竜の谷 その1
ミレイユの転移術で邸宅の地下室へと戻って来ると、アヴェリン達は三々五々散って行き、消費した物資などの補充を始めた。
地下にはこの二ヶ月、ユミルが精製した水薬や、森の中で作られた保存食などが納められている。
遺跡へ向かう分に消費したのは保存食くらいだが、死蔵するのも勿体ないので、個人空間に収納できる分は全て持ち出してしまうつもりだった。
アキラは到着したばかりの地下室を、物珍しそうに見渡している。
陣を敷いた部屋は夥しい数が揃った武具の展示室なので、冒険者をやっている身としては気になってしまうところなのだろう。
かくいうミレイユも、かつて世界を巡っていた時は、武具の性能や装飾に魅入られて入手していた経緯がある。
ミレイユは生粋の戦士ではないが、かつてファンタジーに憧れを懐いていた身として、仮に高く売れるのだとしても、手放す気にはならなかった。
これこそまさに、ミレイユが世界を遊びとして見ていた証拠の様なものだが、今では当時の気持ちを戒めるつもりで飾っている。
それらを見渡して、アキラは感嘆とした息を吐いた。
「……凄いですね。これがいつか言っていた、一つで家も買える武具のコレクションですか……。どれを見ても、内包されている魔力が凄まじいと分かります……!」
「逸品には違いないが、それでも、これは片落ちというか……二軍落ちになった物ばかりだ。本当に有用なものは、アヴェリン達に持たせている」
「あぁ……、師匠たちの装備も凄いですもんね」
アキラは彼女たちの姿を脳裏に思い浮かべて、何度も頷いた。
ミレイユはアキラから目を離し、次いで周囲を見渡して言う。
「気に入った武器があれば持っていけ。防具については男物がないから、選べるものは少ないと思うが……革鎧とか、ものによっては身に着けられるかもしれない」
「いえ、そんな! 勿体ない!」
「確かにお前は戦力的に頼りないが、最後の守役として考えた時、その防具では少し物足りない。盾は頑丈な方が望ましい。……分かるだろう?」
アキラは少し考える素振りを見せたが、すぐに頷いた。
自分が身に着けている防具と、周囲にあるものを見比べて、そうした方が良いという結論に至ったらしい。
アキラが身に着けている防具は、最初にミレイユが買い与えた物だ。
あちらこちら傷が付き、修繕した跡なども見えていて、大事にメンテナンスしていた事が窺える。
長く使い続けようとしてくれていたのは嬉しいが、神々と戦うにあたって、それでは如何にも不安だった。
「分かりました。でも、武器の方はいいです。魅力的な物も多いと思うんですけど……」
アキラが実際に武具へ向ける眼差しは、羨望にも似た色を発している。
それでも、と言い差し、個人空間から自分の刀を取り出して、両手で捧げ持つようにして掲げた。
「僕が持つのは、この刀しかあり得ません」
「今となっては、お前と相性の良い付与がされている事は認める。だが、空間に余裕があるなら、何か一本ぐらい持っていても良いだろう」
アキラはその言葉にも素直に頷いたが、口から出たのは否定だった。
「分かります。隠し札や切り札の一つは持っておけ、というお気持ちは。でも、使い慣れない武器を切り札にしたところで、有効に使えるとは思えないんです」
「それも一理あるがな……」
「勿論、それだけじゃありません。これから戦う相手は、確実に僕より格上の相手ばかりです。強力な武器だと見抜かれれば、手傷を恐れて避けるかもしれませんけど、傷付けられない武器と分かれば、敢えて受けてくれるかもしれません。どうせ一撃与えるのが賭けになるなら、まだその方がマシだと思うんです」
ほぅ、とミレイユは感心した気持ちでアキラを見返す。
未だ甘さは随所にあっても、それだけ考えられるなら、成長した事は間違いないらしい。
二軍落ちした武具とはいえ、それらは神にさえ手傷を与えられるかもしれない攻撃力を秘めている。
込められた付与次第では、実際の武器の殺傷力以上の効果を出す物もある。
だが、アキラが言うように、それ程の武器だからこそ、受けるないし避ける防御態勢を取るだろう。
アキラに与えた刀の付与は、敵に手傷を与えたかどうかは関係なく発動する。
そして彼に求められる役目は、刻印を使ってミレイユの壁となり、敵へ立ち塞がり続ける事にあるので、アキラが言い分の方が正しいとさえ思えた。
「……確かにそうだ。それに、他の武器は強力で強靭だが、不壊という訳じゃない。盾として使う事を考えても、やはり今の刀の方が有用か……」
「折角の申し出を断るのは、非常に無礼だとは思うのですが……」
「いや、そう畏まるな」
本気で肩身を狭くして恐縮するアキラに、手を振って笑みを浮かべる。
「お前は正しい。……そうだな。お前に求めるのは、破れかぶれのまぐれ当たりに期待する事じゃなく、あくまで壁としての立ち続ける事だった。むしろ、弱く見える武器こそ、良い目眩ましになるかもしれない」
「初めから、僕の役目は囮みたいなものです。きっと、盛大に油断してくれるのではないでしょうか」
アキラが決意めいた表情で言ってきて、ミレイユは思わず笑ってしまう。
本人なりにひどく真面目に言っていると分かるのだが、策とも言えない策に相手が嵌ったらと思うと、愉快に思えて仕方がなかった。
「後でアヴェリンを寄越す。その時に防具を見繕って貰え。それまでは待機だ」
不本意そうな顔をしたアキラを残して、ミレイユは返事も聞かず部屋を出た。
階段を上がって地下から出ると、アヴェリンとルチアが食料の確認をしているところだった。
長旅になるとは考えていないが、想定外な事態は幾らでも起こるものだ。
ユミルの姿は見えないが、備蓄庫で水薬を補充するなどしているのだろう。
ミレイユはアヴェリンに声を掛け、手隙になったら地下でアキラの面倒を見るよう、伝えてから外に出た。
空は既に薄暗く、森の中はシン、と音が無かった。
里の戦える者は全て出払っている筈だから、それ故の沈黙だろう。
普段から活気ある声が邸宅まで聞こえてくる事は少ないが、それでもあまりに静か過ぎた。
戦争へ行った者の帰りを待つ家族、というものは、得てしてそういうものなのだろう。
その上、彼らは家族の安否を神に祈る事すらできない。
直接的に何かをしてくれる訳でもないが、縋るものもなく、天に祈る事もできず、辛抱強く不安を押し殺すのは相当つらいだろう。
ミレイユは改めて事の重大さを知り、また彼らの不憫を天に呪った。
彼らは神の被害者だ。
被害者といえば、この世に住まう者全てが被害者と言えるかもしれないが、その中でもエルフは特に長く迫害を受けた。
神々は地上に住まう生命に、愛着も愛護もなく、己が掌中で転がし利用する事しか考えていない。
――神々に報いを与える。
彼らが正当に生きられる世界を取り戻す。
そうする為には、神々を弑する以外、方法はないのだ。
最早、とうにこれは自分だけの問題ではなくなっている。
重荷を背負うのは御免だ、と思っていたのに、今では二つの世界を背負って戦う事になっている。
その事を思うと、ミレイユの口から苦い苦い笑みが漏れた。
「随分、重い物を背負う事になったな……」
我知らず、弱音に塗れた独白が溢れる。
一度目の現世への帰還も、それはそれで大事だったが、それが何重にも膨れ上がって、ここまで大きくなってしまった。
この様な事態に発展するなど、誰が想像できただろう。
ミレイユにも当然、不安はある。
かつてオミカゲ様が通った様な、やり直しの道は無い。
次に希望を託せる、というのは大きな心の拠り所だ。
だが同時に、それは逃げ道でもあるから、心の隙に繋がる。
最後の最後、もう駄目だと思った時に、逃げ道があるなら……それが、覚悟の妨げにもなってしまうのかもしれない。
そういう意味では、今のミレイユは覚悟が決まっている。
だが、逃げ道がないから、という後ろ向きな気持ちで決めた覚悟ではない。
二つの世界を跨ぐ、神々の自己利益に対抗する為、阻止する為に覚悟を決めたのか――。
勿論それもあるが、何より
もっとも大きな動機を上げるなら、きっとそれだろう。
数多のミレイユが無念の内に次へ託し、そして恐らく、神造兵器によって蹂躙されていった、数多の世界がある。
諦め、託す事しか出来なかった苦しみは、饒舌に尽くしがたいだろう。
オミカゲ様の諦観の籠る困ったような笑顔は、今でもたまに思い出す。
どれ程の思いがあって、ミレイユを送り出す決意をしたのだろうか。
その諦観は、きっと何より辛かった筈だ。
――その無念を晴らす。
今がその最大の好機で、そして今後、その機会はもおう訪れないというのなら、その為にどんな事でもする覚悟だった。
ミレイユにはそれが出来る。
頼りになる仲間もいる。
だから失敗するとは思えなかった。
出来ると信じて進む以外、ミレイユに他の道はない。
「……そうとも」
邸宅から一歩出て、首を巡らせ周囲を見渡す。
このタイミングで外に出たのは、何も気分転換をしたい訳ではなかった。
決意を改めて確認したい訳でもなく、ルヴァイルから送られて来るという、連絡要員を確保する為だった。
ドラゴンと交渉が成功した場合、その背に乗って神々の居る場所へと運んで貰うわけだが、奇襲をするには安全なルートが必要だ。
そのルートを説明してくれる鳥を寄越す、という話だったのだが、どこにも姿が確認出来なかった。
まず目に入った、邸宅前のアーチにも留まっていないし、他の分かり易い場所にもいなかった。
視界の中にある無数の木、そのどこかの枝にいるのだろうか。
分かり易い特徴も聞いていなかったし、この世界特有の鳥類にも詳しくない。
声を掛ければ出て来るのか、それとも未だ寄越していないだけなのか――。
考えあぐねて、どうしたものかと首をひねる。
アヴェリン達の準備が完了次第、すぐにでも出発しようと思っていたし、転移陣を使った後は、もう邸宅に戻って来る機会はないと思っている。
全てが順調に行った場合、無駄に出来る時間はないと思っての事だったが、鳥を回収しに戻る手間を、計画の中に組み込むべきなのかもしれなかった。
一応、アーチの手前まで歩いて、ぐるりと顔を巡らせてみたが、やはりそれらしい鳥の姿は見えない。
息を吐いて家に戻ろうとすると、邸宅屋根の上に一匹の鳥が留まっている事に気が付いた。
その鳥は燕に似ていたものの、ミレイユの知るものとは大分違う。
まず色は白く、体長も大きい。本来は手の平に収まる大きさだろうに、鴉ほど大きさがあった。
嘴は赤く、また胸のいち部分も赤い。
シルエットで見れば燕に似た造形だが、様々な部分で違いがあるようだ。
フィー、と奇妙な鳴き声を上げると、羽を広げてミレイユまで滑空して来た。
敵意は窺えないので身構えるだけにしておくと、細かく翼をはためかせ、その腕に留まった。
白燕と目が合い、一拍の呼吸の後、腕を上下に振って落とそうとする。
白燕は翼を広げ一時滞空したものの、すぐにまた腕に留まり、何かを自己主張する様に何度も首を傾けて見せた。
その目を合わせながら、ミレイユは小声で尋ねる。
「……お前がルヴァイルの遣いか?」
「フィー」
「……そうだ、と言ってるのか? 何とも気の抜ける声だが……、どうやらそういう事で間違いないな」
白燕は何度か左右に首を傾げるだけで、それ以上、囀る事もしなかった。
自分の役割を分かっているのかどうかすら危ういが、とにかくルヴァイルは約束を守った。
後は最低限の意思疎通が出来ればと思うのだが、鳥の頭で理解できるものか不安になる。
しかし、神が遣わした鳥だ。全くの無能を寄越す筈もない。
今度は落とさないよう、軽く腕を上下させながら、諭す様に声を掛ける。
「そこにいられると困るんだ。せめて肩の上に移れないか?」
「フィー」
言葉は理解できるらしい。
白燕は一鳴きすると腕から離れ、ミレイユの肩に留まる。
何度か跳ねて方向転換まですると、問題ないか、とでも言うように、また一鳴きした。
ミレイユはそれに小さく返事して頷くと、邸宅の中へと戻った。
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