魔力と鍛練 その7

 その日の鍛練も終わり、夕食も済ませて食後の一服を楽しんでいた時、アキラが改めて箱庭に入ってきた。


 いつものように一緒にと思ったのだが、アキラもあまり連日で誘うと恐縮するし、ルチアを始めとして嫌がるメンバーもいる。だから一度、食事をさせる為に帰していた。

 アキラにしても使わないと腐らせてしまう食材は冷蔵庫にあるだろうから、実際頻繁に誘いすぎても迷惑になるのかもしれない。


 ミレイユ達はダイニングから場所を移動し、談話室に入る。

 テーブルや椅子は勿論あるが、部屋の一角には背の低い柵のような手摺りに囲まれていて、その中は基本的にクッションに身を預けて座るような空間になっている。


 椅子はなく、上品そうなカーペットのみが敷いてある場所だった。

 その上で壁を背にクッションへ身を預けるもよし、大きなクッションに寝転がるもよし、というより砕けた姿勢で寛ぐ空間として用意されている。


 アキラをその中に招きながら、ミレイユはお気に入りのクッションが置いてある場所へ一番に辿り着く。そのクッションに背を預け、下品にならない程度に足を伸ばした。

 アヴェリンはいつもミレイユの隣に座るので、更にその隣にアキラが座り、そのアキラの隣をユミルが選んだ。隣りに座ったのがユミルだと分かると、アキラは明らかに怯んだが、口や態度で拒否を示しても、どうせユミルは従わない。それを分かっているから、嫌そうな顔をしてもそれ以上は何も言わなかった。


 ルチアはアヴェリンとは反対側、ミレイユを挟み込むようにして座る。彼女は特別決まった位置というものを持たず、その日の気分で場所を選ぶ。今日のところはミレイユの横にしたようだ。

 アキラからより遠い場所を選んだ、というようにも見えたが、それは流石に穿ち過ぎだろう。


 全員が揃ったところで、別に改まって話すような事もなかった。

 ユミルが言っていた魔力総量の鍛錬法も始めるにしては早すぎるし、やるならやるで、こんな場所は選ばない。単にアキラを含めて親睦を深められたらいい、という程度の気持ちだったから、ミレイユとしては適当に始まる雑談に混ざろうというつもりでいた。


 そうして実際、ユミルが一番最初に取り留めもない会話を始め、アキラにちょっかいを掛けていく。それをアキラがあしらい、時にアヴェリンに助けを求めつつも袖にされ、そうしてミレイユがそれを見ながら笑うという展開が続く。


 そうして時間が過ぎて暫く、ルチアが何か飲み物を用意すると席を立った。それを見送りがてら、アキラが何気ない口調で言った。


「今日も魔力……というか剣の鍛練というか、そういう基礎的な訓練をしていて思ったんですけど」

「ふん……?」


 別に不満があるような物言いではなかった、しかし敏感に反応したアヴェリンが眉を上げた。


「何か気になる事でもあったか」

「気になるというか、なんか惜しいというか、そんな気分になってしまいまして」

「惜しむ? 惜しむ程に失う事なんか、この鍛練の間にあったか?」

「いえ、この鍛練は凄く有意義だと思いますし、魔力に慣れるにつれて実力が伸びている実感も湧いています。でも、その魔力に慣れるにつれて、やっぱり思ってしまうんです」


 そこまで言って、ユミルは察したように流し目を向けた。それからアキラの肩に手を置いて、小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


「アンタ、パッと見じゃ分からない内向魔術より、見た目が分かりやすくて派手な魔術が使いたいって思ったんでしょ」

「いやまぁ、身も蓋もない事を言えばそうなるんですけど……。でも、今の内向魔術に不満があるっていう意味じゃありませんよ!」


 アキラが力説して、アヴェリンも眉に寄せていた力を抜いた。

 ミレイユとしても、アキラの言いたい事は分かる。これは別に世界が違ったところで変わらない価値観だろう。単に武術の延長として見られがちな内向魔術より、様々な魔術を駆使して戦況を盛り立てる外向魔術の方が見栄えする。

 自分もそうなりたい、と思うのは不思議な事ではない。

 しかし――。


「アンタ自身、無理そうだからって自分から諦めたんじゃない」

「それはそうなんですけど……」


 ユミルの指摘に、消沈するように頷いた。

 現在に不満がない、というアキラの気持ちに嘘がないのは、ミレイユとしても理解している。しかし魔力の扱いの習熟と共に、もしかしたら、を考えずにはいられないのだろう。


 魔法使いというのはフィクションにはありふれた存在で、ファンタジーを扱うコンテンツならば必ずそれか、あるいは近しい存在が登場する。

 時に主人公として、時に主人公を支える名脇役として、映画や漫画、テレビなどで見ては、その活躍を目にしてきたのだ。

 実は自分にも可能だ、と分かってしまえば、それを手にしてみたいと思うのはむしろ自然だった。


 だがやはり、そこには習得の難しさ、そして習得してから実際に使用する難しさが壁になる。

 覚えたからとて、誰もが使える訳ではない。

 そして使ってみようと点穴を開き、そして自分には無理だと思っても、そこから内向魔術に再び転向したら、点穴一つ開けただけ弱体化した自分に戻るだけ。


 そして内向魔術士として突き詰めていくと、点穴一つ分の負担というのは、決して小さくないのだ。それでむしろ使い勝手が良くなったアヴェリンなど、例外中の例外でしかない。


 今はただ夢見ているだけ、夢見がちな状態だ、というのがミレイユの感想だった。

 まだ入り口に立っただけ、これから魔術を深く知るにつけ、自分の無理解、不勉強を知れるだろう。そうした時、改めて挑戦したいというならいいだろうし、自分には向かないと内向魔術を突き詰めて行くなら、そうした方がいい。


 決めるのは自分だからミレイユから何を言うつもりもないが、しかし一つの興味としてどのような魔術を使いたいと思っているのか、それだけでも聞いてみようという気になった。


「それじゃあ、一つ聞かせてくれ」

「ミレイユ様……?」


 何か期待めいた視線を向けてきたので、ミレイユは笑って手を振り、そうではないと否定しながら続けた。


「例えば、お前ならどんな魔術を使いたい?」

「あら、それって確かに気になるわねぇ」

「でも、どんなと言われても……ミレイユ様とか、そんなに魔術見せてくれてないじゃないですか」


 突然の指摘に焦ったような態度を見せるアキラだったが、その言い分もまた真っ当に思えた。どう言ったものかと考えているところに、各種飲料を持ってルチアが帰ってきた。

 手には一応、落としたら拙いカップなどを持っているが、ワインのボトルやティーポットなど重たいものは魔術で浮かせて連れてきている。

 それらをテーブルに一通り並べて、あとは好きなものを自分でどうぞ、というスタイルだった。


 ミレイユにだけはルチアも自分の席に座るついでに持ってきている。

 コーヒーを好んで飲むが、別に他のものには目もくれない、という訳ではない。あるものは基本的に何でも飲む。今回はルチアが最近ハマりだしたミルクティーだった。

 世にはミルクが先か後かで論争が発展するらしいが、そこに拘りを持たないミレイユは、素直に受け取って口をつける。


 隣のルチアも一口飲んで顔を綻ばせていて、茶葉も決して安いものではないのだが、この笑顔が見られるなら安いものだと思えた。


 それぞれが好きな飲物を持って元の席に戻るのを皮切りに、再び話題が魔術に戻る。

 部屋に戻って来たばかりのルチアにも簡単に経緯を説明し、それで小さく笑ってアキラを見た。


「それは興味深いですね。……一体どういう魔術をお望みで? 高望みじゃないといいですけど」


 その言葉には若干の棘があったが、事実でもあった。かつて、己の力量を弁えず身を滅ぼした魔術士は幾らでもいる。この質問一つで、その傾向が垣間見えるかもしれない。

 アキラは若干の気後れを見せつつ、頭を捻って腕を組んだ。


「さっきも言ったんですけどね、どういう魔術があるか、魔術でどういった事が引き起こせるのか、その辺からしてサッパリで……」

「口にするだけしてみればいいですよ。よほど馬鹿な事じゃない限り、おおよそ人が想像出来るような事は出来ると思っていいですし」

「そうなんですね、それじゃ……」


 安心して息を吐いたアキラは、若干恥ずかしい表情をしながら口を開き――、そして部屋の空気を凍りつかせた。


「僕、空を飛んでみたいです」

「……ん?」

「……聞き間違い?」


 誰もが視線をアキラへ集中させ、訝しむような表情を見せた。

 アキラとしても、このような反応は予想外だったのは、その表情を見ればよく分かる。これは倫理観や価値観の違いというより、完全に常識の違いだろう。

 笑い飛ばされた方がマシだった、とその顔に書いてある。

 そこへユミルが、ワインのグラス片手に胡乱げな視線で問いかけた。


「……なんで空なの?」

「いや、何故と言われても……。飛べたらいいなぁ、と思っただけで……」

「まさか、よほどの馬鹿な発言を聞けるとは思いませんでした」


 辛辣な言葉はルチアからだった。馬鹿にするというより、恐ろしいものを見るような目をしていた。

 アヴェリンも似たようなもので、そこには無知を責めるような、呆れるような目を向けるだけで、何か言おうとはしない。

 ミレイユはこの中で唯一アキラの気持ちを代弁できる人間で、だから場を取り成すように大袈裟な身振りで手を振った。


「アキラは単に知らなかっただけだ。……それに、こっちの世界じゃ魔術士だとか魔法使いは、空を飛ぶと決まっている様なものだしな」

「――そう! そうです、物語によっては魔法使いじゃなくても空を飛びますし、フィクションじゃありふれた設定なんです」


 アキラも一瞬で死んだ空気を取り戻そうと必死だった。

 迂闊な事を言ったとはいえ、まさか軽い雑談から、そのような反応が返ってくるとは思いもしなかっただろう。その気持ちはミレイユにもよく分かるから、助け舟を出すのに苦労はなかった。


「そう、非常にありふれた設定だ。魔術が出るなら、空を飛ぶモノも同時に出る。そういうものだ」

「え……? 飛ぶの、魔術士が? ――飛ばないでしょ」

「あくまでこっちの常識だ。魔術士がいないから、そういう妄想をこじらせたというだけで、例えば箒に乗って空を飛ぶ姿というのは非常に一般的で……」

「箒? 何で箒に? ……あ、掃除用具とは違う意味のホウキですか?」

「いや、その箒だ」


 ユミルから、そしてルチアからと、奇異なものを見る目で質問が飛んだ。最終的には拒絶に近い反応が返ってきて、特に箒の件は決定的だった。

 理解不能の単語を羅列されたかのような塩梅で、視線の中にも拒絶の意志が感じられた。

 その空気はもはや修復不可能で、アキラも相当に参った表情で頭を掻いた。

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