帰郷 その4
外に足を踏み出してみると、実に懐かしい気持ちになってくる。
日は既に傾き始め、夕陽に照らされた住宅街には活気というより寂しさが感じられる。住宅の隙間から窺える遠くには、標高が千メートル程の山も見えた。
実に三年ぶりとなる、懐かしの町ではあるのだが、記憶にあるものと少し違う気がした。
全く違うという訳でもないので、単に建て替えた家などがあるのかとも思ったが、それにしては違うと感じる家が多い。それが何とも奇妙に感じた。
「それにしても、これはまた凄まじいな……。家々の形や色に、これ程の多様性が。道も平らで歩き易く、汚物も落ちてない」
「アンタと同じ感想なのは気に食わないけど……。これは凄いわ。ここまで何もかも違うと、面食らっちゃうわねぇ」
「何であんなに柱が乱立してるんでしょう。儀式に使う為なんでしょうか」
思い思いの感想を言いながら、三人は辺りを見渡す。
左右を交互に見ながら動く為、その歩みは遅々として進まない。焦れるような思いになるが、同時にそうなる気持ちもミレイユには良く分かった。
「まぁ、そういう感想になるだろう。違うのは見た目だけじゃないからな、あちらの常識は通じないと思っておくといい」
「強大な敵を想定しておいた方が良いですか?」
「いや、そっちの想定は必要ない。魔物は存在しないからな」
「全く?」
アヴェリンの質問に首肯して答える。
「そうだ、いない」
「これっぽっちも?」
「ああ」
「……何故?」
疑念を隠そうともしない表情で問われたが、そう聞かれても答えようがなかった。
「いないものはいないんだ。害獣と呼ばれる動物もいるが……、それも人里近くに現れるのは稀だしな。人を襲う類の害獣は更に少ない」
「ろくに柵も壁も見当たらないのは、そのせいですか……」
更に興味深く住宅を見回すアヴェリンは何度か細かく頷き、それとは別の興味を示したルチアが電柱を指差した。
「じゃあ、あれは何の儀式に使う物なんです?」
「電柱は儀式に使うものじゃない」
「あれほど執拗に、等間隔に配置しておいて? じゃあ何の為に?」
「電気を使う為……。いや、そうすると電気の説明も必要で……あぁ、面倒だな」
ルチアは電柱に触れてぺしぺしと数度叩き、感触を確かめている。
「これ……、材質は石ですか? こんな綺麗に切り出して、歪みのない円柱形を作り出し、それをあの高さまで積み上げる……。ちょっとした狂気を感じますよ」
「さぞ名のある神を祀る為にあるんでしょうねぇ」
「ユミルさんもそう思いますか? ――そう、畏れと敬い、何より信仰なくして、これ程のことは出来ませんよ」
「出来るが。あれに畏れも信仰も存在しないが」
もしあるとすれば、電柱を立てた技術者たちに対する敬意だろう。
仮にそうだとしても、感謝の割合の方が多い気がする。電柱は町の背景だ。あって当たり前という気持ちが強い昨今、特別な感慨を持たない人が多数に違いない。
ルチアはミレイユの返答に顔を青くする。
軽蔑するような、あるいは食べ物に群がる虫を見た時のような視線を向けてくる。
「おかしいですよ。それとも、おかしくなっちゃったんですか?」
「何でそんなこと言われなくてはならんのだ。あちらの常識は通用しないと言ったばかりだぞ」
「えぇ……、これもそうなんですか? 特に垂直に建てた柱に、より掛かるように倒した柱。あれは神に対する尊崇と思慕を現しているのでは?」
「全く、違う」
首を横に振って答えたミレイユに、ルチアは理解できない表情で同じく首を振る。
「どういうことですか……。頭がおかしくなりそうですよ。――じゃあ、あれは、あの柱と柱を繋ぐ幾つもの線。あれは一体何なんですか」
「あれは電線と言って、電気を送る為に引いてある」
「また電気ですか。それは魔力とどういった関係が?」
怪訝な表情で問うたルチアに、むしろミレイユが怪訝に首を傾げた。
「どこから魔力が出てきた? 電線と電気に魔力は関係ない。それぞれの家で、――そう、物を冷やしたりする事が、簡単に出来る為にある」
「えぇ、でも……?」
ルチアは見上げて電線を視線でなぞる。次いで空へ視線を移し、体ごと大きく辺りを見渡す。
納得してない風のルチアに指を突きつけた。
「いいか、この世界に神もいなければ魔力もない。魔術もないから、みだりに使うな」
「いえ、それはおかしいですよ。だって――」
「だってじゃないんだ。ないものはないんだから。命令なくして、あるいは自分の命の危険なくして、魔術の使用を禁ずるからな」
唸りを上げて腕を組み、考え込んでしまったルチアを他所に、今度はユミルが疑問を投げかけてきた。
「神もいなければ魔術もないって? そんな事あり得る?」
「まぁ、確かにこれを否定すると煩い人種がいるのは確かだ。しかし、この国においては、否定する人間が多数だし、魔術を使えると言うと馬鹿にされる。神々とて、いるとしても実際に目にすることもなければ、声をかけられることもない」
「実際に降臨することもなく、触れられることもない?」
「そうだな」
あらまぁ、と呆れたような声を出して、ユミルは嫋やかな手で口元を覆った。
「全く想像できないわ」
「気紛れで発狂させたり、他人の人生を狂わせたり、一夜で村が滅んだりしないと思えば、神の居ない世界というのも捨てたものじゃない」
「それだけ聞くと、確かにね」
恩寵や加護を授けるような善神は確かにいた。だが、そういう神ほど自己主張は控えめで、あらゆる人種は神々の奴隷と思う悪神の方が、よほど接触しようと試みてきたものだ。
酒の飲み合いで勝負を挑んでくるという程度なら可愛いもので、中には山々を噴火させては逃げ惑う者たちを見て楽しむような神もいた。
見て聞いて触れる神も悪意を持って接してくるなら、むしろいない方がマシだと思うのだが、そういう神々であっても必ず信仰する者たちがいた。カルト的、というと問題があるが、しかし畏れ敬われる存在であるのは確かだった。
「でもまぁ、分かったわ。常識が通じないっていう部分は、まだ分からない事も多いけど。目の前に広がる異様な光景を見れば、宜なるかなって感じよね」
ミレイユからすれば、その目の前にある光景こそ当たり前で常識的な光景なのだが、ユミル達からすれば、確かに異様な光景だろう。
かつてミレイユがあちらの世界に降り立った時、途方に暮れた状態と似ている部分がある。
ゲームの世界だと知っていたから、ある程度ゲームを通じて知っていた常識もあり、ミレイユはそれほど困ることはなかった。しかし、彼女たちはそうもいくまい。
「ここまで世界が違えば、帰りたいとも思うのでしょうね。……全く違う常識の世界ですか。神も魔力もない世界とは、いやはや……」
「ちょっと待ちなさいな。この世界に魔術がないなら、どうしてこの世界出身のアンタが魔術が使えるのよ」
また返答に困る質問をしてきたな、とミレイユは思った。
素直に答える事は出来ないし、したとしても信じて貰えるとは思えない。どう答えたものか考えあぐねていると、それより早くアヴェリンが口を挟んだ。
「ミレイ様は特別なのだ。どこぞにいる有象無象と一括に考えてよい御方ではない」
「まぁね、それについては同意してもいいけど。魔術を除外して考えても、あまりに多才だったし。……だとしてもよ。ここに一人いるなら、それ以外全くなしともならないでしょうよ。遥かに格下であったとしても、少しぐらい使える者もいそうじゃない?」
ユミルの言い分に、一理あると思ったらしい。思案げに足元に視線を落とした後、アヴェリンはミレイユに顔を向けた。
「フム……。どうなのです、ミレイ様?」
「……うん、まぁ。使えると主張する者はいたな、確かに」
「ごく少数?」
「そうだな、確かに少なかったと思う。だが魔術を使えるという者が、いるにはいた」
例えばマジックショーに登場する魔術師などがそれに当たる。
だがそれを馬鹿正直に教えるつもりもない。第一、これ以上詳しく聞かれても答えに窮するだけで何の意味もない。有耶無耶にしてしまうのが一番いい。
そこに考え込んで沈黙していたルチアが、横から口を挟んだ。
「つまり、全くなしというよりは、ごく僅かな魔力を上手く運用する術があった、という事ですか? 大規模魔術は行使できず、でもだからこそ小手技を身につけることで生存してきたとか」
「ああ、そう。……そうなのかもしれないな」
「なるほど、なるほど……」
都合よく解釈してくれたルチアへ、そのような表情をおくびにも出さずに食いつく。
妙に納得した風で何度となく頷いて、ルチアは再び視線を空に向けた。
「それなら納得です。何事も工夫が大事と、そういうことでしょうか」
「ああ、多分な。多分そうだ」
幾度か頷きを見せてから、ミレイユはこれを機に伝えるべき事を伝えておこうと思った。
かねてより思っていたこと、こっちの世界に帰りたいと願った主な理由を。
皆に羞恥し、申し訳ないと思う資格すらないと理解している。それでも、ミレイユは懺悔し告白するような心持ちで口を開く。
「私は……本来、戦うことが好きじゃないんだ。帰りたいと思っていたことは、何も哀愁によるものばかりではない。戦いから逃げ出したかったからだ。命を奪い、奪われる危険から逃げたかった」
「そうだったの?」
「その割には、多岐に渡り過ぎる才能を持ち合わせていましたけど……」
ミレイユは眉を顰めて溜め息を吐く。
「出来るからといって、やりたいということは違う。やれるからやらされていた、という方が正しいように思う。私は……いつも、いつだって争わなくて良い世界に逃げ出したかった。武器を振るわなくても良い世界に帰りたかった。……軽蔑したか?」
「いいえ、特には」
アヴェリンは決然と首を横に振った。
いつの間にか皆の歩みは止まっている。アヴェリンに見つめられるまま、ミレイユはその視線を受け止めた。その熱を帯びた視線には軽蔑も侮蔑もない。
ただあるがままを受け入れる、その意が汲み取れた。
「それで貴女の成してきた偉業が霞むことも、消えることもありません。ただ、今は貴女の弱音を聞けるようになって嬉しく思います」
「アヴェリン……」
「先程の弱音も、貴女の知らない一面をまた一つ知ることが出来た、ただそれだけのこと。それしきの事で、貴女に失望したり致しません」
アヴェリンが柔らかく笑むと、近くに寄って来たユミルがつまらなそうに鼻を鳴らした。
「まぁ、多少の我儘は許されるでしょう。アンタはそれだけの事をしてきたわ」
「あらァ……、意外です」
「ミレイが?」
「いえ、ユミルさんが。てっきり、もっと詰るか焚き付けるかと思いました」
飄々と言うルチアに、ユミルは呆れたように見つめ返し、それから肩を竦めて息を吐いた。
「ま、あらゆる騒動が、あの子を逃してくれなかった。そういう部分もあったしね」
「……そうだな。今までずっとそうだった……。懇願が、挑戦が、脅威が、あらゆる騒動が、平穏に過ごすことを許さない。だから、そうでない人生に、戻りたかった……」
ミレイユは我知らず俯く。
まるで誰かが誘導するかのように、行く先全てで何かが起きた。規模は違っても、解決を余儀なくされるような事態が。まるで物語の主人公のように、騒動が付き纏うのだ。
そして事実、ミレイユは主人公だった。
一般人より多少優れているだけで世界を三度も救えるものではないし、救うように動かされるものではない。
神々は決して万能でも全知でもないが、そうと狙って行動していたのではないかと、ミレイユは疑っている。
「ま、何にしても休養期間、そう考えて怠惰に過ごせばいいんじゃないの? アタシ達もそれに付き合うし」
「ええ、どこへなりとお供します」
「……そうだな、感謝するよ」
ユミルがそう提案すれば、追従してアヴェリンも頷く。ミレイユが簡単な礼を見せる中で、ルチアだけ眉間に皺を寄せユミルに視線を飛ばしていた。
視線に気がついたユミルは面白そうに笑みを浮かべ、歩みを再会した二人を後に、ルチアへ身を寄せていく。
「何か言いたげね?」
「いや、だって娯楽ついでに着いていたんでしょう? 怠惰に過ごすミレイさんの横で、同じく怠惰に過ごすって、そんな事あります……?」
「馬鹿ねぇ……、さっき言ったじゃない。騒動があの子を放っておかないって」
「つまり、ああ言ったところで、どうせ何かに巻き込まれると?」
ユミルは隠そうともしない笑みで頷く。
「当たり前じゃない。どうせなら賭ける? アタシは三日以内で騒動が起きると予想するけど」
「それじゃあ賭けになりませんよ。
「アンタも言うわね」
呆れたように笑うユミルに、ルチアもまた笑った。
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