常識 その9
いがみ合いを続けながら帰ってきた二人を、ミレイユはソファに寝転がりながら迎えた。
目立つ訳ではないものの、服に汚れがある辺り、何かトラブルがあったのかもしれない。ただ深刻な様子ではないので、ミレイユは気にせず再び視線を手元に落とした。
そこに呆れを含んだ笑い声で、ユミルが声をかけてくる。
「あらまぁ、淑女にあるまじき格好してるわねぇ」
「今は休暇中だ。淑女だって休暇中に決まってる」
「そう? アヴェリンが渋い顔してるけど」
「だが、まだ何も言ってない。それが大事だ」
「――言ってもいいなら、言わせていただきますが」
「いいや、黙っていろ」
ソファの傍に新たに追加された椅子に座るアヴェリンは、渋い顔を更に渋くした表情で口を噤む。手元にはホツレがあったグローブの補修しようと、涙ぐましい努力の跡があった。
ミレイユが手元にある板状の何かを操作するにつけ、それに気が付いたルチアが傍までやって来て覗き込む。
「それ、なんですか?」
「タブレットだ。寝室で見つけた」
「へぇ……たぶれっと。不思議ですね……、どうなってるんですコレ?」
ミレイユが検索エンジンを使って単語を入力しているところを、しげしげと眺めては画面に触れる。関係ないところを触れられ、ページが切り替わってしまったのを戻しながらミレイユは困ったように答えた。
「どうなっている、という質問は難しくて答えられないな。よく分からず使っている便利な物で、どういう原理で動いているかも知らない」
「よく分からずに使ってるんですか……。相変わらず危険な事が大好きですね」
ページが切り替わり、様々なパーティの写真が映し出されると、ルチアの表情が驚きに変わる。
「わっ、絵がこんなに沢山。まるで現実をそのまま写し取ったかのような鮮明さ……、誰が描いたんでしょう?」
「これは画家が描いたものじゃない。後で貸してやるから、今はこっちに集中させてくれ」
「きっとですよ。――そろそろいいですか?」
「幾らも経ってないだろ。いいから待て。……待て、待てって」
横から強奪しようとするルチアの手を遮り頭を押し返しながら、ミレイユはユミルに目配せする。そうと察したユミルが、強奪未遂の犯人の脇に手を入れ持ち上げた。
「はぁい、ちょっとこっち来ましょうねぇ」
「ちょっと、離して下さいよ。アレ絶対すごい奴ですって」
「それは分かるけど、少しは落ち着きなさいな。邪魔するとアヴェリンが実力行使に移行するからね」
チラリと視線を向ければ、アヴェリンから剣呑な視線が返ってくる。ユミルがソロリとその場に降ろすと、流石に暴れ出すことなく腰を下ろす。
行儀よく足を揃えて床に座る姿は気品が見え隠れする見事なものだったが、その視線はタブレットに釘付けで、虎視眈々と襲いかかろうとする獣のようだった。
ミレイユはそんなルチアへ見向きもせずに、上下に動かしていた指を二人に向ける。
「今の内に着替えてきたらどうだ? 服も汚れているし、着た物は洗濯して返すのが礼儀だろう」
「……そうね。ほら、汚したのはアンタなんだから、責任持って洗って頂戴」
「いや、あれは明らかにユミルさんに非がありますよ。誰に聞いたってそう言いますよ」
「はいはい、分かったから。さっさと行くわよ」
「ちょっと、何で一々持ち上げるんですか! 自分で歩けますよ!」
ルチアの抗議は無視して、やはり両手を脇の下に入れて持ち上げ、箱の中に連れ去っていく。再び静かな環境を手にしたミレイユは、息を一つ吐いて、改めて検索作業に戻った。
暫くして、洗濯も終え着替えも済ませた二人が帰ってくると、唐突な質問で動きが止まった。ゆっくりと質問の主に視線を向ければ、恐縮しきった様子で手を振っている。
「……いま何て言ったんだ?」
「いえ、安心して下さい。別に連れ帰ろうとか思ってるんじゃないんです。ただ単純な好奇心で、一体どんな見た目をしているのか気になっただけで! ホントにそれだけです」
ミレイユは痛みを堪えるような顔をして、とりあえず頷く。
「ああ、そこは別にどうでもいいんだが。車の中の生物っていうのは、どういう意味だ?」
「ですから、あれを動かすには、馬以上に力がある生き物が必要じゃないですか? 馬以下の大きさの動物なり魔物が、あの中に入って動かしていると考えないと、説明がつかないじゃないですか」
「ああ、そういう……」
「なので、どういう形状をした生物が入っているのか、是非教えて欲しいと思いまして」
瞳を輝かせて答えを待ち望むルチアの後ろには、同じような表情をしたユミルがいる。気づけばアヴェリンでさえ、気になる素振りを見せている。
何か大いな勘違いと大いな期待をしているようで心苦しいが、望む答えは返してやれそうもなかった。
「乗り物と言えば動物に引かせるのが当然という考えから、その答えに行き着いたのは理解できる。だが、車の中に動物はいない。動力はエンジンであり、ガソリンだ」
「動物で動かしてはいない?」
「じゃあ、そのガソリンという魔道具を使うの?」
二人の表情を見れば、まるでピンと来ていないのは良く分かる。もしもミレイユ自身が同じ立場なら、同じような反応になるだろう。
具体的な原理まで行くと専門的知識が必要になるし、子供が理解できるような内容に噛み砕いた説明をしようにも、その知識がミレイユにはない。車弄りを趣味にしている訳でもなければ、工場勤務をしていた訳でもないのだ。
「……技術的進歩に差がありすぎて、とても説明できない。ただ、そうだな……。これを見てくれ」
ミレイユは手早く検索エンジンに単語を打ち込み、自動車が造られる工程の動画を再生した。くるりとタブレットを反対に向けてルチア達に画面を見せてやれば、それに釘付けになった二人がタブレットに躙り寄って来る。
機械のアームが左右それぞれ二つ、別個でありながら複雑かつ滑らかに動いて組み立てて行く様は、実際その視線を縫い留めるに十分なインパクトがあった。
車の外枠を溶接し、塗装をし、各種パーツを人の手で埋めていく様子を音楽と共に見せていく。動画の時間は三分。実際の工程より多くの部分を省いて紹介されているのだろうが、それでも自動車という構造が如何なる物かを知るには十分な内容だった。
動画の再生が終わり音楽も止まると、ルチアは大きく息を吐く。息を止めて見入っていたせいで肩は強張り、吐いた息と共に下がった肩は僅かに震えていた。
「……これが車だ」
「いや、これではい出来上がり、とか見せられても、何が何やら……」
「何やら、というより、まず何から聞くべきか迷いますね。まず、何で音が出て、どこに楽士がいたんですか?」
「……そこからか」
困惑した表情は誰もが同じだったが、感じる困惑の種類は誰もが違った。
「そもそもタブレットが意味不明だわ。文字を読んでいたから本の一種かと思ってたけど、それですらないの? 遠方を覗く魔道具でもないワケでしょ?」
「何かが動いて何かが出来上がっていく様を、誰かの視界を通して見せられた感じです。でも人の視線でもなかったような……。不思議ですね、実に不思議です」
説明を求める視線がミレイユを射抜く。そこから続く説明に対する説明、そして新たに生まれた疑問に対する説明と、ミレイユは果のない探究心にほとほと参った。
答えられる質問には答えたが、ついには匙を投げ、言われるままに検索エンジンに単語を入力する機械と化した。そうして数時間が経過した頃、ミレイユはタブレットその物を投げた。
放り投げられたタブレットを、脅威の瞬発力でユミルが掴み取る。
「――ちょっと、何するのよ! まだ知りたい事が沢山あるのに!」
「気をつけて下さいよ! 叡智の宝庫を投げ出すなんて、貴女正気ですか!?」
「私はお前たちの育児ママじゃないんだよ。知りたいのなら、自分で調べろ」
「分かったわ。……そうね、自分で調べるわよ、ママ」
「自分達で調べるので、ちょっと退いて下さいよ、ママ」
遂にはミレイユを押しやって二人でソファを占領し、見様見真似でタブレットを操作していく。日本語の入力など出来ないと高を括っていたが、高い学習能力を持つ二人の手に掛かれば、既に必要十分以上の学習をしたらしい。
興味のある単語を打ち込んでは、やいのやいのと盛り上がる二人を余所に、ミレイユは小箱へと手をかざす。こうなっては梃子でも動かないだろうし、動かそうとすれば暴れるだろう。
ミレイユは小箱の中へ退避する前に、二人向かって一つの命令を残す事にした。
「好きにすればいいが、元々私が何を調べたかったか教えておく。お前たちはそれを引き続き探し出し、調べ上げろ」
「あら、いいわよ。楽しそうね?」
「そそる内容じゃないですか」
不敵に笑うユミル達へ言葉少なに言い渡した。
「必要なのはアキラに対し機嫌を取るような方法だ。あくまで、この世界の基準に則った方法のな。お前たちが思うような方法ではなく、あくまでこちらの」
強く念を押して言うミレイユに、二人は何事もないように頷いて見せる。
「楽勝ね。まぁでも男なんて、抱きついて甘い言葉の一つでも囁いてやれば、それでご機嫌になると思うけど」
「事実だったとして、それ誰がやるんですか」
「別にいいわよ、アタシがやっても」
「フード嫌われ事件を前にして、よくそんなことが言えますね」
「……はァン?」
ぐるりと首をひねり回して睨み付けるユミルに、敢えて無視してタブレットを操作し続けていたルチアは殊更上機嫌を装って画面を差し出す。
「ほら見てください。自分で自分の機嫌を取る方法、大人の女性の処世術らしいですよ」
「なに馬鹿な事調べるのよ。アタシの機嫌が急直下したのは、間違いなくアンタのせいだからね」
タブレットを奪い取って新たに語句を入力していくユミルは、視線は画面に向けたままミレイユにひらひらと手を振った。
「ま、とにかく調べておくわよ。気楽にお待ちなさいな」
「今の一連の流れを見て不安が増しただけだが……。まぁいい、よろしくやってくれ」
「お任せあれ」
ミレイユはアヴェリンに一度顔を向けると、頷いて箱の中へ身を投じた。
後には直ぐにアヴェリンも続いて来る。
そうして自室で過ごす事しばし。
自らが旅の中で集めた書籍を眺めていると、ユミル達二人が駆け込んできた。
何事かと顔を上げてみると、パソコン初心者がよく言う台詞を投げつけてくる。
「何もしていないのに壊れたわ!」
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