希求 その4

「いよいよ仕上げだな」

「やはり精霊が協力してくれると早いですね。……もう、一人で鍛冶仕事は出来ないかもしれません」

「――へん、そうだろ! もっと褒めろ!」

「ああ、お前は凄い。とっても凄い」


 ミレイユのおざなりな褒め方でも、フラットロは上機嫌で炉の中で跳ねた。子犬の姿で炉の端から端へ走り回り、跳ね上がって縁に体を預ける。


「抱きついていい?」

「ちょっと待て」


 機嫌がいい時、フラットロはよくミレイユに抱きつきたがる。一声かけるのは、昔なにも言わずに火傷させてしまった事があったからだ。

 ミレイユ自身、高い魔力耐性を持っているが、流石に火精霊の抱擁には耐えられない。幸い治癒術にも秀でているお陰で事なきを得たが、それ以降、フラットロは怒っている時以外はきちんと聞いてから抱きつくようになった。


 ミレイユは炎のカーテンを使用して、その身に炎耐性を纏い終わると、フラットロに向けて両手を広げる。縁の上ではしゃいで二度ほど跳ねると、ミレイユの胸に飛び込んできた。


「キューン……」


 頭を撫でて背を撫でてやれば、素直に喜びの鳴き声を出す。

 幼児退行ならぬ動物退行のようで精霊としては威厳が損なわれるが、その辺は指摘せず愛でてやれば素直に喜び、力も貸してくれる。

 胸元にすり寄せて来る頭を更に撫でてやれば、満足したのか離れていく。

 一度ぶわりと炎に包まれると、火球になって炉の中へ入っていった。


「さぁ、最後の微調整を始めよう」

「……ええ、始めましょう」

「やるよ! 最後にやるよ!」


 アヴェリンは恨めしそうにフラットロを見つめていたが、肩を叩いて促し作業を再開させる。


 焼き入れによって反りが出来たが、これで完成にはならない。刀身の峰を焼いて修正と微調整を行ない、次に荒砥あらとで研ぎながら、刃文が綺麗に出来ているか確認する。


「ムゥ……!」


 満足いく出来ではなかったが、売り物でもなく傑作を作るつもりでもない。それらしい形が出来ていれば、それで良かった。


 そして、なかごにヤスリをかけて、綺麗に仕上げを行う。

 ここからが刀の真価を決める研ぎの工程なのだが、適度ながある方が、滑りが少なくなり、殺傷力が上がる。つまり、切れ味を求めるだけなら、打ち立ての刀に粗い砥石をかけるだけでも十分なのだ。


 そして、今回アキラに渡す刀は、その殺傷力こそ求められる類なので、これ以上の研磨は必要ない。武器として扱う以上、荒っぽい使い方になるのは避けようがなく、刃こぼれなども出てくるだろう。それを抑える為や劣化を防ぐ為に、日常的な研磨も必要になるのだろうが、そんなものアパートの片隅でやらせる事ではない。

 素直に魔術秘具として不壞の術を付与する方がいいだろう。


 後は鍔や柄、鞘を実物と合わせて作れば完成だから、精霊の出番は終わりである。

 ミレイユは鎚を離して立て掛け、炉の方へと向き直る。縁に顔を載せて工程を見守っていたフラットロは、自分の役目を終えたと認識して立ち上がった。


「もういい? もう終わる?」

「……ああ、火を使う作業はもうない。ありがとう、フラットロ」

「また呼んで! すぐだよ!」


 ミレイユは苦笑して手を振った。


「それは約束出来ない。でも、必要になったら必ず喚ぶ。――またな」

「うん、またね! すぐだよ!」


 言うだけ言って、フラットロは大きく息を吸うと、次第に体が膨張してく。炉の中の火を吸い込んで消そうとしているのだ。

 火を全て飲み込み、満足そうに息を吐くと、その吐息が火炎放射器のように外へ出る。手を団扇がわりにパタパタ振って火を消すと、ミレイユにも大きく手を振ってポフンと小さな煙を残して消えていった。

 それを見送って、ミレイユはアヴェリンへ向き直る。


「さて、後の仕上げだが……」

「手分けした方がよろしいでしょう。極力簡素に済ませるなら、鍔も用意しない手もありますが……」

「そうだな……」


 ミレイユは汗を拭いながら考える。

 鍔は相手の武器から、自分の手を保護するのが主な役割。だが、相手を突いた際に、間違って自分の手を刃に滑らせて負傷することがないように、防護する役目もある。

 普段は木刀を使うから、鍔は無いのが自然だろうと思う。しかし、未だ武器の扱いを知らないアキラからすれば、その防御機能は便利に感じる事は多いだろう。


「……仕方ない、鍔も作ろう」

「でしたら、そちらは細工品の扱いとして、ルチアに任せてはいかがでしょう?」

「……うん、いいだろう。じゃあ、後は柄と鞘だが……、どちらがいい?」

「どちらも造り慣れていない所作なせいで、得意とも好みとも言えないですね。敢えて言うなら鞘でしょう。刀身に合わせるだけで、余計な装飾も必要ないでしょうし」

「そうだな、それについてはシンプルでいい。それじゃ、こっちは柄をやろう。柄巻は……うん、面倒の少ない糸巻きにしよう」


 柄巻とは、刀剣の柄を糸や革などで巻いた物で、柄の補強と手との一体感を高めるために施される。

 糸巻は水にぬれても固くならない、血がついてもすべりにくいなど多くの利点がある。その代わり破損しやすいため、度々巻き直さねばならないのが難点だった。しかし、それも魔術秘具にするなら問題は解決する。

 時として、糸の色を変えて楽しむという装飾品としての役目もあるのだが、巻き直しは見目よく形作るのは練習が必要になる。興味があるならやればいいと思うが、そこまで気を遣うのも面倒だった。


「どれほど時間が経った? 今は何日だ……? ここにいると時間が分からないのが難点だな……」


 箱庭世界に太陽があっても擬似的な光を見せる演出で、基本的に一日中その景色は変わらない。昼も夜もなく、持ち主であるミレイユが自分で変えてやらねばならないのだ。

 今日のように外から入ってきたタイミングが昼で、物事に没頭してしまったら、この世界にいつまで経っても夜はやってこない。


「まぁ、いいか……。仕上げは飯の後にしよう」

「その前に湯浴みをされては?」


 億劫そうに立ち上がったミレイユの背に向け、アヴェリンが言った。

 たっぷりと汗をかいたお陰で腹も減っているのだが、確かに言われたとおり、まずは汗を流す方が先決だった。


「そうだな……。面倒だが、先に済ませる」

「ええ、上がる頃には晩飯の準備も済ませておきますので」

「何から何まで済まないな」

「いえ、これしきのこと」


 アヴェリンが固辞して小さく笑む。

 ミレイユが頷き返して露天風呂へ足を向けた。

 そうして向かいながら、ミレイユは思う。鉄を叩くのは好きだ。火の光と熱を見つめて、一心不乱に鎚を振るうと、心が研ぎ澄まされていく気がする。


 アキラに対して気前よく武器を用意してやる、と言ったのも、これが理由だ。

 胸の内に抱えた何かモヤモヤしたものを、とにかく吐き出してしまいたかった。一打ちする毎に消えていくという程に単純なものではなかったが、それでも幾分、気持ちがすっきりしたのも事実だ。


 ミレイユは風呂に辿り着くと、カゴに衣服を放り込み、桶にお湯を汲んで身体に流した。

 幾度か繰り返し、簡単に汗を流して身体を洗う。二十四時間お湯が流れているお陰で、湯その物は汚れないが、これから来るアヴェリンなどが嫌な思いをしないよう、幾らか気にかける必要はある。


 そうして、とうとうお湯に声を出しながら身体を沈めて、深い息を吐く。相変わらずオッサン臭い仕草だった。ミレイユはお湯が身体を包む心地よさに目を細めながら、この後の柄巻作業へ構想を練り始めた。



 ◆◇◆◇◆◇



 アキラがその日、家に帰ったのは日もとっぷりと暮れてからだった。

 週に二度ある道場に通う日が本日だったからだが、朝の鍛錬が響いて教室でも打ち身の痛みと疲れからくる睡魔で大変な思いをさせられた。


 重い体で引き摺るように帰宅し、一段一段が重い階段を登り切る。

 未だかつて無いほど大変な登段作業を終え、ドアノブを撚る。そして違和感に気付いた。


「――静かすぎる」


 アキラが感じたのは、それだった。

 ここ数日の事に過ぎないが、いつも騒がしかった室内に沈黙があるのは何かの前触れかと警戒を厳にする。昨日など余りの醜態を晒してしまい、思い出しても顔から火が出そうな思いだった。


 他の誰に見られても良いが、あのミレイユに小馬鹿にされるのも蔑まされるのも我慢ならない。これは単に男の意地に過ぎなかったが、恐らく彼女は何一つ気にしないだろう。

 気にしないというより、興味を示さないという方が正しいかもしれない。


 アキラはそろりとドアの内側に身を忍ばせ、ゆっくりと靴を脱ぐ。

 一応、顔を手の平でガードするように突き出し、リビングに繋がるドアを開く。室内は暗く、また人気ひとけはない。何が来るかと身構えながら室内に踏み込み、そして左右へ素早く視線を動かす。

 片手は相変わらず顔面を、もう片方で付近に手を伸ばし、誰かいないか警戒する。


「……あれ?」


 しかし、いつまで経っても何も起こらないし、誰かが声を掛けてくる訳でもない。

 拍子抜けしたところで、これが罠なら今仕掛けてくる、と閃いた。

 咄嗟に抜けかけていた気を張り直し、再度、今度は大袈裟にも思える動きで左右を警戒してみたが――。

 やはり何も起こらず、室内は沈黙を返すのみ。


 アキラは部屋の電気を付けて、やはり何者もいない事を確認する。

 カーテンを閉めて、テーブルの上に鎮座する例の小箱に触れてみた。意味はないだろうと思いつつ、ミレイユがやっていたように上から二度叩いて上蓋を開けてみる。

 しかし、そこには予想とおり、何もない底が見えるだけ。


「まぁ、そういう事もあるか……」


 そもそも、この二日が異常だったとも言える。

 家に帰れば誰かが迎えてくれるという――それが傍迷惑に過ぎないのだとしても――期待が、どこかにあったのかもしれない。


 食事の準備をしている内にやってくるのだろうか、と思いながら鞄を置いて制服を着替える。準備がいるなら人数分の食材も、とりあえずすぐ使えるようにしておかなければならない。


「……そういえば、ミレイユ様にその辺聞くの、まだだったな」


 独り言が室内に響く。

 たった数日の事なのに、それまでずっと独りで暮らしていたのに、独りきりの室内が余りに寂しく感じた。


「こんな、おセンチな性格してたかな……」


 ――自分としては、そこまで寂しがり屋だとは思っていなかったのだが。

 とにかくアキラは夜ご飯の準備を始めた。時折小箱に視線をやっても誰かが来る気配はなく、ついに食べ始めても、食べ終わっても誰一人来る事もなかった。


 食後に皿洗いをして、ネットを見て適当に時間を潰しても、やはり誰か来る気配はない。

 ついぞ寝る時間になっても、誰も来なかった。

 ベッドの中に入り込み、布団を頭から被って眠る。


「朝のトレーニングがあるんだ。早く寝ないと……」


 そう、明日になれば分かるだろう。

 そもそも毎晩帰りを待っていて、夜も一緒に食事をとる約束なんてしていない。ここのところ連続してあった事だから、今日もあるのだろうと思い込んでいただけだ。

 そう自分に言い聞かせ、布団を掴んで顎まで引き上げ横向きになる。


「別に大した事じゃない。昨日が最後の機会だった訳でもなし……」


 しかし、そうは思っても、残念な気持ちがあったのもまた確かだった。

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