常識 その5
「――あれはきっと、冗談だと思われたな」
「そうですね。大体私は馬より早くではなく、馬など敵ではない速度で走れる。そこを強調すれば、また違っていたのではないか?」
ミレイユの感想に対し、アヴェリンがユミルを睨みつければ、肩を竦めて溜め息を吐いた。
「咄嗟に出たフォローとしては、及第点だったでしょうに」
「早く目的地に到着すれば、アレも感謝もしたろう。ご機嫌伺いも、一つ上手く行っていたのではないか?」
「それについては同意できませんよ。……もう何もかも空廻ってませんか?」
ルチアの疑問には、ミレイユも大いに同意できるものだった。
尚も否定を重ねようとするアヴェリンに、ミレイユが手を振って諌めた。
「まぁ、ルチアの言うとおりだな。誰かに負ぶさって登校なんて、アキラからすれば罰ゲームみたいなものだろう。肉の提供も発想自体は良かったが、狩猟した物では受け取れないだろう……」
「むぅ……それじゃあ、どうしたらいいのでしょうか」
「どうしたものかな。何か考えねばならないだろうが……急いで見つける必要もないだろう」
ルチアはそれに頷き、そしてふと思いついたように首を傾げた。
「でもとにかくも、外に出ない方がいいんですよね?」
「それは……」
ミレイユは難しそうに眉に皺を寄せ、顎先を摘んで考える仕草を見せる。
「そうだな、出来れば。しかし論外という話でもない。この近辺であれば、着る服自体を考えればどうにかなりそうだが……、やはり外に出たいのか?」
「ですね。見るもの全てが新鮮ですから、色々見て回りたいんです」
「うん……そうか、いいだろう。しかし、一人での外出は許可できない。必ず最低でも二人で行動しろ」
ルチアは大輪を咲かせたような笑顔を見せる。
「ありがとうございます。それじゃ、どちらが一緒に行ってくれますか?」
「アタシはパスって言ったわよね」
「私に、一人残るミレイ様の傍を離れろというのか?」
にべもない二人からの返事に、ルチアの笑顔が引きつり、次いで怒りに変わる。
「ちょっと、いいじゃないですか。付き合ってくれても!」
「別に付き合うのはいいけど、今日じゃなくてもいいでしょ。明日も明後日も、別に予定なんてないんだから」
「それはそうですけど、肝心なことを忘れてますよ」
「何よ」
「明日も明後日も、何事もなく過ごせると思いますか? 絶対トラブル起きますよ!」
昨日がいい証拠だ、とルチアが主張すれば、ユミルとしても頷ける部分があったらしい。苦虫を噛み潰すような顔をして、次いで窓の外を見てからミレイユに視線を移す。
ユミルはしげしげと眺めた後、諦めたような息を吐き、苦い苦い笑みを浮かべた。
「そうねぇ、そう言われるとねぇ……」
「やめろ、そういうのは。何事も起きない筈だ。私は家の中で引き籠もる予定なんだから」
「なるほど、引き籠もった上で何か起きるのね」
「そんな筈は――! いや、やめよう。こんな不毛な言い合いは」
そうね、とユミルは同意して、とりあえずソファに向かう。
疲れたようにどかりと腰を下ろせば、身体の向きを変えて横になる。完全にソファを独占した形になり、アヴェリンが顔を顰めた。
「おい、勝手に占領するな。ミレイ様が座れん」
「ここに長居するつもりはないから、別にいいがな」
「いや、完全に休憩モード入ってるじゃないですか。早く準備して外に行きましょうよ」
「そうは言ってもねぇ……」
ユミルは疲れた声を出しながら、窓から外を見る。
「見てご覧なさいな。外はいい天気よ。雲も多いし日差しは弱いけど、でもいい天気なワケ」
「……そうですね」
「行く気なくすわ……」
ついにはだらんとソファに寝そべり、少しでも日差しから隠れようと顔も引っ込める。
ルチアは近くに膝をついて、それに追い縋った。
「ちょっと、お願いしますよ。他に頼める人いないんですから……!」
「もっと天気の悪い日にして頂戴。こんな陽気じゃ、アタシの身が保たないの。これは嫌がらせとか怠慢とかじゃないのよ。もうこれは、摂理の問題なのよ」
「旅の間は関係なく歩いてたじゃないですか!」
「そりゃそうよ。天気がいいから今日休み、なんて言ってご覧なさいな。容赦なく置いていかれるだけじゃないの」
「よく分かっていて何よりだ」
アヴェリンが皮肉な笑みで同意すると、ユミルは鼻を鳴らして身を捩った。少しでも陽光の当たらない場所を模索しているらしい。
「それに、こっちで着ても目立たない、頭から被れる何かがないとねぇ。直射日光はお肌の大敵なのよ、分かってるでしょ? まず服がないと、どうにも……」
「あるぞ」
「……はぁン?」
ユミルが胡乱げな視線を向けると、アヴェリンが寝室からフード付きのパーカーを引っ張り出して来た。色は灰色、何か英字がプリントされたもので、特に悪目立ちしない服だった。
サイズ的にも問題ないだろう。見たところ、アキラとユミルの身長はそう変わらない。体格はもちろん違うが、大きい分には着られる筈だ。
「何それ、どっから出てきたのよ、そんなモン……」
「ベッド付近に落ちていた。これなら問題なかろう。何かしらズボンも、探せばあるんじゃないのか」
「よくやってくれました、アヴェリンさん!」
ルチアの歓喜の声とは裏腹に、ユミルの顔は苦いものへと変わっていく。このまま言い包めてやり過ごそうとしていたのは一目瞭然だっった。
「ルチア、お前もこっちに来て自分の着れそうな服を探してみろ。ドレッサーは見当たらないが、どこかに服はある筈だ」
「ですね!」
「……何でアンタ、そう余計な事をするワケ?」
「きっとお前が嫌がるだろうと思ったからだ」
勝ち誇ったような笑みを見せたアヴェリンに、ユミルは吐き捨てるように顔を歪めた。顔を背けた後に、身体を沈めてだらしなく足を伸ばす。完全に不貞腐れた様子に、ミレイユも失笑した。
「まぁ、そこはしっかり相談して決めろ。何事も起こらないし、何事も起こらせないから、明日も好きに行動すればいいしな」
「大体、服って言ってもね……。ちゃんと洗濯してるんでしょうね? イヤよ、アタシ。汗臭い男の服を着るなんて」
「――そうですね……。というか、勝手に着てもいいんですか?」
寝室の方からひょっこりと顔を出したルチアが、スウェット片手に聞いてきた。ミレイユは手にしたスウェットを指差してから、手を横に振る。
「事後承諾でいいだろうが、それはやめておけ。寝間着みたいなものだ」
「そうなんですね。……いやはや、こっちの服はよく分かりませんね」
しげしげとスウェットを見つめながら寝室へ戻り、何事かをアヴェリンと相談し始めた姿を見て、ユミルもようやく覚悟を決めたようだった。
「まったくもう、アンタ達に任せていたら、何を着せられるか分かったものじゃないわ。見せてご覧なさい、どんなものがあるのよ」
「男の人ってあんまり種類持たないんですよね。それにしても、この数は少ないと思いますけど。……それとも、こっちの人からすると、これが普通なんでしょうか」
辟易とした声音が漏れ聞こえる中、どうやら寝室では簡易的なファッションショーが始まったようだ。男物を着こなす必要はなかろうが、見栄えを気にするのはどの時代、どの世界の女性も共通している。
長い時間が掛かりそうな予感がして、ミレイユはとりあえずソファに腰を降ろした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます