神々との戦い その2

 インギェムの掛け声が聞こえたと同時、足元の接地感が消え、視界が暗く染まった。

 次いでやって来たのが浮遊感で、それもすぐに落下へと変わる。

 左右どちらへ視線を向けても何も見えなかったが、すぐ近くにアキラがいるのは気配で分かった。


 落下時間も、そう長く続くものではなく、体感的に五秒ほどに過ぎなかったが、本当はもっと短かったかもしれない。

 足元の遥か先に見えた光の点は、確認したと同時に急速にその大きさを拡大させた。


 あるいは、ミレイユが高速落下した所為でそう見えただけかもしれないが、その先に何者かの頭頂部が見える。

 インギェムが言った様に、目標の頭上へミレイユ達を繋げたらしい。


 シオルアンは何が起こったのか理解していないようだ。

 黒髪の女神は動揺して、忙しなく周囲を見渡しており、頭上に注意は払っていない。


 ミレイユが魔力を制御して、いつもの様に剣を半召喚すると、自身の魔力でコーティングする。

 コンマ一秒程のごく短い洗練された制御だったが、それがシオルアンに感知される原因となり、そして直後、己の失策を悟った。


 完全な不意打ちを狙うなら、初めから武器は用意しておくべきだった。

 アヴェリンやアキラの様に、個人空間から取り出す程度なら、きっと気付かられる事もなかっただろう。

 奥歯を強く噛み締めながら、ミレイユは武器を振り下ろす。


 刃の切っ先はシオルアンの肩から背中を斬り裂いたが、咄嗟に避けられた所為で傷は浅い。


「――チィッ!」


 大きく舌打ちしながら着地する。

 その時にはもう、シオルアンは大きく飛び退いてミレイユを凝視していた。

 まるで信じ難いもの、幽霊でも見たかのような顔をしているが、彼女の心情を思えば当然だろう。


 完全な不意打ちのお膳立てが出来ていたのに、自分の戦闘スタイルがそれを台無しにした。

 一撃で仕留められなかったのは、あまりに悔しい。

 迂闊だったと臍を噛む思いだが、今は切り替えが必要だった。


 シオルアンの権能は、摩滅と再生だ。

 それを聞いた瞬間から、小さな傷は意味がないと理解していた。

 上級魔術と同等か、あるいはそれ以上の治癒速度で傷を治してしまうだろう。


 これはシオルアンに限った話ではないが、神は誰もが厄介な権能を有している。

 一番効果的なのは、それを使わせる前に始末してしまう事だった。


 一刀の元に首を落とせれば、それが一番簡単だ。

 だからインギェムも、頭上からの不意打ちを提案したのだろう。


 シオルアンは驚愕した表情のまま、左右に忙しなく視線を向ける。

 ミレイユもざっと確認したが、部屋の中は倉庫にすら使っていない、完全な空き部屋だった。

 遮る物、邪魔になる物が一切なく、窓すらもない。

 出入り口はミレイユの背後にあるらしく、逃がす事だけは許さずに済みそうだった。


「な、何故……いや、あれはインギェム……? ――裏切ったかッ!」

「ご明察だな。――アキラ、前に出ろ!」

「ハイッ!」


 戦闘が得意ではない、という話だが、神という存在は馬鹿に出来ない。

 アキラをアヴェリン同様に運用したところで効果的ではないだろうが、前に出す以外使用法もない。

 攻め立てる事で見えてくるものもあるだろうから、傷が塞がり切る前に、次なる一撃を与えたかった。


 シオルアンが飛び退いた分、ミレイユが一歩踏み出し接近する。

 アキラも左側から回り込み、挟み撃ちの形になった。


 シオルアンは怒りの形相で黒髪を振り乱し、アキラの方へ身体を向ける。

 相手にするなら、まず弱い方を、と思ったのかもしれない。

 たった一人の差だろうと、数の有利というのは馬鹿にならない。だから、まず数を減らそうと考えるのは当然だ。


 そしてだからこそ、それはミレイユにも読めている。

 空いている左手で魔力を制御し、魔術を行使する。

 初級魔術は即座に発動し、細い雷が指先から一直線に飛んで行った。


 発動と共に着弾するのが、雷系魔術の利点だ。

 低級魔術故にダメージこそ与えられないが、邪魔が出来ればそれで良い。

 特に眼球付近を狙って撃ったので、目眩ましには丁度良い筈だった。


「あぁ……っ!?」


 光速で襲いかかる魔術を、発動後に防ぐ事は難しい。

 事前に魔術内容を察知して、相手の発動より早く躱すか、防護術で守っているしか方法はなかった。

 そして、それを出来ないというのなら、戦闘慣れしていない事を証明したようなものだ。


 ならば、もう少し大胆にやっていける。

 顔を反らして動きを止めたシオルアンに、その隙を見逃さないアキラが斬り掛かった。


「ハァッ!!」

「――うっ!?」


 アキラの刃はシオルアンが身に付けていたトーガの様な服を斬り裂き、その肌も斬り裂いたが、絶好の一撃だったにも関わらず、表面までしか刃が通っていない。


 皮下脂肪程度は斬れた様だが、筋肉まで到達していないのは見て分かった。

 元より神々に対して致命傷は期待していなかったが、それでも、肌を少しでも斬り付けられると分かったのは朗報だ。


 傷を受けるなら、それを嫌がって避ける事も多くなる。

 付け入る隙が増えるのは喜ばしい事だ。


 アキラの一撃で動きが止まったシオルアンに、背後からミレイユも召喚剣を振り下ろした時、魔力とは違う力の奔流がその動きを止めた。


 剣の切っ先に圧力が掛かり、最後まで振り切れない。

 だが、均衡していたのは一瞬で、異変に気付いたミレイユは、咄嗟に剣から手を離した。


 何かの圧力を受け止めていた剣先が、摩り切れる様に削られている。

 半召喚した剣故に実体は無く、また魔力を変性させて作った仮初めの刃は、物理的な損傷を受けない。

 その筈なのに、シオルアンは容易く傷付けてみせた。


 ――摩滅の権能、それ故か。

 摩耗、摩り切れ、消滅する。

 それを物理的にも、魔力的にも関係なく引き起こすというなら、なるほど確かに厄介だった。


「アキラ、気をつけろ。奴の力に触れると、あっという間に削られる。武器で受けるな。不壊の付与も、権能の前ではどれだけ有効か分からない」

「分かりました! ……けど、目にも見えないし、どうしたら」

「お前とは相性が悪い。……というより、武器を使う奴で相性の良い奴なんていないだろうが。とにかく、上手く避けつつ隙を突け」

「は、はい……ッ!」


 アキラが難しい顔で首肯するが、自分でも無茶を言っていると分かっている。

 アヴェリンならば野生の勘で避けそうだが、あれは彼女だから出来るのであって、他の誰にも同じ真似は出来ないだろう。


 だが、元より不利な戦いと覚悟していたアキラだ。

 すぐに顔を引き締め、シオルアンの動きから、その兆候が窺えないかと様子見に入った。


 今はそれで良い。

 闇雲に攻撃を仕掛ける事が出来たのは、最初の一時だけだった。

 シオルアンにも心構え出来るだけの時間を与えてしまったなら、ここからは簡単にいかないだろう。


 ミレイユは目を細め、口を小さく開けて細く息を吐く。

 攻撃的な権能でありつつ、回復も出来る権能を持つ。

 再生がどの程度の効果があるか分からないが、アキラが付けた傷は既に消えていて、ならばミレイユが付けた傷も、既に消えていると見るべきだ。


 シオルアンがいれば、神々は幾らでも損傷を気にせず戦えるだろう。

 それを思えば、絶対にここで落としておきたい相手だった。

 間違っても、ドラゴンと相対する神々への救援に、行かせる訳にはいかない。


 ミレイユが胸中で決意していると、シオルアンは不意に不敵な笑みを浮かべた。

 今も床の上に放り出された召喚剣へ、チラリと目を向けてから、嘲る様に言った。


「お前も武器を投げ捨てて、それでどう戦うつもりです? 離れて魔術で攻撃すれば良い、と思っているなら、浅はかという他ありませんが」

「……なるほど。真摯な忠告、実に痛み入るな」


 今の一言で、シオルアンが不勉強だと言う事は分かった。

 ミレイユが持つ魔術や戦術について、彼女は知らないのかもしれない。

 調べ上げていて当然と思っていたが、自分は無関係だと思っていたからこそ、ミレイユの戦術を知らないのだとしても不思議はなかった。


 直接対決など、まるで想像していなかったろう。

 あるいは、ルヴァイルが上手く欺瞞情報を流していたお陰かもしれないが、今も自分が有利だと思っているならやり易い。


 そして実際、遠距離からの魔術攻撃は浅はかに違いなかった。

 シオルアンが意図して言ったかは分からないが、彼女を傷付けられる程の魔術となれば、下級魔術では力不足だ。


 最低でも上級魔術は使用する必要があり、そしてそれは、魔力の損耗が大きい事を意味する。

 ミレイユの場合、消費した分は自力生成されるマナで補給できるが、今はそれこそが怖い。

 遥か格下ならともかく、神を相手にあの激痛は大きなハンデだ。


 初級ないし下級クラスの魔術の使用が最も望ましく、そしてそれで傷付けられるとなれば、召喚剣を用いるのが現実的だった。

 少ない消耗とはいえ、何度も作り直せばやはり負担だが、武器を破壊される事そのものは痛手にならない。


 まだ倒すべき敵が残っている状況では、最初からペースを上げて戦うと、後の息切れを呼ぶ。

 そしてミレイユの息切れとは、再び立ち上がれない事を意味するかもしれなかった。


 一度鋭く息を吐くと、手の中に再び剣を召喚しながら、地を這う様に身を低くしつつ接近する。


 ――まずは、シオルアンの限界を見極める。

 再び同じ武器を手にした事で、シオルアンは侮る様な目をして来たが、ミレイユは構わず斬り付けた。


「――シィッ!」


 目標は膝から下だったが、それも残り一メートルの距離で受け止められた。

 手を翳すだけで、他に何かした様には見えなかったが、硬いとも柔らかいとも言えない感触に阻まれてしまった。


 先程と同じで、剣先がそれ以上進まず拮抗し、そして触れたと思われる場所から崩れていく。

 刃を離して、逆角度から斬り付けても同じだった。やはり同じ距離で受け止められてしまう。


 刃が完全に摩滅するまで同じ事を繰り返し続ける事で、シオルアンを中心に、歪な円形で膜が作られているのだと分かった。

 恐らく、防膜と同じ要領で自身を保護しているのだろう。

 ただ、武器の接近を嫌がる所為か、その距離は一メートルと遠い。


 そこで思う。シオルアンと防膜の間には、距離があり過ぎる。

 通常の魔術士ではあり得ない防膜の厚さだ。

 これが膜ならば、その中までみっちりと防御の力が働いていると分かる。


 それとも、単に防膜の位置を外まで広げただけで、その中は空洞になっているのか。

 触れると同時に刃が止まってしまうから、それを確認する事は難しいが……。


 ミレイユは新たに剣を召喚しながら、剣召喚の時に合わせて良く使う戦法を使おうと、魔力の制御を始めた。

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