希求 その1
案の定、声をかけても動ことしなかったルチアを引っ張って、アヴェリンは箱庭から出てきた。アキラの部屋の中は、家主が学校に出かけているので
そういえば、またも言い忘れていたな、と思いながら、ミレイユは寝室への扉を開けた。
「とりあえず、服を買う為の服を、アキラから借り受けよう。全員、昨日のような格好になるだろうが、今だけは文句なしだ」
「分かりました」
それぞれから了解の意が返ってきて、ミレイユは服の物色をユミルに任せる。昨日もやったのだから今日やらせてもいいだろう、という軽い気持ちだったのだが、アヴェリンに渡されたタンクトップを見て考えを改める。
やはり自分で見繕った方がいいのかもしれない。
「……それをアヴェリンに着せる気か?」
「そうよ。絶対似合うし」
自信満々に言い切るユミルに、そこの部分だけはミレイユも声には出さずに同意する。
背も高く筋肉質で勝ち気な切れ長の目は、ああいう格好をすれば目を引く美しさだろう。別に男性に見えるという訳ではないのだが、それでも似合う格好だと着る前から分かる。
だが昨日、外に出てみて思ったのは、意外と冷えるという事だった。例え半袖であろうとも、肌寒く感じるだろう。パーカーか何かが絶対必要だと思うのだが、他にジーンズを渡しただけで、次にルチアの準備へと移ってしまった。
流石に気が咎めて、ミレイユはそのやり方に口を出した。
「アヴェリンに上に羽織る物を何か渡してやれ。寒々しい格好になるぞ」
「大丈夫でしょ、あれくらい寒い内に入らないし。……そうよねぇ、あの程度で寒いなんて泣き言、言わないわよねぇ?」
「……む」
ユミルからそのように煽られては、アヴェリンとしても素直に上着が欲しいと言えなくなる。言葉に窮したアヴェリンに、いいから、とミレイユは手を振る。
「私が見ていて寒々しいんだ。無いならまだしも、あるなら渡せ」
「じゃあ、ないわ」
「……じゃあ?」
アヴェリンが苛立ちを匂わせる口調で問い返せば、ユミルは黒いキャップを取り出す。
「あるのはコレくらいね」
「ふざけるなよ、貴様」
「……もう、それぐらいで一々じゃれ合うの止めて下さいね。早く行って、早く帰りましょうよ。私だって、細工の続きやりたいんですから」
そう言って、ルチアが適当なシャツを取り出してアヴェリンに渡す。ダボダボとした白いシャツに見えるが、アヴェリンが着れば丁度いい案配になりそうな気がする。
ルチアとユミルの分は昨日着た服そのままを選び、続いてミレイユの分の服装になったのだが、これがまた一悶着起こす事になった。
「こんな格好をミレイ様にさせる気か!?」
「そうは言ってもね、アンタと違って、こっちはちゃんと選んでるわよ。でも、アキラの用意してる服はどれも似たようなものばっかりなの。どうしてもこんな風になるの」
「だからといって、ズボンだと!? こんな貧相なもの、ミレイ様の足の丈にも合わんだろうが。相当みっともないことになるぞ!」
「そんなのね、大体誰も一緒でしょ。せいぜい背の低いルチアくらいじゃないの、足の丈が合うのは。それにね、これから買う服の方をまともに選べばいいだけで、ここじゃ何選んでも大して変わらないし!」
ミレイユは溜め息をついて二人の間に割って入る。
「今はユミルの言い分が正しい。選ぶのは店頭で、ここでは適当でいい。大体ズボンの何が悪いんだ。気楽でいいだろう? むしろ、こっちの方が有り難いくらいだ」
「……そのような格好、ミレイ様に似つかわしくも相応しくもないと言いたいのです。……ですが、はい。今は我慢しましょう。あちらで買うものとなれば、断固として意見を譲りませんけど」
「何で私の服の事で、お前に決定権があるような言い方をするんだ……」
早くも雲行きが怪しくなってきた。
ミレイユなどは、むしろ現代衣服の常識としてパンツルックが推奨されているとでも言って、今後はスカートを履かないつもりでいた。
実際それは嘘でもなく、最近では社会進出著しい女性たちは、スーツでもスカートを選ばない人も多い。その事を説明すればアヴェリンも理解を示すだろうと思っていたのだが、今のやり取りを見ていると難しいかもしれない。
思えば、アヴェリンは何かと女性的立ち振舞いを強要してくるように思う。自分の理想のままにいて欲しい願望というか、理想を理想のまま閉じ込めておきたい、という欲がある。
そうは言ってもミレイユ至上主義でもあるので、嫌だと言えば引き下がる。しかし主張できる機会では絶対に譲らない。
ミレイユは溜息を吐きたい気持ちで全員を促した。
「早く着替えて出発するぞ。ここで幾らも時間を浪費したくない」
店舗入口前に辿り着いた三人は、その外観を見上げてポカンと口を開けた。
身の丈を優に超える巨大な一枚ガラスが店舗の外側を覆い、その中に展示品としての商品が立ち並ぶ。マネキンに着せられた服は女性物ばかりではなかったが、それだけに幾つもの種類を取り揃えている事が分かる。
それに何より、入り口からもガラス張り故に店内の様子が伺える。数多くの天井照明によって照らされた店内は、屋内なのに昼のように明るい。広いという事は暗いという常識を、ここでまた一つ崩された形だった。
誰一人入ろうとしないので、ミレイユがそれらの背中を押して促してやる。人通りが豊富ではない時間帯とはいえ、やはり男物の服を着る女性四人組というのは奇異に映るのだ。
「ほら、立ち止まってないで動け。田舎者みたいに辺りを見回すなよ。自然でいろ、自然で」
「それはちょっと無理でしょ。絶対見渡さないと、何があるかも分からないし」
ユミルの反論は最ものような気がした。
遮るものも大してなく、広く店内に商品が展開されているのだ。欲しい物を探そうと思えば、常連でもないと自然そうなる。
「いらっしゃいませー」
店内に入れば少し離れたレジ付近から声をかけられる。やましい事はないのだが、アヴェリンが部屋で渡されたキャップをミレイユが使い、目深に被り直す。何故だか女性物の下着を選ぶ時など、顔を見られたくない気がした。
やはりお上りさんよろしく店内を物珍しく見ていた三人だが、今度はその衣服の豊富さと安さに驚いている。
金貨一枚が一万円相当だと説明したら、この品質と種類で、そこまで安く出来るのかと驚嘆された。
それもその筈、布を作るという工程は非常に手間が掛かるものだ。
一つ一つが手作業で、素材としての布、布を形作る糸、着色する工程、それら全てに人の手に入る。そして針子が服を縫う。この針子もまた専門の技術職で、人気のある針子は数年先まで予約が埋まっているものだ。
そうして作られる服だから、目の前いっぱいに広がる衣服というのは、王族でしか見ること叶わない光景だった。
見惚れるのも束の間、自分達の服は早々に選び終えた三人は、早速試着室で着替え、そのまま購入する事に決めた。
ルチアは薄いクリーム色をした、フリルの付いたカットソーとロングスカート。ロングスカートは青を基色とした細かな花柄になっていて、彼女によく似合っていた。
ユミルは鳩尾まで隠れる黒のロングスカートに、ベージュのチュニックを合わせて、頭にはツバのある黒の帽子を選んだ。
アヴェリンは白で合わせたデニムパンツとシャツ。その上にベージュのベストを羽織る。金の長髪と相まって、それが良く似合っていた。
三人誰もが自分に似合う服を選んだと見て、ミレイユも思わず頬が緩む。誰もが見惚れる美貌の持ち主たちだから、それ相応の格好をすれば衆人の視線を掻っ攫う。
特に有名でもセンスあるブランドを選ばなくても、素材だけで似合う格好に仕立ててしまうのが彼女たちだった。
予算の都合で一揃いずつしか用意できないのが残念でならない。
そして最後に残されたミレイユの服選びは、案の定熾烈を極めた。
「お前は何も分かっていない。ミレイ様にはもっと清楚な格好こそお似合いなのだ……!」
「馬鹿ね、本人はパンツルックが良いって言ってんのよ。それを尊重してこその服選びでしょうが……!」
「いいや、ここでスカートを選ばねば、今後もきっと選ぶまい……! それに慣れさせると、もう二度と戻って来ない危険性すらある……!」
「そこはちょっと同意できるけど、でも最初の一着くらい、好きに着させなさいな」
「それが坂道を転げ落ちる原因になりかねんと言いたいのだ……! ご自身の似合う物と自分が好きな格好は全くの別だ……!」
お互いがお互いの服を突きつけ合いながら、至近距離で言い合う二人を、ミレイユは冷めた目で見つめていた。ここでこうして見ているより、自分で早々に選んでしまおうと思うのだが、それをすると目敏く見つけて阻止してくる。
そうこうして見守っている内に一時間が経ち、もう選ばずに帰ろうかと思い始めた時、ルチアが二人の間に仁王立った。
「いい加減にして下さいよ。私だって早く帰りたいって言ってるじゃないですか」
「……そうは言うがな」
「なので、――はい、こちらが私の選んだものなので、これにしましょう」
ルチアが見せた服は黒いワンピースだった。歩きやすいようにスリットも入っている。それに薄いベージュのシャツを合わせ、上に重ねるように薄いグリーンのブラウスを持ってくる。
二人がそれを一瞥し、同時に頷く。そしてミレイユの方へ顔を向けた。
「……ようやく決まったか」
「及第点と言ったところで……」
「まぁ、これ以上言い争うとアンタも辟易するでしょうし」
「既にしてるが。辟易してるが」
ミレイユはルチアから一式を受け取り試着室に向かう。その向かう途中で目についたツバの広い帽子を手に取る。中に入って着替えてしばし、カーテンを開けると待ち構えていた三人から感嘆とした溜め息が漏れた。
「あら、いいじゃない」
「実際に着てみると印象も違うものだ」
「うゎ、そう着るんですか……! これが着こなしってやつですか?」
ミレイユはブラウスを着るのではなく、袖の部分で結んで羽織る事にしたのだが、それが帽子と相まって清楚さと気軽さを両立させる雰囲気を生み出していた。
「それは知らないが、気分でこういう事をしてもいいだろう」
「大変よろしいかと思います。やはり、ミレイ様にはそういう格好がよくお似合いだ」
「別にさっきのパンツルックだって似合ってたじゃない。そっち方向だって着こなすでしょ、この子なら」
「ファッションショーがしたいんじゃないんだから、今はとりあえずコレでいいんだよ。……会計、間に合うよな、これ」
剥き出しで持つことになっていたお札を、取り出しながらレジへと向かう。だが、そこは庶民の味方のファッションセンター、きっちりと予算内に収めて購入することが出来たのだった。
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