退魔鎮守 その10

 ミレイユは駆け出しながら魔術を行使し、自身の強化を図る。

 そろそろアヴェリンの強化も切れる頃合いなので、完全に効果が消失する前に重ね掛けしておく必要があった。


 アヴェリンはミレイユに合わせてわざと歩調を緩めているが、この強化の掛け終わりか、あるいは敵の突進次第で、即座に離れていくつもりだろう。

 盾役として若干前に出てはいるものの、このような場合、より前に出て敵の攻撃を誘うのが常道なのだ。


 前進する間に、他の魔物も襲い掛かってくる。

 どれも鎧袖一触とはいかない相手とはいえ、ここで足を止めて戦ってしまえば、エルクセスへと到達する前に魔物の波に呑まれてしまう。


 ミレイユは多方面から襲ってくる攻撃を躱し、時に殴り付けてくる敵を踏み台にしながら前進を続ける。エルクセスも自らが標的としている相手が向かってくると分かって、その長い脚を伸ばして踏み出した。


 その一歩だけで地響きが起こる。

 ゴフゴフと荒い息を口の端から零し、ミレイユをひたりと見つめていた。それと同時に鈍色に光る箆角が輝き出す。それは魔力制御を始めた予兆だった。


 光る色は青く、それが氷結系の攻勢魔術であると察し、アヴェリンに掛けていてた支援術を早めて完成させる。最後に氷結系に対する耐性を高めてやって、一つの魔術を加えると共にその背を叩いた。


「――よし行け、アヴェリン!」

「ハッ!」


 その背に指先が触れると共に、魔術による手助けもあって弾丸のように飛び出した。

 元より素早く動いていた二人だが、それで完全にミレイユを置き去りにして前に出る。瞬きの間にエルクセスへと肉薄し、跳躍すると共に肩口へと殴り付けた。


「ブフォン!」


 その衝撃で身体が揺れたものの、エルクセスは不機嫌そうに一鳴きしただけで、それ以上の反応を示さない。

 アヴェリンとしても、その一撃で沈められると思っていた訳でもないだろうが、ここまで蔑ろにされるとも思わなかった筈だ。


 ミレイユとしても同じ思いで、せめて体勢が崩れるぐらいの事は起きると予想していただけに、これには思わず舌打ちしたい衝動に駆られた。

 エルクセスは構わず制御を続けて、箆角が更なる輝きを増し、そして魔術が解き放たれる。


 ――あれは拙い。

 アヴェリンの一撃で制御が中断される事を期待していただけに、そちらへの対応が遅れてしまった。両手で制御する氷結耐性の盾を瞬時に行使し、前面へ手を突き出す。


 エルクセスの放った魔術と、ミレイユが作った盾の魔術が発動するのは同時だった。

 普段は片手で使うことの多い魔術だが、両手で使えば制御も威力も大きく上がる。それを常にやらないのは、そうするだけの場面に巡り合わなかったというのもある。

 だが、より大きい理由として、片手のどちらかを自由にさせておいた方が、咄嗟の対処への対応力が違うからだ。


 しかし、今回ばかりはその対応力を捨ててでも、目の前の魔術に集中せねばならなかった。

 一極集中された雹風がミレイユへと押しかける。難なく受けられるとは思っていなかったものの、予想外の強さでその場で足踏みしてしまう程だった。


「重いっ……!」


 横へ流して逃げようとしても、その度に柔軟に操作して、標的としたミレイユを逃さない。足止めさせて近づけさせない、というのは、それだけミレイユを脅威と思っているからだろうが、目的はそれだけでもなさそうだった。


 足を止めたという事は、他の魔物からの攻撃も受けやすくなるという事。

 無防備に背中を見せるミレイユは、恰好の獲物に見えただろう。それまで蹴落としてきた奴らが好戦的に向かってくるのを気配で感じていた。


 迫りくる魔物を躱す事は出来る。

 前方から押し付けてくる雹風は、ともすれば他の魔物をも巻き込んだ。逃げる方向を調節すれば、代わりに倒して貰う形へ持っていく事も出来たのだが、それがいつまでも続く訳もない。


 雹風を受けるか、それとも背後からの攻撃を受けるか、その択一を迫られた時、大きな爆発が魔物たちを蹴散らす。

 その爆発には覚えがあった。本日幾度も見てきた爆発だ。


「フラットロ……!」

「平気、平気! 後ろは守るよ!」

「頼むぞ!」


 ミレイユが雹風を受け流すように横へ移動すれば、それに合わせてフラットロも動く。魔物の全てが炎に弱い訳でもなく、むしろ耐性を持つ者も多くいるが、爆炎から守られても爆風からは逃げられない。


 わざと足元へ爆発を起こせば、その衝撃までは躱せず吹き飛ばされる事になる。

 非常に頼りになるが、エルクセスへは一向に近づけず、そして動く度に魔物を引き寄せる状況は、楽観できるものではなかった。


 フラットロの爆発で敵を遠退ける事は出来ても、倒せない敵は蓄積していく事にもなってしまう。

 その時、硬いものを殴り付けた様な、甲高い音が響き渡ると共に、エルクセスの制御に乱れが生じた。

 吹き付ける雹風が断続的になり、押し付ける力も弱まる。その隙を逃さず、大きく横へ飛び退き、手近な魔物を蹴りつけて、その反動を利用してエルクセスへと接近した。


 顔を上方へ向けると、アヴェリンが箆角を力いっぱい殴り付けた姿勢で空中にいた。あの角が魔力器官である事は広く知られた事だ。そこへ攻撃を加えようと考えるのは当然だが、何より頭上までは距離がある。


 本来なら、エルクセスもそちらへ注意を払うのだろうが、相手にしていたのは力押し一辺倒で行ける程、簡単な相手ではないミレイユだった。

 普段なら簡単に押し勝って悠々と次へ移るのだろう。だから粘っている間に、箆角を攻撃させる隙を許してしまった。


 これで罅の一つでも出来ていれば良いのだが、と目を凝らしてみたが、どうも小さな凹みすら確認できない。アヴェリンの攻撃ですらそれとなると、破壊を目指して注力を向けるのは、あまり得策ではないかもしれない。


 アヴェリンが箆角を蹴り飛ばし、その反動で離れて肩口へと降り立つ。ミレイユもまた同じ場所へと登り上がり、肩を揃えて巨大な顔面を見上げた。


「……呆れた頑丈さだな」

「元より災害に、武器一つで挑むようなものです。手応えが感じられないのは当然かと」

「だが生物である以上、やりようはある筈だ」

「左様ですね。精々見せつけてやりましょう、蟻の一噛みから崩れ落ちる事もあるのだと!」


 敵はあまりに巨体で、実際にエルクセスとアヴェリンとの対比を見れば、蟻のようなものだ。その攻撃も大した効果を上げていないように見える。普段ならこれ以上頼りになる者はいない、と思える武器捌きも、エルクセス相手だとそうもいかない。


「ブフォォォオオオ!!」


 巨大な口を開けて吠えれば、その音と風圧だけで吹き飛ばされそうになる。跳ねるように肩を揺すられれば尚の事だった。

 ミレイユは一本の剣を召喚し、そこに自分の魔力を纏わせる。召喚の仕方が独特なので、その武器自体が半透明になっていて存在すらも希薄だ。それを魔力でコーティングする事で、有り触れた武器さえ名剣を凌ぐ切れ味を持たせられた。


 吹き飛ばされるより前に、ミレイユはその肩口へと武器を突き立てしがみつく。

 アヴェリンも毛皮へしがみつこうとしていたが、何分片手が塞がっているので心許ない。ミレイユは念動力でそれを支えつつ、次にどうするかを考えていた。


 エルクセスの肩に載ったお陰で空までが近くなった。

 この場は結界で封じられているが、それがギシギシと音を立て、今にも壊れてしまいそうな雰囲気を肌で感じられる。そもそもの耐久力を考えれば、既にもう破綻していてもおかしくなさそうだったが、それこそ近隣の神社全ての結界術士を動員して保たせているのかもしれない。


 次々と現れる、より強い魔力を有した魔物たち。

 下手をすれば、エルクセスが出現した時点で、破壊されていても不思議ではなかった。それでも現在、形を保っていられるのは、全ての人員を回すような努力あってこそだろう。


 そして――。

 まだドラゴン達も残っている。

 ミレイユたちが手の届かない所にいるので、下から威嚇するように吠えているものもいるが、早々に見切りをつけてルチア達の元へ向かおうとしているものもいる。


 ミレイユがそう指示したとおり、隊士たちへも魔物は流れているし、あまり苦戦が長引けばれば彼らのみならず、ルチア達もまた危ない。

 エルクセスの咆哮が収まると、ミレイユは念動力をアヴェリンに纏わせたまま顔面へ向かって投げ飛ばす。それに続いてミレイユも飛び出した。


 明確な弱点と思えるのは箆角だが、アヴェリンにでさえ無理だったなら、ミレイユにも無理だ。残るは眼球ぐらいしか狙えるところがなく、それに狙いを付けてアヴェリンを飛ばしたのだが、瞼を閉じられてしまえば打つ手はない。

 だが、アヴェリンは閉じた瞼の上から構わず叩きつけた。


「――ハァッ!」

「ブビィィィィ!!!」


 エルクセスは悲鳴を上げて大きく揺れる。涙を流しながら顔を左右に激しく振って、そうしながらも箆角が魔力の制御を示して激しく光った。

 激しく揺さぶるエルクセスの鼻面がアヴェリンを叩く。それで弾き飛ばされたアヴェリンを、ミレイユが咄嗟に念動力で受け止めた。


 だが、その強すぎる衝撃にミレイユまでがその動きに引っ張られ、受け止めきれず手放してしまった。

 遠く地面へ吸い込まれるように落ちていくアヴェリンを尻目にしつつ、ミレイユは自分のすべき事を見定めた。

 ――地上へ落下したぐらいで死ぬアヴェリンでもない。


 ミレイユは剣を構えて涙を溜めた眦へと一足飛びに近付くと、手首を返して逆手に持ち、体重を掛けて刃を眼球に突き落とした。


「ブフィ、ギヒィィィン!!!」


 差し込むまでは固く、そして差し込まれてからは柔らかく感じた手応えのまま、重力で引かれるに任せて眼球を引き裂く。

 だが傷つけられ、顔を振って暴れるエルクセスの衝撃は凄まじく、ミレイユもまたアヴェリン同様に吹き飛ばされてしまった。


 浮遊感と共に離れていくエルクセスの顔面、血と共に流れる涙を見つめながら、続く落下に身を任せて、ミレイユは次の魔術の制御を始めた。

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