退魔鎮守 その9
「あー、面倒くさっ……! 久々に使ったらホンット思うわ。これ絶対、意味不明で用途不明よ! 使われなくなった理由も分かるわ……!」
「一々そんな事、愚痴らないでくださいよ。私だって別に、楽々行使してる訳じゃないんですけど……」
「分かってるわよ、そんなコト。でもアンタ、こっちの工程の多さ知ったら、言いたくなる気持ち分かるわよ……!? 死霊を作ってから、実践レベルまで持っていくまで長すぎでしょ!」
「分かりましたから、やめてくださいよ。気が滅入ってくるじゃないですか。ただでさえ視界の中に呪霊がいるっていうのに……」
ミレイユもまた同意して首肯を繰り返した。ルチアにとっても、ご多分に漏れず死霊が苦手で、顔を顰めてはなるべく見ないで済むように身体の向きを変えたりしている。
苦悶の表情でうめき声を上げては、ゆらゆらと浮遊している霊を見れば、そうしたくなる気持ちもよく分かる。叶うならミレイユもそうしたい所だが、何しろ自身を守護するように揺蕩っているので、どう足掻いても視界に入る。
注視する事だけはしないようにしながら、ミレイユは制御していた魔術を足元へと放ち陣を作成した。『詠み唱う星の陣』とよばれるこの魔術は、幾科学模様の描かれた陣内で、使用者の制御を助けてくれる。
喉につっかえていた声が滑らかに流れ出すように、制御もよりスムーズに動くよう補助してくれる陣だが、これは単に楽させる為に用意したのではなく、これから激化するだろう戦闘の助けになるだろうと思っての事だ。
ユミルはお湯に浸かったかのように息を吐いたが、リラックスできるような余裕が出来るのは今のうちだけだ。
何しろ――。
ミレイユは前方の遥か奥、エルクセスの方へと視線を向ければ、そこには戦意を見せ鼻息荒く地を削るように前足を動かす姿が見えた。
エルクセスが何かに感心を寄せる事も、何かに敵意を向けたりするのを見たのは初めてで、またそのような気質を持っているのを初めて知った。
存在を災害に例えられるように、ただ在るが儘ある、というだけで多くの生物に取って害になる。悪意持つ存在ではないので、ただ通り過ぎるのを待つか、あるいは逃げるかを選択するしかないし、敵意を向けなければ敢えて攻撃をしてくる相手でもない。
それが明らかな戦意を見せたとなると、やはり神の介入があったと見るべきか。
あれらが本気である事は理解していたつもりだが、この現世を滅ぼしても構わないと思っている事は、これで再確認できた。
あれに敗北するか、あるいは逃がす様な事があれば、間違いなく壊滅的な被害を受ける。結界内から出すつもりがないから、この場で仕留めてしまうしかない。
だが、倒したいと思って倒せる程、容易い相手でもない。
思念を飛ばして戻るよう指示していたフラットロも、即座にここへ帰って来た。
あれほど暴れさせたとあっては、疲れのようなものを感じてしまうらしい。精霊に体力切れの疲労というものは存在しないが、消費した魔力量に応じて、それに似たような状態にはなる。
咄嗟に自身へ『炎のカーテン』を行使して、自身の火耐性を上昇させると両手を広げた。フラットロはそこに嬉しそうに飛び込んでくる。
労いと魔力補給を同時に行うには、これが一番効率的なのだ。
「大丈夫か、フラットロ。苦労させるな」
「平気だよ! ぜんぜん平気!」
まるで本当の犬のように首筋にじゃれついて来るのをあしらいながら、その背を撫でつつ魔力を注いでいく。尻尾もうるさいほど左右に振れ、フラットロの機嫌も急上昇していく。
首筋や口元に鼻を寄せていたフラットロは、それから思い出したかのように背後を窺った。
その視線はエルクセスへと向いており、次いでどうするつもりなのかと顔を寄せてくる。
「あれ倒す? ……あれは平気じゃないかも」
「あぁ、分かってる。お前は十分よくやってくれた」
「まだやれるよ! ぜんぜんやれるよ!」
身を捩って腕の中から抜け出し、自分の戦意をアピールしてくる。その仕草までもが犬のように見え、とても精霊とは思えない。
だがその心意気は嬉しかった。本来精霊との契約は、もっと淡白でドライなものだ。与えられた魔力の分だけの仕事をする。命じられたように動き、それが終われば帰還するものなのだ。
多くの術士が精霊個人ではなく精霊の種として契約するからこそ、そういった形になるのが自然なのだが、ミレイユとフラットロは個人契約のような状態だ。
火の精霊なら、どのような状況でも必ずフラットロがやってくる。気紛れな精霊は言うことを聞かない事も多く、へそを曲げたら呼びかけにすら応じなくなるから、個人契約のような関係は悪手と見做す傾向がある。
だが、ミレイユとフラットロのようにウマがあったり心を許す関係にまでなると、注いだ魔力量以上の働きを見せてくれる。
死という概念がないからこそ、大抵の危険にも物怖じせずに応じてくれるのだが、何しろエルクセスとは相性が悪すぎる。
近付くだけで吸収されてしまう恐れすらあった。
それは別に死を意味しないし、単に魔力が切れた状態と同じで精霊界に帰還するだけだが、敵を前に意味を成さないという意味では、頼りにする事は出来ない。
「フラットロ、お前には引き続き、数の多い魔物を間引いてもらう。――出来るか?」
「やるよ! ぜんぜん出来るよ!」
「ああ、頼むぞ。好きに暴れろ」
その言葉を聞くや否や、フラットロは飛び出して目に付く集団へとぶつかって行く。その度に小規模な爆発を起こし、所々から悲鳴が上がった。
それを見送ってユミルへ視線を転じると、思わずギョッと身体を固くした。
「……何やってるんだ、お前」
「いや、手持ち無沙汰だったから、ついやり過ぎちゃって……」
ユミルから少し離れた場所には、呪霊が既に十体作成されていた。
使用できる魂が溢れているからといって、容易に出来る事ではない。そもそも、それだけ用意して運用できるのか、という問題もあった。
本来は最大でも三体まで、というのが通説だ。
それぞれに糸を張って動かすようなものだから、単純に一体を操作するより難易度が上がる。何も腕一つ上げさせるのに苦労するという事はないが、数が増えれば単純な命令しか出来なくなるものだった。
それこそ、機転を利かせた動きなど不可能で、互いのフォローも満足には行えまい。辺りに漂わせて半自動化、という扱い方になるだろう。
「……それ、大丈夫なのか? 襲ってきたりしないよな?」
「勿論、大丈夫よ。襲うにしても魔物だけって、そこは徹底させてあるから。自分だけは死霊入りにさせないなんて、基本中の基本よね」
「自分だけ? いま自分だけって言ったか?」
どうにも聞き逃がせない台詞にミレイユが睨め付けると、ユミルは片目を瞑って手をヒラヒラと動かした。
「やぁね、言葉の綾よ。勿論アンタ達も平気だってば。……多分」
「多分?」
「いや、恐らく。おおかた……かなり、想定に寄ればね」
「何一つ意味が変わらないんだよ。――お前、本当に大丈夫なんだろうな」
「大丈夫よ、一つ仕込みがあるからね」
「……だと良いがな」
ミレイユが疑わしい視線のまま向き直ると、遠くでアヴェリンがまた一体のドラゴンを仕留めたところだった。
流石に無傷とはいかないようで、返り血とは違うものが頭部から流れている。吐く息も荒く、満身創痍という訳ではないが、これ以上の継戦は難しそうに見えた。
「誰かさん達が馬鹿な遣り取りをしている間にも、アヴェリンさんはしっかりと自分の役目をこなしてましたよ」
「そのようだ……、労ってやらないとな」
アヴェリンは一人になった時、回復などが受けられない時などに備えて水薬を複数所持している。傷を受ければ飲めば良いだけだが、敵の猛攻が激しい時には、それをさせてくれる余裕もない。
今のアヴェリンは複数のドラゴンから上下左右に囲まれている状況で、その内の一体を仕留めたところだ。知らぬ内に絶体絶命のピンチを迎え、そしてそれを脱する切っ掛けを作ったところだったようだ。
しかし、四体いる中から一体を倒すという偉業により、支払った代償は大きかった。
残るドラゴンのブレスに焼かれるか、あるいは飲み込まれるか、それとも……という状況で、ミレイユはさっと一つ腕を振るって魔術を行使する。
アヴェリンに限らず、この三人には常にマーキングがされていて、ミレイユの意思一つで喚び出せる。一種の召喚契約を結んでいるから出来る芸当だった。それを誰もが知っているから、手の届かない場所でアヴェリンが危機と思っていても、声すら上げない。
正にアヴェリンがドラゴンのアギトに飲み込まれる瞬間、その姿が掻き消え、ミレイユの傍らに現れる。
「ハァ、ハァ、ハァ……!」
付近の温度が一瞬で上がったように感じた。
返り血と自身の血で湧き上がるように湯気が立ち昇り、そして荒い息は全身の熱を逃がそうとするかのように熱い。
一瞬で視界が切り替わり、その直ぐ近くにいるのがミレイユと知ると、アヴェリンは強張った身体を弛緩させた。
「アヴェリン、よく戦ってくれた」
「ハッ! ありがとう……っ、ハァ……っ、ございます!」
「苦労してくれたが、すぐにまた戦って貰う。だが今は休め」
「ハッ。では、暫し……」
言い切る前に、アヴェリンは腰を落とし膝を付いた。そのような状況でも、武器を手放さないし盾も構えた状態のままだ。座り込んだといっても、命令あれば、あるいは危機あれば即座に動けるような体勢を取っている。
そこにミレイユは治癒魔術を掛けてやりながら、自身でも所持しているスタミナ回復の水薬を口元へ持っていった。親指一つでコルクを抜いて、喉元へ流し込むようにしながら、もう片方の手で傷を癒やす。
明らかにアヴェリンの顔がホッとしたものに変わり、言葉通り一つ息を吐いた瞬間、横合いから水を掛けられた。これもまた、言葉通りの水掛けで、魔術で生み出した水を頭から掛けられたのだ。
やったのは誰かと言えば、この状況で手が空いているのは一人しかいない。
「ご無事で何よりでございますけれど、アンタ臭いのよ。血糊と汗の匂いで、すっごいコトになってんのよ?」
「だから何だ。戦場で彩る戦化粧は誉れだろう。強敵となれば尚更だ」
「いやぁ、確かにアンタ、生き生きし過ぎて怖いくらいだったけどさぁ……」
アヴェリンは髪や顔から滴る水を、ぞんざいに拭い落として立ち上がる。冷や水をぶっ掛けられたというのに、未だ心は戦闘中のようで、その瞳は剣呑に輝いていた。
そこに空気を敢えて読まないルチアが言う。
「うわぁ、寒そう……。大丈夫なんですか、それ」
「水すら今の私には熱い……! 滾ったものが溢れ出しそうで爆発しそうだ」
「――ならば直ぐに動くか? 別にまだ休んでもいいんだぞ」
「いえ、叶うならばこのままで。ドラゴンどもに、どちらが格上か教えてやらねば」
アヴェリンの瞳が再び爛々と輝く。
だが、それより前に……あるいは平行してやって貰わねばならない事があった。
「エルクセスを放置してはおけない。こちらへ向かってくるつもりだぞ。逃げる事も、逃がす事も出来ない。その間の雑魚は二人と――」
言いながら、背後で防御陣地を更に堅牢に構築し終えた隊士達を示す。
「あれらに請け負ってもらう。――エルクセスは、まず手早く片付けねばならない」
「お任せ下さい!」
「私も一緒に前へ出る。共にやるぞ」
「ハッ、光栄です!!」
元より高かったアヴェリンの戦意が、更なる急上昇を見せた。
身体の震えは歓喜の震えに違いなく、強敵相手に二人で挑めることを感謝しているようですらあった。ルチアはそんなアヴェリンを見て、唖然としてから顔を引きつかせ、自らの役目に戻っていった。
孔の直下ではなく、敵を後方へ誘導しながら間引いていっている。陣があるので楽に制御できているし、ミレイユが抜けて手薄になった部分には呪霊がいる。
暫しのあいだ離れていても問題はないだろう。
ミレイユは隣に立ったアヴェリンに目配せすると、一つ頷いてから飛び出した。
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