御子神の一日 その8

 案内されるままに上座へと座り、今回ばかりはアヴェリンも後ろではなく席に着かせる。難色を示したが、無理にでも言い聞かせる事で納得させた。

 ミレイユから向かって右側に由井園家の者が、左側にアヴェリンが座る。咲桜はミレイユの後ろに控え、必要とあらば給仕をする。


 時間的に夕食には早く、あまり重たい物は食べたくない。

 そこで茶会という形で菓子とお茶を楽しませて貰う事にした。今日はアヴェリンを楽しませたいという目的もあったので、お菓子を食べさせる為に席へと座らせたのだ。


 御由緒家はオミカゲ様の血脈とあって、日本古来からある格式を重視する。何事につけても和風めいた部分が多いのに、この邸宅を見ても分かるとおり、洋風の趣が強い。

 本邸はまた純和風形式なのかもしれないが、ここまで大っぴらに洋風なのは意外に感じた。


 運ばれてきた茶菓子も洋風のマロングラッセで、お茶も紅茶と洋風だった。あるいはアヴェリンを見て、そちらの方が喜ばれると思ったのかもしれない。

 神宮でも望めばコーヒーでもマテ茶でも何でも出るが、やはり日本茶や抹茶が一番多い。

 茶菓子もそれに合わせるので、こうした洋菓子は新鮮だった。


 それを互いに楽しんでいれば、雰囲気も柔らかくなる。紅茶の代わりも貰った辺りでは、由井園家の緊張も解れてきたようだった。特に夫君の緊張の程は凄まじく、汗をハンカチで頻繁に拭っても次から次へと溢れ出る程だ。


 ――さて。

 ただ乗馬を楽しんで、一言の挨拶もなく帰宅というのは拙い気がして、こうして招待に応じたが、何を話したものか迷ってしまう。これも一種の社交なのだろうし、御由緒家としては御子神を歓待しない訳にもいかないのだろうが、礼節やしきたりを知らないミレイユからすれば、どう行動するのが正解なのか分からなかった。


 素直に咲桜から聞いても良いと思うのだが、御由緒家を前に迂闊なことを言うのも憚られる。

 ティーカップとソーサーが、カチャリと小さく立てる音ばかりが響く。

 そこで唐突に思った。

 まさか、目下の者から話し掛けるのは礼式・礼法に違反しているというやつだろうか。神から話し掛けられない限り、話し掛けてはいけない、という類の。


 思えば歓迎の挨拶以外、それらしい発言は聞いていない気がした。

 このまま沈黙が続くのは辛いし、飲み終わったから帰るというのも無理だ。礼儀知らずの恥知らずとでも思われるのは恥ずかしい。


 ミレイユは一番手近にいる、志満の顔色をちらりと伺ってから話し掛けた。


「他の御由緒家は知らないが……行き届いた配慮と馬の扱い、もてなしに感謝しよう」

「感謝などと……! 光栄に存じます、家中の者も喜ぶ事でございましょう」


 志満は感涙にむせんばかりの勢いで頭を下げた。夫君も侑茉の顔にも、それと良く似た表情が浮かんでいる。

 もっと柔らかい表現で良かったかもしれない、と反省すると同時に、どうやら方向性は間違っていなかったようだと推測した。

 話を広げる程に彼女らの事を知らないミレイユは、これからどうしようかと考えていると、侑茉の方から話し掛けてきてくれた。


「他の御由緒家を知らないと仰られましたが、我が家を一番に訪れてくださったのですか? てっきり由喜門にはお顔を出されたのだとばかり……」

「そうだな。言われてみれば、由喜門にも一度行っておくべきかもしれないが……」


 一応アキラは内弟子のような関係だから、そういう意味でも挨拶がてら顔見せに行くのは自然だったのかもしれない。しかし、その予定は頭の中に全くなかった。


「一番を我が家に選んで頂いたこと、真に光栄でございます……!」

「ああ、うん……」


 その様な意図は全くなかったのだが、結果として何処を最初に選ぶかというのは、御由緒家にとって重大な事だったのかもしれない。

 それがつまり今後も贔屓にするという事と同じではないが、他家より一歩リードしたように感じたのではないか。貴族位はないとしても名家には違いなく、表向きは仲の良い家同士であっても、格差や確執などもあるのは不思議ではない。


 ――だが、まぁ関係ないか……。

 利用するもされるも、結局はオミカゲ様次第。この事を報告すれば、上手いこと転がすだろう。それが良いのか悪いのか分からないミレイユからすれば、丸投げするのが一番楽で安易な解決法だ。


 ところで、と志満が顔色を伺いながら聞いてくる。


「御子神様は、学園の方で教官役という任を受けたと聞き及びました。それは本当でしょうか?」

「耳が早いんだな。御由緒家には隠す事でも何でもないから言うが、そのとおり。明日から通う予定だ」

「なんという事でしょう……!」


 答えは予期できていたろうに、志満は大袈裟に驚いた。


「それは由喜門の者がいるのが理由でしょうか?」

「いいや、それとは全く別の話だ。由喜門本家に忖度する理由が私にはないしな。……昨今の結界情勢については知っているか?」

「はい、それなりに知っているつもりです」

「ならば、鬼の強さの飛躍的上昇についても知っているな?」


 志満は元より、侑茉も顔を固くして頷いた。

 侑茉は更に顔が青い。次期当主としての責任から来るものなのかもしれない。ある程度、鬼の強さには揺れがあったとされているが、御由緒家が対処できない強さの鬼は、長い歴史を遡ってもそうそういなかった筈だ。

 それが自分の代で現れたとなれば、対処に当たるのは当然侑茉になる可能性は高い。それを危惧しての固い顔なのかもしれない。


「私が行かねばならないのは、それが理由だ。学園の生徒たちの戦力向上を図るのが私に与えられた役目だ」

「先に現れた四つの腕を持つ鬼には、現行世代でも全く歯が立たなかったと聞いておりますわ。同時に、御子神様の介入で打破できたとも。……わたくしはてっきり、御子神様が直接お手を下されたのだと思っておりました」

「いいや、倒したのは、その現行世代とやらだ。私が力を与え、その結果として彼らが打破した」


 ミレイユの淡々とした説明に聞き入っていた二人だったが、それにアヴェリンが異を唱えて訂正した。


「正しくは倒せるようにお膳立てしてやった、というべきかと。あれらの力だけで勝ち取ったかのような表現は、少々譲りすぎです」

「……そうかもな。ただまぁ、あの時はまだしも、これからはそうでなくては困る。その期待を込めてといったところで……」


 そのやり取りに、侑茉が思わず口を挟んだ。


「み、御子神様も、オミカゲ様同様、理術を与える事が出来るのですか……!?」

「そうだな。与えるだけでなく、その制御力に関しても向上を図ってやる事ができる。……与える方はともかく、制御に関しては個人の資質が色濃く出るが」

「阿由葉の……、阿由葉結希乃にも、その御力を……?」


 質問の意図が分からず、ミレイユは眉を顰める。

 あの場に結希乃がいなかった事ぐらい分かっているだろうに、わざわざ聞いてくるのが疑問だった。その表情には焦りがあり、あまりに余裕を欠いているように見える。

 しかし、隠すような事でもないので素直に答えた。


「いいや、あの場に居たのは妹の方だ。だから当然、与えたのは妹のみになる」

「――では! その……私にも、是非その御力の一端を、授けて頂く訳にはいかないでしょうか……!」

「侑茉、無礼ですよ!」


 一大決心したかのように侑茉が口にして、志満が鋭く叱責した。


「何卒、伏してお願い申し上げます……!」

「侑茉ッ!! 神の一柱に対し、不遜にも自らの願望を叶えて貰おうと口に出すなど、許されることではないのですよ! 恥を知りなさい!」


 伏してと言ったとおり、侑茉はテーブルに額を付けるかのように頭を下げた。

 そこに志満が先程の叱責など小言に見えるほど、厳しく叱って批難した。その背景には激しい怒りが浮かび上がって見えていた。


 二人が――というより、人が神へ奏上するような事は、大抵は個人を飛び越え組織で当たっても不可能だと思える事へ嘆願する事態になって、初めて起こる事だとされる。

 困った時の神頼み、とは言うが、直接己の願いを叶えて貰う為で口に出す事はない。無論、絵馬に願ったり空に願ったりするのは自由だが、神と対面して言う事ではないのだ。


 しかもそれが、弁えていて当然の御由緒家から出た言葉とあれば、神――御子神を軽んじていると取られかねない。場合によっては重い処罰さえ考えられた。

 それを思えば、志満の叱責は決して大袈裟なものではなく、人によっては刃傷沙汰にしてもおかしくない大失態になる。


 志満は一端、侑茉への対応を後回しにするようにしたようだ。

 ミレイユへと向き直り、侑茉同様、深々と頭を下げる。それに慌てたように、続いて夫君も頭を下げた。


「何卒、ご容赦を……! 不遜で過度な要求をしたのは当家の責任、次期当主としての任も解きますので、どうかお怒りをお沈めください!」


 そうは言われても、ミレイユとしては困ってしまう。

 怒りもしてないし、それが不遜とも思っていない。むしろ、ただ必死なだけで不器用なやつなんだな、と思っていたくらいだ。いっそ実直で言葉を選ばない姿は好ましく思っていた。


「……顔を上げてくれ」


 ミレイユがそう言っても、許しの言葉無く簡単に頭を上げる訳にはいかないのだろう。三人ともぴくりともせず、ただ頭を下げている。

 侑茉は今更ながらに事態の深刻さを理解したらしい。表情は見えない筈なのに、青い顔をして愕然としている顔が見えた気がした。


「――許す。三人とも、顔を上げろ。これでは話も出来ん」

「は……っ!」


 三人が顔を上げ、表情を固くした志満と、青い顔をして身を震わせている侑茉に、改めてミレイユは言い渡す。


「今起きた事の全てを許す。気にするなと言っても聞きはしないだろうが……、私は気にしてないのは確かだし、むしろその心意気を好ましく思った」


 侑茉の顔が、勢いよくミレイユの方を向く。

 表情に余裕はなく、驚愕と歓喜が同居して怖いものになっていた。ミレイユは別に侑茉を個人的にどうとも思っていないし、純粋に庇ってやりたい気持ちからの発言でもない。

 単純に利益を天秤に掛けての話だった。


 志満に叱責は必要ない、と言っておいてやらなければならない。まさかないとは思うが、離縁や勘当されでもしたら厄介な事になる。

 いや、拾ってやれば感謝もするし手駒も増えるか、と実現させる気もない妄想を、脳裏に押し込め口を開いた。

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