生死急転 その1
シオルアンを打倒し、アキラを先導させ部屋から出た後、ミレイユは異常な静けさに眉を顰めていた。
元より戦闘にお誂え向きな場所へ移動させられたとはいえ、騒ぎを聞きつけた兵士なり神使なりが来ても良さそうなものだ。
神の本拠地にあって、その無能を期待するのは愚かな事だった。
ならば、罠――あるいは待ち伏せ、それを警戒すべきだろう。
「アキラ、注意しろ。敵の待ち伏せがあるかもしれない」
「は、はいっ! でも、何処に……? 僕は相変わらず、魔力の感知が下手くそでして……!」
アキラは慌てたように顔を左右へ向けた。しかし、敵の姿も、気配すらどこにもない。
視界の先は通路以外に何もなく、道の両端を通った小川が特徴で、単に無人であるばかりでなく、がらんどうな雰囲気を醸している。
「私も確信して言ってるんじゃないんだ。ただ、あまりに静かすぎる。……妙だ」
「それは……、言われてみると……」
出てきた部屋が、物置にすら使われていなかった事からして、普段使いから離れた場所にあるのだろうと分かる。
埃臭くも黴臭くも無かったから、掃除だけはしてあるのだろうが、あれほど派手な戦闘音がして注意を引かないとは考えられない。
理由があるとするなら、別の戦闘に駆り出されていて、こちらまで手を回す余裕がない、などだが……想像で決めつけるのは避けたかった。
「分からないなら、待ち伏せがある前提で動く。曲がり角には特に注意しろ。相手が不意を打つつもりでいるなら、ユミルがやるように、幻術で隠伏する方法を併用するだろう」
「う……! は、はい! ユミルさんが本気で隠れたら、僕なんかが見つけられるとは思えないんですけど……?」
「お前では難しい。……だが、最初の一撃を凌げればチャンスはある。いつでも防御の気構えを、崩さないようにしていろ」
「りょ、了解です……!」
少し脅しつけ過ぎたが、アキラは大袈裟なほど警戒させている位で丁度良い。
そして実際、一撃でも耐えたなら、その隙にミレイユが応戦するなり、フォローなりをしてやれる。
後の問題としては、ラウアイクスの居場所が分からないという致命的な点があった。
インギェムはとにかく奥へ進めとしか言っていなかったから、『奥』と思える方向へ進むしかない。
だというのに、いま見える範囲では奥も手前もないのだ。
しかし、足を止めている訳にもいかないし、今の所は歩いている内に判別が付く事を期待するしかなかった。
そうしてアキラに指示を出して歩かせた後、通路の合流地点で小川の流れに気が付いた。
一定方向から流れてくる水が、最奥から流れてくる仕組みになっているとするなら、『奥』へ行く事は容易い。
――あるいは、それは『手前』へと繋がるものかもしれないが……。
どちらにしても、道標となるものがあるのなら、まずはそれに沿って動いた方が賢明だ。
「アキラ、曲がり角で迷ったら、水が流れて来る方向へ進め。一先ず、それで行ってみる」
「了解です……!」
忙しなく周囲を警戒しながら頷いて、アキラは刀の柄に片手を添えながら進む。
しかし、どこまで行っても伏撃はなかった。
拍子抜け、気の抜けた瞬間、それを狙っての事かと思ったのだが、最後の丁字路を曲がった時、インギェムの姿を確認して、どうやら最奥まで辿り着いたのだと悟った。
そのインギェムは、固く閉まった巨大な扉に両手を向けて、苦渋に顔を歪めていた。
通路から顔を覗かせ、次いで身体まで出せば、流石にインギェムもこちらに気付く。
眼の前に集中していた様だが、汗を垂らした顔を向け、ミレイユの顔を見るなり安堵の溜め息を吐いた。
「……遅いって。こっちはギリギリだ……! だが、間に合ったな!」
「言っておくが、別に楽な相手じゃなかったからな。何が戦闘向きじゃないだ。大体な、ここまで来る間も、伏兵を警戒せずには進めないし、時間は掛かって当然だ」
「いる訳ないだろ。そんなの真っ先に、こっちに向かって来てたんだから。そんで、来た奴全員、己の神処に繋げてやって閉じ込めた。だから、弑したってんなら、形振り構わず来りゃ良かったんだ」
インギェムは不満も大きくそんな事を言ってのけたが、そうならそうと最初に言っておけ、という話だ。
その辺りの手順や作戦など、全く話し合いもなしに上手くやれ、というのは虫が良すぎる。
流石に文句の一つでも言ってやろうと一歩踏み出したが、それより先に、インギェムが根負けするように顔を仰け反らせた。
「何でも良いから、早くラウアイクスの相手してくれ! 抑え付けとくのも限界なんだ!」
「あぁ、分かった。――少し待て」
ミレイユはアキラへ顔を向け、扉の前に立つように示す。
そうすると、ミレイユの盾となれる位置まで移動しつつ、刻印を発動させた。
ミレイユもそれに合わせて、各種支援魔術を自分とアキラの両方に使う。
魔力を消費する毎に鈍痛が走るものの、ここは惜しむ所ではなかった。
先程と違って、事前準備をする時間が取れるなら、有効に使わない手はない。
全ての支援を掛け終わり、ミレイユがインギェムへと目配せすると、食い縛った歯を見せながらにこやかに笑う。
「それじゃ、頼むぞ。ラウアイクスによろしく言っといてくれ。己はルヴァイルと合流して、オスボリックを止めなきゃいけねぇ。……結構時間経ってるからな、ルヴァイルがどれほど足止め出来てたか不明だが……。とにかく、上手くやれる事を願っといてやるよ」
「あぁ、互いにな。ヘマするなよ」
「全くよ……、だから神に言うセリフじゃないんだよなぁ……。でもま、お前なら仕方ない」
インギェムは脂汗を浮かせた顔でニカリと笑うと、すぐに顔を引き締める。
「――おら、繋ぎ止めとくのも限界だ! 行くぞ!」
「あぁ、やれ!」
ミレイユの掛け声と同時、それまで僅かに振動していた扉が、凄まじい勢いで開け放たれる。
拮抗していた力が、それで暴風となって駆け回り、ミレイユは思わず目を細めて片手で顔を庇った。
直接的な衝撃で殴り付けて来るようなものではなかったものの、その威風がラウアイクスの怒りを顕にしていると、嫌でも分かる。
「アキラ、行け!」
「はいっ!」
ミレイユが一声掛けると、アキラは弾かれた様に飛び出した。
室内には馬蹄形をしたテーブルがあり、その中心部分に座った青髪の男神が、顔を顰めてこちらを見ていた。
しかし苛立ったり、焦ったりといった様子は見られない。
想定以上であっても、想定外ではない、と言っているかの様だった。
アキラを前面に立たせて突撃させていると、ラウアイクスは腕を払う様な動きで迎撃してきた。
その一振りで部屋の最奥、そして端に流れている水が、幾つも鎌首をもたげて、一斉に襲い掛かってくる。
蛇のような形を取って襲って来るだけあって、まるで水流そのものが意志を持っているかのように錯覚してしまう。それが視界いっぱいに、四方八方から貫こうとしていた。
相手は水源と流動を権能に持つ神だ。
当然、水を使って攻撃して来る事は予想済みだ。だから、ミレイユも事前準備として、制御していた魔術を行使する。
『破滅の氷晶』と呼ばれる上級魔術は、部屋の中央で大きな氷の塊を出現させた。
そこから立ち上る冷気が波紋の様に広がると、一瞬で周囲の水を凍らせる。
この氷晶が存在する限り、周囲の水は氷漬けにする事が出来、水流を武器とするラウアイクスには非常に都合の悪い魔術となる筈だった。
もう一度行使すれば、氷は爆発して砕け、対象へ散弾のようにぶつけてやる事の出来る魔術だ
ただし、今はただ維持を続けるだけで、ラウアイクスの攻撃を防ぎ続けられるという効果になる。
本来の使い方ではないのだが、この時ばかりは維持し続ける事が正解だった。
とはいえ、相手の持つ水源の権能を持ってすれば、魔術の許容を超える量の水も作り出せるだろうし、神処の外には膨大な水が存在している。
それらも好きに動かせるというのなら、この部屋の水を凍らせただけは全く意味がない。
氷晶が放つ波紋の効果範囲も、部屋の中だけと言わず、大きなホールでさえ飲み込める範囲なのだが、周囲の水量を考えれば心許ないと言う他なかった。
それでも一時、敵の攻撃を無力化できた。
――その間に、決着を付ければ済むことだ。
アキラを左側面へ移動させ、ミレイユは右側から回り込んで、右手に剣を召喚する。
氷漬けの水流を躱し、時に斬り付け進路を確保すると、ようやくラウアイクスも立ち上がって応戦の構えを見せた。
「はァァァッ!」
アキラが下から、ミレイユが上から、それぞれ袈裟懸けに斬り付けると、ラウアイクスは背後へ跳躍して逃げる。
その際、一振りした腕から水が渦巻くようにして発生したが、氷晶からの断続的に放たれる波紋に触れると、瞬時に凍り付いて固着した。
アキラとミレイユが同時に床を蹴って方向転換し、ラウアイクスを追いつつ武器を振るう。
最初に接近したのはミレイユの方で、わざと凍せた水を盾として使って来たが、直前で咄嗟に動きを変えて腹部を蹴りつけた。
「――グッ!?」
それで一瞬、動きが止まったところで、改めて武器を振り下ろす。
これには転がるように逃げ、まんまと躱された。
だが、結果的に時間差攻撃となったアキラの一振りが、ラウアイクスの首めがけて打ち下ろされる。
これにも水を生み出し防御とし、高速で流れる水勢によって、刀の軌道を無理やり捻じ曲げた。
氷晶の波紋で凍り付くとはいえ、そのタイミング次第では水も即座には凍らない。狙ってやったか分からないが、中々上手い逃げ方だった。
床へうつ伏せの状態で倒れたラウアイクスは、水とその流れを上手く利用して距離を稼ぎ、更に流れを利用して立ち上がる。
すぐに凍り付いてしまうとはいえ、それすらも見越して水流そのものを、身体から弾き飛ばすという器用さを見せた。
シオルアンの時と同様、戦闘向きではないという話は、一端忘れた方が良さそうだった。
結局のところ、魔術の使い方と同じ事が言える。魔力が大きい、大魔術を使える……だから、強い魔術士とは限らない。
少ない手札であろうと、油断ならない戦い方をする者は幾らでもいた。
何事も使いようだから、頭の回転の早い奴は、周囲の環境を利用するのも上手い。
ラウアイクスも正にそのパターンで、その戦闘センスが脅威足り得た。
――あまり手札を見せる前に、倒してしまいたいが……。
下手に対応され始めると、厄介というだけでは済まないだろう。
ミレイユは念動力で、斬り落とした氷を飛礫として目眩ましに使いながら突貫する。
「フン……!」
だが、ラウアイクスと飛礫の間に滝が生まれ、更に凍り付くことで壁にしてしまい無効化されてしまった。
同時にミレイユも、迂回するか破壊するかの選択を迫られる。
壁の向こうで、ラウアイクスが次なる一手を備えている事を思えば、視覚が切れてる所へ、無防備に突っ込むのも避けたい。
「全く……ッ! 忌々しい真似を!」
ミレイユは魔術で氷塊を作り出すと、それをぶつけて壁を破壊し、そのまま自身もまた剣を構えて突っ込んだ。
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