叛逆の意思 その5

 その光景は、誰にとっても悪夢だった。

 ミレイユは凄まじい勢いで地面に落下して来たし、その時の衝撃で地面を大きく抉り、クレーターさえ出来ている。


 巨大な爆光は天を衝き、大気を震わせ、地上にもう一つの太陽が出来たかのようだった。

 恐ろしいほど膨大なエネルギーが吹き荒れていると分かるのに、地上への影響が少ないのは、その爆発が納まるまでオミカゲ様が何かしていたからだと、すぐに察せた。


 その光と爆発、衝撃力全てを上方へ逃した事で、最後の力を振り絞ったのだろう。

 オミカゲ様まで程なく、全身を弛緩させて落下した。


 爆光と煙が晴れた時、五百メートルは超えると思われる『地均し』の姿は、およそ半分が消し飛んでいた。

 そのヘソ部分より上が、まるでスプーンで削り取ったかのように、綺麗な断面で消失しているのだ。


 そうして、それまで微動だにしていなかった『地均し』が、まるでそよ風の手で押されるようにして、その身体を揺らした。

 一度、小さく傾くと、その傾斜が徐々に大きくなっていく。

 大質量の半分が消し飛んだとはいえ、未だ十分な巨体を有している『地均し』は、単に倒れ込むだけでも十分な被害を生み出すだろう。


 しかも、倒れる方向には奥御殿――オミカゲ様の神処がある。

 全体を俯瞰して見ていた結希乃には、その事態にいち早く気付く事が出来た。

 そして、倒れ込む事で結界の有効射程範囲に入り込むのだと、同時に察する。


「――伝令! 即時、一千華様に結界の展開を要請しろ! ――治癒術士! 一班はオミカゲ様へ、二班は御子神様の救助に行け!」


 腕を振って指示を飛ばすと、それぞれの隊士達はザッと音を立てて走り出す。

 そうすると、次に結希乃は浮足立った前衛へ向き直り、凛とした気合を乗せて怒声を上げた。


「動揺するな! オミカゲ様がたは、見事大任を果たされた! 我らがその御前で不甲斐ない真似を見せる訳にはいかないッ! 気合を入れろ! 鬼を倒せ! 勝利は目前だッ!」

「ォォオオオッ!!」

「状況は安定している! 敵首魁は倒れた! ならば孔も長くは続くまい! 押し切れば勝てる! オミカゲ様に勝利を捧げるのだッ!」

「ウォオオオオッ!」


 結希乃の鼓舞が隊士達の動揺を消し飛ばし、更なる気合に燃え上がる。

 オミカゲ様が力尽きたかの様に落下した。

 心配し、動揺するのは、隊士ならば当然だ。


 そしてそれは、尊い御身であるにも関わらず、それを惜しむ事なく奮戦した結果でもある。

 ならばオミカゲ様の矛であり盾である隊士が、これに滾らない訳がない。


 オミカゲ様は強い神だ。戦神、武神としての側面を持ちつつ、何より慈悲深い神でもある。

 なればこそ、その無事を祈って勝利を捧げる。それ以上の報いる手段を持ち得ない。


 一つの気合が二つになり、それが伝播して隊士全員の力を底上げする。

 いつまでも続く、いつまで戦えば済む、と気持ちが後ろ向きになり始めていたのは確かだった。

 だが、そこに一条の光が差したならば、そこへ邁進するのに躊躇いはない。


 アキラもまた、右隣の七生と肩を並べ、互いの意志を確認するように頷く。

 少し離れた所には凱人もいて、顔を向ければやる気を滾らせた笑みを浮かべてきた。


 左隣にはイルヴィとスメラータがいたのだが、冒険者組に結希乃の演説は心に届いていなかった。

 ただ、目前の勝利が近付いている、という部分にのみ共感し、己を鼓舞して声を上げている。


 そして、エルフ部隊と言えば、全くそれどころでは無かった。

 その直前に、テオによる洗脳が解けたという事もある。

 溢れ出す信仰心と思慕、ミレイユという存在の大きさ、その安否を思うあまり、制御への集中が全く出来ていない。


「ミレイユ様……!」

「ミレイユ様はご無事なのか! 他の者では安心出来ん! 我らからも人を出すべきでは……!」

「ミレイユ様は強大な魔術士なだけじゃない! 我らの里長というだけでもない! もっと遥かに偉大な存在だぞ!」


 放って置けば、誰かが逸って飛び出しそうな危うさがあった。

 そして一人の勝手を許せば、その後に続く者も現れ、制御不能の事態に陥るだろう。


 それを危惧した者が、その中に複数いた。

 ユミルは声を張り上げ、アヴェリンに顔を向ける。


「ここ、任せるから。ちょっとの間、凌いでて」

「何……? ミレイ様の事を思うのは、お前よりも余程強い。駆け付けたい気持ちは、お前より上だ! それを勝手に――」

「いいから! この場合、どっちの声が届くかの方が問題なのよ」

「私の声が、ミレイ様のお心に届かないと言うのか!」

「違うわよ! だわ。眷属はね、命じる私の声を、決して無視出来ないって点に意味があるの!」


 ミレイユは今まさに、全ての魔力を使い果たした筈だ。

 足りない分を急遽マナ生成して補い、僅かな命さえ燃やし、魔術の行使に注ぎ込んだに違いなかった。

 瀕死どころか死の間際であっても不思議ではなく、殆ど耳が聞こえていない状態だろうと推測できた。


 だが、それでも、主が命じる声ならば届く。

 本当に死んでいない限り、その声は届く筈だった。


「だから、良いコト? アンタは必死で祈りなさい。今ここで、あの子を救える手段があるとすれば、この場で昇神させる以外にない!」

「それは……確かに、何よりの枷は寿命だろうと思うが……! だが、ここに三千もの人はいない!」

「必要なのは願力よ。一人で作れる量に限界はあっても、一人の作る量には差異がある筈。人数が少なかろうと、それに類する願力があれば……」

「本当なのか! 確かなんだろうな!」

「――アタシにだって分からないわよ!」


 ユミルは声を張り上げて、注目を浴びてる事など気にせず顔を振り乱した。

 その表情はアヴェリン以上に必死で、取り繕うところがない。


「今はもう、それに縋るしかない! 可能かどうか、確かかどうか? 分からなくてもやるしかないでしょう! 傷を癒したぐらいじゃねぇ、あの子は起き上がって来ないのよッ!」

「――分かった、祈る。祈って、ご帰還を願う。我らを救い給えと、ミレイユ様が必要だと! 我らが戴く主上の神よ、と!」


 アヴェリンが声を張り上げると、エルフ達は動き出そうとした身体を止め、その場に留まる。

 そして両手の指を絡め、頭上で掲げて祈り始めた。


「祈るのも良いけど、魔物もしっかり相手してよね!」


 アヴェリンへと顔を向け、次いでエルフ達にも注意しながら魔物へ指差し、それから踵を返す。

 ミレイユに向かって駆け出したが、その前にテオにも声を掛ける。


「テオ! アンタ、今度は逆をやんなさい!」

「あ、は……? 逆? なん……?」

「だから、信仰を向けさせろって言ってんの! 興味も意味も分かってない奴らを、強制的に祈らせなさい!」

「お、おう! ……分かった!」


 だが、洗脳して無理に向けさせる信仰は、大きな願力とはならないだろう。

 それを分かっていても、少しでも足しになるのなら……、その少しで昇神まで届く希望が持てるなら、打っておける手は打つべきだった。


 ミレイユの事を知る隊士達は、むしろオミカゲ様への心配に気持ちが寄っているだろうから、その心配や祈りを、ミレイユに回すだけでも意味はある。


 願力は神にとって、あくまで自身の力を高めたり、権能を使う為のエネルギーだ。

 集まったからといって、それが傷を癒やすような性質は持っていない。


 力が漲る事と、傷が癒える事は別物だ。それが軽傷ならばともかく、過度な重傷ともなれば、むしろ逆効果でしかないだろう。

 オミカゲ様は癒しの権能など持っていないので、それならば、その願力をミレイユに向けさせた方が、この場合は一挙両得となる。


 ――だが、それでも。

 三千人に達する程の願力が集まるかどうか……。

 後はミレイユを強く思う一人一人が、常人の二倍も三倍もある願力を向けて祈る事に期待するしかなかった。


 ユミルは必死に駆けて、寸分の間でミレイユが落ちたクレーターの縁へ立ち、そして思わず呆然とした。

 大きく抉れた土の上に、力なく埋もれているミレイユには、生気というものがまるで無かった。


 それだけでなく、普段なら幾らでも感じ取れていた魔力の反応までがない。

 力なく放り出された傷だらけの四肢、薄く開いた空虚な目、半開きの口から垂れた血は既に止まり、汎ゆる動きというものが止まっていた。


「は、はぁ、は……ぁ、……っ!」


 ユミルの動悸が不自然に跳ね、口から漏れる息が震える。

 一歩、足を踏み出す毎に膝が震えた。


 ユミルにとって最も恐ろしく、忌避するものは、己の死ではない。

 認め、受け入れ、共に生きると言ってくれた、ミレイユが死んでしまう事だ。


 かつてゲルミルの一族が世界の敵となった時、ミレイユだけが話を聞いてくれた。

 そして協力関係を結ぶことも出来た。事件の首謀者――ユミルの父を討つまでの協力関係だけだと思っていたし、事態を納める理由として、落とし所となる首謀者の死は絶対だった。


 それまでの協力関係だと思っていた。それで、ユミルの死は免れる。

 そしてそれは、せめてそれだけでも叶うなら、という父の願いでもあった。


 だが、終わってからも関係は途切れなかった。

 全てが終わった後、傍から離れた方が良いだろうかと訊いた時、ミレイユは言った。


 ――好きにしろ。

 それは彼女からすれば何気ない、あるいは投げやりな気持ちだったのかもしれないが、ユミルはその言葉に救われた。


 一緒にいても良いのかと、共に行っても良いのかと訊いて、それでも同じように頷いた。

 ――居たら助かる。

 ぶっきらぼうな台詞だったが、受け入れられたのだと、その時改めて実感した。


 助かったのはユミルの方だ。

 それからは、望んで得られなかった友を作れた。

 生涯の友、無二の友だ。

 その友が今、目の前で潰えようとして、ユミルの目頭がカッと熱くなる。


 震えそうになる足と膝を叱咤して、ユミルは抉れた穴へ身を投じた。

 髪に掛かった土を払い、両頬を掴んで顔を向けさせる。その瞳にはどこまでも意志がなく、空虚な視線が下を向いていた。


 既に肌が冷たいのは、上空を猛スピードで飛んでいたからだろうか。

 肌からは健康的な弾力が返って来るのに、ミレイユの反応はどこまでも無かった。


 最悪の状況を想定させ、口から嗚咽めいた息が漏れる。

 そこにようやく駆け付けた隊士達三名が、クレーターの縁を崩しながら近付いて来る。

 だが、ユミルは敵意すら見せつつ制止した。


「来るんじゃないわよ! この子に近づくな!」

「は……し、しかし、早急に治癒を……!」


 命じられてやって来た隊士としては当然の行動で、しかも瀕死の重体となれば一秒を争う。

 制止を無視して近づこうとする隊士に、ユミルは威嚇するかのように睨みつけた。

 それは例えば、幼子を取られまいと、必死に抗う母親の様にも見える。


「アンタら程度じゃ癒せないから言ってるの! たかが数人、束になったところで……! それならもっと数、集めて来なさい! 出来ないならせめて、オミカゲサマを助けに行きなさいよ!」

「今でもギリギリです! どこからも引っ張って来れる治癒術士などいません! とにかく治癒を――」

「意味が無いから言ってんの! 時間が無いんだから邪魔するな! アンタらは自分の大事な神を救ってなさい!」


 拒絶と共に膨大な魔力で圧し飛ばされ、隊士達はもんどり打って倒れる。

 どうあっても近付けさせない、とする意思を確認させられ、隊士達はお互いに顔を見合わせた。

 ユミルが更に威嚇と敵意を綯い交ぜにした視線を向けると、言われるまま踵を返して走り去って行った。


 彼らも治癒術士として無能ではないのだろうが、今のミレイユに傷の治療は意味がない。

 それこそルチアを三人連れて来れば期待感も持てるが、それが無理となれば、一縷の希望をオミカゲ様へと向けた方が賢い。


 ミレイユに触れた、今だからこそ分かる。

 今の彼女に必要なのは傷の治療ではない。見た目ほどに肉体の損傷は酷くないのだ。

 ならば必要なのは、生きようとする意志と――。


 ユミルが焦りの中で考えを整理していると、そこへ突然、上から熱の塊が飛んで来た。

 ユミルは攻撃と勘違いして、咄嗟にその身を盾にミレイユを庇ったが、直後に勘違いだと察する。

 その熱塊の正体は、フラットロだった。


「ミレイユ! 駄目だ、そんなの駄目だ!」

「アンタ、やめなさい! 近付いたら焼けるわ! 何の防護もないの、火傷じゃ済まないのよ!」

「そしたら飛び起きるだろ! 熱かったらきっと飛び上がる! 人間って、皆そうなんだろ!?」

「今は逆効果だから、下がって……いえ、アンタの熱で温めてやんなさい。身体が冷え切ってるの」


 フラットロは精霊として珍しい、個として召喚契約を結んだ間柄だ。

 単なる主従契約以上のこだわりもあり、心配する気持ちは、ユミルやアヴェリンとも変わりない。


「う、うん……! 温めるだけ、少しだけ……!」

「そうよ、いつもみたいのは止して頂戴。この子を助けるの、いいわね?」

「分かった! 分かってる!」


 その時、クレーターの中から見えていた空、その雲の動きが唐突に止まる。

 辺りから聞こえて来る音は、魔物の叫び声や仲間たちの掛け声、魔術や理術による爆音ばかりだったが、そこへ静謐に似た雰囲気が唐突に生まれた。

 結界の再展開がされたのだと、その直後に理解した。

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