決意と表明 その10

「さて、一つは問題が片付いたワケだけど……」

「まぁ……そうだな。厄介な一部分は片付いたと言えるかもな」

「そうよね。そこで次にアンタが神として立つコトを……」

「――待て。それを混ぜっ返すな。折角、流れたと思っていたのに……」


 ミレイユは溜息を零しながら、顔を顰めた。

 そもそもが神という立場に魅力を感じないミレイユからすると、なってくれと言われてなるものでもない。チームのリーダーぐらいはやるし、時として隊を率いるくらいはしても良いが、国王すら飛び越えた位に就きたいとは思わない。


 御子神としての立場くらい気楽ならば良いが、端から見ていてオミカゲ様の苦労を知っているミレイユからすると、同じ事をしてくれと言われて頷ける訳がないのだ。

 だがユミルは、それに構わず身を乗り出す。その瞳は決して逃さぬ狩人の目をしていた。


「何でよ。いいでしょ、やってよ」

「そんな頼み方があるか。子供のお使いじゃないんだぞ」

「ですが、ミレイ様……」


 しかめっ面で、にべもなく断ったというのに、簡単には引き下がる気もないのはユミルだけではなかった。アヴェリンは申し訳無さそうな顔をしていたものの、しかし諦めるつもりだけはないようだ。


「人々が神の奴隷などと申す気はありません。争いが絶えないのも多くは人間のエゴが原因で、それを止めるのは神の役目ではないと理解しております。しかし、扇動となると話は別です。人が正しく生きるには、正しく見守る神がいる。ミレイ様ならば、それに相応しい存在ではありませんか」

「そうは言うがな……。私は神になりたいとも、人の上に立ちたいとも思った事はないぞ。神が魂を拉致するというなら、それは止めたい。地上を盤面に人で遊んでいるというなら、それも止めたい。場合によっては力ずくでも。……だが、それで引きずり降ろして成り代わるというのは、全く別の話だ」


 かつては三年暮らした世界だ。

 それなりに愛着もあるが、第二の故郷というほど強いものでもない。自身の現世への帰還を捨ててまで、この世界に尽くしたいとは思えないのだ。


 彼女らにしてみれば、現世は便利で楽しい世界なのだろうが、やはり故郷はこちらであり、骨を埋めるのもこちらが良いのだろう。

 帰還を果たしたとなれば、こちらで再び生活していくビジョンも浮かんだ事だろう。そうなった時、現世では感じなかった神の脅威というものを肌で思い出した。


 アヴェリンは必死な顔をして続ける。


「我が部族に限った話ではありません。ただ獲物を狩って生きるだけでも、簡単なものではない。時として一番良い獲物を捧げる事もありますが、それを苦と思いません。しかし、欲しい肉でなかったと勘気に触れる事はあります。それで被害が出る事も。今となってはそれに思う所もあります……」

「それはまぁ……、畏怖と尊崇を同時に求めた結果なのでしょう、と思ってしまいますが」


 同情するように瞳を向けたルチアが言った。


「信仰は大事ですけど、敬意を持たれ続けるというのは難しいですから。でも、何かしら神罰めいた演出を出せば、畏怖を受けとるのは簡単という訳でして……。どこの神も似たような事してますよ」

「だが、オミカゲ様はそんな事しておられなかった。民の庇護、病魔からの守護、子育て守護、そして数々の施設や教育の促進、数え切れぬ程の利益をもたらしていた。抑えつけ従わせるのではなく、背中を支え、そっと見守る。なればこそ、あれ程の尊崇と繁栄があった」

「そうねぇ……。たった千年であれでしょ? 神々が文化と文明を停滞させているとはいえ、四千年変わりない生活をしているコトを思えば、やっぱり羨ましくなるわ」


 このデイアートでは文明の繁栄があったとしても、それは一定以上の成長を見せない。

 高度な文明社会は築かれず、産業革命のようなブレイクスルーは起こさないものだ。それは神々が統治するには邪魔になるから、いわゆる愚民政策と似たような事が行われている。


 アヴェリン達は思ってしまうのだろう。

 もし、神の横槍や暴走がなく、地上に生きる者が思うように発展していたら……現世の日本のような繁栄もあったのではないかと。


 人は争うものだし、神の代理という大義名分の下に暴走する輩もいる。小さな火種が原因で、国家間の戦争に発展する事も珍しい事ではない。

 そしてそれが必ずしも人間が原因ではなく、本当に神の画策だと分かるから、アヴェリンなどは平穏に過ごせない、と感じるのだろう。


「ゲームセンターや遊園地なんて気の利いた娯楽施設はないし、車や電化製品みたいな便利な品物も生まれて来ない。神々がそれを許さないワケ。でも日本では、知恵は専有されてないし、スマホなんていう誰でも共有できる知恵の箱まで自由に持てる。束縛のない世界って、あんなに生きてる実感を持てるのかと思ったものよ」

「……分かります。エルフは原因があって虐げられていましたけど、その原因だって遥か昔のものです。その風潮を維持させていたのも神々だし、その神に赦しを得ようと祈りを捧げていたのが、かつてのエルフです。最終的には、その解放も成された訳ですが……」


 ルチアはそう言って、ミレイユに感謝の視線を向ける。

 どうにもむず痒くなって視線を逸したが、暖かな視線は変わらずミレイユの頬に当たっていた。

 アキラが虚を突かれたようにルチアへ顔を向け、何気ない事のように聞く。


「ルチアさんが人を快く思っていないのは漠然と分かってましたけど……。それって元はといえば、神の所為だったんですか?」

「そうですよ。虐げられるようになった原因はエルフの方にもあったので、そこについては何も言いませんが、それを風化させず維持させたのは神々です。何千年も前の事を、人間がいつまでも煩く言うのは、一重にそれがあったからです」

「ヒトは判り安い敵が出来て団結できて幸せ、神はエルフの祈りを受け取れて満足、そういう寸法でしょ。いずれ赦される、と言質があればこその信仰と祈りだった筈だけど、長く続けば当然という感じで、今更感あったのよね……」


 人種差別を始めとした、様々な問題と、それと戦ってきた現世の歴史を知るからこその感情だろう。神の一声は何よりも重い。神がそうする、と言えばいずれ叶うと確約されたようなものだが、それがいつとは指定しなかった。


 エルフはいずれ来る約束の時まで、辛抱強く祈りを捧げるしかなかった。それまで差別や酷遇を耐え忍ぶ事を求められたが、神からすればそれこそが狙いだったのだろう。

 アキラは不快なものを見るように、ユミルへ目を向ける。


「でもそんな、今更感なんて言い方……」

「いやぁ、今更だったのよ。大っぴらに敵視できるのがいれば、勝手に団結するでしょ? 放っておけば勝手に戦争始めるのが人間ってやつだしさぁ、その風潮が長く続きすぎて、取り消せないまでに浸透しちゃったのよね」

「もはや神の一声だけで払拭できるものでも無くなってました。勝ち取れ、さすれば与えられん。それが神から受けた最後の言葉です」

「最後、というのは……?」

「別にいなくなったとかじゃありませんよ。単にどの信徒からも声が届けられなくなったし、受け取れなくなったというだけです」

「え……、それって約束を反故にしたって事じゃないですか?」


 アキラが呻くように言うと、ルチアは苛立たしげに頷く。


「全くの反故でもないです。勝ち取れ、と言った様に、エルフが勝てば正当性を主張して擁護してくれたでしょうから。だから、負けた側が更なる反撃をして来ようとしても、抑えつけてくれたと思いますよ」

「あぁ、いや……。だとしても……」

「そうですね。エルフ側の心情では、赦しを得られると同時に、それまであった全てが公平になると思っていた訳ですから、結局ハシゴを外されたようなものです」

「それで、戦った訳ですか」


 それまで難しく皺を寄せていた眉が、その一言で八の字を描く。

 自分自身、それを告白させられるのは嫌だと思っているようだ。知られたくないとは言わないが、ルチアが直接口にするのは憚られる。

 それを敏感に察知したアヴェリンが言葉を続けた。


「戦えと口で言うのは簡単だが、実際の被害を考えれば、そう簡単に踏み出せるものではない。元より兵力差は二十倍とも、それ以上とも言われていた。蓋を開ければ更に多かった訳だが……、それで簡単に戦端を開こうと思えないのが普通だ」

「それはそうですね……。でも、確か……勝ったみたいな話を聞いたような?」


 アヴェリンは大いに頷く。その顔には大いなる自信と誇りが満ちていた。


「その話を聞いて、味方についたのがミレイ様だ。圧倒的な戦力差を知っても尚、そのお気持ちに変化はなかった。私にも共に戦えと仰った時には、胸が震える心地がした」

「アンタ、負け戦が好きだもんね」


 ユミルが揶揄するように言えば、アヴェリンは鼻に皺を寄せて反論した。


「負け戦を勝ち戦に変えてこそ、武勇というものだろうが。勝てる戦いに勝ったものとは比較にならん……!」

「その辺の是非は置いておくとしても、これの重要なところはね……。勝てなければ、永遠に汚名は雪がれないってトコにあるのよね」

「神様は味方してくれないんですか?」

「励ましや労いくらいはあったかもね。でも、戦力的な補充をしてくれたり、有益な情報を教えてくれたり、という援助は絶対にない」


 アキラも思わず同情的にルチアへ視線を向け、その視線を鬱陶しそうに振り払い、ルチアはミレイユの方へ顔を向ける。


「ミレイさんは当然のように言ってましたけど、そもそものエルフ排斥の風潮に異を唱えるのは普通の事じゃありませんでした。負けると分かっている戦いに挑む者は更に少ない。元より少ない味方は更に減り、馬鹿な真似はするな、という向きに考えが傾いていました」

「それは……分かる気がします」

「ですが、動かなければ永遠の差別を約束されたも同然でした。誇りを賭けて戦うか、それとも長い雌伏の時と言い聞かせて蹲るか、その選択を迫られたのです」

「そして、ミレイユ様の助力があって勝つ事が出来たんですね」


 ルチアは大いに頷く。


「エルフは誇りを取り戻し、そしてエルフ差別撤廃の意識が一夜にして広がります。これは神々とは別の、エルフ達が立ち上がり反撃した事に対する認識の変化から来たものです」

「前に、この子が神のように拝められてるって言ったでしょ? それはエルフをやる気にさせて、先頭に立って戦ったから来るものでもあるのよ」

「だから、もしミレイユさんが神に弓引き、自らが天に立つと言えば、きっとエルフは味方するんじゃないですかね? というか、立たせようと喜び勇んで躍起になりますよ」

「それはまた、この場で聞きたくない台詞だったな……」


 ミレイユは額に手を当てて溜め息を吐いた。

 求められても困る、それが本音なのだが、この世界の不自由不平等さを知っている身からすれば、助けてやりたいとも思ってしまう。


 神が梯子を外す様な真似をしたのは、それこそミレイユを昇華させる為に用意した、いわゆる『イベント』だったのかもしれないが、だとしても今のミレイユにその実績が重く伸し掛かっている。


 この件に関するルチアが向ける尊崇の念は、普段アヴェリンが向けてくるものと同質で遜色ないものだ。それがエルフ社会全体から向けられると思うと気が滅入った。

 貧しい時では幾らでも感謝しても、豊かになれば忘れて傲慢になる。彼らもそうだと、むしろ嬉しいのだが……。

 そう思いながら、ミレイユはもう一度溜め息を吐いた。

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