孔を抜けた先は その11

 アキラは虫や鳥の鳴き声を遠くに聞きながら、忙しなく周囲を見渡していた。

 現世であっても、人の手の入っていない森の中には危険が付きまとう。火の明かりを怖がる獣もいれば、逆に近付いてくる獣だっている。

 明かりの元には人がいると知っている、知性の高い獣もいるのだ。


 それを思えば、魔獣がアキラ達を取り囲んでいる状況というのは恐ろしく感じて仕方なかった。簡単には襲い掛かってこない、という説明にも一定の説得力があったが、しかしここにアキラしかいないと分かれば、考えを改めるのではないか。

 そう思うと怖くてたまらない。


 だから、風が立てる音すらも怖い。

 何かが草を踏み分ける音は無いか、草や木の間から、こちらを見つめる光る眼はないか、それを探さずにいられなかった。


 アヴェリン達はすっかり寝静まっており、離れている所為で寝息すら聞こえてこないが、それが尚の事アキラを不安にさせた。

 魔獣が脅威と見定めているのはアヴェリン達だ。テントの中にいる事もあって、その安全性は幾らか高い。どこから見ても、まずアキラが視界に入るだろうから、襲うとなれば誰からか、など考えるまでもない。


 それが分かるから、風が立てる葉擦れ音までが怖かった。

 風に揺られる焚火の火先が吹き上がり、顔を舐めるように動いて手で払う。


「あっち、ちっ……!」


 慌てて手を振り払って顔を背けた。

 火は頼もしいが、同時に危険でもある。注意を向けるべきは、何も森の奥だけではない。無駄に火を大きくした焚火は山火事の原因になったりもする。


「今は僕が火を任せられているんだから……!」


 明かりの確保、熱源の確保、というだけではない。

 火の扱いには責任を伴う。ここで火を消したり、あるいは制御できない火勢にでもしてしまえば、ミレイユの許可など必要なく置いていかれるだろう。


 薪もそこそこ燃えてきて、新たに継ぎ足さねばならない段階まで来た。

 アキラは見様見真似で置いてみたが、火が上手く回らない。置き方が悪いのか、それとも他に原因があるのか、悪戦苦闘し幾度も置き直している内に更に火勢は弱まっていく。


「あぁ……っ、まずい!」


 一度完全に消化させてしまえば、再点火させるのはアキラには困難だ。

 アヴェリンがやってる時は実に簡単そうだったし、丁寧に形を整えているようにも見えなかった。ぞんざいに薪を投げ入れているようにさえ見えたのに、熟練の手に寄ればそんな事は関係ないらしい。


 気ばかりが焦り、更に火勢が縮まると、アキラもパニックに近い状態になる。火に口を近づけて吹きかけてみたりするのだが、効果は感じられない。

 どうしたら、と思っていたところで、目の前にユミルが立っているのに気が付いた。


「何やってんのよ、アンタ」

「す、すみません。火が中々……!」

「分かってるわよ、そんなの見れば。あんまりガタガタ煩いと迷惑なのよね、目が覚めちゃったじゃない」

「すみません……」


 アキラが恐縮して肩を窄めると、ユミルは溜め息を吐いて隣に座った。


「ま、どうせ次の順番はアタシだからいいけど……」

「あ、ユミルさんも、こういう当番とかするんですね……」

「そりゃそうでしょ。今は緊急事態でもあるしね」

「あ……、ミレイユ様……。大丈夫なんですか、凄くふらついてましたけど」

「どうかしらね」


 ユミルは気楽な調子で肩を竦めて答える。

 そこには楽観した表情しか浮かんでないのだが、元より彼女は常にそういった雰囲気を出しているので、本当なのかどうか掴めない。


 飄々としておいて、実は裏で不安がっていても不思議ではなかった。

 アキラの表情を横目で見て、ユミルは顔を顰めて言う。


「正直なところ、意外なほど消耗を見せられて、こっちが困惑してるところよ。あの子に魔力切れなんて、早々起こらないから分からなかったけど、すっからかんにすると、あぁなるのね……」

「本当に大丈夫なんですか、それ」

「単に魔力の消耗だけで、あそこまで疲弊するのは異常だわ。長時間眠りこけて、起きた後も意識が朦朧なんて、普通起こらないもの。だからきっと、あれは神の素体絡みで起きた症状、という気がするんだけど……」

「そうなんですか……? 確かに足元も覚束なくて、食事してる間も崩れ落ちそうになってましたけど……」

「魔力総量が膨大過ぎるコトの弊害、それもあるのかもね。普通はブレーキが掛かって、全部吐き出すなんてコトはしない。誰だって死ぬと分かって、息を吐き続けられないでしょ? それが起きてるんだから、危険な状態だけど――」


 聞き捨てならない台詞を聞いて、アキラはユミルに詰め寄る。


「じゃあ、やっぱり問題ありじゃないですか!」

「デカい声出すんじゃないわよ。いいから聞きなさい、でも、あの子は自分でマナを生成するから、空になっても死なないの。精々フラつく程度で、後は安静にしてれば正常に戻るのよ。マナがより濃い森の中を歩いたのも、それが理由」

「あ、森を進んでいたのは、そういう……」


 現在地も旅のセオリーも分からないアキラにとって、森の中を進むのは危険という位の認識しか無かったが、旅慣れた彼女らが選んだルートなら、それが正しいのだと頭から判断していた。

 あるいはどこかへ向かう近道だとか、街道から離れた場所だからここを進むしかないだとか、そういう、あくまで目的地への最適解を選んでいたのだと思っていたのだ。


「わざわざ危険な森を進むなら、と思ってましたけど、ミレイユ様の為だったんですね……」

「別にそれだけってワケでもないけどね。姿を隠したいから、そういう理由もあったんだし」

「ああ、あの光柱を見て、調べに来る人や勢力がいるって話でしたっけ……」

「そう。森の樹木が空からも地上からも、アタシ達の姿を隠してくれる。最大戦力と、リーダーを失った状態で出会いたくないでしょ」


 そうですね、とアキラがアキラが同意したところで、ユミルは傍に置いてあった薪を手に取った。そしてアキラが組んだ薪を崩してしまう。


「あ……!」

「アンタね、薪にも火が付きやすいのと、そうじゃないとがあるんだから。使うんだったら、そっちが先で、より細い方から使いなさい。火勢が衰えてるんなら尚更。太い方は後から使うの」

「それは……、知りませんでした……」

「そうでしょうね。教えてなかったと後から気付いたわ。でも、火を保つくらいは出来るだろうと思っていたし、所謂……こっちの常識として、それが出来ないなんて頭にないのよね」


 アキラに置き換えれば、ガスコンロに火を付けたり、部屋の電気を付けるようなものだろうか。明かりを付けてと頼まれた時、現世に来たばかりのユミル達に初見でスイッチを押せたか、と言われたら、きっと無理だろう。


 それと同じで、もしかしたら彼女達にとっては、それぐらいの常識なのかもしれない。

 何しろ火は生活のどこにでも使い、そして無くてはならないものだ。火の扱いは子供の頃から習うのだろうし、アキラの年齢まで火を保てない人間がいるなど、想像の外だったに違いない。


「すみません……」


 アキラがもう一度謝ったが、それに対する反応は無かった。

 ユミルは手早く薪を加え、細かった火をたちどころに蘇らせてしまう。その手際はアヴェリンに勝るとも劣らないもので、常識と口にするに十分な手際だった。

 火が十分な大きさに育つと、ユミルは薪から手を離して腕を組む。


「……まぁ、別にそこまで気にするコトじゃないでしょ。習って出来ないなら問題だけど。アタシもスマホの操作や、イロハは色々教えて貰ったしね」

「あ、あぁ……。でも、それとは重要度も扱いも違うというか……」

「そう変わらないと思うけどね。現世でスマホを扱えないって、相当なハンデでしょ。人によっては火よりも大事、という輩だっているかもね」


 そこまで豪語するような人は相当なスマホ中毒者、という気がするが、実際所持していない、使用出来ない人というのは現代では大きなハンデだった。

 所持して当然、というほど普及していて、多くのサービスはスマホ基準で考えられていた。


 自身で料理する必要すらなく、注文一つで食べたい物が届く。それを考えれば、スマホの重要性は火を見るよりも明らかだ、と言う人が居ても不思議ではなかった。


 優しい言葉は素直に嬉しい。ユミルの気遣いは心に染みるようだが、同時に違和感も覚えた。

 ユミルは他人に優しくするより、むしろ虚言で陥れるようなタイプだ。ミレイユに対しては例外だという気はするが、アキラなど玩具程度にしか見ていないだろう。


 それには些かの自信がある。

 その考えが表情に出ていたのだろう、ユミルが嫌らしい笑みを向けて言ってきた。


「アタシの気遣いが、そんなに意外?」

「いえ、まぁ、なんと言いますか……」


 正直にそうです、とも言えず、言葉を濁して視線を逸らす。


「……分かるけどね。でも、アンタとの付き合いも、何だかんだで長いワケよ」

「そうですね……。あっという間に感じますけど、半年ぐらいですか。凄い濃厚な月日だった所為か、全然そんな風に感じませんけど」


 ミレイユ達と初めて出会ったのは、春と夏の間、コンビニ帰りの公園での事だった。あの日の夜は、まだ少し肌寒かったのを覚えている。それが本当に気候的な感覚だったのか、今となっては分からないが、とにかく夏が始まるより前の事だった。

 それが今や、雪の降る、既に年末も近くまで迫る、という季節になっていた。


「アタシ達は基本的に、旅から旅への移動だったから、長い付き合いをしていた相手は稀なのよね。一つ所に逗まる事はあったけど、やっぱり半年以上同じ場所にはいなかった。だからね、アンタは近しい人物ってコトになるのよ」

「それは……光栄です」

「まったく、何て顔してんのよ」


 ユミルは笑みを深めて、本日幾度目かになる額叩きをした。


「そうよ、光栄に想いなさい。近しい相手には、それなりに気を遣うもんでしょ。あの子の方針ってのが最初にあったにしろ、見捨てられないだけの気概を示したアンタのコトは、それなりに気に入ってるのよ」

「えぇと、そう言われると逆に不安になりますけど」

「何でよ」

「ユミルさんのお気に入りって、つまり玩具にするには丁度良いって意味かなぁ、と……」

「あら、アンタも言うようになったわね」


 ユミルは愉快げに笑って薪を投入し、焚火の形を整える。

 そうしながら、細い薪を火掻き棒代わりにして上手いこと調整している様を見て学ぶ。今後は同じ事が出来るようにならなければ、アキラを擁護してくれれたユミルにも立つ瀬がない。

 近しい人物と認めてくれたユミルに報いる為にも、アキラは集中してその薪の扱いを観察した。

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