竜の谷 その2

 中へ入って、まず顔を合わせたのはルチアだった。

 準備万端整っているらしく、作業の手は止まっている。


 アヴェリンの姿は既になく、言い渡していたとおり、アキラの面倒を見るため地下へ向かったのだろう。

 ルチアはミレイユの肩に目を留めると、訝しげな視線を向ける。


「それが、例の案内役なんですか? ホワソウとはまた、珍しいものを見ました」

「私なんて鳥に注目してきた事がないから、珍しいという感慨すらないが……。賢い鳥ではあるようだ」

「そうですね、人語の全てを理解しているとは思いませんけど、理解している節がある鳥です。主に高山地帯に棲息する鳥なので、余計に目撃し辛いって意味で、珍しい鳥でもありますけど」


 ふぅん、とミレイユは右肩に乗ったホワソウへ顔を向けた。

 何を考えているか分からない目で見つめ返して来て、思わず目を合わせたまま固まってしまう。

 だが、大人しく肩の上に乗ったままでいるところは、確かに賢さの片鱗が窺えた。


「それ、連れて行くんですか? 邪魔になりません?」

「なるとは思うが、往復する手間を省きたい。谷へ行くのも、戻って来るのも一瞬で済むが、陣から目的地まで歩く事にはなりそうだ。実際の行程は不明だが、もしも数日掛かるなら、馬鹿にならないタイムロスだ」

「それならいっそ、竜の背に乗って帰った方が早……あぁ、奇襲が意味を為さなくなりますね。邸宅付近に姿を見せて、ミレイさんと無関係と思う筈ないですし……」


 ルチアが迂闊な発言を、陳謝する様に表情を歪めた。

 ミレイユは気にするな、という風に手を振って、ルチアを伴い地下へと降りる。


 ルチアが言う事も勿論だが、何よりかつての姿を取り戻したドラゴンなど、注目してくれと言っている様なものだろう。

 そもそもの巨体だから目立たない訳ないだろうが、低地を飛行して神の目から逃れようとしても、今度は地上で暮らす者の目に留まる。


 ドラゴンとの交渉が上手くいき、そして、その背に乗って移動できる様になろうと、目立たない場所を飛んで貰う必要がある。

 そして、それを補う役目を持つのが、このホワソウだ。


 これ無しで飛ぶ事が出来ない以上、やはり事前に連れて行くしかない。

 階段を降りて展示室へ戻ると、アキラが丁度着替え終わったところだった。

 着心地を確かめると共に、アヴェリンに胸の辺りを平手で叩かれて咳き込んでいたりする。


 アキラが身に付けたのは革製鎧だったが、これは以前から身に着けているものと大きく変わる物を選ばなかった、アヴェリンなりの配慮だろう。

 盾役、壁役としてなら、より高い防御力を持つ防具は幾つもある。


 だが、アキラはその場でどっしりと構えて待ち構えるタイプではなく、むしろ果敢に攻め立て、相手の動きを止めていくタイプだ。

 その為には身動き易い防具の方が好ましい。


 革製といっても、以前アキラに買い与えた魔獣との合皮で作られたものとは訳が違う。

 あれも頑丈には違いないが、新しい防具は竜の外皮を使用している。

 灰色の鱗や外殻を利用した防具は、フロストドラゴンの素材である事を示していて、特に冷気に対して強い抵抗を持つ。


 動きを鈍らせられると何も出来なくなるアキラには、特に相性の良い装備だった。

 単純に防御力が高いのも竜素材の特徴だが、込められる付与量も他の素材と違う。

 同じ魔術を込めてもより強い効果を発揮するのが竜素材で、しかもそれを錬金術的補強で増加させている。


 魔術全般に対する抵抗を強める効果は、受ける魔術の五割を軽減してくれる筈だ。

 強大な魔術士は自身の能力でその抵抗を強める事ができるが、内向術士には難しい。

 それを補強する効果を、その防具が肩代わりしてくれる。


 また、軽量化の付与もされている筈で、だから鎧の筈なのに衣類の様な軽さを感じている筈だ。

 アキラが不思議そうに肩を回したり、跳ねたりして感触を確かめているのは、それが理由だろう。


「アキラ、防具の説明は受けたか?」

「はい、身に着けている間に説明してくれました」


 そうか、と一つ頷いて、ミレイユは陣に乗ろうとしたが、その前に一応の補足をいれておく。


「その防具についている付与は、私達と一緒にいる間は問題ないだろうが、もし他の誰かと組む事になるなら、注意しておくべき点がある」

「誰かを傷付けてしまう、とかでしょうか?」

「いいや、そうじゃない。誰かから支援術を受ける際、その場合でも効果を半減させてしまうからだ」


 えっ、と眉根を寄せて、アキラは自分の胸元辺りを見つめる。


「敵と味方を選別して、受ける魔術効果を和らげてくれる訳じゃないからな。魔術の抵抗とは、汎ゆる外的効果に対して発生する。他者から受ける魔術は、攻撃だろうとなかろうと半減する」

「それは……、なるほど。何事も上手い話ばかりではない、という訳ですか」

「お前の鎧効果を知っているなら、それに合わせてより強い魔術を使ってやれば良いだけだ。だが、大抵は一個人に対して、一々切り替えたりしないしな」

「強い魔力抵抗の恩恵の代わりに、支援効果が少ない、というデメリットもあると……」


 ミレイユは頷いてから、もう一つ指摘を加えた。


「身体強化などの支援だけじゃなく、治癒術などでも同じ事が起きる。本来は傷が塞がる魔術を使った筈なのに、全く効果が見られない、という事も起こり得る」

「それは……、厳しいですね」


 これには流石にアキラも渋い顔をした。

 支援効果が半分になるのは受け入れられても、傷の治療まで半分となると抵抗がある様だ。

 しかし、魔力に対する抵抗とは、メリット・デメリットが表裏一体となるものでもある。


 外向魔術士などは、最初からそのデメリットを受け入れてやっている様なものだから、アキラの感想には今更感が否めない。


「強大な外向術士は、そもそも自前で抵抗が強いものだからな。防膜が外へ漏れ出る魔力を抑えると同時に、外から受ける魔力も低減してしまう。強力な魔術を使える事と、魔術効果が少ない事は表裏一体だ」

「な、なるほど……」

「ルチアは氷結魔術士だが、同時に治癒と支援も高いレベルで心得ている。だが、それを私に使った事はないだろう……?」

「言われてみると……。あ、いや、どうでしょう? そもそも、ミレイユ様の戦う姿って、余り見ないので……」


 アキラが腕を組んで首を傾げる。

 言われてみると、確かにそんな気がした。

 ミレイユとしては何度か戦場を共にしたから見せていたつもりでいたが、アキラに戦う姿を見せたのは、神宮で起きた戦いだけだ。


「とにかく、私が率先して支援魔術を使っているのは、それが最も高い強化効率を望めるからだ」

「えぇと……、ルチアさんとかだって、受けた効果が半減されてたりするんですよね? それなのに?」

「それなのに、よ。……ズルいわよねぇ」


 いつの間にやら展示室へとやって来ていたユミルが、軽快に笑って続ける。


「つまり、それだけ魔力の隔たりがありってコトなんだけど。アタシも使えなくないけど、自分よりも良い効果を受けられるとなれば、まぁ任せちゃうわよね。常に傍で戦う訳でも、常に頼れる状況にある訳でもないから、使う時は使うけど」

「だから、ミレイさんを治癒する時は大変です」


 ユミルに続いてルチアが口を挟んできたが、こちらの表情は対象的で、苦いものを堪える様な顔になっている。


「治癒術にはそれなりに自信がある私ですが、もしもミレイさんを全快させようとしたら、きっと途方にくれますよ。木っ端魔術士の攻撃なら、そもそも防御する必要さえない程ですけど、だから治癒術だって弾いちゃうんですから」

「まぁ、敵からしても味方からしても、悪夢みたいな存在よ」

「何たる言い草だ……!」


 流石に今の軽口まで看過できなかったアヴェリンが、眉を逆立ててユミルを睨む。


「ミレイ様を侮辱しようなどと! 何たる無礼だ! 貴様、最近の言動は目に余るぞ!」

「いやぁ……。でも、治癒術が効かないとか、状況によっては普通に悪夢でしょ」


 ユミルも言にも一理あって、ミレイユからは何も言えなくなる。

 幸い、これまで戦闘中に、ルチアの助けを必要とする場面はなかった。

 だがそれは、単に状況が許しただけであって、いつミレイユが先に膝を付き、治癒を求める事になるか分からない。


 ルチアも優秀な魔術士であり、治癒術士でもあるので、その魔術効果を完全に遮る事は起きないだろう。

 ただ、ミレイユの魔術抵抗を突破するのは相当な骨だ。

 突破できるだけ大したものだが、要らぬ苦労の様に感じてしまうのは否めない。


 それに瀕死の重傷なのに、治癒が遅々として進まず、という事態もあり得る。

 ルチアはともかく、これが他の誰かなら、悪夢と言われても確かに仕方なかった。


 ユミルが歯に衣着せぬ物言いをするのは今更だが、口先ひとつ詫びた所でアヴェリンも納得しないだろう。

 その上で謝罪も何もない訳だから、アヴェリンは肩を怒らせ、ユミルを掴み掛かろうと動いた。

 流石に今回は、黙って見ていると乱闘に発展するかもしれず、ミレイユが間に立って二人を止める。


「今は互いの意見をぶつけ合ってる場合じゃない。アヴェリン、アキラの装備は問題ないな?」

「ございません」

「ユミル、準備は済んでるな? 水薬は持ち出したか?」

「えぇ、問題ないわよ」

「では、出発だ。今は小さないざこざで、時間を浪費できない。陣に乗って出発だ」


 ミレイユが率先して動くと、ユミルへ不満そうな表情を見せつつ、アヴェリンもそれに続く。

 そうなれば全員が陣に乗り、最後に乗ったアキラは、不安そうに足元を矯めつ眇めつしながら呟く。


「……これで転移するんですか? いつもミレイユ様が、してくれるみたいに」

「そうだ。私はマーキングした所にしか飛べないが、陣ならそれは関係ないからな」

「えぇと、行き先は……」

「着けば分かる」


 短く答えて、ミレイユは陣に魔力を送り込んだ。

 最初に陣の中心が淡く発光し、それから外へ向かって描かれた文様に沿って光が流れた。


 その陣全てに光が行き渡ると、一際大きく発光し、次の瞬間には足元が抜けて落ちる間隔が身体を通り抜ける。

 その次の瞬間、浮遊感と共に視界が黒く染まり、陣の効果が発揮されて転移した。

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