招待 その7

「えぇと……確か、師匠に点穴を入れたけど弱体化したという話でした」

「ああ、そうだった」


 ミレイユは納得するように何度か頷き、それからアキラに補足の説明をしてくれる。


「まぁ、内向魔術を修めた者が点穴を忌避する傾向にあるのは、多くは弱体化するのが原因だ。アヴェリンの場合は本当に例外で、他の者が同じようにやっても、ああはいかなかったろう」

「そうなんですね……」


 アキラは考え込むように下を向き、それから一つ思い立って尋ねてみた。


「点穴を増やすと魔術が使えるといっても、やっぱり一つじゃどうにもなりませんか?」

「蝋燭に火を付ける程度なら使えるだろうが……、それなら素直にマッチを使った方が楽だ」

「ですか……。それはそれで便利そうですけど、雨の時とか湿気っちゃうし」

「単純に労力に見合わない。便利とはいえ、コンロを持って旅をしないのと同じ理屈だ」


 アキラは大いに納得して頷く。

 リターンに見合わない使い方なら、そもそも使わないのが当然だ。

 それを思うと、ミレイユが気軽に物を浮かせたり、物を出現させたりしているのはどうなのだろう。リターンに見合わなくても、使いたいからという理由で使ったりするのだろうか。

 何故だかミレイユなら、それも有り得るような気がしてくる。


「やっぱり三つぐらい開けるところからがスタートラインって感じですか?」

「スタートライン自体は、それこそ一つからだろう。己の力量を知っていても、まずはそこから始めるものだ。……始めるのが六歳とか、それぐらいからだという理由もあるが」


 言って、ミレイユは気の毒なものを見るように目を細めた。

 これからアキラが魔術を学ぶというなら、確かに十年の差の開きは大きなハンデだ。六歳頃から始めるのも、早くから学べばそれだけ有利という理由があるからだろうし、難しい呪文はそれだけ多くの時間が必要となるなら、基礎を固めるのは早い方がいいに決まっている。


 そういう理由もあって、アキラへ内向を使うように勧めたのかもしれない。


 そこまで考えて、もう随分時間が経った気がして空を見上げた。

 この箱庭の中は未だに明るいから気にならなかったが、そろそろ日が暮れていてもおかしくない。話を聞くのも、もうそろそろ終わりかもしれないと思って、最後に一つ気になっていた事を聞いてみようと思った。


 これもまた魔力総量と同じで聞いてはいけない内容かもしれないが、無知を盾にして質問するだけなら許してくれるだろう。

 アキラは改めてミレイユに向き直り、口を開く。


「皆さんの点穴の数って、どのくらいあるんですか?」


 アキラのその一言で、アヴェリンを除く三人が、一斉に目配せを始めた。

 やはり聞いてはいけないことだったか、と顔を歪めて頭を下げる。


「すみません、また余計な事を聞きました」

「いや、別に……。それにこれは、別に不躾な質問という訳でもないしな」

「……そうなんですか?」


 頭を上げたアキラに、鷹揚に構えたミレイユが頷く。

 そこにユミルが口を挟んできた。


「まぁ、これだけ聞いても魔力総量が分かるものでもないし、逆にその数が判断を狂わせるようなものだから、あまり意味がないっていうのもあるけど……」

「けど……? なんか歯切れ悪い感じです」

「まぁ、普通は多くても五穴ってとこで、そこが上下したところで、別に個人差の範疇だからね。そりゃ十穴だったら凄いって話だけど、別に人間種は魔術に秀でた種族でもないから、まぁそんなもんでしょ、って感じで……」


 どんぐりの背くらべで、そこを自慢気に話していたら、逆に痛い奴でしかない、とそういう事を言いたいのか。じゃあ別に聞いても仕方ないか、と思ったところで、ユミルが何気ない調子で続けた。


「だからアタシの数を教えると、……五十六よ」

「は? え? おかしくないですか? なんでそんな数になってるんです?」

「アタシは人間じゃないからねぇ」


 愉快そうに笑って、ユミルは両手を胸の前で揺らして幽霊のような動きを見せる。

 アキラは眉根に皺を寄せて、その姿を凝視した。人間の最高峰でも十を超える程度というのに、優に五倍を超えるというのは異常だった。

 それだけ魔力総量も多いという事なのだろうが、ここまで来ると想像の埒外だ。


 しかしエルフ種のルチアより年上というなら、その点穴も納得いくような気がしてくる。それが果たして常識的に有り得るのかどうかは置いておいて。

 ユミルが愉快そうな笑顔のままルチアへ視線を移すと、ルチアは澄ました顔のまま数を告げた。


「私は百二十になります」

「ひゃっ……!」


 予想よりも遥かに大きな数字が出てきて、アキラは言葉を失った。

 エルフが魔術を誇りにする訳だ。これだけ点穴があれば、人間では比較にならない数の魔術を修得できるだろうし、大規模魔術も扱えるのだろう。そしてその背景には人間では越えられない、長命という種族特性がある気がした。


「一般的に、エルフでも六十から七十の点穴を作るとされていますから、私はちょっと多い方です」

「多い方っていうか、平均の倍はあるじゃないですか……」


 人間でも平均は三から五だとして、才能ある人は十を越える程度と聞いた。その比率から言うと、エルフの平均は六十くらいで、ルチアがその倍であるなら、エルフの中でも才能ある一握りの存在という事になりはしないか。

 そういう思いを敏感に察知されて、ユミルがにやにやとした嫌らしい笑みを浮かべて言った。


「驚く気持ちも分かるわよ。ルチアはエルフの中でも才能ある方だから……。でも同時に、どうしようもない問題もあったのよねぇ」

「――ユミルさん」


 ルチアから鋭い視線が飛んで、ユミルは肩を竦めた。


「ま、そうね。勝手に言って良い話じゃなかったかもね。これ以上は、アンタが仲良くなって直接聞くといいわ」

「……そんな日が来るとは思えませんけど」


 ルチアがユミルに視線を固定したまま、アキラの方を見ずに言う。

 最初から一貫して、アキラに関心を示さないのはエルフ故なのだろうか。アキラ個人に、というより人間に対して関心を向ける事はないのかもしれない。


 そうかと思えば現代日本の文明や利器に対して、並々ならぬ興味を示してもいるのは不思議だった。もしかしたら、元より人付き合いを好まないだけ、という性格なのかもしれない。

 あるいは――、とアキラは思い直す。


 よくある話として、人間はエルフを捕らえて奴隷にするという展開がある。

 あちらの世界でも奴隷制度が一般的であったなら、同族を意図して狙う人間がいてもおかしくない。それを思っての人間嫌いなのかもしれない。


 これも迂闊に聞いてはいけない問題だな、とアキラは心に留める。

 無知を晒して不興を買う事は、今日はいくらでもしたし、今ここで更にそれを重ねるつもりはなかった。アキラにもデリカシーというものは持ち合わせている。


 さて、とユミルが最後の一人、ミレイユに顔を向けた。相変わらずのいやらしい笑顔で見られたミレイユは、明らかに顔を顰めた。


「アンタ、点穴いくつ開いてたっけ?」

「知らない筈ないだろう……」

「やだわ、ド忘れかしら。ちょっと思い出せなくって」


 ミレイユは顔を逸して鼻を鳴らした。

 ユミルの笑顔は変わらずそのまま、どうやら追求をやめるつもりはないらしい。ルチアは呆れた顔でそれを見るだけで、二人を止める様子はない。


 ユミルはミレイユの横顔を見つめたまま、それでついに観念して、ミレイユは溜め息と共に口を開いた。


「三……くだ」

「……ん?」


 ユミルが首を傾げ、アキラもまた首を傾げた。

 多少聞き取り難かったとはいえ、三という数字は聞こえた。あくまで平均的な数字が意外でもあり、そして人間としてなら、やはりそれが普通なのだろうとも思った。

 魔術は使いようとも言っていたミレイユだ。別におかしい事ない、という感想だったのだが、ユミルは納得が言ってないようで、更にしつこく尋ねている。


「いや、よく聞こえなかったわ。なんて言ったの?」

「……だから、三百だ」

「は? 何で? おかしくありません?」


 点穴は数多く開ければいいという問題ではない、と言ったのはミレイユだ。そして、それは己の死を招くとも言った。

 人間の平均を百倍も越える数は、即座に死に至ると思うのが普通だろう。それでも平然としているのは、明らかに不自然だ。一体どういう理屈なのだろう、とアキラは瞠目した。


「そうよねぇ、そういう反応になるわよねぇ……!」


 ユミルはアキラの反応に喜んで手を叩いた。

 どうも、アキラのこの顔を見たくてミレイユに言わせたらしい。とはいえ、やはり腑に落ちないのは点穴の数だ。一体、どういう理屈でその数を開け、そして今も平然としているのだろう。


「……いや、なんで生きてるんですか?」

「なかなか酷いこと言うよな……」


 アキラの一言に、ミレイユが頬杖をついて面白がるように口の端に笑みを浮かべた。

 そして自分自身の失言に気づく。

 そのつもりがなくとも、死んでしまえと言っているようなものだ。顔を青くして頭を下げるのと、その頭を鷲掴みにされたのは同時だった。


 頭を上げて確認しなくても分かる。

 その頭を今にも握力だけで潰そうとしているのは、アヴェリンに間違いない。必死に謝罪の言葉を並べても、その力が緩まる事はない。


「貴様、自分の立場を忘れてないか……?」

「す、す、す、すみません……! 決してそういうつもりじゃなく! 素朴な疑問が、ついポロリと! 口から出てしまったと言いますか……!」


 アキラの必死な声に、喉の奥で笑う声が聞こえてくる。

 おそらくミレイユが指示したのだろう。下げたままの視線ではテーブルしか見えないが、頭を掴む力が緩み、一度平手で叩かれて離れていく。


 アキラは後頭部を擦りながら頭を上げ、そして改めてミレイユに頭を下げた。

 ミレイユは気にしないという風に手を振って、それを面白がって見ていたユミルが詳しく教えてくれた。

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