退魔鎮守 その8

 孔の一つ一つが大きさを増してきたからといって、その孔に見合う巨体が現れるという訳でもなかった。そもそもミレイユがそうであるように、孔に対して見合う大きさを持っていなくても、魔力総量の問題で通行できるかは別の問題だ。

 孔の大きさはあくまで、その指針となるものであって、巨体であるほど魔力が多いとはならない。だが実際、ドラゴンや巨人がそうであるように、巨体に見合う――そして生きた年齢に見合うだけの魔力総量を持つ個体というものは多い。


 次に姿を見せたのも、そういう類の魔物で、ドラゴン三匹を束ねたような巨大な身体を有していた。遠目で見ただけではヘラジカのようにも見える。

 偶蹄類のような見た目で、厚い毛皮と長毛が垂れ下がり、足が長く体高があって二十メートルを軽く超えている。箆のように平たい角を持つが、それが鈍色に輝いているところが現世の生物と大きく違う部分だ。

 あれは魔力器官となっていて、マナを大きく吸収する手助けをすると共に、魔力を効率良く放出する役目を持つ。


「エルクセスじゃないの、あんなのまで来たワケ? 巨大モンスターの品評会でも開くつもり?」

「私は初めて見ました。……あれがそうなんですね。氷結属性は明らかに不利な見た目してますけど……」

「まぁ、実際効果は薄いでしょうよ。嫌がらせが精々でしょ。……あれはちょっと、アヴェリンでも手を余らすと思うのよね」


 エルクセスは単なる魔物でもなく、また獣でもない。災害と同列に扱うような存在だ。魔物を含めた生物に対して思う事はない筈だが、単に通り過ぎるだけでも破壊の跡を残してしまう。

 攻撃するのが一番の悪手で、その巨体故に矢か魔術を使うのが有効となるのだが、毛皮によって矢は届かないし、魔力はその角によって妨害される。


 あれが避雷針のような役割を持っていて、そちらに流れてしまうのだ。

 並大抵の魔力はそのまま吸収され、反撃の為に再利用されてしまうので、エルクセスへ利する行為となってしまう。自らの街を守るため、進路を変更させようと悪戦苦闘しつつも、結局踏み潰されるだけ、というのはよく聞く話だった。


「ボホォォォオオオオ!!」


 そのエルクセスが、ミレイユ達を目に止めて角笛を吹き鳴らすかのような声音で吠えた。

 ドラゴンも更に追加されようとしているし、地上には多くの魔物が犇めいている。それが無秩序に向かって来ようとしていた。アヴェリンはドラゴンの一体に狙いを付け、フラットロはエルクセスと相性が悪いから遠ざける。


 元よりフラットロ一体で留めていられるものではないが、その物量を既に抑えきれなくなってきた。最初の頼もしさは既になく、時折起こる爆発も、小さな花火のように感じられる有様だった。

 ユミルが一つ息を吐いてから言う。


「……なかなか厳しい状況ね」

「エルクセスは、こっちに寄らせたくないが……かといって迎撃は現実的でもないな」

「アンタでも無理?」

「アヴェリンを巻き込む。それ程の規模の術でなければ止められない」

「……魔術抵抗の支援を掛けた筈だけど、それをブチ抜く程の威力じゃないと無理だって?」

「半端な魔術じゃ吸収されてオシマイだ。反撃に利用されれば、私達はともかく後ろの被害は甚大だろう。試すつもりにはならない」


 ユミルは顰めた顔から、盛大に息を吐いて鼻の頭を掻いた。

 エルクセスの吸収量とて無尽蔵ではない。反撃の暇も与えずに、あるいは反撃をさせつつ魔術を打ち込み続ける。そうすれば、吸収するより早く蓄積量を上回り、いずれ自爆する事になるのだが、それをするには隊士達が邪魔だった。


 恐らく、その間に流れ弾を受けて吹き飛んでしまうだろう。

 彼らは必ず生かすべき人材でも、守り続けなければならない民という訳でもないが、彼らにも彼らなりに出来る役割がある。すぐにでも、大物を相手にする為小型や雑魚はそちらへ流す必要に迫られるだろう。

 それをさせる為にも、今は無理をしてまで取る戦術ではなかった。


「ミレイさん、私はどうします? 雑魚を散らし続けていますか」

「そうだな、今はそれでいい。だが、私が合図したら小型は後ろに流れるよう誘導しろ。同様に蹴散らしつつ、逃げ道を用意するんだ」

「了解です」


 ルチアに頷いて見せて前を向く。敵の動きとアヴェリンをどう使うか考えていると、隣から不満気な調子で声がかけられた。


「……ちょっと、アタシは?」

「何かちょっといい感じに何とか上手くやってくれ」

「アタシの指示がどうしてそうも、適当でいい加減なのよ!」


 ミレイユは新たに魔術を放ちながら、肩を揺さぶってくるユミルをぞんざいに払う。

 なおも食って掛かろうとするユミルを止めて、ちらりと視線を向けてから前を向いた。


「お前なら何か言う必要もなく、最善の方法を取るだろう? これはつまり、信頼の表明だ」

「どこがよ。アタシが本当に適当やったら文句言う癖に」

「そりゃあ馬鹿をされたら、文句の一つも出るものだろう」

「だったら先にやって欲しいコト言っとけって話でしょ」

「――いいですから、馬鹿な言い合いは、そろそろ止めておいて下さいね」


 ルチアからの仲裁が入って、ミレイユもユミルも口を噤んだ。

 言い合いをしている間も、ミレイユは魔術を制御をしたりと別にサボっていた訳ではないのだが、端から聞いている者からすれば関係ないだろう。

 戒めるつもりでルチアに小さく頭を下げて、それから魔術を一つ放ち、魔物を吹き飛ばしながらユミルへ向き直る。


「上手く気を回してフォローしてくれるだろう、というのも正直な感想だし、言わなくてもやるだろうと思ってもいたが……。あれだけ魔物を殺したんだ、やって欲しい事は分かるだろう」

「死霊術使えって?」

「『死霊作成』した上で、『呪霊変化』からの『死出の支配』で撹乱させろ。恐慌状態にさせた上で、統率された動きをさせなくするんだ」

「……あら、大仕事ですコト。アンタ簡単に言うけどね、それ別に簡単な魔術じゃないからね?」

「今まで楽して来たんだ、その貸しを返すと思え」


 死霊術は他の系統と違って、また別の才能が必要になるとされる。

 死霊を作成する、という時点で肉体から離れた魂を利用する術だけに、多くの即興性を求められ、また作成しただけでは弱すぎて戦闘には向かない。


 暗がりから飛び出させてやれば驚いて逃げる相手もいるだろうが、この場で使うには不適切だろう。

 だから作成した死霊を呪霊へと変化させてやる必要があるのだが、これにはまた別の魂を掛け合わせなくてはならず、二体以上の死体が必要だ。


 多くの魂を使用すればするほど強力な死霊になるが、自我を持ち始めた死霊は生者に対して牙を向く。それは作成者に対しても例外ではなく、単に精霊を召喚して戦わせるよりも尚リスクが伴う術なので、倫理的に使用を拒むという以前に誰も使いたがらない。


 多くの条件とリスクを負っても精霊より弱いというのが常なので、実戦には向かないし、使い終わった死霊は勝手に消えてはくれない。その場に残り続けて生者なら何でも襲う悪霊と化すので、そういう意味でも人にも魔物にも嫌われる存在だ。


 それが力を持つと、物理的攻撃は元より効果がない上に壁なども無視して動き、魔術的抵抗も持って襲うようになる。これを支配し続けるというのは大変な労力で、この支配を断ち切られると、今度は自分が危ない。

 だから使うべきではない、というのが通説だが、これを使いこなせば精神的に敵を追い込みつつ、自分は安全な壁の向こう、建物の向こうから攻撃する事も発狂させる事も自由自在だ。


 ここに壁はないし、無防備な姿を晒す事になるが、何しろここにはとにかく利用できる新鮮な死体が無数とある。材料には事欠かないので、適当に作っても十分な嫌がらせを行う事が出来るだろう。

 魔物に限った話ではないが、とかく死霊は嫌われ近付きたがらない存在だから、一方向へ誘導ささせるには役に立つ。


 そして魔術も魔術付与された武器もない相手には、一方的に攻撃できた。

 本来は壁の中に籠もった相手などへ使って、外に誘き出したりするのが正しい運用方法だと思うが、今回は少し変則的な方法で使ってもらう。


 実際、統率されていない群に使うなら、前も後ろも流れに逆らって動けない奴らには有効に働くのだろうから。


 ミレイユが目配せ一つで頼む、と言うと、ユミルは嫌がる口ぶりと反して魔術の行使を始めた。手近にあった死体から白い球体がゆっくりと動き出し、それが下半身を持たない人型のような形を作っていく。


 同じように作られたもの同士を繋ぎ合わせ、より強固な存在へと作り上げていくのを尻目に、ミレイユは前方へと意識を集中する。

 アヴェリンは今もドラゴンと戦闘中だが、個体の強さと数、そしてエルクセスが気になって集中し切れていないように思う。


 あれと戦いたいというよりは、あれがミレイユの元まで辿り着いてしまう、と理解したからだろう。その時、自分が傍にいないでどうするのか、とでも考えているのかもしれない。

 ミレイユとしても、いつまでもアヴェリンを孤軍奮闘させておくつもりはない。

 そろそろ一箇所に戦力を集中させるべき時だろう。


 ミレイユはフラットロにも思念を飛ばし、戻って来るよう伝えると、再び魔術の制御を始めた。自身にはいっそ無尽蔵と思える魔力があるが、無理をさせているルチアは少し苦しそうだ。

 そちらに休憩を与える為にも、少し無理をする必要があるだろう。


 ユミルが一つの呪霊を作成し、それを盾とするように前面へ配置するのを見届けると、ミレイユは足元に向かって魔術を放った。

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