希求 その3
ミレイユは鍛冶場の素材倉庫から目的の物を見つけようと、壁一面、床から天井まで届く棚の前に立った。鍛冶に使う素材は多岐に渡るし、作るものによって素材の内から選別が必要なものもある。
今回の刀はその選別が必要になる部類で、インゴットから溶かして整えた玉鋼が最適になる。そのまま溶かしては時間が掛かり過ぎるから、予め薄く伸ばし十センチ四方に切り取った物を使う。
それを棚の中から見つけて出し、引き出しを引く。
大きい引き出しとも思えないのに、手を差し入れれば幾つでも目的の素材が取り出せた。これは空間拡張を施した棚だからこそ出来る芸当だ。実際の数を外に出せば、この素材部屋が各素材で天井まで積み上がり、歩く場所がない程になる。
ミレイユは鍛冶場に戻り、その薄く引き伸ばされた玉鋼を、幾つも重ねて梃子皿に乗せた。
雑な乗せ方だが問題はない。本来なら重なる過程で出来る隙間や、塊が崩れないよう調節が必要なのだが、そこは全て精霊が上手くやってくれる。
本来、鍛冶師はわざわざ精霊を使った鍛造などしない。そもそも召喚術の会得は敷居が高いせいせいもあるが、精霊は気難しく常に言うことを聞くとは限らない。
それでもミレイユが敢えて使うのは、こうした様々な雑事を代わりに
単純な命令ならまだしも、作業工程も多く注意も多い鍛冶仕事に、精霊の単純明快な考え方は向かない。それでもミレイユが実現出来ているのは、契約している精霊が種としての精霊ではなく、フラットロという個の精霊であるからだ。
これもまた、ミレイユの召喚技術の非凡さが顕になる一例だ。
本来の召喚術とは精霊と契約を結び喚び出す技術のみを指すのではなく、他にも多くの『召喚』を内包するのだが、多くの場合この精霊召喚しか表に出ない。
精霊を喚び出す際には種族を、物体には個を指定して召喚するなら、精霊もまた個を指定して問題ない筈だ、とやってみた。
ミレイユが、やれないのではなく、やらないだけなのだと知ったのは召喚契約を結んだ後のことだった。何しろ人と人の間にも相性がある。付き合う内に深まる情もあれば、最初から合わない場合もある。情を結べても数年の後に決裂する事など珍しくもない。
それを精霊に当て嵌めれば、何故やらないのかは明白だ。
せっかく結んだ契約なのに相手にその気がなければ働かない術など、使い勝手が悪すぎるからだ。しかし、その場限りの一度だけなら、相手が誰だろうと魔力さえ供給されれば文句はない。
大抵の場合、何か一働きすれば開放されると精霊も理解している。
だからミレイユは、精霊の機嫌を宥める必要があれば苦労する羽目に陥っていた。しかし、もしそれで上手く情を交わし合える事が出来たなら、これ以上なく頼もしい相棒を得られる。
「頼むぞ、フラットロ。いつもどおりだ。玉鋼自体が燃えないように、熱を内部まで均等に加えるよう、素早く熱してくれ」
「分かってるって! 任せて!」
炉から頭だけを出していたフラットロは、梃子皿ごと突っ込まれた玉鋼を見ながら親指を上げる。精霊らしからぬジェスチャーだが、フラットロはよくミレイユの動きを真似して遊ぶ。
ミレイユはそれに親指を上げて返答し、次の工程へ移った。
程よく熱したところでフラットロが顔を出す。何度も頷いて見せれば、ミレイユは玉鋼を取りだして叩いて馴染ませる。そうしてまたすぐ炉に戻し、フラットロに頷いてやる。
そうすると、今度は高温で加熱してくれる。
これを5mmほどの厚さまで叩いて引き延ばした後、水に入れて急速に冷やす。
急冷した平たい玉鋼を、小槌で2cmくらいになるよう叩き割り、断面がきれいな硬い玉鋼と、そうでない柔らかい玉鋼に分けていく。この選別作業を疎かにする事は出来ない。
刀身は重層構造になっている。
刀身の外側を覆い刃の部分を形作る硬い玉鋼、刀身の芯となるやわらかい玉鋼を使わなくてはならないからだ。
その選別を間違えれば、その重層構造のバランスが崩壊し、脆い刀になってしまう。基礎の部分だからこそ、手を抜けない作業だった。
そこまでして準備が整ったら、玉鋼を叩いて、延ばして、折り曲げる。折り返し鍛錬と呼ばれる技法を行う。これは玉鋼の不純物を取り除き、かつ均一化して強度を高める為に行う。
先ほど準備した玉鋼を火床の中へ入れて、フラットロに再び合図をする。本来なら馬鹿にならない時間を待つ事になるのだが、精霊の助力があればそれも直ぐに済んだ。
幾らも待たずに合図が返ってきて、熱した玉鋼を大槌で叩いて長方形に延ばし、たがねで切り込みを付け、半分に折ってまた叩くことを繰り返す。
これがまた重労働なので、アヴェリンと挟み込むようにして交互に鎚を動かし延ばしていく。
「いいぞ、アヴェリン。流石だ、これは楽ができる」
「流石と言いたいのはこちらの方です。……が、まだ序盤、飛ばしすぎないように気をつけませんと」
「そうだな。言われずとも、だろうが、水だけは良く飲んでおけ」
「はい、そのように」
頷きながら、用意していた水桶から木製ジョッキで水を汲む。
叩く内に温度は下がっていくので、また火床へ入れるタイミングだったのだ。お互いに水分補給している間、フラットロに頼む。
固い玉鋼と柔い玉鋼、これは別々に鍛えなければならず、また回数が多ければ固くなるものの、固くなり過ぎれば柔軟性を失う。
叩く回数を見極める必要があるとはいえ、その回数は相当なものになる。
必然的に、体力、筋力の持久力が求められ、叩きつける時は握力の瞬発力が必要になるし、腕を振り下ろすには肩の瞬発力がなくては話にならない。
女性に向いている作業ではないが、これを可能にするのが魔力の存在だ。
身体を巡らす魔力、とりわけ内向は、この筋力と持久力を劇的に増加させ、また回復させる効果がある。
アヴェリンの部族でも鍛冶は女の仕事だが、これは魔力量が生物的に女性の方が多い理由に起因する。内向に優れた力を持つアヴェリンの部族は、力や武勇は女が示すもの、男は家を守るもの、と決まっている。
名誉とされる鍛冶仕事も女が独占して、男はその補助として働くのが常だった。
アヴェリンはそこで鍛冶師としての腕、戦士としての腕を見込まれていただけあって、助力の仕方も弁えている。実に仕事がやりやすかった。
次にやるのは、別々に鍛えた柔と堅の玉鋼を組み合わせること。
その方法が幾つかあるのは知っているが、ミレイユが行う技法はU字形に曲げるものだ。延ばした柔鋼へ堅鋼を挟み込んで接着。そのあと二つの玉鋼が一体化するまで、ひたすら鋼を打っては熱を加えるを繰り返す。
この硬く曲がりにくい性質と、柔軟性があり折れにくい性質のある玉鋼を一体化させることで、『折れず、曲がらず、よく切れる』という類を見ない優れた特性を実現できるのだ。
「……折返し地点だ、もう一踏ん張り行くぞ」
「お任せ下さい」
これだけの重労働、魔力の補助があるとはいえ、相当に堪える。
それでも二人が未だに余力があるのは、用意した装備一式に秘密がある。これらは全て魔術秘具としてミレイユが鍛冶仕事の為に用意したもので、よりよい品質へと底上げするだけでなく、作業における疲労を緩和してくれる。
ミレイユとアヴェリンはお互いに頷き合い、一度止めた手を再開させる。
一体化させた玉鋼を棒状に打ち延ばす作業が始まった。このとき、一部分だけを延ばしたり、内側の柔鋼が外へはみ出したりしないよう留意しなければならない。
これが一部だけでも外へ出てしまえば、最初からやり直しになる。
日本刀の長さまで打ち延ばしたら、先端に切先を成形。切先は、先端を斜めに切り、小槌で叩いて作る。この繊細さを必要とする部分はアヴェリンに任せる。
続いて、持ち手部分である
刀身の峰側を通る筋
「少し、ここで休憩しよう」
「ですね……」
「なんだよ、まだ燃えたりないぞ!」
精霊はいつまでも元気だが、こちらはそうもいかない。
ここまでの工程で、既に何十時間も時間を使っている。さしもの二人も音を上げるのは当然と言えた。
お互い額に浮かぶ汗を拭って水を飲む。炉の中から両手を振り上げるフラットロには申し訳ないが、疲れるものは疲れるのだ。
ここからが本番になるのだし、途中疲れたと言って腕を休める訳にもいかない。取れるタイミングで休憩を挟むのも作業の内なのだ。
「すぐにお前の役目が来る。それまで燃え盛る準備をしておけ」
「う〜……! すぐだぞ! すぐ始めるんだぞ!」
「ああ、分かった」
苦笑しながら返事して、首筋や胸元の汗を拭うアヴェリンに頷いて見せる。アヴェリンも心得たもので、お互いの為に水を用意し、多量になり過ぎない水を飲み干し、簡単な食事もそこで済ませた。
最後に一度、自分の頭に水を被せて熱を冷まし、水滴を大雑把に布で拭き取る。
ミレイユはフラットロに合図を送った。
次に行うのは、刀身を強くする為の全体加熱。
その際、均一に熱することができるように、刀身の色合いを良く見定めなくてはならない。
だがそれは、全てフラットロが自ら感じたままにやってくれる。どこか過分に熱せられていたら、それを即座に察知して、全体に馴染むように調節するような方法は、流石精霊ならではと言える。人間がやれば、こうはならない。
そして温度が約八百度に達した時に取り出すのだが、これも心得ているフラットロが教えてくれる。
「もういいよ!」
その声を合図に取り出し、水に入れて一気に冷却する。
この工程で急激に冷やすことによって玉鋼は伸縮を起こし、刃文が造られ刀身は峰側に強く反り返る。それだけでなく、反りという日本刀ならではの造形美が誕生する瞬間でもあった。
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