衝動変革 その6
ヴァレネオの忠誠と恩義に礼を言って、顔を上げさせる。
アヴェリンはその様子を見て、しきりに満足げな笑みを浮かべて頷いているし、そこで何か発言しようともしない。
ミレイユに対する正しい姿勢だと感じ入っているだけで、この妙になってしまった雰囲気を、払拭する手助けをしてくれそうもなかった。
とにかく、今は怪我人の治療と、魔術の転写を考えなくてはならない。単に転写するだけでは非効率だから、やはり神明学園でやっていた様に、それぞれと対面しながら手を握る必要がある。
そうする事で、単に魔術が使えるだけでなく、効率良い魔力制御を扱えるようにもなるだろう。
頭の中でソロバンを弾いてみたものの、それは到底今から実施できる事ではない。
日取りと段取りを付けて、混乱を起こさず終わらせなければ、どの様な騒動になるか想像も付かなかった。
昨日のことを考えれば、強い感情を揺さぶられて、洗脳が解ける者すら表れる可能性がある。
そんな事になれば、今度こそ目も当てられない。
「とりあえず、今日の所はルチアに行って貰うか。一流の治癒術を見る事は、それだけでも学びたい者には勉強になるだろうしな」
「……変に煽てても何も出ませんよ」
「そんなつもりで言ったんじゃない」ミレイユは笑って手を振る。「……とにかく、頼めるか。ついでに、治癒術に関心ある奴や、適正ありそうな奴の絞り込みもしてくれると助かるんだが」
「ほら、やっぱりそういうつもりだったんじゃないですか。……いいですけどね、別に。あまり得意じゃありませんが、見繕っておきますよ」
ミレイユは苦笑しながら礼を言って、出ていくルチアの背中を見送った。
本当なら付いて行きたいところだが、相変わらず机の上を占有する、書類の山を片付けてやらねばならない。これらの数も減って来てはいるが、逆に日々増えていくものもある。
ある程度解消しない限り、里を離れるのも憚られるし、だから少しでも解決しようと、それなりにやる気を見せなければならなかった。
随分長く手を止めてしまったし、今日は補佐が出来るルチアも他に回してしまった。ユミルは森に居ないし、とにかく手が足りない。
ミレイユは書類の一枚を引っ張り出して、やる気を絞り出しながら処理をし始めた。
――
しばらく仕事を続けていて、書類の一枚から魔術書の一文を見つけてから、ふと気になる事が頭を掠めた。書類の内容自体は些細なもので、魔術書の一部が事故で欠損したため修繕したい、というものだった。この村では数少ない魔術書だからこそ、疎かには出来ない。
了承のサインをして脇にどけ、それで思い付いた事を口に出してみた。
「……刻印か。あれも果たして、どうしたものだか」
「あれがどうかされましたか? ミレイユ様も、やはり気に食わないので?」
どこか期待する視線をヴァレネオは向けて来たが、ミレイユは別に悪意を持ったりしていない。単に便利なものだ、という認識でしかないし、必要と思えば身に付けても良いと思っている。
だから、ミレイユは顔の前で手を左右に振った。
「お前達が魔術を誇りに思う故に、刻印が気に入らないのは良く分かる。だが、私からしたら良く発明したものだ、という感想でしか無いんだよな」
「確かに我らは、誇りを思う故に魔術を尊重しますが、それだけではありません。あの技術は、魔術士を堕落させました。何もかも努力することが、正しいとも尊いとも申しません。しかし、ミレイユ様ならば、刻印の危うさはお気づきでしょう?」
そうと言われれば、思い当たるものがある。
努力をせず、望む結果だけ与えてくれる刻印は、実に便利だ。習得そのものがリスク、そして使うだけでもリスクが付き纏う魔術制御とは、それ自体が欠陥みたいなものだ。
引き金を引いて、弾丸が飛び出さない銃に価値などない。
暴発する銃であれば誰も使わないし、発射させるだけで十年の修練が必要と言われて、でも使いたいと思う人間は稀だ。その稀な人間が魔術士と呼ばれる存在だった。
だからこそ、畏怖と共に尊敬もされる存在であり、その感情を向けられるに相応しい存在でもある。憧れも多分にあり、だが遠くから見つめているしかない存在だった。
それが今や、誰でも欲しいと思えば手に入る。その技術は素晴らしいが、同時に制御に伴う技術と練度も置き去りにした。
誰もが便利、誰もが強くなったと思っているが、見せかけの強さでしかないものだ。だが同時に、適正を無視して魔術を使えるのは強みだし、修練期間を必要としないのも強みだ。
特に人間にとって、十年の月日は長すぎる。
そこを改善できたなら、と思わずにはいられなかったろう。そして実際、刻印の登場によって、それらの欠点を克服するに至った。
魔術の精髄を極めたエルフ達を押し込み、戦力の逆転現象すら起こした。
長々と綱渡りの様な制御をせず、無詠唱とは言わずとも、それに近いごく短い時間で使用が可能というのは、羨ましい程の強みだ。
しかし結局、内向術士として半人前のアキラに対し、多くの者が惨敗する結果になっていた。
あれこそが現実だろう。
ヴァレネオが憂う、堕落した魔術士としての現実が、冒険者ギルドに溢れていた。
「確かに遣る瀬無い。魔術士ギルドのギルド長も、お前と似た憂いを抱いていた。本物が居ない、と嘆いていたな。だから、私の姿を見て目の色を変えていた」
「なんと……。人間の中にも、その様な者が……」
ヴァレネオは目を丸くしたが、ミレイユからすれば驚くに値しない。
魔術への研鑽や熱意は、時としてエルフより強い人間など何処にでもいた。むしろ、エルフではないからと割り切った上で、そこへ近付こう、追い抜こうと躍起になる者までいたもいのだ。
そして、だからこそ、とも思うのだ。
エルフの敗北によって、城の中へと持ち込まれた魔術書は、その多くが残されたままとなった。追い落とされる事によって、置いて行くしかなかったのだ。
貴重な魔術書、魔術の真髄が書かれた魔術書も、その中にはあったのだろう。
そしてだからこそ、それを読み解いた人間が刻印を発明した。
「いつだって、新しい物を作り出すのは人間だ。長くを生きるエルフは、古き物を扱う事に長けているし、より深く扱えるよう研鑽も止めないが、新しきを生まない。お前達の研鑽の果てに、その新しき刻印が生まれる結果となった。お前が許せないと言うのは、むしろそっちの方じゃないか?」
「それ、は……っ!」
ヴァレネオの言葉が詰まり、喘ぐように口を開閉した。
図星を刺されたが、相手がミレイユでは否定も出来ないし、嘘も吐けない……そういう板挟みで苦しんでいる様に見える。
ミレイユは我ながら意地悪な質問をしたと思って、手を左右に振った。
「いや、今のは聞かなかった事にしてくれ。お前も……お前だからこそ、自分自身に強い不満があるだろう。己の敗北が、その刻印を生んだ様なものだと、その様に自責したんじゃないか?」
「は……、全く……仰るとおりで……」
ヴァレネオは力なく項垂れる。
無力を感じたというなら、城をたった一人の人間に奪い返された事に対してだろうし、その際に多くの戦死者を生んだ事に対してもも同様だろう。己の妻さえ、その時に亡くしている。
自棄になっても不思議ではなかった。
何もかもを喪い、それでも生きて、抵抗を続けて来たのは、守るべき民がいたからだ。その責任が、彼をここまで戦わせていた。
ミレイユにも、果たして同じ事が出来るかどうか……。
分裂しそうな部族を纏め、曲がりなりにも縫い留めていたのは、間違いなくヴァレネオの功績だ。そして彼の努力あればこそ、オミカゲ様救援の望みが繋がっている。
改めてその事実に気付いて、ミレイユは頭を垂れたい衝動に駆られた。
ヴァレネオとしては、ミレイユの感謝など受け取れないだろう。これまでの労苦については、既に労った後だし、だからこうしてミレイユが預かると宣言するに至った。
だがとにかく、今は消沈しているヴァレネオを励ましたい気持ちが強くなる。
言葉だけで気分が回復するものでもないだろうが、言わなければミレイユの気が済まない。
「そう落ち込むな、ヴァレネオ。神の詭計だ何だと言われても、お前は自責の念から抜けられないだろうが……。でも私は、お前を認めてる。お前は良くやったと、胸を張れと言える。……それだけでは足りないか」
「――いえ! いえ、決して! 不甲斐ない所をお見せしました。全く……、私はどこまでも情けない。ミレイユ様にお気を遣わせるなど……!」
ヴァレネオは顔を俯かせ、眉を掻く振りをして涙を拭う。
また余計な事を言ったかな、と自分の不甲斐なさに呆れつつ、気付かぬ振りをして別の書類に手を伸ばす。
アヴェリンもミレイユの傍で、何も知らない聞いていない、という素振りで窓の外へ視線を向けていた。
――外といえば、ユミルは大丈夫だろうか。
あれが潜入に失敗するとも、頼んだ事を失敗するとも思っていないが、しかし仕事に取り掛かっているかどうか、という部分には不安を感じる。
なるべく早く済ませるに越した事はないが、緊急性のある問題でもない。
それはユミルも理解しているので、到着初日は酒を飲んで寝よう、ぐらいに考えていても不思議ではないのだ。
彼女は決して、無能ではない。やるべき事を理解して、やる事は果たしてくれると信頼しているから、この仕事を任せた。
――信じてるぞ。信じてるからな。私だけは信じないと……。
いつの間にか信頼から期待へ、期待から懇願へ変わっている事に気づき、窓の外を睨む。
一日や二日で、完了できる仕事でない事は理解している。
一切の痕跡を残さずに完了させる事を思えば、慎重を期さざるを得ないだろう。欲しい情報の何もかも、順調に見つかるものでもない。
だが、出来ないや失敗などと言う報告が返って来たら、その時は覚えていろ、と腹の底で強い感情を巡らせていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます