帰郷 その5
――石花市。
それが今ミレイユたちが歩いていた町の名前だ。近隣都市のベッドタウンとして栄えたこの町は、それ故時間帯によって人通りが極端に少なくなる。
例えば、出勤登校時間が終わった後、そして帰宅時間を迎える夕方付近がそれに当たる。
買い物に出かける主婦や散歩に出かける老人などを見かける事はある。しかし、それもやはり疎らで、見渡せば常に誰かが視界に入るというほど、この石花町の人口密度は高くない。
この夜の帳が落ち始めた時間は、その帰宅する学生と社会人が丁度重ならない隙間時間だった。
アパートを出てからこちら、今まで誰ともであっていないのは、そういう理由があるからだろう。無論、それは単なる偶然で、今すぐにでも誰かと出会う機会など幾らでもある。
だから、民家の前に停まる自動車へ、亡者のごとく群がる不審者三人組が見咎められなかったのは、幸運でしかなかった。
「車輪がある。不思議な車輪ですが……、でもそれがあるという事は、これは荷車のように扱える道具だと、予想できるわけですよ」
「だが、それならあまりに物を置くスペースがなさすぎる。上に置くにしても僅かに湾曲している形だぞ、ずり落ちて運ぶどころではないだろう」
「そこは工夫次第でしょ。ロープで縛れば置ける筈だわ。それより、この透明な一枚ガラスの向こうを見てご覧なさいな。椅子があるということは、座る為に用意されたのよ。つまり、これは物ではなく人を運ぶ為の道具だと分かるでしょう? 乗合馬車みたいなものよ」
「確かに、座り心地が良さそうなのは認める。しかし、これだと精々五人が限界だろう。大体、これを牽引する為の馬はどこにいる?」
所構わずベタベタと車を触り、中を覗き込み、つぶさに観察しては意見を交わし合う三人に、ミレイユは今日何度目かになる溜め息を吐いた。
これほど頻繁な溜め息はここ最近なかったな、と嫌な気付きを発見しながら三人へと声をかける。
「なぁ、皆……。私はなるべく目立ちたくないと考えてるんだ。日も落ちる前に移動を終わらせたいし、そして公園辺りを今日の寝床と考えてもいる。一々興味のある物に目移りして立ち止まっていていたら、一向に進まないんだよ」
「分かっていますよ。これだけです、これだけ」
「ご理解いただけて幸いだが、それはさっきも聞いた」
しかしですよ、と自動車に目を奪われていたルチアが、あくまで自動車を触り続けたまま顔を向ける。
「この滑らかな金属素材、それを見事な流線型に加工する技術、車輪外周に使われた弾力性のある強固物質……。どれを取っても興味の尽きない新発見です」
「ああ、お前たちの知的好奇心を存分に刺激できたようで何よりだ。だがな、目立つんだよ、お前ら。何もせず立ち止まってるだけでも目立つ格好なのに、そんな事してたら通報されても可笑しくない」
はいはい、と頷きながら観察に戻るルチアの説得は後に回すと決めて、ユミルの方に顔を向ける。あれはまだしも話が通じるが、それより厄介な方を先に陥落させれば他も後に続く筈だ。
タイヤに向けて身を屈め、熱心に撫で付けているユミルの肩を叩く。
しかし、ぞんざいに手を振り払われ、こちらには視線すら向けない。
「車輪に使われている黒い方なら、錬金術で再現できるかも。トロールの脂肪を根幹素材にドリアードの樹脂を使えば、もしかしたら上手くいくかもね」
「地面を見てくださいよ。雨が降っても泥濘化しなさそうですし、石畳なんか目じゃない一枚岩の地面なんですから、砂地よりもずっと摩擦抵抗が強そうです。熱の発生を無視する訳にはいかないでしょう? 長時間の使用で溶けて形が崩れませんか?」
「いい着眼点だわ。それを考慮すると……」
再度ユミルの肩を叩けど、やはり振り払われ無視される。
どうしたものかとアヴェリンを見ると、やはりこちらも気もそぞろで、自動車その物より動力について気になっているようだった。
「それよりも馬だ。近くに馬房など見当たらないが、これをどうやって牽引するんだ? 他の民家にも同じような車輪付きがあるが、どこにも牽引動物がいない」
空に向かって鼻を向け、臭いを確認するように鼻を鳴らしては首を傾げた。
「糞の匂いもしてこない。風上にいないだけとも思えん。――これは一体、どうやって使うんです?」
ようやくミレイユに顔を向ける人物が出てきてホッとしたが、やはり興味は寝床よりも目の前にある、不思議物体にあるようだった。
基本的に全てにおいてミレイユを優先する傾向にあるアヴェリンにあって、この行動は異常とも言える。いや、むしろ彼女の場合、移動手段の確保として馬の有無、あるいは馬房の所在地を確認したいが為の行動なのかもしれない。
「一旦、それは置いておけ。……興味の尽きないお前たちに、私の力量というものを思い知らせてやりたい気持ちになってきた」
声に含まれる剣呑な雰囲気から、アヴェリンは即座に姿勢を正し自動車から離れる。定位置であるミレイユの右斜め後ろに立つと、腕を後ろで組み足を広げ待ちの態勢に入る。
ルチアとユミルも、流石にこの雰囲気を敏感に察知した。
そろりと身を起こすと、冷や汗を額に流しながら愛想笑いを向けてくる。
「まぁ、ちょっと調子に乗った部分はありましたね。でもまぁ、ルチアちゃんの可愛いところを見られて何よりだったという事で……」
「ならないでしょ」
「ならないですかね、やっぱり」
ルチアとユミルのやり取りを見ながら、腕を組んで重い息を吐く。身体中から蒼いオーラのようなものが立ち昇る。魔力の制御が表に出ている証拠だった。
そのまま首を横にゆっくりと倒していくと、ボキボキと音が鳴る。ミレイユから不機嫌そうな視線をぶつけられ、二人は顔の表情を強張らせていく。
ミレイユは首をゆっくりと元に戻した。
「行くって事でいいんだな?」
「勿論です」
「アタシはむしろ、早く行くよう進言してたぐらいだけど」
どの口が言うんだ、という背後の声を聞きながら、ミレイユは頷く。
腕組を解き、次いで魔力制御も解くと、前方を示した。
「さっさと行け」
はたから見れば田舎には珍しいコスプレ集団なのかもしれないが、これが毎日公園で寝泊まりしている集団となれば、物珍しいだけでは済まない。
常に可笑しな格好は薄気味悪いと思われるし、何かしら通報されたりする可能性すらある。
ミレイユには他三人を養う義務がある。
自分を慕って着いてきたというのなら、その衣食住について保障しなくてはならない。三者の主人として、その義務について怠るつもりはなかった。どちらにしろ、あちらの世界でも同様にしていたのだから、その延長戦上の行動に過ぎない。
住む場所については問題視していなかった。懐の中の住居が、その懸念全てを解決してくれる。
食料の備蓄についても暫くは大丈夫だが、目減りしていくだけで増えない物を指折り数えて待つ訳にもいかない。これの補充については考えなくてはならないだろう。
一番の問題は衣服だ。
あまり目立ちすぎる格好は好ましくないし、町の名物コスプレ娘としてデビューする気もない。衣服を手に入れようと思えば金銭を得る必要があり、それは同時に食料問題への解決にも繋がる。
自分一人で全員を養う金額を稼ぐ必要もないだろうし、むしろそうすれば他の三人が黙らず働きに出る事は予想できる。しかし問題は、この国で金銭を得ようと思えば戸籍が必要になるという事だった。
日本国籍がないなら、外国籍であることを確認できるパスポートに就労ビザも必要になるだろう。勿論どちらも用意できないとなれば、偽造するしかないのだが、簡単に出来るものでもない。作ったとしても、偽造と判明した時とても面倒な事になる。
魔術による洗脳は一時的な効果しか保たないし、洗脳されてる間の記憶も失わない。
安易に魔術を使った解決は悪手だ。
正攻法で解決する必要があるのだが、それについて今のところ目処が立っていなかった。
目的地に辿り着いた四人は、砂場以外、他には端にベンチしかない公園にとりあえず足を踏み入れた。公園をぐるりと取り囲むように植えられた樹木のせいで見通しは悪いが、今だけはそれが有難かった。
「予想以上に清潔な場所で驚きましたよ」
「何もない無駄な空き地に思えますが、土地の余裕があるんですかね?」
「家と家の間が全然ないし、隙間なく家を建てている癖に、土地に余裕があるとは思えないわね」
辺りを見渡しながら口々に言う三人に、ミレイユは肩を竦めた。
「公園っていうのは、この国の法令で必ず設置しなくちゃといけないんだよ。どれほどの面積に家が建っているかとか、そういう細かな条件はあったと思うが、土地の余裕がなくても作らなくてはならないものだ」
「ふぅん……、おかしなものね。利便性より景観ってコト?」
「という訳でもない。利便というなら、いざという時の避難場所にするという側面もあるからな……」
納得したように頷いたものの、おや、とアヴェリンは首を傾げた。
「魔物は襲ってこないのでは?」
「避難するのは襲われた場合だけじゃない。地震や大規模火災など、何かしら避難が必要な場合はあるものだ」
「それだけ聞いても、合理的なのかどうか、イマイチよく分かりませんね」
公園と民家、上空とを見渡しながらルチアが言った。
「むしろどうやったら、こんな矛盾だらけの環境になるんですか? 見てると支離滅裂でイライラします」
「何がそんなに気に入らない? いや、別に無理して好きになって欲しいわけでもないが」
「……気付きませんか?」
ミレイユは片眉を上げて、ルチアを見返す。
何も不躾に不満をぶつけているだけでないことは、彼女の様子を見れば分かる。文化の違い、文明の違い、法律の違い、その何れから来るものでもない気がする。
となれば――。
ルチアはその種族的な特質から、魔力に関する探知が上手い。
魔力の制御や、単純な力量、その応用力など、ルチアに負けない要素は幾つもある。しかし、その感知力、探知力については、ミレイユは足元にも及ばない。敢えて負けず嫌いを発揮すれば、足元くらいには及べる、という程度か。
ミレイユが見返す視線の向こう、太陽が稜線の向こう側に消え行こうとするのが目に入った。空を覆う藍色が濃くなり、地平線に残った僅かな橙色も沈むように呑まれていく。
夜の帳が落ちる、逢魔が刻。
――それが唐突に現れた。
遊具もろくにない、唯一砂場が遊び場の公園。
その中央で空間が捻じれ、綻ぶように孔が開く。
ミレイユは有り得ない光景に瞠目し、警戒するよう呼びかける。
「――注意しろ」
その一言で、慣れた三人は武装を呼び起こし戦闘に備える。
アヴェリンはミレイユの前へ入れ替わるように立ち、ルチアは最後尾で身の丈半分ほどの杖を取り出す。ユミルはその間、ルチアの射線上に重ならないよう位置取りし、長剣を構えた。
初めは小さな、握り拳ほどしかなかった孔は徐々に拡大し、ついには子供が通れる程まで成長する。
そこからは自分たちには見慣れた、しかしこの世にあってはならない存在が姿を表した。
見た限り低級の敵ではある。長く旅をしてきたミレイユたちにとって、今更手こずるような相手ではない。
しかし紛れもなく、あちらの世界の魔物が姿を現したのだ。
ユミルが呆れたように呟く。
「……嘘でしょ、一日と保たないワケ?」
「ようこそ
ルチアもまた、同じように呆れた声で呟いた。
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