行動方針 その1

「ちょっと待ってよ……。そんな額に手を当てちゃうほど嫌なの?」

「私が誰かの上に立ちたいと、一度でも言った事があったか……?」

「そりゃないけど……でもアンタ、あっちじゃ将来的にオミカゲ様として上手くやれる、っていう実績があるじゃない。……まぁ、上手くやる為には苦労もあるでしょうけど」

「だから、こっちでも上手くやれって? 同情はするが……、流石に私の手に余るだろ……」


 そう言って、ミレイユは額から手を離してかぶりを振った。

 神という絶対者による統治は、それが健全であり平和であるなら尊びもするし歓迎できるものだろう。だがこの世界における実情は別物で、民を病から護るかと思えば戦争は止めないし、時に個人を救う事はあっても、村を滅ぼしたりする。


 矛盾に満ちた存在で、それは火事や地震といった災害と同様、頼るべきというより畏怖すべき存在と見做されている。

 時として神像や祭壇へ祈りを捧げる事で回避できるから、通り過ぎるのを待つしかない災害と勝手は違うが、話が通じるという事実がまた事態を厄介にさせていた。


 伺いを立てず敬わなければ、実際に被害が及ぶ。

 現世においても、古代や中世では、天候や季節に対して伺いを立てるような風習はあった。農作物の出来や狩りの成否に関わって来るので、当時はその先読みに真剣だったし、読める者は敬われた。


 だが、こちらの世界はで神の胸三寸だ。

 真剣に祈っても成果が上がる訳ではないが、敬いを捨てれば被害に遭う。常に首根っこ掴まれて、その視線や顔色を伺って生きるのが、この世界の常識なのだ。


 現世を知って、肩肘張らずに安穏と生きていけるというのは、彼女達からすれば実に魅力的に映った事だろう。同じ事を、こちらの世界でも実現できれば、と願うのは分からないでもない。

 しかしそれをミレイユに託されても、困るとしか返答しようがなかった。


 ミレイユの顔が難しく顰められたままでいるのを見て、ユミルは切り口を変える必要があると気付いたようだ。その視線を他の二人に向けて、それぞれに指を向けて言い放つ。


「アンタ達からも何か言ってやってよ。私の意見に賛成派でしょ?」

「それはそうだが……」


 アヴェリンはむっつりとへの字に口を曲げ、ミレイユへ労るように見つめた。


「ミレイ様は既に一つ、オミカゲ様から託されたものがある。お前から聞かされた時は素晴らしく思えたし、私自身、我を忘れてしまったが……。そちらの片が付かない限り、あるいは片付く目処が立たない限り、新たに背負って頂けるものではあるまい」

「一理どころか、三理も四理もありますね……」


 ルチアが幾度か頷いて、ユミルに諦めるよう勧めた。


「これはアヴェリンさんの言うとおりですよ。いきなり何もかも話を進め過ぎです。一つずつやって行きましょうよ。私達は失敗できないんです。……正確には、失敗するとやり直す破目になるんですけど。とにかく、慎重に行く必要があります」

「それにはアタシも同意するけどね、その慎重論の結果が、先のオミカゲサマ失敗の原因じゃないかと思うのよね。彼女は確かに上手くやったし、慎重にコトを運んでいたように見えた。……でも、失敗した。最初から慎重派だったのか、途中から切り替えたのかは分からないけど、でも同じ轍を踏めないというなら、ここから変えていくのも悪手ではないかもしれない」

「――つまり、まず思いつかない選択肢を選ぶ、と」


 ミレイユは難しくさせていた顔を、更に険しくさせて重い息を吐く。

 どちらの言い分が正しいと、断じる事が出来ないのが難しいところだ。

 オミカゲ様は慎重派だった。だからきっと当初からそうだったろうし、アヴェリンを喪って失意の中にあった故に、更なる喪失を避ける為に慎重に動いていた、と言われたら納得出来てしまいそうになる。


 だが同時に、激しい怒りを覚えて自暴自棄になっていた筈だ、と思い直す。

 いつだったか、実際自暴自棄になっていて、神々との対立で汎ゆる面で失敗した、という様な事を言っていた気がする。むしろ慎重派へと鞍替えしたのは、千年前の現世へ逃げ出してからなのかもしれない。


 だが違う事をやろうと思っても、多くの事を無駄にした、という話しか聞いていないので、そもそもどう動けばになるのか分からない。


 だが、どちらにしてもユミルの言う事は性急すぎ、また受け入れるには困難だった。

 神を討滅する、残った神の上に立つという目標が、どれだけ高く無理難題か、敢えて言う必要すらない。


 神を押し退けて頂点に立ったとして、人の世も混乱する、という話も出た。

 簒奪だと騒ぐ者たちもいるだろう。全てを納得させる必要があるかどうかは別として、納得させるだけの材料がなければ、神殺しの汚名だけを着せられて排斥される事になってもおかしくない。


 ユミルはミレイユとルチア、二人の表情を眺めて、それから困ったように眉根を下げたが、すぐに頷いて腕を組む。


「でも……そうね、確かに性急過ぎたわ」

「あら、素直ですね」

「強制させるものではないし、強制されたと思われたくないもの。考える時間は沢山ある。これからどう行動するかについても、考えなくてはならない事も多いワケだしね。――そこでアタシのいち意見としては、慎重論は推したくないって感じかしら?」

「それはやっぱり……オミカゲ様の件があるからですか」

「それだけじゃないけど。そもそもとして、安全策は切り捨てて考えるべきだと思うから。安全マージンを取った行動でループを抜け出せるなら、とっくに抜け出して終わっている筈でしょ?」


 ユミルに続いてルチアも腕を組んで首を傾げる。


「そこについては異論ある……というか、何を言っても反対意見は出そうなものです。何をして失敗したのか、どこまで良い感じに食い込んだのか、その知識が無いんですから。きっとこうだ、で行動した結果が、幾度も繰り返す時の流れを生み出してそうですし」

「下手に考えると、抜け出せなくなるジレンマね……。これだと思う反対を選べば良い、という単純なモノでもなし……」


 ですね、と返事して、ルチアはかっくりと首を落とした。

 実際これはユミルの言う通りだ。何か少し捻った程度で抜け出せるというのなら、――何百と繰り返していると仮定して――とっくに抜け出せている筈で、こうして悩む必要もなかった。

 だとするなら、大きく捻れば良いのか、と思えば……大きく捻りすぎた方策は大抵失敗するのが世の常だ。


 だが、まず何か一つ目標を定めなければ、それに向かって進めない。

 このループを止める、という大目標の下に、その為の小目標を設けるとして、ではそれをどうするか、という問題になる。


「一度に多くを考えては足が止まるものだろう。まず一つ、確実としておきたいところがある。何をするにしろ、私達の目標は神だ。もっと言えば対面する必要がある」

「でも、相手側から姿を見せる筈ないですよね」

「命を狙われてると感じてるかは知らないけど、どちらにしても姿は見せないでしょ。そんなメリットある? 伝えたいコトあるなら、使者を寄越せばいいんだし」

「そうですよね。じゃあ、神の所在地を探すのが目標、って事になるんですかね?」


 そこでまた重苦しい沈黙が場を支配した。

 神との対面を願う者は多い。というより、熱心な信徒は対面を願うものだ。それが夢枕のようなものであったり、瞑想の果てであったりと手段は様々だが、実際に対面が叶ったという話は驚くほど少ない。


 直接的な対面が叶った例も皆無ではないが、それは伝説に残るような偉業を為した時であったり、あるいは歴史の転換期に起こるようなもので、願えば可能であるというものではなかった。

 宝くじのように、いつでも可能性だけは存在している、というのとは話が違う。


 それでも願わずにいられないのが信者というものだろうし、歴史の転換が今だと盲信して願う信者もいる。動機は様々だろうし、その熱心ぶりをどうとも思わないが、ミレイユ達がそれを行う訳にはいかない。


 仮に夢枕で出会えたら、むしろ問題だ。

 敵意を悟られれば二度と姿を現さない。それこそ雲隠れしてしまうだろう。

 そこまで考え一言、雲、と呟いた。


 一度見上げて見るが、繁った葉のお陰で空は十分に見えない。ぽっかりと空いた小さな葉隠れの空には、小さな雲が流れては消えていった。


「……神々は、どこに居ると思う」

「そうねぇ、どこと言われたら……。空の向こう、という事になるのかしらねぇ……」


 ユミルもまた、困ったように眉を顰めた。

 ミレイユと同じ様に首を上げ、しかしチラと見てすぐに戻す。

 そんなユミルを見て、アキラは不思議そうに首を傾げた。


「どこにいるか分かっていないんですか? 神様と言ったら僕は神宮とか奥宮っていうイメージですけど、海外では神殿とか……やっぱり雲の上とか、神の国に住んでたりするんですけど」

「まぁ、そうよねぇ……。神の領域っていうのがあるとされていて、それが神の国と言えるかもしれないけど……。アタシは疑わしいと思ってるのよね」

「そうなんですか? 神の領域なんてものがあるなら、やっぱり別の次元とか空間とか、そういう所に住んで暮らしてる……なんて想像しちゃいますけど」


 そうね、とアキラへ頷いて、ユミルはしかめっ面で眉間を揉む。

 それから気怠げに視線を上げて、ルチアの方へ顔を向けた。


「アンタはどう思う? アタシは真実の場所を隠す為のブラフって思ってるんだけど」

「その神の領域ってやつですか? ……確かに、別次元や別空間って言うのを想像してましたし……特に疑問に思わずそういうものだ、と考えてましたけど」

「アンタでもそうなの? すっかりそういう認識が定着してるのね」

「逆に、ユミルさんがそうではない、と考える根拠は何なんですか?」


 ユミルはそれには答えず、ミレイユへと顔を向けた。

 何かを期待する視線ではない。事実を確認するような目だった。お前は知っているか、と問いかけるような目だったが、生憎とミレイユ自身も知らない事だ。


 ルチアが言うように、神がそれぞれの領域を持っていて、そこに暮らしていると思っていた。神それぞれの特色を示した空間で、そこで思い思いに過ごしている。

 そのような記述をどこかで読んだ覚えがあり、それ以上の事をミレイユも知らない。


 現世と繋げる孔がある事だし、次元や空間を飛び越えたどこかに暮らしていたとしても、それは別段疑問にも思わない。

 だからルチアに同意するつもりで、その視線には頭を振ったのだが、ユミルは落胆する素振りを見せて頷いた。


「じゃあ、アタシの根拠を述べるわね。提示できる証拠はないから、推測も多分に混じるけど、とりあえず聞いてちょうだい」

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