常識 その7
「ユミルさん、貴女……一体なにを知ってるんです? これが失敗するって確信するような物言いでしたけど……」
「別に大層な事を知ってるワケじゃないわよ。ただ新しい事を望まず、ただ今の時間が流れる事を望む連中がいて、それは誰にも邪魔できない。そういう摂理があの世界にはあるってだけ」
「そんな大層な事が出来るような存在、いたんですか? そんな大それた事が出来たのなら、人間支配の終焉なんて、許さなかったと思いますけど」
ルチア達がいた世界で起こった、大陸を揺るがす阿鼻叫喚と歓喜と喝采を呼んだ歴史的事実。まさしく生き証人の一人であるルチアから見れば、それは新しい事を望まない連中からすると許し難い事のように思われた。
だが、ユミルはそれをあっさりと否定する。
「別に大陸の支配者層の変遷なんて、珍しい事じゃないからね」
「じゃあ、その『連中』は、支配者層の中にはいなかった……? あの世界で趨勢を得て、どこより発言力も影響力もあったのに、支配者層より更に外にいる何者か……まさか!」
ルチアは下唇を噛んで、身を震わせた。思わず拳も握って、手の平に爪が食い込む。
かつての支配者層より外にいて、更に摂理を握っているとまで言わせる存在など一つしかない。
「神々が、それを拒んでいると言うんですか……?」
「……まったく。こっちの世界で良かったわ。こんな会話、あの世界にいたらどこで聞かれていたか分からないもの」
肩を竦めて、鼻息荒く吐き捨てる。
支配者層すら支配するからこそ、神は神と呼ばれ、だからこそ神でいられる。神は基本的に人間に干渉しないし、貧困を解決しようともしないし、暴力や支配も制限しない。
ただ悪戯に降臨し、悪戯に掻き乱し、責任を取る事なく去っていく。
それは単に厄災のように振りまく事もあれば、祝福を授ける事もある。気紛れに起こる現象なので、良きにしろ悪きにしろ神の行動に過度の期待はしないものだ。
「神は世界に興味がないと思っていました。砂場のような遊び場でしかなく、気紛れに砂の城を蹴飛ばしたり、あるいは形を整えてみたり。飽きれば捨てるだけ、そういう類のものだと」
「その認識は別に間違ってないわよ。でも、何で神々が複数いるか考えた事はある? 増えたり減ったりする事は?」
神々は人の出生のように増えることはない。また寿命によって死ぬこともない。神同士の戦争で敗者が滅する事もあるが、ある時不意に消えていなくなる事もある。そしてそれは、神が去ったとも殺されたともされ、そして暫くすれば新しい神が立つ。その新しい神がどこから来たかは知らないが、信者は嘆きはしても別の神を新たに信仰していく事になる。
「疑問に持った事はありませんでした。……そういうものなのだと」
「そうよね、それが常識だから。人間は気づけないでしょう、生きても精々百年だから。エルフもいいかもね、千年生きるのは稀だから。不都合な真実は闇の中……」
ユミルは自身を指差し、皮肉げに笑った。
「そう、闇のね。だから何故、我が一族がこれほど苛烈に迫害されたか、そう聞くと分かりそうなものじゃない?」
「貴女の一族は、しばしば伝染病に例えられますよね。貴方がたは子を成さない。でも伝播するように一族を増やしていく。そして一族に寿命はない……」
「そう、一族には触れれば変化、という単純なものじゃないけど、でも伝染病というのも強ち間違いじゃないのよ。変貌するよりも前に治癒してしまえば、一族にはならないんだし」
ルチアがハッとして目を見開き、口に手を当てる。恐ろしい真実を目の当たりにした緊張を持って、ユミルの目を射抜いた。
「全ての神々の権能に、疾病治癒の加護があるのは……」
「ええ、多くの神々が毎日の祈祷を義務付けるのもそう。他の神々でも三日に一度の祈祷は義務付ける。それは五日以内なら確実に治療が出来るからよ」
「貴女の一族を増やさない為……?」
「勿論、それだけじゃないわよ。祈祷は間違いなく神への供物になるんだから。一石二鳥というだけ、都合が良かったというだけね。不死の種族で世界が染まるのは防ぎたかった、その気持ちだけは理解出来るの」
だが、そうと言うことは別の理由が隠れてる。
ユミルはそう言いたいのだ。
「むしろ種族はこれ以上増えない、お前たちに未来はないと知らせたかったのね。不死の一族は摂理に取って歪んでいるのは確かでしょうけど、それ以上の不都合があったから封じ込めたの」
「それが、新しいことを望まない、っていう話に繋がるんですか? わたしにはどうにもピンと来ませんけど……」
「新しい事を望まないっていうのはね、つまり停滞を望んでいるって事だから。大陸の歴史がどうとかは関係ないの。世界が均衡を保って維持し続ける事の方が大事なんだわ」
言われてルチアは首を傾げた。
それは言うほど間違った事とは思えなかった。支配者層が入れ替わるくらいは、大陸の崩壊、世界の破滅より、余程些末な事だ。天秤に置けばどちらに重きを置くかは、火を見るより明らかだ。
「それって問題なんですか?」
「いいえ、それ自体は問題じゃないの。世界の維持は人の生死より大事、当然よね。じゃあ、それをどうやって維持してると思う?」
そう言われてしまえば、ルチアに答えなど出る筈もない。植物が育つにはどうすればいい、森が育つにはどうすればいい、という事は理解できても、それに世界を当て嵌めて考える事は無理がある。
「維持に労力が必要なんですか? つまり神々の仕事は、人が畑を耕すように、労力を持って世界を維持する事だと」
仮にそうであるならば、神への尊崇の念を強めるばかりだ。公然の秘密という訳でもなく、完全に秘匿する意味が分からない。
「十二の大神と六の小神、いつだって数の変動が起きるのは小神で、大神を上回る事はない。そして大神は、いつだって戦争で勝つ側なのよ」
「でも、神の力量は大神と小神で違いはないでしょう? 個人差、というか個神差があって、強い小神だっています。一対一が原則の神争で、常に大神が勝てる程の力量差はない筈です」
「神の戦争の行方は、歴史書に記載を禁じているからね。力量に差が殆どなく、また小神が上回る事があるのなら、きっと大神を打ち倒した小神もいたに違いない。――そうよね?」
「理屈の上ではそうなります。権能一つとっても、必ず戦闘向きなわけじゃないですし」
ユミルは大いに頷く。優秀な生徒に講義をする、教師のような眼差しだった。
「でも小神は勝ったことがないし、大神は常に勝ち続けてきた。これはアタシが保証する」
「……あり得るんですか、そんなの」
「ないわよ」ユミルは鼻で笑う。「だから、そんな不都合、知られたくないでしょ? 技術の発展、印刷技術、保管技術、あらゆる技術の発展は、不都合の露呈をいつか白日のもとに晒す原因――あるいは遠因になる。そんなこと大神が許す筈がない」
まさか、とルチアは青い顔で呟いた。否定したいが、否定の言葉が見つからなかった。
「じゃあ、一対一で争う威厳のある闘争ではないんですね?」
「むしろ二人目三人目が、後ろから刺す暗殺闘争よ」
ルチアは青い顔で戦慄いた。今まで信じてきたものが足元から崩れ去るような思いがした。
しかし、何故。何故そうまでして神は神を殺すのか。
「何故、神は闘争を繰り返すのですか? それが神というものだと思ってましたけど、常に片方が勝ち続ける闘争なんて、それはもう闘争じゃない。私刑のようなもので……、まるで贄の……」
口からついて出た言葉が、あまりにも真実を内包している気がして、ルチアは思わず口を押さえた。
ユミルは得心顔で頷く。
「正解者に拍手」ぺちぺちと気のない拍手をして、続ける。「贄として神の魂だか肉体だか、両方だかを使って世界を維持してる。知られて歓迎する者がいるかしら? いるかもしれないわね。上手いことをすれば、神とは贄の別名で、信者はそれを歓迎すべし、という常識を植え付けられるかも?」
ユミルは大いに皮肉を込めた笑みを浮かべて鼻を鳴らした。
「それをやって失敗したから、いまは何も教えず暗殺闘争する事に切り替えたのよ」
「失敗……? そんな時代があったんですか?」
「ええ、神は世界の礎である。自ら礎となるべく生きている。信者は尊く誉れ高い神に祈りを捧げよ、感謝を捧げよ、とね」
「それだけ聞くと、信者は涙して祈りを捧げて感謝しそうなものですけど?」
ユミルは小馬鹿にしたように笑った。当時を思い出しての笑いだった。
「そりゃ信者はそうでしょう。我が身に降りかかる不幸じゃないんだもの。でも神は別よ。意志ある存在として、やはり死は忌避するものみたい。死にたくない神だっていたのよ」
それ自体は頷ける話だった。
神は偉大だが、人間味溢れる存在でもある。どこか子供っぽく己の行動全てが自由になると思っている。それもいずれ自らの死と引き換えというのなら許されてもいい気がするが、いざ死ねとなった時、潔く死を迎えられるものだろうか。
ルチアには疑問に思える。
「それで逃げ出す神が出た、と。過去、忽然と消えた神、というのは、つまり……」
「逃げ出した神、そのとおり。でも、逃げ切れた神はいなかった。大神に取り囲まれて、やはり贄と成り礎となった。逃げ惑い泣き喚いて命乞いする神と、それを容赦なく捕まえ打ち据える神、そんなの見せられたら信者はどうなると思う?」
「分かりませんけど、心中穏やかではなかったでしょうね……」
「どういう基準と順番で、それを決めているかは知らないけれど、自分の信仰する神より他の神を贄にしろという信者は一定数いた。そしてその流れが主流になり、戦争が起こった」
ああ、とルチアもそれには納得できる話だった。
だれしも順番があるなら後がいいし、生きていられるなら生きていて欲しいのだ。
「ま、神も人も滅茶苦茶よ。人の争いに引かれて神も嫌だと争いが起きて収拾がつかず、だから一度リセットすることにした。アンタが言ったさっきの言葉、砂場はいい表現よ。全てをひっくり返して、小神も人も滅ぼした上で作り直したのが今の世界」
「リセット……? じゃあ何故、貴女がそれを知ってるんです?」
「全時代文明の生き残りが、我が一族だからよ。全時代の僅かな生き残り、だから三十人しかいなかったでしょ? 生き残ったのはわずかそれだけ。そして神も、信じるかどうかは別として、我が一族がこれ以上、この情報を伝えぬよう忌避する一族と定め、増やさないよう処置をした」
「そんな事が……」
「いざとなれば十二の大神は砂場を底からひっくり返す。だからねルチア、下手な真似して文化と文明を飛躍的に上昇させる技術なんて、持ち込んだらまず消されることになるわよ」
ほんの些細な思い付きが、ここまで壮大な話になるなど、ルチアは思ってもみなかった。あるいはユミルもそんなつもりはなかったかもしれない。話せる事を全て語った訳でもなく、濁して伝え省いて伝えた部分はあっただろう。
だが、どうしてここまで語ったのか。それもまたルチアには疑問だった。
「あの、どうして話してくれたんですか? 知られちゃいけない伝説でしょう?」
「そうね……。ここじゃ誰の耳もないということが一つ。あと一つは……誰か一人くらい、知っていてもいいと思ったからよ」
悲しげな瞳でフードの中から地面を見つめるユミルには、言葉に出来ないほどの想いが詰まっているように見えた。
「でも、私に……? ミレイさんに話した方が良かったんじゃ?」
「あの子には重すぎる話題だわ。それに、アンタなら誰にも話したりしないでしょ?」
「それは、はい、勿論……」
「だから、それでいいのよ……」
ユミルの見せた小さな笑みは、見たこともないほど儚い笑みだった。
あるいはそれは、故郷を偲び、一族を偲び、そして亡き父親に対して偲ぶ想いだったのかもしれない。
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