衝動変革 その5

 その翌日の事だった。

 昨日の模擬戦では、ミレイユも相当手加減したと思っていたが、それでも怪我人は出た。特に鬼族は、自らが怪我を負う事などお構い無しに突っ込んで来ていた為、特に重傷度が高い。


 今は戦争も小康状態でしかなく、戦力が落ちるのは好ましくないという意見が出て、今は治癒に専念すべき、という声が上がっていた。

 では、そうすれば良い、と簡単に考えたミレイユだったが、それも簡単ではないと早々に知った。


「……いない? いないってのはどういう意味だ? 治癒術士くらい居るだろう? 誰もが得意でないにしろ、昨日程度の怪我なら癒せる術士はいる筈だ。……それとも、エルフはそれ程、魔術士の数を減らしたのか?」

「ハ……、真に汗顔の至り、申し開きも御座いません。古参の中には使えるものもおりますが、やはり歳に勝てるものではなく……。一日に使える量も、その効果も、芳しくないものがありまして……」

「今の若者に、治癒術士はいないと?」


 ヴァレネオは汗を拭いながら頷いた。

 最近では既に当然となりつつある、里長の屋敷、その執務室にミレイユは居た。そのつもりもないのに、詰問する様な形で質問攻めをしてしまう格好となり、ヴァレネオも相当参った顔をしている。


 しかし、ミレイユの混乱も正当なものだ。

 魔術と言えばエルフの誇りで、そしてそれを使いこなす事を何よりの誇りとしていた。どの様な種族であろうと、個人の出来不出来はあるから、エルフの全てが上級魔術を会得する訳ではない。


 扱える魔術の傾向にも違いは出るだろう。

 しかし、若者に使える者が皆無というのは、ミレイユを混乱させるに十分なものだった。


「それで、……えぇ。薬草などから水薬を作り、それで補っております。錬金術についても、それほど高度な能力を持った者がおらず、何とかだましだまし……といった所でして」

「何でそういう事になるんだ? 錬金術については畑違いだからと抗弁できるにしても、魔術については別だろう」


 ことの多くを魔術に頼っていたからこそ、錬金術を必要としていなかった、とも言える。それがエルフという種族だった。

 魔術を神聖視し過ぎているというか、誇りに思うあまり、他を下に見てしまっていた。それ故、魔術で解決できる事なら、それ以外には頼らない風潮があった。


 治癒などはその筆頭で、それこそ材料が無ければ傷を癒せない錬金術より、治癒術の方が早くコストも掛からない。完全な下位互換として、見下していたものだった。


 勿論、錬金術は水薬を作るだけの技術ではない。

 強力な武具を作る際には、その素材が持つ特性を高めたり、希少金属を作り出すのにだって役に立つ。その用途は様々で、使い方によっては魔術よりも有用な技法だ。


 しかし今や、エルフの若者に治癒術は使えず、使えていた者の多くは戦争で命を落とし、そして水薬を頼らねば傷の治療もままならない。

 皮肉というなら、これ以上の皮肉はない。

 彼らにも忸怩たる思いがあるだろうが、現実的に頼らねばやって来れなかったのだ。


 それはヴァレネオも十分理解している事で、しばらく言葉を吟味するかのように目を瞑り、やや時間を掛けてから口を開いた。


「ミレイユ様の御助力により、オズロワーナを奪取してからの事でございます。当然の流れとして居城へ移り、そこで生活する事となりました。必然として、かつて暮らしていた森から、数多くの物品も運び入れていたのです」

「それは、……そうだろうな。美的感覚の違いという以前に、残された家具を使いたくない、という心情も出るだろう」

「そもそもが森暮らし。相容れない部分は多かったのですが、それだけでは無いのです」


 ヴァレネオが悔恨に塗れた表情をしたので、余程強い理由があるのだろうと思った。

 彼らにとっては新時代。雌伏の時から、ようやく跳躍の時、と張り切っていた瞬間だろう。森を捨てるつもりはないにしろ、利便性の高いものなどは運び入れていた、と想像するに容易い。


 そうして、そこで漸く思い至る。

 貴重品の類や、あるいは重要度の高いものも、やはり同様に運び入れていた可能性が高い。

 それこそ、自らの誇りと同義の魔術書もまた、運び入れていた事だろう。管理も必要だろうし、目の届き難い森の奥地で、放置する理由はない。


「……そうか、魔術書もまた奪われた形になっていたのか……。だから若い世代へ伝授できる魔術にも限りがあり、使い手の乏しい魔術は、更に数を減らしていく事になった……」

「……まさしく、仰るとおりでございます」


 全ての魔術書を失った訳ではないのだろう。

 後々、再度集められる物とてある。だが、本当に貴重な魔術書というのは金貨数千枚を越える価値がある。魔術の秘奥が書かれている様なものもあり、それはまさしく、エルフ族の至宝と呼んで相応しいものでもあったろう。


 魔術とは、書を読み解かなければ習得できないものだ。

 口伝で伝えられる魔術というものにも限界がある。そしてルチアが相当な苦労をして結界術をモノにした様に、向かないものには、とにかく扱えないのが魔術というものだった。


 才能あふれるルチアでさえ、使いこなすのに相当な努力を要した。使えていたのは、ミレイユが持つ魔術の転写能力で習得したからであって、無理して習得したからこそ、習熟速度も牛歩の歩みだった。


 先達による教えがあるにしろ、その教え方が自分に向かない、という事もある。

 いつだかアキラに、魔術の制御方法をピアノの演奏に例えたが、やはり師弟関係や教え方によって合う合わないは存在する。


 全く技術が伸びなかった者も、講師を変えただけで見違えるように実力を伸ばした、という話は枚挙に暇がない。

 そういう意味でも、教える側の人数が少ない事は、本来は伸ばせる技術を封じる結果となっただろう。

 それをヴァレネオが知らない筈もないので、だからこその悔恨だった。


「……なるほど、事情は理解した。だが、そういう事であれば、ルチアは非常に心強い存在だろうな」

「えぇ……、その制御技術から見ても、実に稀有な存在ですから。エルフの中では羨望の的でして……。親として鼻は高いのですが、エルフの代表としては、不甲斐無しと溜め息を吐きたい気分でもあります」

「そこは素直に、娘を褒めるだけにしておけ」


 ミレイユとヴァレネオの二人から生暖かい視線を向けられ、ルチアは居心地悪そうに肩を揺らした。話を聞いた限りでは、ルチアが持つ治癒魔術の豊富さや、そして素早く行使する制御力の高さは、親の立場でなくとも心強い存在として映る筈だ。


 その技術を学びたい、と思うのは自然だが、魔術書が無いものについては教えようがない。

 しかし、それを解消するすべを、ミレイユが持っている。


「怪我の治療だけを見据えて言う訳じゃないが、その補佐は私がしよう」

「……ミレイユ様が?」


 ヴァレネオが怪訝に首を傾げ、ミレイユは泰然と首肯した。


「私には、自らが習得している魔術を、他者に転写する能力がある。適正がある奴には、それで使えるようにしてやれる」

「それは、真ですか!」

「適正を見るついでに、制御技術も見てやれるしな。場合によっては、飛躍的な技術力の向上も見込めるかもしれない」


 ミレイユとしては気軽な提案のつもりで言った事だが、ヴァレネオは天地が引っくり返ったかのような驚きを見せつつ、首を横に振った。


「その様な……! ミレイユに手解きして頂くなど、その様な無礼、させる訳には参りません!」

「気にするな。私にとっては慣れた事だ。……慣れたくはなかったが、こういう時の為だったと思えば、悪いものでもなかったな」

「まるで、自分に言い聞かせる様な台詞ですね」


 ルチアが笑い、アヴェリンが目を逸らし、ミレイユは苦笑した。

 何の気負いもない言動に、ミレイユが本気であると察したらしい。ヴァレネオは恐る恐る、という調子で聞いて来た。


「……しかし、本当によろしいのですか? それに、慣れた事、というのは……?」

「そうだな……。掻い摘んで言えば、姿を消している間、私は故郷に帰っていた。そこで教導の真似事をさせられていた訳だ。……だからまぁ、制御技術を教え整える事も、そいつに見合った魔術を転写してやれるのも、自然と慣れたというかな……」

「故郷……。そう……、そうでしたか……。なるほど」


 ヴァレネオは一人で何事かを納得するように幾度も頷き、そしてミレイユを見返した。


「それにしても、ミレイユ様、教師の真似事をさせたなど……。何とも不遜な者がいたものですね……」

「やはり、そう思うか?」

「当然でございましょう。ミレイユ様がどれだけの偉業を成し遂げたか知れば、その様な不埒な願い、申し出られる筈もございません……!」


 ミレイユは心底面白そうに笑みを浮かべ、それから意地悪そうな顔でヴァレネオを見た。


「私が起こした偉業とやらと、その価値を、最も知っていたのは間違いなくソイツだったろうな。そして、それを命じたのが、私の母……の様な者だ」

「御母上様……ッ!」


 ヴァレネオの目はこれ以上なく見開かれ、そして上げた声はまるで悲鳴の様だった。


「では、長らく姿を見せぬまま、こうしてまた戻って来られたのも、御母上様のご意思という事でしょうか……?」

「お前がどういう想像をしているか、非常に気になるところだが……それは置いておこう」


 ミレイユは浮かべていた笑みを困ったものに変え、胸の下で腕を組んだ。

 そうして一度視線を切り、窓の外へ顔を向けた。そこには溌剌とした村人たちの姿が見え、誰もが笑みを浮かべている。まるで憑き物が落ちた様にも見え、走り回る子供達にも笑みが絶えない。


 ミレイユはオミカゲ様の最後の顔を思い出し、それを努めて思考の外へ追いやりながら、改めてヴァレネオに話し掛けた。


「その様なものだ。……とにかく、私には慣れた事だし、今だけの事とはいえ、扱える魔術の数を増やしてやれる。治癒術士の不足も解消できるだろう。制御技術を見直せば、全体的な戦力の底上げも出来るかもしれないし、これからの戦闘で役立つだろう」

「大変有り難いことです……。しかし、本当によろしいのですか? 相当なお手を煩わせる事になりますが……」

「構わない。預かる、と言ったろう? お前の民は、私の庇護下にある。それに何も、お前達の将来を憂うばかりでする事じゃないからな」


 ミレイユが意味深そうな事を言うと、ヴァレネオは眉根を寄せた。

 その言葉の真意を悟ったルチアからは、得心の表情が返って来る。


「お前達にも、私を助けて欲しい。その為に、鍛えるつもりなんだ」

「無論……、無論の事です! ミレイユ様から、助けて欲しいと頼む必要はございません。命じて下されば、我らはきっと、お助け申し上げるのに力を奮い上げます! いつでも、何なりと、お申し付け下さい!」

「お前の忠誠は嬉しいが、そう簡単でもないんだ。敵は強大で……、言ってしまえば神に挑む様なものだしな」

「それこそ望むところ! 微々たる力でありましょうとも、決して失望させません!」

「お前の気持ちは、有り難く受け取っておこう。だが、昨日手合わせした感じでは、少し物足りなく感じる。その強化も含め、私が受け持つ。時間は潤沢に残ってはいない。……だが、今は待つ事しか出来ないからな」


 憂いを含んだ溜め息を落とすと、ヴァレネオは深くを聞かず頭を垂れた。

 

「貴方様に受けた恩は、計り知れません。他の種族の事まで勝手は申せませんが、エルフ族だけは決して貴女を失望させたり致しません。どうか、その際には我らの受けた恩を、返す機会をお与え下さい」

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