希求 その2

 やっとの思いで帰って来れた、と思いながら、ミレイユはアキラの部屋の扉を開けた。そして思う。そういえば、鍵を掛けずに家を出たな、と。

 無用心だったとアキラに心の中で謝罪しながら靴を脱ぎ、ソファに座る。肩に掛けていたブラウスを脱いでソファの背に投げ出し、ついでに横になって足も投げ出す。

 やはり何か言いたげなアヴェリンを無視して、箱庭に手を翳したルチアに声をかけた。


「……早速か?」

「ええ、随分と服選びを楽しませてくれたので」


 じとりとアヴェリンを見ながら言って、そのまま箱庭の中へと入っていく。ミレイユは苦笑しながらそれを見送り、最後に入ってきたユミルに声を掛けた。


「ユミル、お前も直ぐ箱庭に帰るのか?」

「そのつもりだけど、何かあった?」

「別に用という程ではないが、アキラに何を教えるか位は考えておけよ」

「あぁ……。それってどこまで教えたらいいの?」


 立ち止まって振り返り、座る物がないと分かると、あからさまに不機嫌な顔になる。ミレイユは魔力を制御して掌を近くの床に向け、次いで淡く光ったそれを解き放つ。

 乾いた音を立てて現れた上等な椅子を、ユミルは手元に引き寄せ腰を下ろした。


「この部屋、色々不足していて不便よね。何でここで話をするの?」

「元より男の一人暮らしだからな。一人ないし二人が過ごせるなら、それでいいんだろうさ。そして私が箱庭に帰らないのは、こっちに用があるからだ」

「……ふぅん? それはいいけど。それで、どこまで教えたらいいって?」


 ミレイユはソファに寝転がりながら天井を見つめる。実際のところ、敵の正体や敵の規模、既知の敵ばかりなのか、そこから調査しなければ教える事は難しい。

 写真を使った資料を用意できる訳でもなし、口伝のみで注意を促したところで、それと分からなければ意味がない。勘違いしたまま敵に突っ込むのは、眠った竜の巣穴に飛び込む無謀さに似ている。


「よくよく考えれば、実物を前にしなければ教えられるものでもないな。そもそも、我々にとっても未知の敵が現れる可能性は、常にある」

「……つまり、それが不明確な状態じゃ、実地訓練するしかないってコト?」


 ミレイユは面倒くさそうに鼻から息を吐いた。


「そうだな。あれを戦場に連れ出すのは厄介だろうが、頭ヨシヨシしながら教えてやれ」

「……予想以上に面倒なコト引き受けちゃったわねえ」

「敵の方をヨシヨシでもいいぞ」

「それを面倒って言ってるんじゃないのよ」


 ユミルは椅子の上で足を組んで腕も組む。そして、アヴェリンに顔を向けた。


「実際のところ、あの子を連れて行って大丈夫なの?」

「全く大丈夫じゃない」

「そう。じゃあ、連れて行きましょう」

「……話を聞いていたか?」

「だってアタシ達のするコトって、後生大事に守り育てて後進の育成に精を出そうって言うんじゃないでしょ? 大体、アンタが納得する程の実力を得られるって、いつになるのよ?」


 アヴェリンは眼をきつく閉じて考え込んだが、結局確たる答えは返せなかった。


「……分からん。少々絞ってやった感じだと、才能らしきものは感じなかった。駄目だと思えば、いつまでも駄目な気もする」

「そんな悠長にしてられないでしょ。……してられるの?」


 今度はミレイユに向けて問いを飛ばす。ミレイユは当然、手を横に振る。


「そこまで見てやる義理はない。ないが、基礎ぐらいは叩き込んでやりたい。それで将来の目がないというのであったら逃げ道を用意してやって、選ばせるくらいだな」

「ふぅん……。見捨てる選択肢だけはないワケね。それはいいけど、じゃあ私は敵の存在を察知するまでお役御免ね?」


 ミレイユは一瞬考え込むような仕草を見せ、やがて頷いた。


「そうだな。今更、自分の知ってる魔物の情報を整理しなくてはならないほど、物を知らない訳でもなし。教える事もお手の物だろう?」

「どうだか。不出来な相手に教えたコトはないものね?」


 悪戯っぽく笑ってユミルは席を立つ。

 箱庭に手を翳してから、ミレイユを見た。


「こっちで過ごすタイミングが多くなるなら、家財の方はどうにかなさいな」

「難しい問題だな。……アキラの許可もいるし」


 肩を竦めて箱庭の中に消えていくユミルを見送って、ミレイユはソファ隣の椅子に座るアヴェリンを見る。


「必要かな?」

「必要とは思いますが、何しろこの部屋が狭すぎます。用意しようにも制限が多すぎますし、いつ離れるかも分からない部屋に、勝手に物を増やすのも問題でしょう」

「……そうだな。結局、一々用意した方が面倒がないという話になる」


 言いながらミレイユは先程出した椅子に手を向ける。

 向けた掌が紫色の淡い光に包まれ、それを握りしめると椅子に向ける。放たれた光が椅子に命中すると、背景に溶けるように消えていく。


「しかし、それもミレイ様のお手を煩わせる事を考えれば、得策とは言えません」

「気遣いは有り難いがな。……今は次善の策として甘んじよう。良い案が見つかれば教えてくれ」

「……そのように」


 アヴェリンが椅子の上で小さく一礼して、次いで問うた。


「やることがあると仰いましたが、炉の方は宜しいので? もうすっかり準備出来ている筈ですが」

「――おっと、そうだった」


 慌ててミレイユはソファから立ち上がる。

 家を出る前に火の精霊を用いて、炉の準備を済ませるよう命じていたのだ。最初にある程度フイゴを用いて空気を送ってやれば、後は勝手に火勢を強くし、鍛冶に適した温度を維持してくれる。

 後は魔力を適宜与えてやれば、追加の調整も必要なく、非常に便利に鍛冶仕事が出来る。


「だいぶ待たせたよな?」

「左様ですね。待ちくたびれているかと」

「うん、……多めの魔力を渡して許してもらおう」

「それが宜しいでしょう。へそを曲げられると仕事になりません」


 ミレイユは顔を顰めて箱庭に手を伸ばす。

 炉のことを忘れてタブレットを使ったネットサーフィンなどと、考えている場合ではなかった。アヴェリンの言う通り、怒らせると妨害すらしてくるのが精霊だ。

 宥める方法を考えながら、ミレイユは箱庭へと吸い込まれる流れに身を任せた。




 鍛冶場に入って感じたのは、まずその熱気だった。

 鍛冶場に火が入れば熱を発するのは当然だが、これはそういう次元を超えている。予想していたとおり、精霊の不機嫌による弊害が生まれていた。


 炉から火が燃え上がり、とぐろを巻いて天を衝く。鎌首をもたげるように向きを変え、再び炉の中に戻っていく。それが短い間に何度も起きていた。


「……ああ、フラットロ。待たせたみたいだな」

「遅いぞ、何してたんだ!」


 炉の中から獣の形をした炎が立ち上がる。精霊に性別はないが、口調が男性的なのは怒りの度合いを伺わせた。

 姿形は自由に変わり、人型である時もあれば動物の時もあるが、しかしこの精霊は獣型を好む傾向をしている。

 どうせ姿を取るなら、犬や狼のような姿がいいと言った事があるのだが、そのせいか怒る時は決まって獣の姿を取る。

 立派な鬣を生やした狼が、口からも目からも火を吹き出して、ミレイユに口先を突きつける。


「こっちはいつでも準備できてるんだ! 炉が可愛そうだとは思わねぇのか!」

「そう思うのなら、火力を少し落としてやれ」


 ミレイユは近づきながら魔力を制御し、両腕に力を溜める。掌が淡い赤色に輝き、握りしめると体全体に光が広がる。魔力で作った炎のカーテンを身に纏ったミレイユは、炎に臆する事なく近付いていく。

 ミレイユの状態を見て取ったからだろう、火の精霊フラットロが炉から飛び出してミレイユに飛び掛かった。


「おっと……!」


 溶岩の塊を受け止めたに等しい熱量がミレイユにぶつかり、火の粉を上げる。しかしその熱は魔力で制御しているミレイユには届かない。熱い事には違いないが、火傷が出る程でもない。

 ミレイユの身体に触れたフラットロは、その身体の形状を変形させて丸い形で暴れ始めた。それを腕の中に受け止めて、宥めるように球を撫でる。

 腕の中で暴れる球は次第に大人しくなり、ついには小型犬の形になって腕の中で落ち着いた。


 ミレイユはその頭を指の腹で撫で、ついで背中を擽るように撫でながら魔力を流す。

 すると途端に機嫌の良さそうな音で喉を鳴らし、ミレイユにじゃれつくように首元や胸元に頭を擦り付けた。ミレイユは小さく笑い声を上げて、されるがままにしてやり、落ち着くのを待ってから、改めて腕に抱く。


「機嫌は直してくれたか?」

「少しだけ」


 発する声は柔らかく、少年のように聞こえた。口の先からと舌を伸ばすと、それにつられて炎も出てくる。機嫌が良くなっている証拠だった。

 フラットロが、そこまで怒っていない事は理解している。じゃれつく理由が欲しくてそうしただけだ。実際に人に触れることが出来ない身だったフラットロは、こうして嫌がる事もなく抱きしめてくれるミレイユの事を、好ましく思っているのだと知っている。


「それで、始めるのか?」

「ああ、お前が許してくれるなら、すぐにでも」

「ちょっとだけ許す。だから早く始めよう!」


 言うや否や、フラットロは腕から飛び出し炉の中へ帰っていく。

 入った瞬間、まるで水の中へ飛び込んだ時のように火柱が上がる。

 ミレイユは離れて立って待っていたアヴェリンに振り返り、手招きした。


「もう大丈夫だ。またヘソを曲げる前に始めよう」

「相変わらず見事な……」

「言ってる場合じゃないぞ」

「――でしたら、先に着替えを準備すべきでしたね。買ってきたばかりの服を、汚したくも損ないたくもありませんでしょう?」


 機嫌を宥める事に気が急いて、そこまで考えが至らなかった。

 ミレイユは詫びを入れてアヴェリンに鍛冶装備一式を取ってくるように頼むと、再び炉に近付き、準備をするよう見せかけて時間を稼ぐ事にした。


 それに箱庭の時間調整も必要だ。

 これからの鍛冶仕事、一日二日では終わらない。普通の鍛冶なら二週間はかかる作業が待っているが、それだけの時間を外で生きるアキラに待たせるつもりもなかった。

 ミレイユは手を外に翳して魔力を調節する。手の周りに薄い緑色の光が集中し、ダイヤルを回すように捻ってやると、ギリギリと音を立ててゆっくり動く。

 これで調整は終了した。後はアヴェリンを待つのみだった。

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