話し掛ける事が出来ず、アヴェリンはマントを掛け直させて、熱を逃さないよう抱き締める。アヴェリンの視線は痛ましいものを見るかのようで、とにかく手厚く介護しているような有様だった。


 ルチアが温め直したスープと、その器の上に薄くスライスさせたパンを乗せる。

 具も大して入っていないスープの筈なのに、器を持つだけでミレイユの腕が震えていた。見兼ねたアヴェリンが器を持って、手ずから食べさせようとしている。


 薄いパンだけは自分で持って、口元へ運ばれるスープの合間にパンを食べる、という動作を繰り返していた。食べている動作すら緩慢で、途中で眠ってしまいそうなくらいだった。


 全てを食べ終え、口元さえアヴェリンに拭われると、やはり緩慢な動作で懐から何かを取り出す。懐へ手を伸ばす動作をしただけで、実際は個人空間から取り出したのだろうが、とにかく手に持っていたのは四角形の茶色い何かだった。


 アキラがそれをまじまじと見つめても、何であるか分からない。

 まるで四角形型のテントかコテージ、そのミニチュアのように見えた。手のひらサイズで、部屋に飾るには良いインテリアのように思えるが、この場で出した意味が分からない。


 それをアヴェリンに手渡すと、ついに糸が切れたように腕を落とす。

 薄くしか開いていなかった目も閉じて、頭をアヴェリンに預けたまま、掠れた声で言った。


「すまん……寝る」

「はい、ごゆっくりお休み下さい」


 その言葉すら聞き終える前に、再びミレイユは眠りに落ちた。規則正しい寝息が聞こえてくると、アキラはとりあえずホッと息を吐いた。先程までは身じろぎすらも無かったが、今はとりあえず小さく胸が上下してる。


 起き上がったばかりの時より、顔色も良くなったように思えた。

 アヴェリンは優しくミレイユを抱き直すと、受け取ったミニチュアをユミルに放る。片手で受け取ったユミルは、アキラに立つように指示すると、倒木を蹴飛ばして外へ出してしまう。


 何をするつもりだと見守っていると、地面にミニチュアを置いて何かの魔術を使った。そうすると、僅か数秒で何倍にも体積を増し、五メートル程の巨大なテントが出現した。


「な、なぁ……!?」

「早くどけ」


 驚いている間に、背後にはミレイユを腕の中に抱えたアヴェリンが立っていた。

 慌てて横へ逃げると、縫い目の一つが自動的に開いて中が見える。そこには丸められた寝袋が幾つかと、奥まった端にはテーブルと椅子が一脚ずつ置いてあった。


 テーブルというより手紙机のような形で、椅子も丸く背もたれがない。普通ならテントの中にある物でもないが、これほど広ければ邪魔という訳でもなかった。

 布製のテントとは思えないほど作りがしっかりしていて、骨に使っているのは木製とも金属ともつかない何かだ。天井部分にはランプが一つ吊り下げられていて、明かりも用意されているらしい。


 ルチアがアヴェリンの横をするりと抜けて、手早く寝袋を広げる。

 アキラが知っているようなミノ虫タイプではなく、幾らか頑丈な布を広げるというようなものだった。伸ばし終えれば枕部分が出てきて、それで準備は完了のようだ。


 身体を包んでくれるものは別途用意する必要があり、寝袋と一緒に畳んであった毛布を取り出すと、それを掛けてミレイユを寝かせている。

 アキラがその一部始終をテントの外から眺めていると、ユミルに肩を小突かれ、慌てて顔を向けた。


「交代で見張りをするわよ。あの子も朝まで起きないでしょうし、詳しい話はその時にしましょ。アンタは一番手。アタシ達は先に寝るから」

「は、はい、分かりました」


 それぐらい出来るでしょ、と言った含みを持たされた目で見られれば、そうと頷くしかない。やるべき事は火を消さない事、何か魔物が近付いてくれば知らせる事だ。

 何も難しい事はない。


 アヴェリンとルチアが、自分達の寝袋を用意しているところにユミルが入っていく。テントの入口は開いたまま、アキラはアヴェリンが座っていた位置へ戻り、薪を手にして腰を下ろす。

 何気なく見上げてみたが、木の葉の繁りで、相変わらず空はよく見えない。

 ただ、その先へと視線を向けながら、とても長い夜になりそうだ、と思った。

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