常識 その8
どことなく重苦しい空気が二人を纏い、もはや楽しい散策という雰囲気ではなくなってしまった。とりあえず最初の目的であった大きな建物だけでも見ておこうと、ルチアは先導して歩を進める。
そこでふと思い立つ事があって、ユミルに顔を向けた。
一度終わらせた話題を持ち出すのは気が引けたが、ルチアは気になった事を放置していられない性分だった。
「あの……、それじゃあ、こっちの世界にいる神ってどう思います? 疾病退散の権能を持つ神……これって、あちら側の神が来ているって話になりませんか?」
「さて、どうでしょうね?」
ユミルは首を傾げたものの、思案する素振りは見せなかった。考える事を放棄するというより、考えても仕方がないと思っているように見える。
それはルチアも同意するところで、とにかく情報が足りない上に、客観性のある事実として知っている訳でもない。だからという事は理解できるが、それでもユミルに聞いてみたかった。
「権能の類似性、他国には存在しない、千年前からいる、っていう情報が確かなら、ただその一柱のみがこちらに逃げてきた神という考え方は出来ませんか? 私達がこの世界にいる以上、その可能性があるのでは……」
「そうね、可能性だけならあると思うわ。アタシは逃げた神が、そのまま逃げおおせた事実も知らないけど、あちらの世界から渡ってきた神の可能性が、皆無だとは思わない」
「……でも、それじゃあ十二の大神が自らの意志で来たということですか? あれ、十二の大神は数が減った事ないんですよね? おかしくありません?」
ユミルは鼻で笑って同意した。
「おかしいわよ、数の計算が合わないわね。だからあるとすれば、神となる前に逃げた可能性かしら」
「神に……なる前?」
ユミルが怪訝に眉を顰めた。
神とは自然に発生する災害と同様、何か超自然的な現象の結果として生まれてくると思っていた。ならば、もしかして、小神とは、元は別の種族から昇位するものなのだろうか。
「神の元の存在って、もしかして……!」
「――ああ、遮って悪いけど、そこは私も詳しくないの。明確に知っているわけじゃないし、見たことがあるワケでもないから答えられないわよ」
視線を合わせずそれだけ言って、ユミルは肩を竦めた。
「それに、あくまで可能性の話で、実際には無いと思っているからね。だから、さっき言った神の話は、あくまでこっちで自然的に発生したモノであって、あちらとは関係ないって思ってるけど」
「ですか……」
ルチアは納得いってなかったが、これ以上追求しても何か出てくるとも思えない。だからとりあえず、ユミルの話に同意した。
「まぁ、ですね。言ってしまえば、疾病退散が共通事項っていうのも、別に強い根拠じゃないですもんね……」
「信仰を得ようと思えば、実際有効な手段でしょ。こちらの神が、まず自分の権能として定義しても不思議じゃないわ」
「それも、そうですね……」
それきり、その話題が再び持ち出される事はなかった。
ユミルからは明らかにそれ以上口にするな、と雰囲気が語っていたし、ルチアとしても何が何でも聞き出したい内容という訳でもなかった。
新たな話題が見つからないまま、途中、幾つもの円柱形の何かを並べた箱を見つけた。それぞれ色も違えば長さも違う。ただ円柱形という型だけは決まっているが、その表面に描かれた絵や文字は千差万別だった。
必ず数字と一緒に並んでいるところを見れば、もしかしたら売り物なのかもしれないが、それにしては商人がいない。見本として並べているのだろう事は想像できるが、ならば売り手がいなければ商売にはなるまい。
人通りの少ない時間帯だからとて、商人はその商機をいつでも見逃さないものだ。これほど巨大な見せ物を用意してまで商売をしようというのだら、その意欲は伝わってくる。
裏に回って商品でも用意している最中なのだろうか、と予想しながら目の前を通り過ぎた。
出発時の高揚感がまだ残っていたら、こんな事を気にせず好奇心の赴くまま弄り倒していただろうが、今はとてもそういう雰囲気ではない。
惜しむ気持ちで通り過ぎ、ルチア達は目的地へと到着した。
遠くから見えていた時点で思ったが、予想以上に大きな建物だった。城より大きいわけではないが、ちょっとした要塞程度はある。前衛に置かれた要塞というよりは、各地見張りに適した要衝へ配置されるような規模に見えた。
敷地をぐるりと塀と鉄柵で覆っているのも、また要塞めいた雰囲気を見せているが、もしかしたらこれは訓練所であるのかもしれない。
建物の傍には広大な敷地が用意されており、何かしらに使う器具がぽつりと置かれている以外は何もない。そこに同じ格好をした男共が列をなして走っている。
「まさしく訓練所と言った感じですね。建物に対して訓練生の数が少なすぎますけど」
「座学でもやってるのかしらねぇ。……あの窓の数をご覧なさいな。あれだけの数の部屋があるのなら、外に出て体を動かす人間が少なすぎるわ」
「だとしたら、相当な人衆がこれの中にいることになりますよ」
「……よく見れば、中にいるのは子供ばかりよ。アキラと同じ年頃のね。大人は一人、監督役か教導役か……それだけ」
確かに、と頷いてルチアは改めて辺りを見回す。
周辺の建物は民家が多く、商店すら殆どない。この目につく建物の実に九割が民家なのだ。ここまで歩いて来て、その事実には気づいている。
ならば、この家の数に対し子供の数も相当数がいるはず。
この訓練所は、その子供に教育する――練兵を施す施設なのかもしれない。
「これだけの数の訓練兵がいるのなら、この国はさぞ侵略に熱心なんでしょうねぇ」
「ああ、豊かさの裏にはそういう事情があるという訳ですか。やけに腑に落ちましたよ、……これだから人間は」
蔑みを隠そうともせず訓練兵と、その教導役を見据えて鼻を鳴らす。
その見るともなく見ていた訓練兵の中に、見知った顔を見つけてしまった。
「……あれ、アキラさんですよ」
「ホント? どこよ?」
それまで特別な興味を見せなかったユミルが、好奇心も顕に集団の中へ目を凝らす。
幾らもせずして目的の人物を見つけると、声音が僅かに上擦った。
「あら、ホントじゃない。あの子、あんな可愛い顔して練兵に参加するほど熱心だったなんてねぇ……!」
「そういえば、剣の心得があるんでしたか」
「ああ、あれってそういう?」
「多分、そういう事になるんですかね」
「ふぅん……。正直言って意外だったわ。あの子、兵って感じがしないもの」
言いながら、広い敷地を走って回る人たちを、柵の外側から興味深げに見つめる。声音は明らかに面白がっている風であり、機嫌の悪くなったルチアとは対照的だった。
「――あら、こっちに気付いたわよ」
「明らかに、しかめっ面してますけど」
「あら、いいじゃない。手を振ってあげなさいよ」
「イヤですよ、そんなの」
「そう。じゃあアタシが振ってあげるわ」
言うや否や、ユミルはその手を取って勝手に顔の横で左右に動かす。抵抗しようとも、どうせ力で勝てはしない。されるがままにブラブラと、満足がいくまで左右に振らさせた。
何の反応も示さない――敢えて無視を続けるアキラに業を煮やして、ユミルは手を離して柵を握る。檻に閉じ込められた獣のように、その隙間から睨みつけるが――やはり反応は返ってこなかった。
むしろ必死で顔を逸して目を合わせないようにしている。
ルチアは鼻で笑って扱き下ろした。
「ここまで無視される事ってあります? きっとフード被ってる女は嫌いなんですよ」
「うるさいわね。関係ないでしょ、それは。……まったく、あの子には教育ってものが必要みたいね」
「訓練ならここだけで間に合ってるでしょう? 往生際が悪いですよ。素直に嫌われてる自覚持ったらどうですか」
「アンタだって手を振ったくせに無視されてたじゃない」
「アレは別に、私が自分でやったことじゃないですし」
ああ言えばこう言う二人が言い合いを始めると、教導役の男が二人に近づいてきた。いがみ合いを続けている間でも、近付いて来る男には気付いていたが、まるで気にした様子がない。
「でも無視された事は事実なワケでしょ?」
「だから何だって言うんですか。たかだか昨日あったばかりの人間の男に、気にかけて貰いたい欲なんてないんですよ」
「欲はなくてもプライドの問題ってのがあるワケ。アレに無視されるって、傲慢な態度だと思わない?」
「うぅん……。ああ、そう言われてみると」
「――ああ、君たち」
男は柵のすぐ傍まで来ており、二人を見下ろすように立っている。咎めるような目つきだが、ユミル達は頓着せず無視して続ける。
「ねぇ? だから、一言くらい何か言ってやらないと気が済まないのよ」
「いやぁ、それいま言う必要あります? 明らかに訓練中ですよ」
「そんな事、アタシに関係ないわよ」
「まるでチンピラの発想じゃないですか。やめて下さいね、そういう身内の恥を晒すような真似は」
「――君たち!」
大きな声を上げた男に、ここでようやく二人は顔を向けた。
男は二人の美貌に一瞬、目を奪われたものの、常識に則った職務を実行するように決めた。
「……ここで何をしているんだ。この時間は授業があるんじゃないのか? この学校の生徒じゃないが、何の用でここにいるんだ?」
「――うるさい」
ユミルは柵の外側から男の襟首を掴むと、そのまま引き寄せて頭を柵にぶつけた。小気味よい音が額から聞こえ、そのまま白目を剥いて力なく後ろへ倒れる。
ユミルが手を離していないお陰で辛うじて立っているように見えるが、両手はだらしなく垂れ落ちているし、頭も後ろに仰け反って首を真上に向けている。何より両足まで膝が曲がっているせいで、まるで等身大の人形が宙に浮いているように見える。
「ちょっと、どうするんですか、それ……」
「脆すぎるのよ、アタシは悪くないわよ。大体、踏ん張りもせずに頭ぶつける、普通?」
「酷すぎる言い分ですよ、それは。これはもうアヴェリンのこと悪く言えませんね? いつも怪力馬鹿力とか言って煽ってますけど、今度からユミルさんもその分類に追加されますから」
「いや、ないでしょ。これは男が軟弱すぎた事が問題なのであって、アタシが怪力であるかどうかは関係ない」
「つまり上手に手加減出来てないって事じゃないですか。そのいい訳は苦しすぎますね」
「――はい、この話はやめやめ。あまりに不毛すぎるわ」
「いいですけど……、それをどうするのかっていう問題は解決してませんよ」
ユミルはフードの中からあっさりと笑って、その手を離した。両手でフードの縁を摘まんで、より深く被り直す。
「幸い、アタシは顔を見られてないと思うのよね」
「はぁ……。え、ちょっ、は……?」
「じゃ、サヨナラ~」
言うや否や、地面の上に力なく倒れ伏した男を投げ出して、ユミルは駆け出してしまった。
ルチアは男とユミルとを見比べて、数秒の遅れを取って後を追いかける。訓練生たちのざわめく声が背後から聞こえたが、努めて無視して足を動かした。
ルチアは必死の形相で、前を走って逃げるユミルを追いかける。とにかく一人負けの後片付けなど冗談ではないという思いが足を動かしていた。
必死に走って追い掛けたというのに、ルチアがようやくその背に追いついたのはアパートに着いた時だった。
涼しい顔で待ち受けていたユミルの頬を、走る勢いそのままに平手で打ち、ついでに自身もまた転がる。ユミルを巻き込んで倒れて、二人重なるように地面へ強かに打ち付けた。
「ちょっと! 痛いわね!」
「うるさいってんですよ! はぁはぁ! なんですか、何なんですか! はぁはぁ……、馬鹿じゃないですか!」
「耳元ではぁはぁ言うんじゃないわよ! それにアレは仕方ないの、不可抗力というものよ!」
「何がもう……、はぁはぁ。ホントもう……! はぁはぁ」
言葉にならず嗚咽すら混じり始めたルチアに、ユミルは背中をポンポンと叩いて持ち上げる。ユミルの力は確かに強いが、ルチアが軽すぎるのも原因だ。
ユミルは腰だけの力で起き上がって、ルチアをその場に立たせる。お互いの服についた砂や埃を叩き落とし、見た目ではそれと分からない程度になった頃には、ルチアの様子も大分落ち着いてきた。
「……なんであんな事したんですか」
恨み言の声は地を這うかのようだった。
ユミルはそれに大した反応も見せず、カラッとした笑顔で返した。
「そっちの方が、何だか面白そうだったからかしらねぇ」
「……もう一発殴っていいですか?」
「いい訳ないでしょ。ほら、帰るわよ」
「なんでそこで、そう言い切れるのか不思議でなりません。絶対、ここはもう一発殴っていいところですよ。アヴェリンさんなら片腕千切ってますよ」
「アンタのアヴェリン像って、どうなってるのよ。完全にヤバい奴でしょ」
飛び掛かろうとするルチアをあしらいながら、ユミルは部屋への階段を昇る。それに恨み言を言い募りながらルチアが続き、部屋の中へと入っていった。
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