詭計と疑心 その8
ミレイユの森は、山を背にして半円形に広がる。
その森から十分に離れた場所へ、囲むように点在して配置されたのが、デルン王国が作った野営地だった。
先端を尖らせた木柵で囲まれただけの、見張り台も一つしかない簡素な野営地だが、対策としてはこれで十分でもある。その野営地に、思い思いの場所でテントを広げ、森に異常がないか見張る。
その森も、入口から最奥までは数キロある上、木々も密集していて見通しは全く利かない。その上、葉が日光を遮ってしまうので常に薄暗く、何が隠れていようと見つけられるものではなかった。
だが、やるべきはそれだけで良いのだと知っている。
見つけられないとしても問題はない。何者か出て来たりしてないか、それを見る事が重要なのだ。
森に手を出せば、手痛い反撃を受ける。
その事は良く知られた話で、そして森に住む魔族達もまた、森から出て来る事は殆どない。だから手出しさえしなければ、安全である事も良く解っていた。
本日、ギルドから見張りとしてやって来たトロリオも、その事はよく熟知している。同じ依頼を受けるのは三回目だし、他にやって来た冒険者たちも、同様に良く理解していた。
辺りを少し見回しても、見知った顔が幾つもある。トロリオと同じ様に、何度も繰り返し受けている奴らだ。
払い渋りも無く、報奨金は良心的。また、内容に比べて危険すぎる事も無い。指定された野営地に、荷物を持っていく事だけは面倒だったが、この仕事で辛いと言えるのはそれぐらいだ。
敢えて口に出す程の不満でもなかった。
定期的に張り出されるこの依頼は、常に人気があって競争率が激しかった。
トロリオの様な駆け出しには有り難いばかりの依頼で、碌な資金もない身としては、受けられる時に受けねばならないものだった。
良いパーティと組むには、やはりそれなりの装備があった方が受け入れられ易い。刻印に金を使ってしまって、武具に回せる資金が潰えてしまい、だから何を取っても金が欲しかった。
この仕事が、冒険者の受ける依頼としては、白眼視を受けるものだという事は知っている。
やってる事は偵察や斥候の類いだろうし、戦争の片棒を担いでいるという自覚もあった。だが、直接戦えと言われた訳でもないし、何よりギルドが認めて張り出した依頼なのだ。
それを受けて何が悪い、という心境だった。
冒険者は何でも屋だし、傭兵と似た部分もある。だが双方を比べて決定的に違う部分は、国が起こす戦争に加担しない、という事だった。
傭兵はむしろ、そちらが本業で金を稼ぐが、冒険者は魔物を対象とする。魔物だけでなく、時に魔獣も相手にし、その警戒をするため斥候を依頼する事も多々あるのだから、その対象が魔族であっても問題ない筈だ。
トロリオはそのように、自分へ言い聞かせる。
同時に、それが一種の詭弁である事は理解していた。
森に住む者達を――その種族を、魔族と呼び習わしているのはオズロワーナだけだ。他の何処かにあるギルドなら、この依頼は受け付けず、依頼があった時点で跳ね除けられるのだろう。
「でも、稼ぎがなくちゃよ……」
何一つ揃える事が出来ず、それで真っ当に稼ぐことが出来なくなれば、路地裏に転がる破目になるだけだ。
稼ぎのない冒険者など、ゴロツキと大差がない。大金と名声を求めて冒険者を目指したのだ。最初は躓いたかもしれないが、いつまでも燻っていたくなかった。
そう戒めて、森を見ながら溜め息を吐いた時だった。
「おい、あれ……!」
誰から空を指差して、緊張した声を上げた。
トロリオも指差した方向を見てみれば、見張り台より幾らか高いぐらいの位置に、拳大程度の大きさをした火の玉が浮いていた。
それは野営地の上をゆったりとした動作で二周し、冒険者の一人が慌てて見張り台の上に登った頃には、そのまま何処かへ去って行った。
攻撃して来る訳でもなかったが、さりとてあの動きには意志があった。消え去った方角も森とは反対で、一体何が目的なのか皆目見当が付かない。
トロリオは近くにいた冒険者に訊いてみた。
「おい、あれ……何だったんだ?」
「魔族は精霊を使う事もあるんだ、と聞いた事がある。もしあれがそうなら、火の精霊か何かを使役していたんじゃないか」
「でも、あの火の玉が消えた方は、森とは反対だったぞ?」
「……そういう事もあるんじゃないのか。精霊は森に住んでいる訳じゃないんだから」
そうと聞けば、納得できるだけの説得力があった。
精霊は自身の属性と親和性の高い場所を好む、と読んだ事があった。刻印として召喚術を修めれば、何かと便利ではないかと、かつて調べた事があったのだ。
だが実際は単調な命令しか聞かず、やる事をやったら帰ってしまう。やる事は火の玉を飛ばしたりと、刻印で代替できるものばかりで、敢えて精霊を喚び出してまでやる意味が薄い。
今も古い魔術形態を維持している魔族としては、それも有効的な手段なのかもしれないが、だとすれば、尚更偵察の様な使い方をした意味が分からなかった。
そう考え、トロリオの動きが固まる。
「偵察……? なぁ、あれって俺たちを偵察してたんじゃないのか?」
「軍が駐留してるならまだしも、俺達のこと見てってどうすんだよ」
「けど、奴らからしたら、どっちも敵には変わりないんじゃないのか。野営地を潰したいんならさ、軍が居ない時の方がむしろ――」
トロリオは自分の口から飛び出す言葉が、事実を物語っているような気がして顔を青くさせた。
トロリオ自身はまだ三回目の参加に過ぎないが、この依頼はもっとずっと以前から張り出されているものだ。
この野営地にいる者の中にも、いわゆる古参と呼べる者はいるが、長く襲撃が無かった事で弛緩した空気が蔓延していた。
見張り台へ登った者にしても、一応の規則として取り決めどおりに動いただけで、空に向けて臨戦態勢を取っていた訳でもない。
誰も武器を取らなかったし、刻印を発動させる素振りさえなかったのだ。
お題目としては見張りや偵察だが、実際は野営地保全を目的としていると、誰もがそう思っている。楽なばかりの依頼、トロリオも同じ様に思っていた事は否めない。
だが、身の危険が迫っているかもしれない、と思えば、話は別だった。
「なぁ、少し警戒だけでもした方が良くないか? ――おい、見張り台! そっちどうだ!」
トロリオは声を張り上げたが返事は無い。
それが無視なのか、やる気の無さから来るものか判別できず、苛立たしげに再度声を張り上げた。しかし、やはり返事は無い。
「返事くらいしろって! ……くそっ」
悪態ついて唾を吐き、仕方ないと自ら見張り台に登る事に決めた。
どうせやる事など無い身だ、森を見て安心できると言うなら、ここでやきもきしているより、よほど建設的だ。
隣の冒険者にも、一応警戒を呼びかけようと隣を向き、そしていつの間にか消えていて眉を顰める。トロリオが見張り台へ声を張り上げている間に、どこかへ行ってしまったのだろうか。
用を足しに行った程度なら可愛いものだが、テントに入って寝るつもりなら、何か一つ文句を言ってやらねば気が済まない。
トロリオは手近なテントに近付こうと足を進めたところで、静か過ぎる事に気が付いた。
野営地には三つのパーティ、計十一人が滞在していた。それぞれが持ち回りで動く予定で、トロリオもそのパーティの一つに加わって動くよう、都合が付いていたところだ。
野営地の入り口に立つなど、形ばかりでも見張りをする義務があり、それを三交体制で行う必要もある。緊張感も無く、誰かしら雑談しているのが常だったのに、今はそれすらも無い。
中央付近に設けられた焚き火が、乾いた音を立てて小さく爆ぜる。
その音が余りに空虚に聞こえ、恐ろしささえ感じる程だった。
「みんなは……、どこにいるんだ? おい、誰か居ないのか! 見張りはどうした!?」
精一杯の虚勢を張って、声を上げてみるものの反応は無い。
左右へ素早く視線を移し、身を屈めて腰から武器を抜いた。安物の長剣だが、刻印と合わせて使えば、そう馬鹿にしたものでもない。
何事も使い様だ。
刻印に金を使った分、それなりの働きは出来るつもりだった。実戦経験もそれなりにある。冒険者の実力は、見栄えから計れるものばかりではない。
そう自分に言い聞かせ、いつでも発動できるよう、腕に刻まれた刻印へと意識を集中する。
左右へ正面へ、そして素早く背後へと振り返り、油断なく周囲を警戒した。
何かが起きているのは間違いない。それが魔族からの攻撃かどうか分からないが、最早何かから襲撃を受けていると考えて良さそうだった。
――逃げるか。
その判断だけは早かった。
それが何であれ、秘密裏に三つのパーティを無力化できるというのなら、トロリオの出る幕ではない。逃げて、他の野営地に辿り着き、助けを呼んだ方が貢献度は高い。
幸い、点在している野営地まで遠くなかった。全力で走れば五分と掛からないから、体勢を立て直すでも、危機を伝えた後でも、対処できる余裕は生まれるだろう。
そこまで頭に思い描くと、未だ静かな野営地の中を視線でなぞり、脱兎の如く駆け出した。
武器はまだ収めない。入り口の脇に、敵が潜んでいるかもしれないからだ。
だが、三歩進んだところで、トロリオは衝撃と共に頭から地面にぶつかった。
「――がはっ!?」
何が起こったか分からず、鼻の奥がツンとする痛みと、額から頭蓋へと走る痛みに混乱する。次の瞬間には鼻血が出ている事に気付き、そして遅れて足に痛みを感じた。
痛む頭と霞む視界に無理をさせて、肩口から覗き込むように足元へ視線を向ける。
そうすると、明らかにおかしな方向へ右足が曲がっていた。
折れている。樹に巻き付く蔓のような、捻れた折れ方をしていた。
「い、ぎ、ぎ、ぎぎ……!」
直視し、認識してしまうと、次いで痛みが走ってきた。
膝から腰へ、腰から背骨へと、順に痛みと怖気が走り、トロリオは顔を引き攣らせる。口の奥から悲鳴を上げようとしたところで、衝撃と共に意識が失う。
無造作なところへ、頭を直接蹴り飛ばされた所為なのだが、当人には知る術がなかった。
その蹴った当人は、呆れた声を出しながら姿を現す。
「最後に残った一人って、大体逃げるか狂うかなのよね。……ま、中でもコイツは、マシな動きが出来た方かしら。だからって、大した意味も無いけど」
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