衝動変革 その7

 それから五日の時間を経て、ユミルは悠々と森へ帰還して来た。

 どこから見ているか分からない覗き屋が、その姿を見咎めるか分からないから、夜闇に乗じての帰還だった。


 ユミルはその覗き屋から姿を隠す、魔術秘具のフードを持っているが、最善の警戒をした上でと思えば、深夜の遅くに帰って来た事は問題にならない。


 いつ帰って来たかも知らせず、その翌日までミレイユに報告もせず、顔を見せなかった事が問題だった。報連相は基本、などと口酸っぱく言った覚えはないが、世の常識として、帰還と同時に報告すると信じて疑わなかった。


 そして現在、ユミルは酒瓶片手にワインを飲んで、全く悪びれもせず、その報告を行っている。

 ミレイユは執務室にやって来たユミルを見て、極寒の様な視線を浴びせていた。それすらも全く無意味、どうして向けられているかも理解せぬまま、とうとう報告が終了した。


「……ま、そういうワケでね。与えられたコトは終わらせて来たわよ。息が掛かってないと確実に判断できたギルド職員に、必要書類を発見させるコトは出来た。案の定、眷属にされたギルド長は追放される形で決議が固まってたし、実際に施行されるまで時間がありそうだから帰って来たけど……。そこは別に問題ないでしょ?」

「あぁ、そこまでなら、何ら問題ないな。希望どおりの結果を持ち帰ってくれたし、褒めてやりたいくらいだ」

「だったらアンタ、何でそんな顰めっ面なのよ」


 ユミルが不満気に顔を歪め、木製のマグに並々とワインを注ぎなら聞いてきた。

 ミレイユとしては、むしろ何でそこまで悪びれもせずにいられるのか疑問だった。だが、本人が分からないと言うのなら、言ってやらねばならない。


「里に帰って来ているのにも関わらず、その報告を後回しにしたからだ。安全な場所だからと気を抜きたいし、息抜きもしたいという理屈は分かる。だがお前は、優先順位を間違わない奴だと思ってたんだがな……」

「あら、そう? どうせからの動きもなければ、こっちだって何か出来るワケでもないんだから、一日くらいの遅れは誤差じゃないの」

「そこが問題じゃないだろう。報告は素早く行え。飲み歩いて息抜きするよりも、優先される事だと分からないか」


 分かるわよ、とユミルは笑みを浮かべてワインに口を付ける。

 その態度に堪り兼ね、アヴェリンが動き出そうとしたところで、ユミルはマグから口を離して、挑発的な笑みに変えた。


「一体、どんなミスが生まれるか、方針の転換が必要になるか分からないものねぇ? エルフのみならず、何故か他種族までアンタを信奉し始めて、慌てて洗脳で思考誘導しなきゃならないぐらいのコト、平気で起こるものだし」

「――よし、話は終わりだな。報告は以上だろう、下がっていいぞ」


 ミレイユがサッと視線を逸し、机の書類を手に取ると、羽ペンとインク壺を近くに手繰り寄せる。忙しい振りをして煙に巻こうとしたのだが、やはりというか、当然ユミルに通じなかった。


「いやいや、下がっていい、じゃないでしょ。何よアレ、どういうコト? アタシが居ない間に、一体何があったらそんなコトになんのよ。エルフの人口も減っていて、教化されるコトに気を付ければ、昇神する心配なしって話じゃなかった?」

「……いや、うん。まぁ、そうなんだが……」

「その歯切れの悪さが全てを物語ってる、って気がするわね。今度はどんな馬鹿したのよ、言ってみなさいな」

「まるで普段から馬鹿してる、みたいな言い方はやめろ……」


 ミレイユは溜め息を一つ吐いて、手繰り寄せたばかりのインク壺を遠くに置いた。

 明らかな失敗を自らの口から声に出すのは気鬱だが、しかし言わねばユミルも引いたりしないだろう。今も嗜虐的な色を浮かべた瞳からは、決して言い逃れを許さない、という強い意志を感じる。


「……確かに短慮だった、それは認める。自分の言葉の重みに自覚が無かった……」

「あら、それを理解しただけでも、少しは失敗した価値があったかしらね」


 ユミルがはんなりと笑って、マグの中のワインを喉の奥に流し込む。

 散々と他に八つ当たりの愚痴を言ったものだが、ルチアに言われて再認識したところによれば、ミレイユという存在は、救世主の様に見えてしまうものらしい。


 自分自身は全く自覚がないものの――。

 かつてやった事、見せつけた力、そして先の展望を示した事は、彼らにとって強い衝撃として身体を貫いた。


 言葉の重みは立場で変わる。

 里長をやっているとはいえ形だけのものだったし、人心が付いて来なくとも、それはそれで都合が良い、という気持ちすらあった。


 誰もが救いを求め、この蟻地獄の様な苦しみから開放して欲しいと願う、その理解が浅かった。平和と平等を謳うのは、大義であると同時に、自分たち自身がその立場に置かれたいからだ。

 自分達も含め全員そうあれというより、何より自分達がそうなりたい、という気持ちの現れでもあっただろう。


 そこにミレイユが絶大な力を持って、救い上げてくれる期待感と共に声を上げたのだから、それに縋り付かない訳がなかった。

 古くからエルフ達は、ミレイユがいつか目覚めて救ってくれる、というような伝説を、縋りたい気持ちもあって里内で流していた。それがまた、ミレイユに気持ちを向ける一助となってしまった。


 胸の内に納得いかないものが渦巻くのを感じながらも、だからと癇癪起こして否定しても状況は好転しない。

 短慮というより、この身体が勝手をした、と言い訳したい気持ちだったが、ユミルは決して受け入れたりしないだろう。


 納得の欠片すら見せそうもなかった。

 そして何より、これは防げる事態であったのも、間違いない事実だった。それが心を重くさせる。

 ミレイユの心情など知らず、ユミルは指を突き付けながら笑った。


「アンタはさ、自分の価値を見誤り過ぎなのよ。自分が大したコトない奴だと思ってる。ちょっと色々出来るだけ、強い魔力を持ってるだけ、他人より余力があるから出来るだけ……。どれも正解かもしれないけど、それが他人の目からどう見えるか、その自覚を持ちなさいな」

「自分を客観視するというのは、存外難しいものだぞ……」

「分かるけどね。アンタの場合、やるコトなすコト、色々ぶっとんでるから……。普通はね、世界を三度も救えないし、立ち向かおうとしないし、個人が国家に喧嘩売ろうともしないのよね」


 改めて簡潔に並べてみると、それは確かに異常だった。

 これが神々による策謀だと理解していて、そしてやらざるを得ない状況に追い込まれていたとはいえ、世界を三度も危機から救うというのは、間違いない偉業だ。


 どの様な背景があってやったか知らない人から見れば、偉業と呼ぶに、これ以上相応しいものはない。

 それも理解できるが、ミレイユとしては、素体が持つ能力あってのものだと理解しているからこそ、思い上がるのは恥だと思っていた。

 だが、確かにユミルが言う通り、他者から見られた場合というものを、もう少し考えていても良かった。


「……そうだな、余りに無自覚、余りに無理解だった。そこは今後、改めよう。また同じ過ちを繰り返したくないしな」

「そうね、まったく……要らぬ枷を付けたものだわ。神々の策謀を食い止めるか、昇神してしまうか……。これって、そういうチキンレースになってそうよ」

「神々が待っているもの……それが何かによっては、確かに逃げ帰るしか無くなりそうだな」

「……それ、は……」


 何気ない一言がミレイユの口から零れ落ち、ユミルがそれに動きを止め、信じ難いものを見る様な目を向けてくる。

 それでミレイユも、自分が何を口に出したか、それで気付かされる事になった。


 何か思慮があっての発言だった訳でもなく、本当に口から滑り落ちた様なものだったが、それが一つの真理を突いている気がする。

 ミレイユがこの世界に長く留まっていられない状態、そしてそれを追い込む状況が、ミレイユにループの判断をさせるのかも……。


「でも現実として……現状としては、ループを打破する思いしか無いワケじゃない? オミカゲ様の話から推察できるコトでも、一度は矛を交えてそうだった。……そしてだからこそ、十分な準備が出来なくて敗退する、コトになるのかしら……?」

「準備とは言うがな……。そもそも不意打ちで急襲でもしないと、討ち取れないという話ではなかったか?」


 ついに堪り兼ねたアヴェリンが、口を挟んで疑問を呈する。

 ユミルはそれに頷き、ワインの酒瓶とマグを机に置いた。


「……だから、向こうから攻めて来るのかしらね? それとも短時間で場所を確定し、乗り込むコトが出来るのかしら? 出来るとするなら、それこそ信用を勝ち取った後のルヴァイルがリークして来る、って考えられるけど……」

「或いは、信用出来ないと知っても尚、それに乗るしかない場合か……」


 アヴェリンが呟く様に言って、ミレイユは腕を組んで考え込んだ。

 確かに、時間が無いとなれば、その機会をいつまでも窺っている訳にもいかない。だが同時に、オミカゲ様の時は信仰という足枷は無かっただろう、とも思うのだ。


 自暴自棄になっていた彼女は、多くのことに失敗した、と言っていた。全て後手後手になっていたとも言っていたし、だから詭計から抜け出せず、最後には神々の思うまま過去の日本へ逃げ帰った。再起を計り、希望を次に託すしかない、と判断するに至った。


 ミレイユは頭を振って、渋い顔をしながら眉間を揉む。


「時間か……、時間ね。ここでも思い悩む事になるとはな」

「考えてみれば、気づいた時には、いつも時間が足りないと嘆いている様な気がするわ。……今回のこれは、自業自得でしょうけど」

「それを言うなら、不可抗力と言ってくれ……」


 本当に頭痛がして来た様な気がして、ミレイユは眉間を揉む力を強めた。

 とはいえ、手段を選ばないというなら、信仰という枷を取り払う事は出来るのだ。まず取れない手段だが、自らの目的を第一とするなら里の者の命を奪ってしまえば良い。


 それは余りに短絡的かつ過激すぎるし、そもそも除外するとして、ユミルによる眷属化、という手段だってある。

 他には――。

 信奉を向けられる事はミレイユを神に押し上げる、それは困る、と素直に言った場合はどうだろう。ミレイユという神を得られる事は、むしろ歓迎できる事でしかなく、ミレイユが困ると言ったところで思いを止められない可能性は強かった。


 ミレイユを困らせたくない、と理解しつつ、民の多くはむしろ神を望んでしまうのではないか。

 強い感情や切望の制御は、決して簡単な事でないだろう。

 下手に告白する事は、己の首を絞める事になりかねない。これを公表するのは止めておいた方が良い、という気がした。


「……まだ、巻き返すチャンスはある。枷というが、これとていつでも外せる類の枷だろう。追い詰められれば何だってするっていうのは、あちらも理解している筈だ」

「……それも、そうかもね? この枷は、確かに外せないほど強固なものじゃない」


 ユミルもまた言わんとする事を理解して、非情に見える顔付きで頷く。

 だが現在の推測としては、神々はミレイユをループさせる事を目的としているし、その為に必要とするのは時間と考えているらしい。


 全く理解も納得も出来ない、という部分を除けば、神々の狙いは判明している。

 だが問題は、それをどこまで信用して良いか、という事だった。

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