叛逆の意思 その6

 それは正に、間一髪だった。

 巨大な落下物でもあったのかと思う轟音と、地面を振るわす衝撃が身体を貫く。

 建物の幾つかは今の衝撃で壊れたろうし、実際に多くの建材が砕ける音が聞こえていた。


 だがそれらの損壊も、結界内に封じたお陰で実際の損壊は免れた筈だ。

 そう思うのも束の間、遅れて瓦礫混じりの砂埃が襲ってきて、それらからミレイユを護るため、ユミルは再び自分の身体を盾にする。


 『地均し』を再び、結界内へ閉じ込めた。

 それは喜ばしい。何かと空を飛び回り、ミレイユ達を妨害していた円盤も、その動きに制限を掛けられるのは僥倖だ。


 しかし、今のユミルにそれら一切合切どうでもよかった。それより遥かに大事で危急の事態に直面している。

 土煙が収まった時、フラットロが叫び声を上げた。


「あぁ……!? 駄目……駄目だ、ミレイユ! いっちゃ駄目だ!」

「――しっかりしなさい、アンタ! こんな所で終わるつもり!?」


 フラットロの言葉の意味を、正確に読み取って、ユミルも声を上げる。

 相変わらずミレイユの顔に生気は無く、一切の反応を返さない。


 それどころか、尚も何かが抜け落ちていくように感じられる。

 最後の最後、僅かに残った命の一滴、それが流れて消えようとしていた。


「あぁ、あぁぁぁ……!?」


 フラットロが自分の身体を前足を見て、そして身体へ顔を向けて、恐ろしいものを見たような声を上げる。

 驚愕と忌避、悲壮感に溢れた顔で、自分とミレイユを見比べ、縋るような声を上げた。


「消える……繋がりが……、契約が消える! 駄目だ、ミレイユ! いかないで! いやだ、そんなのいやだぁぁぁ!!」

「聞きなさい! 聞こえているでしょ、アタシの声が! ――命じる! 今すぐ目を開け、応じなさい!」


 ユミルもフラットロの様子を見ては、引き攣った顔で必死に呼びかけた。

 眷属に対する絶対命令、それは命ある限り、反する事が出来ないものだ。

 本人の意思とは関係なく、抗えない命令である。


 だが、当然ながら遂行できない命令には、応じる事が出来ない。

 あくまで本人に実行可能な命令でなければ、どれほど単純な命令でも従ってくれない。


 だが、幼子さえ実行可能なユミルの命令に、ミレイユは一切の反応を示さなかった。

 目を開けるだけ、応じるだけ。


 それほど単純な命令さえ受け付けないというのなら……、つまりはそういう事になる。

 ユミルはミレイユの何も映さない目を射抜くように見つめながら、必死に声を上げた。


「まだ大神は死んでない! 生きてるわよ! だから抗って! 大神を挫いてよ! アンタにしか……アンタしか……!」


 本当に大神が生きているか、それはユミルにも分からない。

 だが、あれ程の大魔術の大威力ならば、大神とて無事で済んだ筈はない、という期待があるだけだ。


 それでも、ユミルにあと一つ、縋る事が出来るものがあるとするなら、それは最初に下した命令を喚起するだけだった。


 眷属に刻む命令の、最初の一つは特別だ。

 最も強力で、最も拒否できない命令になる。

 単純な命令で応じないとしても、この命令にだけは反応を示すかもしれなかった。


「ミレイユ……っ!」


 だが、その原初命令すらも、ミレイユは一切の反応を示さない。

 力なく放り出した四肢はそのまま、指先一つ、瞼の一つすら微かにも動かない。


「アタシを置いて行かないで……」


 常にユミルの内で押し込めていた、浅ましい想いが口に出る。

 彼女が最も忌むべき事は、ミレイユの死を看取る事だった。

 心を許した無二の友、生涯の友、その死を受け入れたくない。


 ミレイユに神となる事を勧めたのは、世界を思っての事ではなかった。

 寿命が無くなれば、ずっと傍にいられると思った。


 本音を口にせず、名前で呼ぶ事も極力せず、付かず離れずの位置を維持しているのは、本心を知られると離れてくと思っていたからだ。


 その上、人間の寿命は短く、長くても百年程度しか生きられない。

 その死を悼む事になるのなら、自らが先に死を望む。それほど、ユミルが思うミレイユの執着は強い。


 だからきっと、オミカゲ様となるミレイユを逃がすため、自らが囮となったユミルに躊躇いはなかっただろう。

 本人の死を前にして、そのユミルを羨ましくさえ思う。


「お願い、お願いよ……っ!」


 ユミルはついに涙して、隣へ寄り添う様に肩を抱き、ミレイユの額に頬を乗せた。

 涙は頬を伝い、それがミレイユの額に落ちる。


 肩を撫でる様に揺すっても、やはり何の反応も示さない。

 それでもミレイユは何一つ、一切の反応を返してくれはしなかった。



 ◇◆◇◆◇◆



 それとほぼ、同時刻の事だった。

 神宮に突如として現れた、巨大な人の形に似た何か。

 それが暴れているのは、遠く離れた場所にいても見る事が出来た。


 そして、それこそが避難勧告を出された理由であり、それから護る為にオミカゲ様は戦っているのだと、誰もがそう思った。

 ――自分に出来る事をやってやれ。


 海沢博光は、その言葉を直接掛けられた人間として、実直にこなそうと躍起になって動いていた。

 神宮周辺は既に避難も終わり、その補助として神宮関係者や警察も動いている。


 車がある人はそれで逃げられるが、誰もが持っている訳ではなく、電車を利用して逃げようとする人も多い。

 それで階段の登り下りが辛い老人や、あるいは迷子になってしまった子供を助けたりとしている。


 こういう未曾有の事態に置いて、誰もが率先して我先にと逃げ出そうとしそうなものだが、決してそうはなっていない。

 誰もがオミカゲ様の声を聞き、その御言葉どおりの行動と規範を示そうとしていたからだった。


 博光が撮った動画は、SNSの波に乗り、あっという間に拡散した。

 登録者が三千人もいない底辺配信者だ。

 だが、この生放送が終わった後のアーカイブは、一秒を重ねる毎に視聴者が急増し、未だ一時間と経っていないにも関わらず、更にその数を増やし十万再生を越えようとしていた。


 普段の再生数が百前後である事を考えると以上な数字だが、それも被写体がオミカゲ様となれば当然と言える。

 それも、傷つき倒れそうなオミカゲ様である。


 スマホの狭い範囲でしか映らないカメラに、その全てをフレームに収められていた訳ではないが、何かがキーンという音を立ててビルを幾つも貫通し、それでも止まらずアスファルトを削って落ちて来た所は捉えていた。

 そして、もうもうと煙を上げて出て来たのが、普段とは装いも髪型も、髪色まで違うオミカゲ様だった。


 どうしてそんな事態になったのか、そんなものは神宮で巨大なナニカが暴れている時点で想像が付く。

 オミカゲ様に次いで、神宮の方にカメラを向ければ、振るった腕を元に戻した光景が映っている。


 そして、動画の中のオミカゲ様が言うのだ。

 早く逃げろ、弱者には手を伸ばせ、お前たちを助けさせてくれ、と――。


 これで動かない日本人は居ない。

 神宮周辺に居て暢気に様子を窺っていた者、危険だとしても動くかどうか躊躇っていた者など、素早く動いた。


 渋滞なども起きやすくなっていた為、電車での移動も推奨、そういった警告を動画で上げた者もいたぐらいだ。

 しかし、これには見かけだけ似ている、オミカゲ様とは別の誰かだ、と主張する者もいた。


 何しろ様子が違い過ぎるし、多くの人にとってオミカゲ様とは白髪赤眼の御姿なのだ。

 声まで聞いた人は多くないが、洋式の――それも見慣れぬ防具ともなると、別人説が出るのは当然だった。


 オミカゲ様の鬼退治、という逸話を知る人などは、これが世を偲び鬼を退治している時の姿だ、という具合に声を上げた。

 あるいは、オミカゲ様には御子がいるのだ、という話すら持ち上がった。


 どちらが正しいのか不明でも、オミカゲ様かそれに近しい御方、という認識に誤りは無かった。

 だから、彼らは祈る。


 オミカゲ様に戦勝を祈り、ご無事を祈り、そして感謝を捧げた。

 もう一柱、オミカゲ様でないかもしれないが、オミカゲ様と良く似た御方に祈る。

 その戦勝と、ご無事と、感謝を捧げた。


 その祈りは正しく信仰であり、信奉であり、信心だった。

 動画を見た十万人の内、オミカゲ様でないと思ったのは……祈りを向けたのは、果たして何人であったろう。


 ――そして、神宮の上空を貫く爆光と衝撃波、爆音が轟いた時、彼らは強く強く一心に念じた。

 我らを救い給え、万難を退け給え、そして御身がご無事であれ、と。


 それと呼応するように、超大な爆発によって巨大なナニカは上半身が消し飛び、倒れ伏せる。

 ゆっくりと倒れ、それが地面に衝突するより早く、音もなく消え去った。

 その瞬間を目撃した者達は、オミカゲ様の勝利を確信し、そして喝采を上げたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る