遺跡へ向かって その11
アヴェリンの懸念は杞憂に終わり、遺跡内部へは問題なく出る事が出来た。
長時間、中腰の状態で通路を歩く事は避けられなかったので、まるで腰に重りでも付けたかの様な感じがする。
通用口から抜け出た先は大きな部屋となっていて、どことなく見覚えもあった。
とはいえ、遺跡内部は似通った部屋が幾つもあったので、気のせいかもしれないし、だから現在地がどこかまでも分からない。
「いやはや、ようやく腰を伸ばして楽できるわね。百年は狭い通路を歩いてた気分よ。アキラぁ……、アンタもっと早く進めなかったの?」
「たった十分の移動で、よくそこまで文句言えますね……」
アキラはげんなりして呻きながら、肩越しに恨めしそうな視線を向ける。
ミレイユも二人を見ながら、腰を叩きつつ小さく笑った。
「その程度の愚痴は、ユミルの挨拶みたいなものだろう。適当に聞き流せ。それより……」
ミレイユは周囲を改めて見渡す。
遺跡内部は、外の極寒が嘘の様な暖かさだった。
当時来た時にも思った事だが、単に暖かいというだけでなく、少し蒸してもいる。
部屋の外壁は、一部が剥がれて内部の歯車が見えていて、大小様々のそれらが止まる事なく動いていた。
そしてどこからともなく、蒸気を排出する音も聞こえてくる。
蒸気音と機械音が止まることなく聞こえて来るし、そのうえ反響までするものだから、どこか落ち着かない気持ちにさせられた。
ミレイユが見渡したタイミングでアキラも首を巡らせて、慎重そうに警戒を始める。
音を頼りにする事もできず、薄っすら漂う蒸気が霧のように視界を遮るせいで、遠くまでは見通せない。
アキラは緊張を滲ませた声で、忙しなく周囲を見ながら尋ねて来た。
「ここはどういう所なんでしょう……? どういった魔物がいるんでしょうか?」
「この部屋がどういった意図で作られたものか、という意味なら、……分からないな。魔物にしても、心配する必要はないぞ」
「それは……、取るに足りない魔物しかいないとか? それとも、ここに棲息している魔物はいないって話なんでしょうか?」
「前回来た時は、魔物の姿は見なかった」
近くに雪トロールや巨人が棲息していた事を思えば、遺跡内部――それも温暖な住処を狙う何らかがいても良いと思う。
だが、そもそも侵入できない事が、棲息していない理由だろう。
本来、正規の方法で遺跡へ入る為には、鍵を解除しなくてはならない。
こじ開けて入る事も出来なかったから、遺跡内部へ棲み着くことも出来なかったのだろうし、だから内部に入れば安全なのだ。
そして扉は魔力錠で施錠されているので、物理キーを必要としない。
魔物の中にも強い魔力を持つ者はいるが、解錠できるほど繊細な魔力制御を出来る魔物、となると付近に生息していなかったようだ。
だから、これまで何らかの魔物の巣窟になる事なく、存在し続けて来られたのだろう。
「とはいえ、全く警戒なしで行く訳にもいかないが」
「ですね。ここ二百年で、変化があった可能性はありますし」
ルチアが小さな動作で同意して、部屋の出入り口へ視線を向ける。
遺跡内部は薄暗いが、全くの暗闇という訳でもなかった。
高い位置に光る鉱石が埋め込まれていて、それが薄っすらと照らしてくれている。
だが、それだけでは光量が全く足りておらず、暗がりとなっている部分も多い。
壁に燭台や松明などが取り付けられる器具があるので、本来は別に光源を用意して必要があるようだ。
ミレイユはアヴェリンへ視線を向けて、先へ進むよう指示する。
武器を抜いているものの、敵の気配どころか、生物の気配もないので、その後ろ姿も気楽なものだ。
部屋を出れば、左右へ続く通路がある。
アヴェリンはサッと首を動かすと、左へ向かう道を選んだ。
風の流れを感じたのだろう。目的地は地下にある事は分かっているので、向かうべき方向は定めやすい。
ルチアやユミルからも、アヴェリンの決定に反対意見は出なかった。
アヴェリンが悠々と進んで行く間にも、敵の出現はない。
魔物などが棲み着いていない事も、歩いている間に判明していた。
魔物に限った話ではないが、生物は生きているだけで、何かしら痕跡を残すものだ。
それがどこにもないというなら、つまり生物はいない、という事になる。
地下へ向かう途中、立ち寄った部屋の中には、小ぢんまりとした個室の様な物もあった。
石造りの寝台や、机と椅子など、かつては確かに誰かが生活していたのだと窺わせる。
どれも子供サイズなのが、ここで暮らしている者の素性を、よく表しているようだ。
残っているのは壁同様の石素材で作られたもののみで、それ以外の寝具であったり、食器であったりした物は見つからない。
恐らくは、長い時間の果てに、風化してしまったのと思われた。
話を聞いた限りだと、彼らは利用されるのを恐れて逃げ出したので、この状態を栄枯衰退と言うのは違う気がする。
だが、かつて暮らしていた痕跡を見せられると、どうにも物寂しく感じてしまう。
そうした部屋の前を幾つも通り、そして数々の通路を歩いて地下へと向かって行く。
すると、かつてやって来た時と同様、障害となる魔物などと遭遇しないまま、遺跡の最奥まで辿り着いてしまった。
「……魔物の類はともかく、神々の刺客まで居ないのは拍子抜けだった。何にでも先読み、先回りして来る奴らだと思っていただけに……、特にな」
「そうね……。私達もそうさせない為に動いていたし、裏を搔こうともしていた。それでもやっぱり、待ち受けている者もいるんじゃないかと思ってたけど……」
ユミルも異議なく頷くと、アヴェリンは殊更周囲へ警戒を深めながら言った。
「……あるいは、それこそルヴァイルが上手くやった結果、と言えるかもしれんが……。上手く先延ばし、もしくは別へ誘導していた。そもそも、ミレイ様に『遺物』を使わせるのが目的だと言うなら、それぐらいのサポートはしても良さそうなものだ」
「その為の同盟でもあるしね。やるコトやって貰わなきゃ、とも思うけど……」
ユミルも周囲を見渡し、それからルチアへ視線を向けた。
常に警戒を崩さず探知を続けていた彼女は、難しい顔をさせつつ首を横に振る。
この場の誰にも気配を感じさせないというのなら、本当に誰もいないと判断して良さそうだ。
今度はミレイユが先頭になって、『遺物』が安置された部屋を縦断する形で進む。
これまでにないほど広い部屋は、僅かな光量である事も相まって、寒々しく感じさせた。
今まで同様、歯車の回る音、何かが管を通る音など聞こえてくるが、それが酷く遠くに感じる。
カツコツと石の床を叩く音が響き、それがまた空虚な空気を演出するかのようだった。
ミレイユは『遺物』の前に立つと、その全容を見つめた。
単純な外観からでは、何に使うものか想像もつかない。
機械仕掛けの巨大建造物は、現代で生きたミレイユでも、似た物を思い浮かべる事が出来ないほど異質な姿をしている。
だが、その巨大な何かは、製造工場の外観をモニュメントとして圧縮した姿にも見え、最奥に鎮座する姿は泰然としているように見えた。
装置の所々からは歯車がはみ出していて、大小のそれらが複雑に噛み合い、規則的な音を鳴らしている。
装置の天辺からは、時折、思い出したかのように蒸気が吹き出していた。
「……いよいよ、だな」
「もう後戻りは出来ないわよ。……いいのね?」
後ろに立ったユミルが、念押しする様に聞いてきた。
ミレイユは振り返らぬまま、無言で頷く。
『遺物』へ万全にエネルギーが注入されている場合、叶える願いに限界はない。
そしてミレイユが使う場合、安全措置として設けられたセーフティも取り払われる。
他者が使う場合とは、設けられる限界に大きく隔たりがあり、そしてミレイユは隔たりを越えて願いを叶える為に用意された存在だ。
だから本来、これから口にする事が、神魂一つと神器一つで叶えられるもので無いとしても、ミレイユならば求める事が出来る。
どこまで可能かという線引は酷く曖昧だが、それでも『現世へ帰る願い』程度は叶う力を秘めている筈だった。
願うつもりであれば、ミレイユはたった一人で、何もかも捨て、何処か別の世界へ逃げる事も出来る。
だがミレイユは、そんな事を頭の端でチラリと考えただけで、即座に切って捨てた。
――全く意味のない妄想だ。
逃げてどうなる、という思いもある。
ここまで散々苦しみ抜いて来た、数多のミレイユの思いを投げ捨てられるか、という思いもある。
だが何より、神々へ一泡吹かせたくて堪らない。
奴らはミレイユを敵に回した。オミカゲ様が受けた屈辱もある。
神宮を襲った神造兵器、そして蹂躙される世界への借りもあった。
デイアートで行っている、見せ掛けの秩序についても同様だ。
信仰と願力を求める故に、世を常に乱し、不平等と争いに塗れさせた。
神々は実際に病を治すが、その彼らこそ根元――病巣そのものであり、それを取り除かない限り、いつまでも病に侵され続ける。
ミレイユも、そして現世も、それに侵されたものの一つだ。
取り除こうと思えば、戦うしかない。
ミレイユが強い決意を持って振り向くと、順に視線を合わせていく。
後ろで控えていた彼女らには、改めて問うまでもない。
最後に聞いてきたユミルも、ミレイユの気持ちが揺れているから確認した訳ではなかっただろう。
改めて、気持ちは同じだと、確認したかったから聞いただけだ。
それぞれと瞳を交わし、全員の覚悟が定まっている事を知ると、ミレイユは『遺物』へと向き直って距離を詰める。
個人空間から神器を取り出せば、それにに反応して『遺物』が大きく動き始めた。
一度大きく蒸気が噴き出し、一定だった歯車の動きが俄に活発になる。
見守る内に歯車の動きは更に激しさを増し、最後にとりわけ大きな蒸気を、上部から噴き出した。
辺り一面が霧で覆われてしまったかと思うほど、多量な蒸気だった。
もうもうと立ち込める蒸気を、魔力を制御した腕の一振りで追いやり、『遺物』が見せる最後の動きを待つ。
全ての蒸気を排出し終えると、目の前の機構がまるでパズルのように上下へスライドした。
その中から、目前までせり出す、トレイのような受け皿が現れる。
受け皿の数は全部で五つあったが、他の四つは無視して、中央の皿に神器を乗せた。
しばらく待つと、受け皿はそのまま元の位置へ戻り、機構の中へと神器を収める。
受け皿が現れた時とは逆の手順でパズルが戻り、そうかと思えばまだ機構がスライドし始め、またも大きく蒸気を噴き出す。
その蒸気が晴れるのを辛抱強く待っていると、機構はパズルの様にその体を割り、そして中から不思議な球体を差し出してくる。
ほのかに青い光を発しながら、支えもなく空中に浮かぶ球体は、ゆっくりと横回転しながら、ミレイユを伺うように明滅していた。
球体の中には力の奔流を感じる。
これが恐らく、神魂と神器がエネルギーとなって現れたものなのだろう。
そして球体の明滅は、まるでその力を開放する瞬間を、今か今かと待ち望んでいるかのように見えた。
その機能を発揮しようとしている球体へ、ミレイユは触れない様にしながらも、包み込むように手を添える。
そうして、球体へハッキリと聞こえる様に願いを口にした。
「ドラゴンを元の姿へ。歪められた知恵と雄姿を、元ある形へ戻してくれ」
ミレイユがそう言って結んだ、一拍あとの事だった。
球体が眩く発光し、咄嗟に顔を庇う。
次の瞬間に光は弾けて消え、淡い燐光を放っていた球体は、黒ずんで何の光も発しなくなる。
それを確認したかのように、『遺物』は出て来た時と逆戻しの手順で球体を収納し、最後に小さく蒸気を発して、それきり動きを止めた。
あれだけ煩かった歯車も、管を巡る何かの音もしない。
役目を終えた『遺物』は完全に沈黙し、辺りには痛い程の静寂が満ちた。
誰も彼もが言葉を発しない中、アキラがおずおずと声を投げかけてくる。
「……これで、終わった……んですか?」
「叶えられたかどうか、確認するまでは分からない。蓄えられていた光が消えたんだし、問題なく作用した証明のように思えるが……、この目で見てみない事にはな」
「じゃあ、さっさと戻りましょ。ここからは、これまで以上の強行軍になるわ」
そうだな、と頷いて、ミレイユはこれからの不安や憂いを感じさせない口調で言った。
「一度、邸宅に戻る。それがきっと、最後の機会だ。不足している物があるなら整えておけ、準備は万全にしろ。この先も休憩なしだ」
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