遺跡へ向かって その10
「いやはや、案外ギリギリだったわね。あと数秒遅れていたらと思うと、ゾッとするわ」
「その時は背中を強打して、ちょっと愉快な姿になっていただけじゃないですか。私はちゃんと、足から着地しようとしてましたけど」
「お上品で結構ですコト。アキラなんて、顔面から落ちようとしてたっていうのにねぇ……」
「……僕は投げ入れられたんであって、自分から落ちた訳じゃないんですけどね……!」
うつ伏せの状態から立ち上がろうとしていたアキラは、低い声で恨み言を呟きながら、ユミルに暗い顔を向けていた。
目の端に涙は浮かべていても、いつかのように泣きじゃくってはいない。
こんなところからでも、彼なりの成長を感じる。
地面への激突を恐れて、慌てふためいていた頃が懐かしい。
妙な感慨が持ち上がったが、それを即座に投げ捨てて、ミレイユは改めて穴底を見渡す。
崖上からは分からなかった事が、それでようやくハッキリ見えて来た。
そこは一本道の空洞になっており、雪の一つも積もっていない。足元からじんわりと伝わる熱が溶かしてしまっているらしく、暗い岩肌を晒していた。
溶けた雪がどこかへ流れ込む仕組みがあるらしく、地面に濡れた痕跡はあっても水溜まりが出来ている個所は見えない。
目が暗闇に慣れて来ると、前方に遺跡の壁が見えた。
岩肌とは全く別の、石造りとなった壁だった。
元は乳白色だったものが、汚れて黒ずんでいるものの、壁には傷らしい傷もない。
そして壁の奥からは、ゴゥンゴゥンと重苦しい音が漏れ聞こえてくる。
歯車を回し、何らかのエネルギーを伝達させる音だった。
壁の一部から突出した管が出ていて、そこから蒸気が細く吹き出している。
あれがユミルの発見した蒸気の根本だろう。
「遺跡である事は間違いないな」
「問題は、入り口となる様なものが、あるかどうかですが……」
アヴェリンが隣で訝しむような視線を壁に向けて、ミレイユも同意して頷いた。
とりあえず近寄って調べてみるしかなく、全員を伴って壁へと近付く。
そして近付く程に重低音が大きくなり、吹き出す蒸気の音も耳に届くようになった。
遺跡の壁に使われている石の材質は日本で見た事もなく、地上の如何なる採石場でも手に入る物には見えなかった。
かつて来た時には気にもしなかったが、かつて大神――本物の大神――が造ったものである、と聞いた今では納得できそうなものだ。
「前に使った時は考えもしなかったが……、こうして遺跡全体を歯車と蒸気が巡っているというのなら、この巨大な遺跡が一つの機構なのかもしれない」
「そういえば、通路も小部屋も、どこにいっても歯車とか管が見えておりました。その熱で部屋といわず、遺跡全体を温めているのか、と思っていましたが……」
「それは副次的な効果でしかなかったろうな。最奥にエネルギーを届ける為、そしてエネルギーを循環させたり高めたりするのに、これだけの規模が必要だったんじゃないのか」
それは全くの憶測でしかなかったが、的外れという訳でもなさそうだった。
最奥に眠る『遺物』も相当巨大なものだったが、使用するエネルギーや、その効果を見ても、それ一つで賄うには小さ過ぎるように思える。
蒸気や歯車、機械的機構が見えている事といい、建物丸ごと一つで『遺物』の動作を補っていると考えた方が自然だ。
それはともかく、とミレイユは後ろに控える面々に向かって壁を指差した。
「入り口らしきものがないか探してくれ。分かり易い扉があれば嬉しいが、そうとも限らないから繋ぎ目だったり、何か出っ張り的な物を……」
「……人の背丈で考えない方が良いかもね。アタシもドワーフを目にした事ないけど、成人していたとしても、子供ぐらいの背丈だって何処かで読んだ記憶あるし」
「あぁ、ドワーフはメンテナンスの為に生まれた種族という話だった。基準にするなら、その位置や大きさに気を配る必要があるか」
ユミルの指摘に、ミレイユもまた自分の見解を述べつつ頷く。
ルチアもまた得心顔をさせながら、視線を上へ下へと向ける。
「……そうなると、身長を気にして下ばかり見るんじゃなく、上の方も確認した方が良いのでは……。この崖が地割れなどで、後年発生した可能性もあります」
「なるほど、もっともだ。――そういう訳だから、皆、調べる時は注意してくれ」
「畏まりました」
アヴェリンが代表して答えて、三々五々散って行く。
ミレイユも何一つせず見ている訳にもいかないので、三人に付いていこうとしたところで、アキラの声で呼び止められた。
「あの……、下はともかく、上の方はどうやって見たら良いんでしょう? ジャンプするのにも、限度があるような……」
「うん……?」
露出しているのは遺跡の一部分とはいえ、ここから見える範囲でも、壁は見上げるほど高い。
ミレイユ達が飛び越えるのを断念した程なので横幅も相応にあり、調べ上げるのが苦労しそうだった。
ミレイユが念動力で持ち上げてやる事も出来るが、アヴェリンがそれを反対するだろう。
高い部分はルチアやユミルに任せ、目の届く範囲はアヴェリンとアキラでやって貰うべきかもしれない。
ルチアなら魔術を上手く運用して、氷を足場にするなりしてくれそうだが、内向術士にそれを求めるのは酷だ。
「そうだな、お前には――」
アキラへ個別に指示を出そうとした時、遺跡の方からユミルの声が上がった。
民家の屋根より高い位置にいて、片手一つで何かに掴まって宙吊りになっている。
何かを捻る動作の後、壁を蹴りつけると外開きに壁が割れた。
子供ならば十分に通れる大きさで、ユミルはどうやらこの僅かな時間で扉を探し当てた、という事らしい。
「また随分と早かったな……。いや、早いに越した事はないんだが」
「なんか……ユミルさんって、探し物とか得意そうですもんね」
「隠密や捜索、追跡なんかは実際得意だ。あぁいうタイプの捜索まで、得意とは知らなかったが……」
それはむしろ、ルチアの領分だ。あるいはアヴェリンが、動物的嗅覚を発揮して見つける。
大抵はそういったものなので、今回の結果はミレイユとしても意外だった。
いつも先を越される事を、もしかしたら忸怩たる思いで見ていたのかもしれない。
アキラを引き連れて扉の下までやって来ると、ユミルが一度中を覗き込んでから降りて来る。
そして、親指を後ろに向け、うんざりとした表情で言った。
「アンタが言ったとおり、メンテナンス用の通路みたい。アタシ達じゃ、立って移動するのは無理そうね。胸より高いくらいの高さしかないもの」
「中へ侵入できるなら文句はない。今から正規の入り口を見つける事に比べたらな」
「そりゃあね、そうよね。まぁ……精々、後で腰を労ってあげましょ」
ユミルが老人の様に腰を叩いて笑い、ミレイユも笑みを返して目的の扉を見つめる。
位置にしてマンションの三階分、といったところだが、入り込む事は問題ない。
アヴェリンならば一足飛びだろうし、他のメンバーも一度壁を蹴りつけるなり、魔術で補佐して登り切るだろう。
問題はそのポテンシャルを正確に把握していないアキラで、果たして可能なのか、と胡乱げな視線を向けた。
それを挑戦と受け取ったアキラは、腕まくりでも始めそうな剣幕で意気込む。
「――では、一番手は僕で構いませんね」
「別にいいが、大丈夫なのか?」
「素直に、高い高いして貰ったら?」
「いりません!」
ユミルの挑発的な言い方で、アキラは更に躍起となった。
肩を怒らせ壁から一度離れ、十分な助走をつけて跳躍する。
だが、予想どおり跳躍距離は十分でなく、その半分ほどで一度壁を蹴り上げ、何とか扉の縁に指を掛けた。
実にギリギリの状態で、腕一本で体重を支えている為足元がフラつき、そのまま落ちそうに見えた。
しかし何とか持ち直し、片手懸垂の要領で身体を持ち上げる。
そのまま、もう片方の手を縁に掛けると、身体を擦り付ける様に登り切った。
「なんともまぁ、危なっかしいコト……」
「現世の基準で考えると、十分凄い事は出来てるんだが……。まぁ、跳躍距離が高いからといって、剣術には関係ないしな」
「とはいえ、アレの制御技術ならば、もう少し上手くやれそうなものですが……」
アヴェリンが不満を滲ませながら顔を顰める。
内向術士と言っても、鍛え方によって形は変わって来るもので、それは制御技術にも違いが出て来る。
踏み込む強さが大きければ、それだけ接敵もし易くなるものだが、それだけあっても倒す力がなければ意味もない。
バランスが重要なのであって、現在の跳躍力が低い事が、つまり弱い戦士とはならないが、アヴェリンとしては不満を感じる結果らしい。
鼻を一つ鳴らしてから、アヴェリンは断りを入れて先に行く。
入り口付近から顔を覗かせていたアキラを、腕を振り払うジェスチャーでどかせながら走る。
アキラの時の様に全力ではなく、長距離走の様な、ゆったりとした助走だった。
踏み込む力もアキラの時と違い少いものだったが、その身体は軽やかで滞空時間も比べ物にならない。
壁蹴りからの垂直飛びをする必要もなく、タトンと軽い音を立てて縁に足をつけた。
一度こちらを振り返って安全を示すと、それから中へ滑り込む様に入って行く。
二人の違いをまざまざと見せ付けられた格好で、ユミルは思わず失笑していた。
「そう笑ってやるな。……正直、最後の守役として考えると、少々不安に感じたのも事実だが」
「そうよね? とはいえ、アキラがソツなくこなす姿っていうのも、ちょっと想像し難いけど」
そうかもしれない、と曖昧に頷いて、ミレイユも壁に向かって歩き出す。
軽い助走をしてから地を蹴り、アヴェリンと同様一息で縁に足を掛ける。
実際に通用口を見ると手狭に感じ、アキラとアヴェリンが奥まった場所で待機しているのが見えた。
ミレイユも後に来る者の邪魔にならないよう、アヴェリン達へと身を寄せてから、その更に奥がどうなっているかと顔を動かした。
「どうだ、ここから内部に入れそうか?」
「問題なかろうと思います。空気の流れを感じますので、我々が通れないほど狭い通路になっていなければ、どこかに出られる筈です」
「そうか、そういう事もあるだろうな……。前提として、人間の背丈に合わせた作りになっていないだろうし……」
ミレイユが鉤形に曲がって奥まで見えない通路を見据えていると、ルチアが軽やかに入って来て、そこから一つテンポが遅れユミルも身を乗り出す様に入って来る。
その姿を見届けると、ミレイユはアキラへ先に進むよう指示を出した。
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