決意と表明 その9

「――そう簡単に認められる訳がないだろうが! 何を命令するか分かったものじゃない!」

「だから、何度も言ってるでしょ。必要なコトで、それしないと意思を挫かれるんだから。気を抜いた瞬間、その場にへたり込んだりされたらどうすんのよ」

「確かに、いずれ神々と対峙する時までには必要な措置と認めよう。その時になって戦えないでは困るし、下手をすると我らを攻撃してしまう可能性すらある。だがな、やるべきは決して今じゃない筈だぞ!」

「だから、それが間違いなんだって。神々はあの子の帰還を知ったんだし、あの場に留まり続けているなんて考えてもいない。きっと捜索を続けているでしょうし、今この瞬間だって安全だとは言えない。遠く離れるより前に、捕まったりしたらどうするのよ?」

「安々と捕まったりなどするものか、それは過剰な不安というものだ! 何が来ても押し返せる。最悪でも逃げ出すくらいは出来るだろう!」

「へぇ、でも奴らだって本気なら、アタシ達さえ手に余る輩だって来るかもよ?」

「簡単に言うがな! 我らを下せるような相手は早々いない! 一体どこから連れて来る気だ!」


 放っておけばいつまでも続きそうな言い合いに、ミレイユもいい加減飽き始めて来たところだった。アキラも二人をつまらなそうに見ていたし、ルチアも呆れて新しくお茶を温めて、ミレイユに手渡して来た。


「いつまでやってるつもりなんですかね、あれ。ミレイさんが一言やめろと言えば、それで終わるじゃないですか。いい加減、話を纏めてくださいよ」

「そうは言ってもな……。心の整理に時間も欲しい。結構、勇気がいる事だぞ。誰かの支配を受け入れるというのは」

「相手がユミルさんっていうのも、また考えさせられるポイントだと思いますけど……。でも実際、悪用なんてしないと思いますよ。お酌する事くらいは要求されるかもしれませんけど、悪戯の域を超えた事をすればどうなるかなんて分かり切ってますよ。だから、心配する程の事でもないと思うんですよね」

「……そうなんですか?」


 いい加減二人の近くで罵詈雑言を聞くのも耐えかねたアキラが、近くに寄って来て首を傾げた。

 ルチアは不愉快そうに眉根を寄せ、それから諭すように言う。


「命令が絶対だからこそ、その扱いは重要だって話ですよ。信頼を預けた相手なのに、理不尽な命令をするっていうなら、それはつまり裏切りですから。悪戯の範囲で命令しても、度が過ぎれば笑えないですし、同様に数も多ければ不興を買う。アキラだってそうでしょう?」

「そうですかね……。それがオミカゲ様からの命令なら、どれだけ理不尽でも変に思ったりしないかも……」

「だから、その信頼が問題だって話ですよ。心を預けた相手の命令なら良いとしても、それで不徳であったり悪徳であったり、不義であったりした内容は嫌でしょう?」


 アキラは眉根を寄せながら頷く。


「それをユミルさんがするかもって話ですか?」

「しないですよ。する訳ないじゃないですか。でも、その可能性を内在させる事が、アヴェリンは嫌がってるって話で」

「……ユミルさんの事、信頼してるんですね」

「勿論、信頼してますけど、それとはまた別の話です」


 そう言って、ルチアは二人を――とりわけアヴェリンへ視線を向ける。薄く微笑を浮かべ、それからユミルへ狩人が獲物を見るような目を向けた。


「ミレイさんに悪さしたら、私とアヴェリンが許しませんからね。笑って済ませれる内容でも、顎で使うような命令が頻繁に起きれば制裁します。……想像できませんか、怒り狂うアヴェリンさんの姿が」

「ええ、それはもう……分かる気がします」


 アキラも二人を見つめて、ぶるりと身体を震わせる。


「私だって許しませんよ、その時は容赦しません。それが分からぬユミルさんじゃないし、ミレイさんを想う気持ちは一緒だからこそ、そんな事はしないと分かるんです。互いに背中を預け合える間柄を、そんな馬鹿な事で失いたくないですもの」

「それは、確かに……。やりそうとは思っても、実際にはやらないでしょうね」

「アヴェリンだって理解してますよ。そうせざるを得ない状況っていうのも。だから、あれはまぁ久しぶりのじゃれ合いって事なんでしょう」


 ミレイユが頭の中で整理していた事は、全てルチアに言われてしまった。

 結局のところ、命令権があるとはいえ、それを行使する事は最初の命令以外ないだろう。その能力と共に生きてきたユミルだからこそ、使われた相手の心境を理解している。

 軽々しく扱うものでもないし、催眠と違って永続するからこそ、その扱いには慎重になる。


 眷属にする事もまた安易に行うべきではないと思っており、世界を離れた後ですら、アキラを眷属にする事には難色を示していた。

 彼女にとって禁忌というほど重いものではないが、軽々しく扱うものでもない。ユミルはそれをよく理解している。


 だから命令も軽々しく行わないし、その内容も慎重に吟味して施される筈だ。

 ミレイユが二人の鍔迫り合いに目を向けると、ちょうど二人も目を向けてきたところだった。


「ほら、アンタが納得するなら、あの子に毎晩愛の言葉を囁くよう命令してあげるから」

「……ほっ、本当か!?」


 アヴェリンの瞳が動揺で揺れている。

 そこから目を逸らし、ルチアへ目を向ければ、半眼になって心底呆れたような表情をしていた。きっとミレイユもまた、同じ様な表情をしているだろう。


「前言撤回します。今ここで氷漬けにして封印しませんか?」

「そうだな、諸共地の深くまで沈めてしまおう。神々とて音を上げるような封印を施してみせる」


 その声音から本気具合が窺えたらしい。

 二人は慌てて傍までやって来て、特にアヴェリンは膝を付いて縋るように顔を向ける。


「ち、違うのです、ミレイ様! 決して甘言に乗るつもりではなく、本気でそのような言葉を吐いたのか、という怒りをぶつけたのであって、決して私は……!」

「そうよ、アタシが冗談でそんなコト言うと思う? 有り得ないわ。時と場合を選ぶわよ」

「言うと思うし、選ばないと思う」

「というか、実際言ってたじゃないですか」


 ミレイユとルチアが共に半眼のままに言えば、ユミルは乾いた笑い声を上げて、それから直ぐに別の言い訳を述べ始めた。どうやら簡単に非を認めるつもりはないらしい。

 アヴェリンは祈るようにミレイユの手を捧げ持って、言い訳のような許しを請うような発言を続ける。


 既に場が混沌としていたのに、そこへ凄惨さが加わって、もはや手のつけようがない有様だった。少し自由にさせ過ぎたのと、あまりに不甲斐ない様を見せたのが悪かったのかもしれない。

 彼女らがミレイユへ向けるに敬意には、些かの衰えも見せないが、しかしユミルはそれまでの重い空気を一掃するのに、敢えて振る舞いを変えた気がする。


 ユミルの支配を受け入れる事、ユミルの眷属として生きる事、それは実際簡単な事ではないのだが、簡単な事として済ませてしまう方が良い場合もある。

 結婚は勢いが大事とも言う。これは結婚ではないが、勢いのまま行動しなければ、いつまで経っても同意する事はないだろう。あるいは膨大な時間を必要とする。


 大神が直接出向くような事はないにしても、例えばその腹心にも、同じように逆らえなくされている可能性はあった。

 いずれ眷属になる事は必要で、決定事項でもある。

 神々へ対抗しようとするのなら、後は早いか遅いかの違いでしか無い。


 ミレイユは二人へ威嚇するように、一度ごく小さく魔力を放出した。

 それで二人の声がピタリと止まる。

 ミレイユの手を握っていたアヴェリンは恐る恐る手を離し、それから沙汰を待つ囚人のように頭を垂れ、ユミルも一切の表情を消してただ視線だけを向けた。


「ここで下手な言い合いを許したのも、私が不甲斐ない所為だろう。最初から音頭を取って、制御していれば、こんな馬鹿騒ぎになる事もなかった」

「いいえ、違います、ミレイ様。全ては私の不徳といたす所です。如何様にも処罰を」

「私のことを思っての事だろう。行き過ぎた思いでもあったろうが……利益や安全を考慮するなら、まず私の精神調整へ介入は必須だった」


 アヴェリンは頭を上げぬまま、ただ頷く。


「私が即座に頷けなかったから、お前は私が乗り気でないと判断した。気持ちを代弁するつもりで、しばしの猶予を作ろうと、理由探しをしてくれていた」

「ハ……、勝手なことを、真に……」

「謝るな、私は感謝しているんだ。私の心に寄り添い、よく私の代わりに動いてくれた」


 そう言って手の甲を額近くへ差し出すと、アヴェリンは感激の面色でその手を包み、自分の額に押し当てる。


「勿体ないお言葉です……」

「全ては私の意気地がなかった事が原因だ。必要な事なんだし、手早く済ませてしまおう。……腹を括れと、誰かさんに口汚く発破をかけられた事だしな」

「そうよね、誰かさんはいつだって言葉が綺麗で頼りになるのよ」


 ユミルが皮肉げに笑みを浮かべて小首を傾げた。

 それを合図としていたかのように、アヴェリンが額から手を離す。手の中にある壊れ物を、そっと置くように手を離すと、その一直線に向けられる視線に頷く。


 それでユミルの方へ目を向けてやれば、アヴェリンと場所を入れ替わって、同じ様に手を握った。アヴェリンと同じように膝をつき、額ではなく口元へ持っていく。

 その唇が触れるような距離まで近付いて、改めて視線を向けてきた。


 言葉はない。

 だが本当に良いのか、という最終確認をして来ているのだと分かった。

 それに頷くと、ユミルは親指の先端部分に歯を立てる。カリッと音がして、すぐに指先から血が流れた。ユミルは唇を当てているが、血を吸ってはいない。


 一度だけ指を口の中に加えて、その傷跡をちろりと舌先で撫でたのが分かった。

 すぐに指は口から離され、そしてアヴェリンから伸びてきたハンカチで指先を拭ってもらう。浅い傷で、すぐにでも血は止まりそうだった。


 アヴェリンは恐れ慄くような、口に指先を含んだことを憤慨するような、血を取り込んだ事を羨ましがるような百面相を見せる。思わずそちらに目を奪われてしまい、自身に何が起きているかなど、思慮の外だった。

 ユミルは膝を地面から離し、簡単に土を払って元の倒木に腰を下ろす。


「続きは三日後ね。それで変容する筈だから、その時に命令するとしましょう。文言はアンタが決めてちょうだい。一緒に考えるでも良いけど、そっちの方が安心でしょ?」

「そこのところは今更不安に思っていないが、大神への抗いをやめない、で良くないか?」

「いいと思うわよ。大神へ反抗心を強く持つ、でも良いと思うし。そこはより強く心に刻まれる文言が良いわね。それを考え定める時間と考えれば、まぁ三日は遅くもないでしょ」


 そうだな、と頷いて、アヴェリンから開放された指を見る。

 綺麗に傷つけてくれたらしく、治った後も歪んだりしなさそうだった。変容と一口で言っても、未だ実感は湧かない。あるいはそれが分かるのは三日後かもしれない、と思いながら、憎々しい視線をユミルに向けつつ腰を下ろすアヴェリンを目で追った。

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