衝動変革 その4
テオに洗脳を施して貰ってから暫し――。
広場から離れ、森の中をアヴェリンとルチアを伴い歩きながら、未だ納得がいかないミレイユは、珍しく愚痴を繰り返し零していた。
詮無き事と理解していても、吐き出さねば収まらない気持ち、というものはある。
「いや、絶対おかしいだろ。私は悪くないよな?」
「もう何度目ですか、それは。分かりましたけど、悪いのが誰かとかいう問題ですかね? ……だとしても多分、ミレイさんが悪いんだと思いますけど」
「何故だ。あれぐらいなら、感謝一つで済ませばいいじゃないか。何でそれで、信奉なんて気持ちが湧き上がって来るんだ。あぁそう、助かる、ありがとう、ぐらいに思ってれば良いだろうが」
「その程度で済まないから、あんな事になったんじゃないですか。神を持てないっていうのは、それほど強い負担だったんですよ」
ルチアが忌々しく顔を歪め、そして同情する様に広場の方へ斜め見た。
今はその喧騒から離れてしまったが、ミレイユと行った模擬戦は、確かな興奮として彼らを盛り上げている。
ルチアとてエルフの一員として、かつて苦しい時代を生きていた。
最終的に見放された様なものだが、しかし常に縋り、身体を預け、心安らかになれる存在というのは有り難い存在だと知っていたものだ。
彼らにはそれすらも無い。
病毒からの保護、という実利的な恩恵も無く、だから森の民は常に誰かしら病に罹っている様な状態だ。
三千人も一箇所で暮らす者達がいれば、重病という訳でもないにしろ、誰かしら病を患っているのは避けられなかった。
だが本来、少しでも熱っぽいと思えば、信仰の恩恵から癒やされるのがこの世の常識だ。二百年前までは、エルフもその恩恵を存分に受けていた。
それを突然取り上げられたようなものだから、その恩恵を知っている身からすると、尚更不憫に思えてしまう。
生まれて年若い者達も、かつてはそうだったとか、森の外では恩恵を受けられると教えられていたかもしれない。そして知る毎に、その格差を羨ましくも、疎ましいものと感じていただろう。
何故、と考えなかった事は無かったに違いない。
そこにミレイユが答えを示した。そして、その不憫から救い、あるべき姿に正すと宣言した。事前に見せたミレイユの実力を思えば、決して夢物語ではないと感じられた事だろう。
それが全ての原因と言って良い。
「救いにも恵みにも感じられた、という事でしょう。彼らの中で鬱屈と溜まっていた感情が、そこで爆発したんじゃないですか?」
「それは分かる。これから村が良くなる、と嘯かれていた話に、現実味を帯びたのも事実かもな。それを信じたくなるのも、縋りたくもなるのも分かる。だが、どうしてそこで、信奉って発想になるんだよ……!」
「憤っても仕方ないでしょう。それこそ、古参のエルフが伝えてきた、『ミレイユ伝説』が下地にあった所為だと思いますよ。元から里では、いつか蘇る救世主、みたいな扱いをされてたみたいですから」
ミレイユは思わず両手で顔を覆う。駄々を捏ねる子供の様に、顔を左右に揺らした。
余計な事を、と罵る様な重い声が手の端から漏れ、次いで溜め息を零す。
かと思えば唐突に顔を上げて、ルチアを見てきた。
「これも……、これも神々の奸計という事は……!」
「ある訳ないじゃないですか。単にミレイさんが、ポカしただけでしょう。都合の悪いこと全て、神の仕業というな、ってアヴェリンも言ってました。もぅ……言わせないで下さいよ、こんな事……」
ルチアは呆れた視線も隠さず、辛辣に扱き下ろした。
ミレイユは胸に刃物を突き立てられた様な衝撃を受け、再び顔を覆ってしまった。
――彼女の気持ちも分かる。
それこそ、ミレイユは縋りたくなっただけだ。
自分は失敗を犯していない、不慮の事故だった、あるいは嵌められたのだ、と責任を別の何かに転嫁したかっただけだろう。
しかし改めて考えても――カリューシーの言い分を信じるなら――、ミレイユを昇神させるつもりがない神々からすれば、森の民の心の隙に入り込み、ミレイユを嵌める必要など最初からない。
その事実を改めて整理し、そっとミレイユの顔を伺う。
失敗は事実だ。大きなミスを犯したとも思う。
この世界に根を下ろす訳にはいかないミレイユとしては、自ら必要の無いタイムリミットを設定したようなものだ。
オミカゲ様と、彼女が作り上げた日本を――引いては、あの世界を蹂躙から救う為には、この世に縫い留められる訳にはいかない。
神々との対決や、そもそも世界を越える為の方策など、考えなくてはならない事は沢山ある。そして考えただけで解決する訳でもなければ、一足飛びに解決する問題でもない。
時間は幾らあっても足りないくらいなのに、その枷を自ら嵌めてしまった。
暗い表情を顔に落とすミレイユを見兼ねたのか、アヴェリンがおずおずと言葉を掛けてくる。
「ですが、ミレイ様はご立派でした。他の誰かが口にしたなら、一笑に付して終わりだったでしょう。ミレイ様のお言葉だから、彼らの胸に響いたのです。それは誇りとすべき事です」
「……そう、かもしれないが。私は尊敬されたい訳じゃないんだよ……」
「予てより、そうは仰っておりますが……。それがつまり、ミレイ様のご気性という事でしょう。俯向き、蹲る者には手を差し伸べずにはいられない……その様な主君を得て、私は誇らしい……!」
アヴェリンは胸を張って宣言する。
その様に思えるのは実に彼女らしく、また微笑ましく思えるものだが、今回に限って話は別だ。
ミレイユがアヴェリンに相応しい主君だと見えるのは確かだが、偉業の数々が――その一つ一つが彼女に対する枷となる。
何故ミレイユはあんな事を口にしたのか、と思っていたが……今にして思えば、これも『困難に対して立ち向かう意志』が、関係しているのだろうか。
よくよく考えてみると――。
余りに自然に、そして抑える意志すら芽生える事なく言葉にしていた様に思う。
それを思えば、これもまた精神調整された素体による仕業、と言えるのかもしれない。
――それを今更言っても、仕方ない事でしょうけど。
アヴェリンが励まそうと姿勢を傾け、ミレイユが素直に礼を言って微笑む。そうして表情を真面目な物に切り替えた。
ミレイユはオミカゲ様に、上手くやれ、と言われていた。そして彼女もやる気でいる。そのやる意志が萎えている訳でもないのなら、きっと成し遂げてくれるだろう。
エルフに対する恩人として、そして彼女を良く知る友人として、ルチアは最後まで共にいるつもりだ。
それは彼女から、旅の同行を求められた時から変わらない。恩というなら、受けた恩は幾つもあるが、しかしそれで見届けられなかったものもある。
ルチアは改めて、目的地へと目を向けた。
今こうして歩いている森の先は、墓地になっている。
戦争を続けて来た森の民は、死者の中に戦死した者も多く、そういう意味でも埋葬地を広く取る必要があった。特にエルフは寿命や病死で亡くなるよりも、戦死者の墓が圧倒的に多い。
ルチアの母も戦没者の一人で、森へ帰って来てからというもの、一日と欠かさず墓参りに来ていた。ミレイユと共に訪れるのは初めての事だが、今日は良い機会だからと、付いて来る事になったのだ。
墓守りがしっかりと管理している墓地なので、その様相は実に綺麗なものだった。
形としては墓石が地面に埋まっているシンプルな物で、その表面に名前や生年月日、没年月日が刻まれている。本来なら信仰する神のシンボルなども刻まれているか、あるいは墓標として立てられているものだが、森の民には持てないものなので、それらの形は見受けられない。
等間隔に四角形の石だけ地面の上から覗いている様な、実に味気ないものだ。
これもまた、救いを感じ取った彼らが切望する物の一つなのかもしれない。死した者に安らかな眠りを。それを保障してくれる――その様に信じさせてくれるのも、また神という存在だ。
生きる上でも、そして死した上でも救いがないなど、あまりに惨いと思うのだ。
彼らの感動は、この無機質さからの脱却を見られたからこそ、だったのかもしれない。
これを知っていれば、或いはあの迂闊な発言もなかったのかも、とルチアは墓前に花を添えながら思う。ミレイユとアヴェリンは横並びでルチアの後ろに立ち、思い思いの形で祈りを捧げた。
ルチアもやはり信仰するもの、それを形にするべき祈りの形を持たないが、つい最近まで良く見ていた形として、オミカゲ様へ祈る形で指を組む。
しばらく黙祷してから顔を上げれば、ミレイユも同じタイミングで頭を上げていた。
「ありがとうございます、ミレイさん。付き合って頂いて……」
「お前の母なら、そう無碍には出来ないだろう。……随分、遅くなってしまったが」
「いえ、そのお気遣いだけで十分です」
そう言って微笑み、ルチアは最後に魔力を制御して氷の結晶を生み出し、ダイヤモンドダストの様にキラキラと注いだ。
ミレイユは何をしているのだろう、と疑問に思う顔を見せたが、これがエルフ式の弔法なのだ。魔術に誇りを持ち、魔力を貴いものとするからこそ、こうして魔力を形としたものを捧げる。
「それにしても……命を奪った相手が、カリューシーだったとはな……」
「知っていれば、その首、お前に獲らせてやっていたものを」
ミレイユに続いて、アヴェリンもまた口惜しげに呻いた。
父から聞いた話では、エルフが覇者として君臨して間もなく、急襲された時に母は命を落としたのだと言う。
神の素体を相手にしたというだけでなく、ミレイユの邸宅から奪った武具を使っていた事から考えても、端から勝てる相手ではなかった。
しかし攻めて来た相手に抵抗せず黙っている筈もなく、有能かつ勇猛だった母は、果敢に立ち向かった。だが、魔力を防ぐ盾に完封され、結果……命を落とす事になったという。
エルフの様な魔術を頼みに戦うスタイルでは、圧倒的に相性が悪く、成す術も無かった事は容易に想像がつく。
その仇が目の前にいたという事実が、ルチアの胸を猛烈に掻き毟る。そして、実際に首を取ろうと思えば、可能な戦力差とタイミングでもあったのだ。
情報を聞き出す事を優先させていたし、逃げる素振りを見せるまでは殺すつもりも無かったが、ナトリアに奪われるくらいなら、という思いが募る。
――それもまた、詮無き事ですか。
情報を吐き出し続ける限りにおいて、殺してしまう訳にはいかないし、ナトリアにしても他の神々へ忠実であると示さない訳にはいかなかった。
あの時、ルチアがトドメを刺せる可能性は、殆ど無かったと言って良い。
ルチアが小さく息を吐いた時、自分がそうした様に、ミレイユは墓前へ魔力を氷晶として煌き落とす。
「何もかも、上手くいっていない様でヤキモキするな。――無論、いい様にやられてやるつもりもないが」
「当然です。ミレイ様は勝利者です。これまで常にそうでした。これからもそうであり続けます」
アヴェリンの自信に満ちた顔付きで断言されると、救われる心持ちになる。
ミレイユがそれに不敵な笑みを向けると、ルチアも墓前から立ち上がり、挑戦的な笑みを浮かべた。
「……ま、そうですね。上手くやっていたつもりかもしれませんが、それもここまでだって事、教えてあげましょう」
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