魔力と鍛練 その8

「……いや、まさかこんな反応されるなんて思わなくて……。精々、悪くても自分には無理だとか馬鹿にされる程度だと……」

「まぁ、そう考えるのが自然だろうな……」

「でも、なんで空は飛ばないものなんですか? 人類だって空を飛ぶ事を夢見て飛行機作ったんですし、そういう考えって自然に生まれて、だから魔術でやろうってなりそうなものですけど」


 アキラの疑問は最もだった。ミレイユは首肯し、胸の下で腕を組んではどう説明したものか悩んだ。


「……そうだな、まず空――というか天は神の領域だ。飛ぶというなら、そこへ無断で侵入する事になってしまう」

「土足で他人の家に入ってしまうようなものですか?」

「不法侵入よりも、むしろ不法入国の方が近い。何も盗らなければ軽い罪で済むが、国への侵入はそういう訳にはいかない」

「それは……なるほど。じゃあ神様は雲の上に住んでるんですか? あるいは空に浮かぶ島があるとか?」


 アキラの疑問にユミルが呆れて声を出した。死んだ空気は幾らか弛緩したが、しかし呆れる色はより濃くなったように思う。ルチアの視線も柔らかくなっているが、それでも珍獣を見るような目つきで、友好的とは言い難い。


「アンタって、まるで子供のような事を言うのねぇ。子供だって弁えていれば、そんなコト言わないけど。――いいこと? まず、空を飛ぶっていう行為事態、神以外には許されないの」


 ユミルは指を一本立て、ワインのグラスをくゆらせた。


「宙に浮き、空を飛ぶのは神の権能。何者にも冒されない、神の権利なのよ。だから、神以外がそれの真似事をすれば、つまり神への冒涜に繋がるワケ」

「冒涜……、空を飛ぶことが?」

「まぁ、許されるのは精々、地面から浮くぐらいのもので、走る速度以上で動いても駄目」

「厳しいんですね……」


 アキラもアキラで、空を飛ぶ事に、そのような制約があるとはおもわなかっただろう。どこかの台詞に、空は誰のものでもない、という言葉があった。空は自由だ、とかそういう美辞麗句を飾って感動を誘うようなシーンもあった気がする。


 領空というものがあるので、実際のところどこまでも好きに飛べる訳でもないし、そういう意図を持った台詞でないのだとしても、人は確かに空にロマンと自由を求めるものだ。


 日本で暮らしていれば、そういった言葉は一度くらい耳にした事があるだろう。

 アキラもまたそういう軽い気持ちで、もし出来たらいいな、と思った程度なのだろうが、実際に神がいる世界において許される行為ではなかった。


「神がどこに住んでいるのか、それは誰も詳しい事を知らないが、恐らく空に住んでいる訳ではないだろうな」

「そうなんですか?」

「雲の上で寝転んだり、空に浮かぶ島に住んでいる訳でもないのは確かだ。……いや、どうかな。もしかしたら、島かどうかは分からないが、空の上に住んでいるのかも」


 ミレイユが思わせぶりな台詞を言ったが、即座にユミルから否定された。その視線には隠そうともしない呆れが見え、隣のルチアからも同様の視線が向けられていた。


「あるワケないでしょ。神が逆撃を喰らうような可能性は残さないわ。万が一にも手出し出来ない場所にいるんだから、空の上なんて手出し可能な場所に住むもんですか」

「でも、地上を見下ろす時にだけ、単に足場として用意してるなら理解できそうな話じゃないですか?」


 ルチアの指摘にユミルは首を傾げ、それから何度かワインをグラスの中で転がした後に頷いた。


「有り得ない話ではないかもね。神は基本的に別次元に住んでいるとされるけど、地上に降臨する事もあるし、そういう場合、一時的に身を寄せる場として用意するなら地上よりも空を選ぶのかも」

「お前の言う、万が一にも、という話が本当なら、だから空を飛ぶ事も禁忌指定されたんじゃないのか」

「そうね……、そうかも。ま、とはいえ考えても仕方ないわね、こんなコト」


 ミレイユの指摘に笑って答えて、ユミルはグラスの中のワインを飲み干す。

 実際、この世にいない神について考えを巡らせても仕方ないというのは同意する。しかし小さな引っ掛かりを覚えて気になるのだ。

 空を飛ぶ事を禁止し、神の権能として周知させてなお、どうして一つの魔術を残したのか。それがミレイユには気になって仕方がない。


「神は、鳥以外が空を飛ぶ事を禁じたが、空を飛ぶ魔術を禁忌と呼んだのは人が先だ。何故だと思う?」

「え、神様が直接禁じたんじゃないんですか?」


 ミレイユがアキラに顔を向けて言えば、アキラはきょとんと目と口を開いて返してきた。これまでの話を聞けば、そうとしか思えないのだろうが、実際のところ神は魔術の使用を禁じてはいない。

 ユミルが鼻で笑って、グラスにワインを注ぐ。


「それは欺瞞でしょ。禁じてはいないけど、使ったら死ぬっていうなら同じコトよ」

「え、なんですか、それ。酷いトラップじゃないですか……」

「トラップと言えるかどうか……。別に使った瞬間、爆発四散する訳でも、身体中から血が流れ出す訳でもない。ただ、飛ぶだけだ」


 それだけ聞いても分かる筈がない。飛べるというのに死ぬ、という部分が繋がらないのだ。しかし、使えば死ぬというなら胡乱な結果など与えず、さっき言ったように使用者は爆発する、という効果として造れば良かった。

 神にそうする力がなかったとは思えない、この飛行術を与えたのは神なのだ。


「えっと、よく分からないんですけど……。空を飛ぶ魔術は存在するんですか?」

「ですね。でも禁忌として使うことを許されず、また天は神の領域だから使用を許さないというだけで、魔術そのものは存在します。だから誰も会得してないと思いますよ。全くの無駄ですから」


 ルチアが詳しく答えてくれて、それでアキラも理解したように頷いた。

 アキラは確かに表面上は理解しただろう。

 必死に覚えても使ったところを見られたら殺されてしまうというなら、確かに会得するだけ無駄だと。人にも神にも見られた瞬間死刑を喰らうというのに、どこの誰が覚えようというのかと。


 しかし、それは事実と異なる。

 神は使う事を許したのであって、使った結果生き残る事を許さなかった。しかし、同時に確実に死ぬような魔術として作らなかった。人が人の為に作ったのではなく、神が人に与えた魔術だというのに。

 その矛盾にミレイユは考えずにはいられない。


「本当に単なる遊び心で神が与えた魔術だったのか? いつものように神が退屈まぎれに人に与え、死んでいく様を見物したかった、そういう類いの」

「それはそうでしょう。機転を利かせれば生き残る可能性を作ったあたり、正しく遊び心という気がするわね」


 ユミルの言い分こそが答えのような気がした。

 神は退屈を嫌い、いつでも娯楽を求めている。そこに空を飛びたがる人間に、飛べる魔術を与えるとどうなるか、それを見て楽しもうと考えた、という正解らしい指摘に飛びつきたくなる。

 だが、だとしたら、自分にもまた娯楽として楽しむ為に用意されたという事になる。


「実はだが、私はその魔術を使える」

「は!?」

「……なんて無駄なコトしてんのよ」

「ミレイ様、まさか使ってみたなんて事は……」


 流石にアヴェリンからも苦言が飛んだ。

 実際のところ、この魔術については深く知られていない。誰もが興味ないという訳でもなかったが、自由に飛べる訳でもない魔術に魅力を感じなかったという理由が一つ、そしてもう一つが、やはり神の悪戯だと思った者が多数だったせいだろう。

 だから、その内容を深く知らず、使えば死ぬと誤解している者が実に多い。


「何故使えるのかと言われたら、この箱庭を授けられた時、この世界の中央に置かれていたのが、その魔術書だったからだ。覚える必要はなかったろうが、あれば覚えるのが私の流儀だ」

「いや、だからって……」

「無謀にも程があると言いますか……」

「今後も使う機会がないなら、それでもよろしいですが」


 アキラを除く三人から非難に近い物言いをされて、ミレイユは思わず苦笑した。

 一度使った事実は言わない方がいいかもしれない。


「さて、何故ここで私がそんな事をわざわざ暴露したと思う」

「そうねぇ、何故かしら。アンタに限って自慢ってコトもないでしょうし」


 ユミルが顎の下に一本指を当てて、天井を見上げるように視点を上げた。


「ここに一人、空を飛びたいと夢見心で口にした奴がいたな」

「え? ……は!?」


 ミレイユの一言で、ユミルは得心がいったとばかりに笑顔になった。

 即座に立ち上がって逃げようとしたアキラの肩を掴み、クッションの上で固定する。


「いや、全然、全然飛びたくないです! むしろ僕は地上が大好きですから。愛していると言ってもいいぐらいですから!」

「あら、そうなの。じゃあ丁度良かったわね」

「何がですか!? 嫌ですって!」

「飛んだ後、いっぱい地面にキスしていいわよ」

「死ぬじゃないですか! それ死ぬやつじゃないですか!」


 アキラは必死に藻掻いてユミルの拘束から逃げ出そうとしたが、いくら内向魔術を鍛え始めたとはいえ、それだけでユミルに押し勝てるほど甘くない。

 がむしゃらに動くアキラに、ミレイユがアヴェリンへ目配せすれば、若干眉を下げたものの結局文句を言わずアキラの拘束を手伝い出す。


「――え、師匠!? なんですか、僕なにかしました!?」

「何もしてないが、ミレイ様がご所望だ。なに、死にはすまい。ミレイ様は遊び心でお前を殺したりしない」

「そうだぞ、お前を中途半端に鍛えておいて、飽きたから殺すとでも思うか?」

「それは思わないですけど……、でも死ぬやつなんですよね!?」

「馬鹿が使ったら死ぬってだけよ。別にそれは、結構他の魔術にも言えるコトだから、それが特別ってワケじゃないわよ」

「特別、悪戯心に満ちているだけです」

「イヤァァァァァ!!」


 ルチアの最後の弁明に、アキラは弓なりに仰け反って拘束を抜け出そうとしたが、この二人相手にアキラでは分が悪すぎた。

 ミレイユは外へ連れ出すように指示を出し、左右から拘束され、足を引きずったまま連行されて行くアキラを見送る。

 隣に残ったルチアを見ると、彼女もアキラの顛末を見届ける気になっているようだ。


「考えてみれば、その魔術の効果、私もよく知りませんでした。実際の効果をこの目で見るいい機会かもしれません」


 そう言ってルチアは微笑む。

 彼女が見せる笑顔は表情ばかりでなく空気まで輝き、まるで額縁に飾りたくなるような素敵な表情だった。

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