衝動変革 その3
ミレイユの一言は余程衝撃的だったらしく、周囲にはどよめきが走った。フレンは二の句が告げず、口を開け閉めさせていたが、そのうち戦慄く様に身体を震わせ、掴み掛からん勢いで一歩踏み出す。
「そんな馬鹿な! どこか一つの勢力に肩入れするなど! 神々は嫌な奴らだけど、ルールはルールだろう! 何処だろうと、どんな思想を持ってようと、攻め落とせたなら大陸の覇者だ! それを是としていたんじゃないのか!?」
「勿論、そうだ。いや……、そうだ、と思わせていただけだ。今回の件についても、デルンを保護してやらねばならない理由はないだろうが……」
「そうだろう!? 神が定めたルールだ、それを神から反故にするとは思えない!」
「それはそうだが、神の中にのみ存在する例外がある。それがつまり、森の民には許可しない、という理由に繋がるんだろうな。だから仮に、今回デルンを蹴落としたとしても、即座に別の勢力が取り返しに来る」
馬鹿な、とフレンは顔を歪めて、身体を震わせる。握った拳がメキリと音を立てた。
理不尽な事を聞かされて、理解できないせいもあるのだろうか。怒りを何処にぶつけるべきか、迷っているようにも見えた。
「でも、何故……!?」
「覇者となるのは誰でも良い。だが、平和主義者だけは駄目だ。もしも、お前達が怒りに染まって人間種を攻め立てよう、やられたからにはやり返そう、という主張を掲げたんなら止めないだろうな。……だが、森の民の主張は、そうじゃないだろう?」
「それが悪いって……? 誰もが戦争なく、奪われる心配なく、平和に暮らしちゃ悪いってのかい!」
「そうだ、神にとっては都合が悪い。戦争は起きていた方が、信仰を集めやすいからだ。虐げられれば救いを求める。弱者というのは、そういうものだろう?」
「ふざけ……ッ!」
とうとう辛抱利かず、掴みかかろうとしたところを、アヴェリンが割って入った。
フレンの腕を掴み、捻り上げて拘束する。そうかと思えば力を抜いて、すぐに開放した。軽く背中を押されてたたらを踏み、掴み掛かった時とは逆方向へ向く。
肩越しに振り返ったフレンの顔は、途方に暮れたように見えた。
「そんな事ってあるかい……。何の為に、あたしらは……。じゃあ、主張を変えて、人間どもを八つ裂きにしてやるって言えば、神は傍観を決め込むって……?」
「事実かもしれないが、そう簡単にもいかないだろう。一部の神からは、猛烈な反発を食らうかもしれない。大体、虐げられているというなら、現在の森の民は十分虐げられている。しかし今、縋る神もいなければ、捧げる信仰を受け取る神もいない」
「あぁ、そうとも……。それってつまり、貴女が言った事は間違ってたって……」
それこそ、その論調に縋りたいところだろうが、事実は異なる。
ミレイユはゆっくりと首を左右に振った。
「――お前達は見捨てられたんだ。神々にとって不要と判断された。デルンを落とせないのは、そういう理由も含まれる」
「馬鹿な、馬鹿な……!」
フレンは勢い良く振り返り、身振り手振りで否定する。
その感情は理解できるが、神々はそうとしか思っていないのは明白だった。
何故なら、この森に住む数千の信仰とて、決して捨てて良いものではないからだ。ここまでで十分、それ以上は必要ない、と考えるものでもない限り、神々は常に信仰を欲する。
ここに誰の手にも染まってない、空白の信仰があるのなら誰かしらの神が手を差し出し、そして甘い言葉でも囁いて信仰を自らに向けさせるだろう。
それをしていない、という事実が、つまり何よりの証拠だった。
願力という思いの強さは個人に差が出るし、より強く虐げられている種族は、それだけ救われたい気持ちが強いだろう。満たされた種族より強い信仰を得られると分かっていて、それを求めない理由が、神々にもない筈なのだ。
それがまさに、一度神を捨てた奴ら、という者に対する仕打ちなのだろう。
一度捨てたなら二度目もある。そういう感情から来るものに違いない。過去より森に生きるエルフはともかく、新たに生まれた獣人などからすれば、全くの被害者でしかないのだ。
だが神々は、不安要素の大きい信仰はいらないと判断した。
そうと考えなければ辻褄が合わない。
とはいえ、当時のエルフにも、エルフなりの事情があった。
信仰を捨てるには、それ相応の大きな理由なくして、起こる事ではない。信仰を捨てたのは、それだけ大きな変革があったからだが、神々からすれば関係ない話だろう。
ここでどの様な論説を垂れ流そうと、それは憶測に過ぎず証拠もないのは確かだ。
しかし、これまでの長い時間、森の民を見捨てて来た事実は消えたりしない。
周囲で固唾を飲んで見守っていた観衆も、今や最初にあった熱気は消え去り、フレン同様途方に暮れたような顔をしている。
長い時間を森で生き、そして生まれるよりも前から同様の生活をしていた彼らにとって、現在の不遇というのは実感が薄いものだろう。
しかし、親から聞かされて育ってもいたのだ。
いつか必ず、オズロワーナを攻め落とし、今の生活を終わらせる、と。彼らの親より上の世代は、それを思い描けど、叶わぬままに世を去った。
その無念を晴らす、とまで大きな思いを抱く者ばかりではないが、いつか自分達は、と思い描くものはあった筈だ。それを頭から否定されたのだから、彼らの消沈ぶりは見るに堪えないものだった。
「だが――」
ミレイユは分かり易く両手を広げ、努めて明るい声音で語りかける。
「私がそれを許さない。私が森に帰還したのは、それを正す為だ」
「え……?」
沈んで俯向きかけていたフレンの顔が上がる。そこには縋るべきものを見つけた、信者の様な顔付きに見えた。
「神々に鉄槌を。神々に報いを。私が必ず、それを与える。そしてやらねば、森の民はいつまでも不遇から抜け出せない。だから、待て。順番こそが重要だ。……まずは神々、それからデルンだ」
「ミレイユ、様……」
「私はやり抜く。もう少しだけ待て。世に平和を、平等を。素晴らしい主義じゃないか。それを捨てて人間を虐げる側に回るなど、先人の奮戦に泥を塗る行為だ。私を信じて今は待て。……今もまだ、信じられるなら」
「ミレイユ様……ッ!!」
フレンは感涙に咽び泣いて、その場に膝を付いた。
神へ祈りを捧げる時の様に、両手の指を絡めて握り、頭の上へ持ち上げる。
フレンがそれをやれば、同じ様に後へ続く者が現れる。まずエルフの古参が続き、それから年若いエルフ、そうして獣人族や鬼族も真似る様に膝をつく。
アヴェリンは満足げな笑みを浮かべたが、ミレイユは青い顔をさせて周囲に首を巡らす。
決してそんなつもりは無かったのに、大衆の前でとんでもない事を口走ってしまった。単に安心させてやるだけのつもりだった。
少しでも反発を和らげようと、勝手に攻め込むような暴発を止められたらと、それだけを考えて説得するつもりで言葉を発したつもりだったのだ。
フレンが向ける瞳は、まるで信者が神に向けるものの様に見えた。
ミレイユは喉奥で唸る様に声を上がる。しかめっ面だけは、この場で見せないよう、必死に耐えた。
それをして欲しくないからこそ、テオに洗脳という手段を頼んだというのに、これでは全くの徒労、元の木阿弥だ。
いつの間にやら近くに来ていたルチアが、呆れた声と目を向けてくる。
「あーあ……、これどうするんですか」
「いや、違う……。決して、そんなつもりは……そうだ、ユミル。ユミルは……!」
「それなら戦闘前に、ミレイさんが森からの出立を促したんじゃないですか。良い目眩ましになるとか言って……」
そんな事は分かっている。だが、何故言ってくれなかった、止めてくれなかった、と非難したい衝動に駆られた。すぐ傍にいたのなら、きっとミレイユが全てを言い終わる前に、この口を塞いでくれていただろうに。
だが、言っても始まらないし、時間は巻き戻らない。
ミレイユは忙しなく周囲を見渡し、膝をつく者達の中から目的の人物を探した。左右へ忙しなく首を動かすも、それが中々見つからない。
もういっそ、ここにいる全員を魔術で圧し潰してやろうか、などと不穏な考えを持ち始めたところで、ようやくその人物を見つけ出した。
念動力を使って身体を掴み、即座に引き寄せ顔を近づけさせると、小声で話しかける。
「おい、テオ。頼むぞ、どうにかしてくれ」
「どうにか……? どうにかって?」
「何か出来る事があるだろう! 何の為の同盟だ……!」
「そうは言ってもお前……、滅茶苦茶大変なんだぞ、あれ。簡単に言うけど、古参エルフだけの時だって、すんごい苦労してるからな?」
テオは半眼で見つめながら、面倒くさそうに言い放った。
宙吊りにされている事については、今更文句を言って来ない。既にあるべき姿といって良いほど、空中で固定される様が基本となっている。
だからそれに文句を言って来ないが、それ以外の苦言なら幾らでも飛び出して来た。
「大体さ、もう別にいいだろ。感謝したいって気持ちにすり替えるのだって、苦労が多いんだから。誰しも思考方法には違いがあるもんだし。それを修正して別方向へ促すってのは、口で言うほど……」
「いいから、やれ。やられないと困るんだよ……!」
「他人の尻拭いの為に、俺が無駄に奔走すんのか?」
「無駄じゃないだろう……! それに拭い甲斐のある尻だろうが……!」
自分でも相当無茶を言っている自覚はあるが、何しろ必死だった。
本当に今ここで、世界に根を下ろしてしまうなど考えたくない。広場には全員が揃っていた訳ではないし、オミカゲ様が言う三千人の信仰にも届かないだろうが、家に帰った彼らは、間違いなく今の事を口にする。
教化される事を恐れて、という懸念があったから、エルフ達の思考誘導を敢行したのだ。ここで自らの言動と行動で教化している様では、世話はない。
先程言ったミレイユの単語を拾って、テオがわざとらしく尻に目を向けてきたので、頬を引っ叩いて強制的に目を合わせる。
「馬鹿はいいから、さっさとやれ」
「何で俺が悪いみたいになってんだ。何かメリットとかあるか……?」
「デルンを蹴落としたら、魔王として玉座に座れるのは十分なメリットだろうが……!」
「は? お前がやるんじゃないの?」
「やらない。譲る。元からそういう話だったろう」
この提案には、流石に心が揺れ動いたらしい。
テオはアヴェリンやルチアに顔を向けたが、その二人からもそのつもりであるらしい気配を感じ取ると、露骨に笑顔を浮かべて頷いた。
「まぁ、そういう事なら。けどな、洗脳はいずれ解けるからな。一人二人ならまだしも、この人数の長期間維持は本当に無理だ。それは分かってくれ」
「……仕方ないな、それは」
「王位を俺に譲るってのも、ちゃんと周知してくれよ。簒奪とか、洗脳が発覚したりで無理矢理譲られたとか、そういうのナシだからな。いいな?」
「分かった。最悪、私が森から出る時まで持てば……、いや、他にも色々あるし……。とにかく短期決着だな。……いつまで保つ?」
「分からん。が、この人数だろ……? 一年は無理だ。それは絶対無理」
それがつまり、タイムリミットになりかねない、という事か。
身から出た錆というには無念過ぎるが、とにかく考えなしに言葉を出してしまった自分が悪い。
――いや、と思い直す。
戦闘が終わった後ばかりで、自らもまた高揚感に支配されていたのが原因なのかもしれない。
あるいは、より大きな困難に立ち向かうという、この調整された精神が、それをさせたに違いない。
ミレイユが現実逃避するかのように、自らへ言い訳していると、半眼のままのテオが口を窄めて言ってくる。
「それと、さっきみたいのもう止めろ。強い感情は、時々洗脳をブチ抜くからな……」
「今後十分、気を付けよう。……ユミルにはこの事、絶対に内緒だな」
知られようものなら、叱責だけでは済まないだろう。それは間違いない。皮肉たっぷりの嫌味を、これでもかと聞かされる事になる。
テオを念動力から開放し、即座に取り掛かるよう促す。
ミレイユは重い溜め息を吐きながら、処置の終わりを見守った。
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