常識 その6

 寝室から姿を現したルチアとユミルは、対象的な表情をしていた。


 ユミルは先程とは違う厚手のパーカーにパンツルックという、こちらの男性からしてみれば有り触れたもの。それを不機嫌そうな顔を隠そうともせず着込んでいる。

 ルチアはダボダボのジーンズに、同じくダボダボのシャツという格好だった。身長が低いせいも相まって、まるで父親か兄の服を背伸びして着てみたかのように見える。明らかに浮いた服装だが、その表情は晴れやかだった。


 ミレイユはその格好を見て二度頷く。

 そして全く似合っていない、と声に出さず判断を下す。そもそも男物の服を着ること自体、この二人に合っていない。これが高身長かつ凛々しい顔つきをしたアヴェリンなら、着せる格好によっては見栄えもするのだろうが、この二人は全く逆の方向性の容姿をしている。


 だが今日のところは、少なくとも似合う格好を選ぶ場ではない。

 目立たない格好を選んでいるが、しかし目立つ二人だと言えるだろう。


「……まぁ、及第点だな。今はそれ以上を望むのは酷だろう」

「そうですかね? 結構いい感じだと思うんですけど」

「客観的には分からんだろうさ。特にこちらの人間からの視点では」


 人間と聞いて不服そうに鼻を鳴らすルチアに、ユミルが背を軽く叩いて促す。

 その表情は、手早く済ませて開放されたいと如実に語っていた。


「いいから、さっさと行くわよ」

「ああ、昼までには戻ってこい」

「陽が高くなってまで外をうろつくもんですか。嫌でも昼前には帰ってくるわよ」


 ルチアは少し残念そうな顔をしていたが、同時に引き際も弁えていた。そこら辺が落としどころだろう。確かに、これから先、機会は幾らでもあるだろうから。


「了解です。それじゃ、時間が惜しいので行ってきますね」

「さっさと行ってこい」

「あまり熱中しすぎて車にぶつからないように」

「あら、心配してくれてるの?」


 ユミルがおどけて言うと、ミレイユは皮肉げな笑みで返した。


「車と、中にいる人間の方をな」

「あらまぁ……」


 ユミルは絶句し、アヴェリンは吹き出した。


「さっきの話を聞いて思った。車にぶつかって、むしろ心配になるのは、果たしてどちらなのかと」


 マナの含有していない物質で、魔力に覆われた人物を損なうことは出来ない。物理法則を完全に無視する訳ではない筈なので、恐らく吹き飛ぶのはぶつけられたユミル達なのだろう。しかし、下手をすると車の方が鉄の杭に突っ込んだように凹むような事態も起き得る。


「まぁ、何事もないのが一番だ」

「そこはアタシが注意しておくわよ。……よくよくね」

「ほら、行きますよ!」


 完全に子供扱いされているルチアは、頬を膨らませて家を出ていった。

 そういうところが子供らしく見えてしまうのだが、本人は気付いていないらしい。ユミルはミレイユと顔を見合わせ苦笑すると、目線で促されて後について行く。


 慌ただしく玄関の戸が締まる音を聞いてから、ミレイユはアヴェリンに向き直った。


「お前も好きにしていいぞ。私はこの部屋の中にいる」

「では私も部屋の中で待機しておりましょう。ですが、まずは着替えてきます」


 そう言ってアヴェリンは箱の中に入っていく。

 ミレイユはソファの背中越しに窓の外を見つめた。空は高く、陽の光を遮るように、疎らに雲が流れていく。それを何する事もなく見つめた。



 ◆◇◆◇◆◇



 家を出た二人がまず目指した場所は、遠くに見える大きな建物だった。

 目算で十五分程で辿り着けると踏んで、最初はそこに行ってみる事にしたのだ。まだ十分に車を見た事のなかったルチアは、道を何本か逸れて車道に出る。


 通勤時間というには少し遅い時間ではあったものの、走る車の数はそこそこ多い。

 目の前を馬車とは比べ物にならない速さで駆けていく車を見て、ルチアは感嘆とした溜め息をついた。


「馬車より余程小さいのに、あんなに安定して早く駆けるなんて、一体どういう理屈で動いているんでしょうね……!」

「さて、どうでしょうねぇ」

「あの中に馬より強い生物でも入れて走らせているんでしょうか」

「いやいや、そんなの……」


 言い掛けて、ユミルは眉根を寄せて注視する。何事かを頭の中で計算し、導き出した答えは是だった。


「――あり得るわね。荷馬車だって時に二頭立て、四頭立てで馬車を走らせるワケじゃない? じゃあアレにも四頭どころか、十頭入れて動かしていても不思議ではないわ」

「それだけ強力な生物で、しかも小型となると、魔物ぐらいしか候補は出てきませんけど」

「魔物だって、小型なら力だって小さいものよ。大きくなるほど力が強くなるのは、他の動物と共通してる。違うのは、その比率だけ。だから、小さくても強力になるパターンは多くない」

「じゃあ、中で生物を走らせていると考えるのは妥当ではない?」

「決めつけるのは早計だわ。車が駆ける時、必ず唸り声が上がっているのが分かるでしょう?」


 正に今、唸りを上げて目の前を駆けていく車を見て、ルチアは得心したように何度も頷く。


「よく聞いていみると、車ごとに上げる唸り声も違うようです。これは入っている数も違えば、入れている生物も違うと見る事は出来ませんか?」

「……なるほど、そんな生物、種類が豊富にいる筈ないという考えが盲点だったのかもしれない」


 ルチアとユミルは互いに、我が意を得たりと頷いて見せる。


「あるいは養殖、あるいは繁殖、何かしらの方法を確立していると見るべきですね?」

「そうよ。でなければ、あれだけの数の車を動かすなんて出来る筈がない」


 互いに何度も頷いて、目の前をまた一台通り過ぎて行く車を熱心に見つめる。

 その時、一台の市営バスが近づいて来た。今まで見たこともない大型の車に、二人は思わず身を固めてまんじりともせず視線を向ける。


「まさか、そんな……!」

「あんな巨大な物まで……!?」


 視線が物理的にくっついたかのうように、互いに離れていく馬車を首を巡らせて見送り、いつの間にか止めていた息をゆっくりと吐いた。


「恐ろしいわね……!」

「何を考えて、あそこまで大きな車を造ったんですかね……!?」

「でもアレで分かったわ。やはり、あの中には何かがいる。唸り声が明らかに大きく煩かったのは、あれだけの図体を動かす数が必要だったからよ」

「それに、あの臭い……!」


 二人は互いに顔を見合わせたまま、泣きそうな表情で顔を歪めた。


「目に染みるようだったわ」

「息をするのも辛いほどでした……!」

「そりゃ走ってる間は糞の片付けは出来ないでしょうし、馬みたいに道に落とさないだけマシなんでしょうけど……」

「むしろ、だからこそでしょうよ。あれだけの車があって、馬のようにフンを落として行ってご覧なさいな。今頃道がフンで踏み硬められてることでしょうよ……!」


 うんざりするような顔を走りゆく車たちに向け、二人は歩みを再開した。

 目的はそもそも車を見る事ばかりではない。陽が高くなるにつけ、ユミルの機嫌も行動も悪くなって行く可能性を思えば、ゆっくりしている暇もない。


「あの中にいる生き物、あちらに持って帰ることは出来ないでしょうか」

「どうかしらねぇ……。というか、何アンタ。あっちに帰るつもりだったの?」

「私自身が、というより、最初から帰るつもりでこっちに来ていたものだと思ってました……。違うんですか?」


 虚を突かれたように見たルチアに、ユミルもまた同じ表情で視線を外に向ける。


「……言われてみればね。本人に確認してないし、する必要もないと思ってたけど、一体どうするつもりかしらねぇ……」

「静養に来たっていう文言を、言葉通りに解釈すればですよ? 満足するまで休んだら帰るつもり、という事になりませんか?」

「そうだけど。こちらに帰るつもりでいた、みたいな事も言っていたじゃない。……ま、アタシはどっちでもいいけど。こっちの世界も面白そうだし、それに付き合うつもりだから」


 ですね、とルチアもそれ以上追求することなく同意する。

 それが一体何年、何十年になろうとも、時間の浪費とは考えない。そもそも二人からして、十年単位は浪費の範囲に含まれない。


「大体、持ち帰るって言ってもねぇ……。アンタ、あの中の生物を持ち帰って、繁殖させるつもりなの?」

「飼育方法が分かって、それがあちらでも通用するのなら、是非。病気や寿命、繁殖が上手くいかなかった事を考えて、最低でも番で十組は欲しいところですし、それが可能であるなら。――ええ、持ち帰りたいですね」

「本気……?」


 ユミルが怪訝な表情を見せても、ルチアの決意は変わらない。動物が環境の変化に慣れず身を崩し、時に絶滅してしまう事はルチアもよく知っている。

 肉食なのか草食なのか、あるいは雑食なのかでも育成難度は違ってくるだろう。だが、これにはその苦労に見合う価値がある。


「これは食料事情を一変させますよ。森の奥深くにいても、平原の生産物が手に入る。肉も塩漬けにすることなく運ぶことだって出来るかも。乏しい食材も広い範囲から集めることで、食卓に並ぶ料理も多くなるでしょう。きっと誰もが歓迎してくれる筈です」

「……まだ若いアンタは知らないでしょうけど、きっとそれは成功しないわ」


 達観というより諦観の表情で、ユミルが言った。子供と侮られるのは仕方ない。お互いの年齢は見た目以上に大きな差がある。だが長く生きる者は、得てして新しい挑戦から目を背けがちだ。

 ルチアの住んでいた里もそうで、古くからの慣習に固執する老人たちが頑健に新しい事を否定していた。そしてだからこそルチアは迫害され、ついには里から追い出される事態と繋がったのだ。

 ユミルからはそれと同じ雰囲気を感じ取り、追わず語気も強くなる。


「何でそんな事が分かるんですか? やってから初めて分かる事だってありますよ」

「……ああ、気を悪くさせたわね。……違うのよ」


 ユミルがフードの中から儚く笑う表情で、それが単なる嘲りではないと分かった。

 ユミルは何かを知っていて、それが抗えない事と知っているからそんな顔で謝罪を口にしたのだろう。それを理解した途端、膨らみかけていたルチアの熱も萎む。


 だが代わりに疑問に思った。

 ユミルは永くを生き、それに裏付けされた経験と強さがある。大抵の事なら対処の方法を知っているし、それに付随して起きる面倒事にも対応できる。その彼女が最初から諦めるような事が、この養殖にあるとでも言うのだろうか。


「あなたを侮ったワケじゃないの。ただ、新しい事を歓迎しない輩というのも、間違いなくいる。それも一等厄介な輩が」


 唾棄するような強いものの言い方だった。

 それで尚のこと疑問に思う。これまでの長い旅の間、ミレイユ達は多くの事を成してきた。その中には新しいと思える数々の出来事だってあった筈だ。

 歴史に一つページを加えるような偉業とて起こした。楽ばかりではなく、苦難もまた多かったが、それでもここまでやって来たのだ。


 だからこそ、ルチアは疑問に思う。

 ユミルの言い草は、あまりに弱腰に思えた。

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