遺跡へ向かって その9
ミレイユの命令を聞くや否や、アヴェリンが飛び出して巨人を蹴り倒した。
驚愕と悲鳴の入り混じった叫び声が上がり、周囲の巨人に伝播していく。
アヴェリンが倒れた巨人をメイスで殴り付け、それがまるで小石の様に転がると、悲鳴の度合いが更に増した。
「ギィィ、ヒィィィ……!?」
襲い掛かろうとしていた他の巨人も、その様子を見て二の足を踏む。
威嚇していた時の威勢は既になく、互いに顔を見合わせて、どうするんだ、と相談するかの様に見えた。
手には樹の幹を折って作ったと思われる棍棒を握っていたが、振り上げる動作のまま止まっている。
ミレイユはそれらの間を縫うように走り、駆け抜けた。
途中でアヴェリンも合流し、先導する形で広場を抜けて行く。
後方からは驚愕とも威嚇とも取れない怒号が聞こえてきたが、それを無視してとにかく走る。
後方から追手の足音も聞こえたが、鈍重な彼らは追い付いてこれない。
あっという間に置き去りにして、先へ先へと足を進めた。
凹凸があり滑りやすい地面、雪に足を取られ、満足な速度も出ない。
それでも、時間の浪費を考えれば、巨人と戦うより余程速い。
テオやヴァレネオは既に動き始めて久しく、士気の高い彼らはオズロワーナへ時間通りに辿り着くだろう。
タイミングを測って合わせられる事ではないから、あまり深く考えても仕方がないが、想定時間より遅れるのは避けたい。
到着するまで約半日程度と考えると、日暮れまでに遺跡へ到着する必要があった。
とはいえ、それより問題は、現在位置を大きく見失っている事にある。
当初予定していたルートから大きく逸れ、どちらへ向かうべきかも分からない。
今は道らしき所を通っているが、その先が何処へ続くのか予想すら付かなかった。
どうしたものかと考えている時、憂いを含んだアキラの声が、後ろから掛かる。
「ミレイユ様、こちらの方向で大丈夫なんですか? アテもなく山を歩くのは、遭難するだけだって聞いた覚えが……」
「それは間違いないだろうが、立ち往生はもっと拙い。あの滑り台で、だいぶ落とされて現在地も見失った。果たして、このまま辿り着けるかどうか……」
「う……、申し訳ありません……!」
嫌味を言いたくて言った言葉ではないが、アキラには誤解させてしまったらしい。
気にするな、と言ったところで意味はないだろう。
実際、失態だった事は間違いない。
「ただ、あそこで滑らなくても、果たして遺跡へ通じていたかは不明だ。結果として近道だった可能性もある。あまり思い詰めるな」
「怪我の功名、って言葉もあるものねぇ。……なかったら、アンタぶっ飛ばすけど」
「そんな……っ!」
アキラが悲鳴に良く似た、悲痛な声を上げた。
そもそも登山装備どころか、防寒具すら持ってないのだ。足を取られて滑っても、責める事は出来ない。
それはユミルも分かっているから、言った事も半分以上冗談だ。
ただ現状は最悪でないから、目溢しを貰っているようなものだろう。
いずれにしても、日が落ちる前に発見してしまいたい。
暗闇で山を歩くのは無謀でしかなく、気温も下がって身体が凍る。
遺跡内部は蒸気が籠もっているので、肌寒く感じる事はあっても、凍える程ではないのだ。
そこまで考え、唐突に頭を上げる。
帽子を取って辺りを見渡すと、そこには雲に紛れる靄めいた何かを見つけた。
「どうしたの、アンタ……?」
「蒸気を見つけた。遺跡から漏れ出たやつだと思う」
胡乱な目をして見つめてくるユミルをよそ目に、ミレイユは空の一画を指差した。
「分かり難いが、確かにある。あちらの方角へ向かえば、遺跡には着くはずだ」
「そうだろうけど……。でも、どうやって行くかって話でしょ」
指差す方向には、高い峰が聳え立っている。
迂回して進むしかなく、そして今いる道を進むなら、どんどん遠退いて行ってしまうという事でもあるのだ。
今の道も、岩や溝の影響で歩けようになっているから利用しているものの、本来は道と認識するものですらない。
悩んでいると、先頭を歩くアヴェリンが振り返って聞いて来た。
「どうされますか。……他に道らしいものは無かったように思いましたが、巨人どもがいた広場には、何かあったかもしれません。岩の乱立でよく見えなかっただけで、脇道などがあったやも……」
「再び荒らしに戻るのか? ……今の奴らは、混乱と興奮の坩堝だろう。どちらにしても賭けと変わらないなら、このまま進み、蒸気に向かって移動できる道を探そう」
「畏まりました」
アヴェリンは短く返事して前を向く。
周囲は相変わらず岩と雪以外、見るべきものがない。
だが、どこかに割れ目でもあって抜け道があるかもしれないし、また洞窟だって見つかるかもしれなかった。
今はそれに期待する他なく、目を皿にしながら歩を進める。
しかし、どれほど歩けど何も見つからず、いたずらに距離が遠のくばかりだった。
失敗だったか、と苦い顔を浮かべ始めた頃、前方に切り立った崖が見えた。
今までも、少し距離がある程度は無理矢理踏破して来たが、今回は遠すぎる。
一足飛びは不可能で、崖の下は暗く底が見えない。
落ちたら命はないだろう、と思われた。
「行き止まりですね。……引き返しますか?」
「そうだな……仕方がない。無駄足だったが、割り切ろう。巨人の広場に戻れば抜け道があるとは限らないが、今は――」
「ねぇ、ちょっと」
ミレイユの声を遮って、肩を叩きながらユミルは指先を、しきりに崖の奥へと突き差している。
言われるままに見た先は、右下方、崖の底へと向けられていた。
そしてそこには、暗がりの中からうっすらと蒸気らしきものが発見出来た。
「……見つけたな」
「もっと褒めて良いわよ」
「辿り着ける場所にあれば、だろうが。あれでどうやって行けと言うのだ」
アヴェリンが怒りを表情に滲ませ、呆れ声で言った。
アキラが崖下を覗き込んでは、無理無理と顔を横に振っている。
改めて確認する必要もなく、転落すれば無事では済まない。
崖をクライミングで降りていくには、岩の強度に不安があるし、踏み外す危険も高かった。
無事に済むとは思えず、きっと途中で滑落する事になるだろう。
悩ましく思えたが、ふと思い立ってユミルの顔を見返した。
「少し受け身になって考え過ぎていたな……。昔はもっと大胆だった。ここでも同じ事をすれば良いだけか」
「そうよ。リスクも命も考えず、最短距離を突っ走ってた頃を思い出せばね、こんなのリスクの内に入んないわ。むしろ安全の部類でしょ」
「ユミルさんが安全って言うと、何でこんなに不安になるんだろ……」
アキラがぼそり、と呟くと、ユミルは耳聡く聞き咎めて、蛇のような動きでアキラへ組み付いた。
肩へ手を回し、凄みながら顔を近付ける。
まるで細い舌先が、ちろちろと頬を撫でているかのようで、アキラも身を竦めて必死に顔を合わせまいとしていた。
「アンタも言う様になったわねぇ……? この子に認められて、調子に乗ったのかしら?」
「い、いえ、決してそんなつもりは……!」
「ほぉん……? でも、ついつい本音が漏れた?」
「はいっ! ――あ、いえ、違う。違います……!」
ユミルが本気でするいたぶり、可愛がりは、慣れない者にはそれだけで拷問に近い。
放たれる殺意は確かな指向性を持っていて周りに広がらないし、その所為で受ける本人は実際以上の強い気配を覚える。
寒気とも、怖気とも知れない気配が背中を這い回っている筈で、アキラは生きた心地がしない筈だ。
ミレイユが認める発言をした所為で、ユミルは手心というものを捨て去る事にしたらしい。
その気配に充てられた所為で、アキラは取り繕う事も出来ず、思わず本音が口から突いて出たようだ。
そして、それを挽回しようと更に取り繕おうとしているのだが、端から見てもあまり成功している様に見えなかった。
「違うんです……! ただ僕は皆さんと、こんな風になれるとは思ってなかったので!」
「全員仲良く、凍り付けになりそうだって?」
「違いますよ! こうして共に、歩かせて貰っている事にです!」
「やっぱり調子に乗ってるわね、こいつ。……突き落として良い?」
ユミルが嗜虐的な笑みを浮かべ、アキラの肩を揺さぶる。
アキラは必死に顔を横へ振り、助けてくれと懇願する視線を向けて来たが、即答せずに穴の底を見下ろした。
それでアキラが青い顔をさせ、今度はアヴェリンへと視線を転じる。
ミレイユの行動はアキラを誤解させたが、別に捨ててしまえ、というつもりでやった事ではない。
説明するより、行動してから理解させた方が早い、と思っての行為だった。
今やミレイユが、やれと言ってやらない事を探す方が難しいだろうが、問答する時間さえ惜しいのだ。
空は既に中天を過ぎている。
順調に行けば、もしかしたら到着していたかもしれない時間だ。
先程は雲が薄っすらとしかなかったが、今はもう濃くなっている。
荒れるかどうかはまだ判別できないが、悠長にしている時間はなさそうだった。
「……落とすか。そっちの方が早い」
「そんな、ミレイユ様! 見捨てないで下さいよ!」
「そういう意味じゃない。遺跡はここから下にある。行こうと思えば、落ちた方が早い」
「え……、でも登山していたじゃないですか。遺跡は上にあるんですよね?」
「入り口はな。そこから最奥へは、地下を何層も降りる必要がある。だから位置的に、大幅なショートカットが見込めるかもしれない」
ミレイユが上機嫌に言うと、アヴェリンも顔を綻ばせて言う。
「あるいは、お釣りが来る程の短縮になるかもしれませんね」
「全くだ。良かったな、アキラ。お前の失敗は、怪我の功名で済みそうだぞ」
「それは……はい。いや、有り難いですが、そうではなく――」
実際に降りた先がどうなっているか分からない以上、あまり期待し過ぎてはいけないが、無駄話する時間が惜しいのは変わりない。
ミレイユが顎をしゃくると、ユミルが肩を組んだ体勢から無理矢理アキラを持ち上げて、崖下へ投げ入れようとした。
しかし、アキラも黙ってやられない気構えが出来ていたらしく、抵抗を試みる。
ユミルの腕に抱きつき、決して離すまいとするのだが、横合いからアヴェリンに頭を殴られ脱力した。
即座に意識は取り戻したものの、その一瞬があれば十分だった。
するりとアキラの腕から逃げ出したユミルは、今度は襟首を掴んで投げ飛ばす。
大きな放物線を描いて、アキラは叫び声を上げて崖下へと落ちていった。
「まったく……っ、可愛い気のないコト! 昔はやり易かったってのにねぇ?」
「あまり悠長にしてますと、本当に地面と激突しますよ」
ルチアに指摘されて、ミレイユ達も続々と崖下へと身を躍らせる。
片手で帽子を掴み、落下に身を任せてアキラを追う。
流石に先行して落とされただけあって、すぐには追い付けそうもなかったが、地面までの正確な距離が分からない以上、あまり気楽に構えていられない。
ちらりと視線を横に向けると、ユミルは動揺も危険も感じておらず、落下中でも腕を組んで背中から落ちようとしていた。
余裕の表れ、ミレイユへの信頼あっての行為なのだとしても、一人気楽なのは癪に障る思いがした。
努めて意識を外へ追いやり、身体をなるべく小さく畳んで落下速度を上げる。
アキラは逆に両手両足を広げて速度を和らげようとしていて、追いつくのも速かった。
崖から落ちるほど、視野は暗くなっていく。
上から差す光だけは光量が不十分で、あっという間に暗闇の中へと吸い込まれていった。
ここから先、いつ地面にぶつかるとも限らないので、即座に制御を完了させる。
行使するのは『落葉の陣』、それを地面へ向かって放出すれば、接触と同時に陣が広がった。
陣の魔術は接触と共に展開されるのが特徴だ。
今回は、その展開まで五秒と掛かっていない。
予想以上に余裕がなかった事に戦慄しつつ、陣の効果でふわりと、空中で静止する様に動きが止まった。
足を伸ばして地面に触れると、仲間たちも続々と陣の上に着地する。
それから一拍遅れて、アキラは泣き顔を浮かべながら腹ばいで落着した。
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