招待 その6

 とりあえず、自分に才能がない事は分かった。

 そう、アキラは頭の中で呟いた。

 もとより期待していた訳でもない。多少はあったが、結局人生とはそんなものだ、と割り切っている。そうすると、後は決断するだけなのだが、どうしても最後の一歩が踏み出せない。


 魔術に対する憧れは、捨てがたいというのが本音だった。

 話を聞く限り、単に使うだけでも大変で、しかも十全に発揮するには己の才覚を見極める嗅覚が必要だ。鍛えれば鍛えるだけ良い、という問題でもないのは大きい。


 格闘技でも、単に筋肉をつけるだけでなく脂肪もつけ、スタミナもつけなければならない。何か一つに特化して勝てるものではないのだから、それを魔術に当て嵌めても同じ事が言えるのだろう。


 しかし問題なのは、それが単に足枷となるのではなく、己の命すら危険に晒す問題だと言うことだ。アキラは自分が死ぬ寸前まで鍛え続けられるタイプだとは思わないが、万が一という事もある。


 基本的に武術も基礎を学びながら、魔術も同様に学び、座学をして魔術を会得し、己の状況に合わせて点穴を増やすかどうか判断するなど不可能なのではないか。

 学校もあって、進路が決まれば受験勉強にも手を付けねばならない。早い人はもうその勉強を始めているというのに、二足どころか四足の草鞋を履くのは現実的に不可能だ。


 金銭的に奨学金を得られないなら大学進学は諦めようと思っているが、返済免除となる上位成績を取る努力はしなければならない。

 そこまで考えて、魔術を会得する為に学ぶにしても、今すぐである必要はないと判断した。

 それをミレイユに伝えてみると、どこか感動した面持ちで同意が返ってきた。


「うん、いいと思う。そうか、受験か……。確かに、そういった部分も考慮にいれねばならないか」

「やっぱり将来、少なくとも食べていけるくらいには稼がなくてはならないので……」

「そうだな。……因みに、お前は理系か?」

「いえ、文系です」


 そう言うと、ミレイユは難しい顔で腕を組んだ。


「これは最初に聞いておけば良かったかもしれないな。……そうか、そうすれば外向魔術の説明など飛ばして、内向を勧めていただろうに」

「そうなんですか……?」

「魔術の素養は数学的理解に通ずるところがあるからな……。ここでもやっぱり、向き不向きが出る」


 そこで視界の隅でルチアが身じろぎした。何かと思って見れば、表情には苦いものが浮かんでいる。彼女も苦労した覚えがあるのかもしれない。


「確かに、僕は数理系問題、全然駄目です……」

「しかも、覚えてからは楽器演奏のような器用さも必要になるしな」


 アキラは予想以上の前途多難に、げんなりして息を吐いた。


「なんですか、それ。そんな苦労があるなんて聞いてませんよ……」

「昔のように呪文を唱えるタイプなら、そんな苦労はいらなかったんだろうが……。今は魔術制御の時代だから、より早く正確に、破綻なく、イメージが表面に出るような感じで……。そういう、ピアノの鍵盤を弾くような器用さが必要になる」


 アキラの顔はげんなりを通り越して蒼白だ。魔術を使うという事は、数学学者であり、演奏者であり、そして格闘家を意味する訳か。

 そんな器用な真似が出来るとは思わないし、出来る人種がいる事に驚きを覚える。


 アキラは改めてミレイユを、ルチアを、そしてユミルを見た。

 この人達は、それが出来る魔術士なのだ。

 命を脅かす敵を前に、決して怯まず、武器を振るい、攻撃を躱し、その上で演奏を間違える事なくこなす器用さを持たねばならない。

 アキラに同じことが出来るとは思えなかった。


 勿論、最初から出来た訳ではないだろう。

 その修得に何年もかかり、魔術の行使に慣れるまで何度でも使い、そうして会得する数を増やすにつけ、魔力を鍛える事すらしてきた。

 その、想像するだけで目眩を覚える膨大な距離を、この人達は歩いている。


 外向魔術士は自己肯定感が強いとユミルは言ったが、これはそうなっても仕方がない。自らが認めず誰が認めるというのか。魔術士は傲慢で使えない者を見下すようなイメージがあるが、これなら納得してしまうだけの根拠がある。


 頭が下がる思いでミレイユを見つめていると、そこにアヴェリンからの平手が頭に落ちる。バチンという軽快な音と共に、脳天を貫く衝撃が走った。

 涙目になって頭を抑え、抗議の目を向けたが、飛んできたのは叱責の視線だった。


「不躾にミレイ様を見つめるな。不敬だぞ」


 幾度となく、この不敬という言葉をアヴェリンから聞いたが、アキラもまたその感情を理解しつつある。アヴェリンは卑屈になるのではなく、ただ純粋にミレイユに敬意を向けているのだ。

 その一端が、ミレイユが扱うという魔術にあるのだとしたら、アキラとしても理解できる気がした。


 アキラは視線をアヴェリンに固定したままミレイユに謝罪して、また頭を叩かれた。


「謝罪する時は本人を見んか。それもまた不敬だ」

「うう……、すみません」


 謝罪についてはそのとおりだと思うので、改めて頭を下げ、そして思う。

 どこの世界でも礼儀作法は難しい。そして礼儀を知らぬと痛い目を見る、と。

 ミレイユは困ったものを見るような表情でアヴェリンに顔を向け、それからアキラにも聞かせるように言う。


「まず一つの決定事項として、アキラには内向を覚えさせる。引き続きアヴェリンに鍛えてもらう」

「お任せ下さい」

「アキラも――そう、青い顔をするな」ミレイユは苦笑して続ける。「これからは武器を振るうより、瞑想するような時間が増えるだろう。その辺りは余程アヴェリンが心得ているから、よく従え」

「分かりました!」


 瞑想時間が加わると聞いて、アキラの顔には笑みが浮かぶ。

 剣を振る時間が嫌いという訳ではないが、最近とみに苛烈さが増してきた鍛練は逃げ出したいほど辛いと感じる時があった。それが瞑想に置き換わるというなら、苛烈さも鳴りを潜めるだろう、というのがアキラの予想だった。


 ミレイユはルチアとユミルにも目配せして、簡単に命じる。


「お前たち二人は、魔術鍛練についてそれほど多くは関わらないかもしれないが、気づいた事があったらアドバイスしてやってくれ」

「いいわよ」

「了解しました」


 うん、と二人に頷いて、ミレイユは再びアキラに向き直る。


「さて、他に何か聞きたい事はあるか?」

「そうですね……」


 アキラは自分の顎に手をやり、摘むようにしてから首を傾げる。

 あるといえばあるような、とアキラは心の中でも首をひねった。何しろここまで本当に様々な話を聞かされたから、その整理もついていない。

 だからとりあえず、また怒られるかと思いつつも、気になっていた事を聞いてみようと思った。


「前に筋力は男性の方が強くても、力が強いのは女性だっていう話、あったじゃないですか」

「……あったかな」

「ええ、ゲームセンターでパンチングマシーンの時です」


 アキラがそう言えば、ミレイユはようやく理解の色を示した。


「そういえばあったな、そんな事も」

「それってどういう意味なんですか? 魔力を持つ女性の方が、持たない男性より強いというのは理解できるんですけど、でもミレイユ様がいた世界って男性も魔力あるんですよね?」

「……そうだな。そもそもの話として、魔力が多い程、それを身体能力の強化に使える。これは外向魔術師としても同様で、要は余剰魔力があれば転用できるという意味だ」


 それを聞いても今一アキラには納得が難しかったが、しかし魔力総量が多い程に、その余剰分を活用できるのだと想像した。


「そして男性の方が筋肉が付きやすいように、女性の方が魔力総量が多いものなんだ。つまり性差から生まれる問題だな」

「なるほど……。だから女性の方が余剰分を持ちやすいって事ですか?」

「そう、そして余剰分を使うだけで、筋力よりも余程強い力を出す。あのパンチングマシーンが良い証拠だ」


 確かにルチアは細腕で、とてもカンスト近くまで数字を出せるようには見えない。しかし事実としてルチアはあの数字を出したし、アヴェリンなどは筋肉があるだけでは決して出来ない力を発揮する。


「だから、基本としてあちらの世界じゃ女性の方が強いものだった。多くの場合は女尊男卑の風潮があったし、魔術が根底にある世界で男の肩身は狭いものだった」

「それはつまり、リーダーとか王は基本的に女性という事ですか?」

「魔力なしには語れない世界だからな。弱い者は低く見られる、そういうものだろう?」

「……かもしれません」


 納得できなくても、するしかないのだろう。

 この世界だとて平等を謡っていても、実際には男性が強い社会だ。女性の社会進出だってごく近代になるまで実現しなかった。

 それを思えば魔物などの実害多い世界にあって、弱者が一段低く見られるのも仕方ない事かもしれない。


「それに女性は子を孕む。子には自分の魔力の半分を受け渡すものだから、必然的に男性の倍ほども魔力総量があるものだ」

「じゃあ、出産と共に弱体化してしまうんですか……」

「時間と共に戻るがな。毎年のように産んでいると、子供に受け渡す魔力が減るから、大抵は二年の間を置くのが普通だ」


 へぇ、と思わず呆けた声が出た。

 性差で魔力の違いが出る訳だ。仮に女性も同程度だと、ひたすら魔力の低い子が生まれて最終的には魔力を持たない子が生まれてしまう。

 それを回避する為の必然なのだろう。


 何やら感心する思いでミレイユを見つめていると、他にはもうないか、と聞かれた。

 今日はもう色々聞いたし、その整理も覚束ない。これ以上聞いても混乱するだけかもしれない、と思って、最後に一つ思い当たった事を聞いてみようと思った。


「魔力をある程度鍛えて、将来的に穴……点穴? それを開けて外向魔術に転向するのは可能ですか?」

「……可能だろうな。あまり例はないが、そうする者もいる」

「あれ、案外転向する人いないんですか?」

「理由は分からないが……、もしかしたら勉強が嫌いな事に原因があるのかもしれない」


 そう言って、ミレイユは笑みを浮かべてアヴェリンを見つめた。当の本人は、そのからかうような視線を合わせようとせず、脂汗のようなものを浮かばせながら、自分の手をじっと見つめている。


「一つ点穴が開いた程度では、ろくな魔術が使えないというのもあるが、じゃあ増やそうともならないのは、そういう部分もあるのだろう」

「僕も別に勉強が好きという訳ではないですけど……」

「だが、小学生の頃から何かと勉学に向き合う機会は多かったろう? そういった事は習慣付けねばやらないし、自分の生活の中にないなら、あえて近づこうとも思えないのかもしれないな」


 ミレイユが寂しげな笑みを最後に浮かべて、視線をアキラに戻す。アヴェリンがホッと息を吐いたところで、アキラはもう一つ質問をした。


「点穴が一つ……弱体化とも言ってましたけど、そんなに変わってしまったんですか?」

「いいや、実際のところ、弱体化そのものをどう見るか、という問題にもなる」


 言われた意味が分からず、アキラは首を傾げた。


「アヴェリンが失ったのは瞬発力だが、同時に継戦能力は増した。瞬発力自体が大きすぎて、手加減したくても相手を殺す事があった。捕獲が目的の場合、それが枷になる場合もあったから、今のほうが便利じゃないかと思ってるくらいだ」

「あぁ……それは……、一概に弱体化とも言えないような」


 アキラはいつかトロールの一撃を受け止めたアヴェリンを思い出す。

 あれで弱体化しているというなら、そもそもそれが弱体化と言えるかどうか。そもそもの出力が桁違いのせいで、逆に恩恵が増したというのなら、それは正解だったと言えるだろう。

 しかし、それに否を唱えたのはユミルだった。


「そうはいっても、強敵相手ならやっぱり、それは弱体化よ。ドラゴン相手に一撃で頭を潰していたアヴェリンが懐かしいわ」

「ドラゴン!? 一撃!?」

「別に一撃で倒せなくても、二発殴ればいいだけだろうが」


 アキラの驚きを他所に、アヴェリンが不機嫌そうに返答した。

 しかしユミルの口撃は収まらない。


「そうは言っても、その分苦労することになるの、大体アタシじゃない。ちょっと割に合わないわよ」

「何が苦労だ。皮膜を貫くことが、どれほどの苦労になる」

「ちょちょちょ……!」


 尚も続けそうな二人に、アキラは一旦、待ったをかけた。

 とりあえず口を閉じてくれた二人に、改めて問う。


「え、ドラゴン倒したんですか? なんか言い方が、別に一匹倒したとかじゃないような……」


 ドラゴンスレイは冒険ファンタジーの中では鉄板だ。

 誰でも出来ることではなく、大抵の場合、その強力なブレスや空を飛ぶ能力、鋼よりも硬い鱗などに苦戦させられる。だからこそ、それを討ち倒した者には、その功勲を憧れと畏怖を持って謳われるのだ。

 それを気軽に口にされると、大した相手じゃないように思えてしまう。


「そりゃアンタ、野生の熊だって狩るんだから、野生のドラゴンだって狩るでしょうよ」

「おかしいでしょ、その理屈。え、それともドラゴンってあれですか? 熊ぐらいの脅威しかないんですか?」


 アキラが一抹の不安を伴いながら聞くと、小馬鹿にするようにルチアが笑った。


「ドラゴン一匹で町や村なら簡単に滅びますよ。国どころか大陸を火の海にするドラゴンだっていたんですから」

「ですよね! やっぱりドラゴン……、いたってなんですか? もういないって意味ですか?」


 それ以上聞いちゃいけない気がする、と思いながら、アキラは自分の好奇心に抗えなかった。そして次の一言が、あまりにも呆気なく口にされる。


「倒したわよ、この四人で」

「は? え、それ……、倒せるものなんですか?」


 あまりにもユミルが簡単に言うものだから、アキラも思わず呆けた顔で聞いてしまった。

 大陸を火の海にできるというなら、それはとてつもなく巨大な竜なのではないか。あるいは人類存亡の危機というやつではないのか、と思ったが、たった四人で倒せるなら案外ドラゴンの大きさに個体差はないのかもしれない。


「案外小さなドラゴンだったとか?」

「山すら飲み込むとまで言われた巨大さでした」

「あ、それじゃもしかして、他に冒険者が沢山いたんですか? 千人単位の大討伐隊とか組織して戦ったとか」

「あら、よく分かったわねぇ」

「ああ、やっぱり! それなら……!」


 ユミルの笑顔へ、そこにあまりにも冷静なアヴェリンの声が横から刺さった。


「その千人は最初の一撃で半壊し、更に空から降った火の雨で全員死んだ」

「えぇ……?」


 じゃあ何であんたら生きてるんだよ、と思わず喉から出かかって、意志の力で飲み込んだ。

 さらに詳しく話を聞こうとしたところで、ミレイユがつまらなそうに手首を揺らした。


「そういう話は余所でやれ。ここは武勇伝を語る場じゃないぞ」

「あら、ここからがイイところなのに。アンタがどうやってトドメを刺したか、この子に教えてあげましょうよ」

「いいんだよ、そういうのは」

「ですが、ミレイ様の輝かしい武勲です! 私達もいつ死んでもおかしくない戦いでした! 実際、腕の一つも炭化していました。しかし、それでも確かに勝ったのです!」


 ミレイユは熱い眼差しを向けるアヴェリンが、更に身を詰めようとするのを押し返す。


「分かったから。あれはお前たち無しに勝てない戦いだった。お前たちが勝利者だ、私は勝ちを拾っただけ。話は終わりだ」

「しかし――!」

「お前があの戦いにどれほど誇りを抱いているか、私はよく知っている。私もお前が誇らしい。だから今は、話を元に戻そう」


 ミレイユにその両肩に手を置いて言われれば、アヴェリンもそれ以上何も言えないようだった。ミレイユに誇りだと言われ、その言葉を胸の内で反芻しているようにも見える。

 押し黙って顔を伏せ、テーブルを一点に見つめるアヴェリンの口角が僅かに持ち上がっていた。


 やれやれと息を吐いたミレイユが、脱線したことを詫び、また脱線したユミルを叱る。

 それでとりあえず、どこまで話したか、と首を捻る事になった。

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