御子神の一日 その9

「……いいか、遅いか早いかの違いだ。今は学園生を優先して教導する事になるだろうが、どの道それ以外の、今も最前線で戦う隊士達にも行う予定だった」

「そう……なのですね」

「御由緒家も当然、その対象だ。戦闘に向かない、一線を退いて長い、そういった者たちを除いて、順次強化を行う予定でもある。……つまり、それほど切羽詰まった状態だ」

「遊ばせる戦力は一つとしてないと……」


 先程とは違う意味で顔を青くさせた侑茉が呟き、ミレイユは頷く。


「そうだ。現行世代の戦力でも、支えるだけで精一杯だと見ている。しかし、鬼の強さはまだ上昇すると分析した」

「そのような事……! あり得るのですか!」

「言いたい事は分かる。これまでの歴史上、あまりに例外、あまりに異質だと言う事はな。だが、事実だ。オミカゲ様も同じ意見だし、だからこそ、それに備えて鍛えなければならない」


 ミレイユは殊更明るく声音を変えて、両腕を広げた。


「むしろ、どうやって口説き落とそうかと思っていたくらいだ。志願してくれたのは僥倖でしかない。だから志満、今回に限っては何も言ってやるな。咎めもするな。私が許す、お前も許せ」

「は……、ハッ! 御子神様が、そうまで仰られるなら、お言葉に従います」

「うん。……侑茉」

「はい!」


 呆然と、あるいは恍惚とミレイユの顔を見つめていた侑茉が、その呼び掛けに跳ねるように返事をした。


「一応聞くが、力を求めると言う事でいいんだな? 直接嘆願したからには、優先的に動いて貰う事になるぞ。今までの鬼とは比較にならない相手と戦う事になる」

「はい! 私の答えは変わりません! 是非、オミカゲ様の――御子神様のお力とならせてください!」

「いいだろう。追って連絡させる……が、その前に一つ。会得している理術は?」

「由井園として、防壁術と治癒術を修めております」


 ふぅん、と呟いて、ミレイユは侑茉の身体を上から下まで見つめ――下までといってもテーブルが邪魔となって下半身は見えないが――、そして片手を差し出した。

 まさか握手したいなどと思わない侑茉は、その手を見つめて固まってしまう。

 早く手を取れと急かすように上下に振って、それで恐る恐るミレイユの手を握った。


「理力の制御をしてみろ」

「は、はい……!」


 返事と同時に目まぐるしい勢いで、体内の理力が動き出した。

 緊張している事を差し引いても、これはあまりに酷い。持ってる理力総量は多いのに、力任せで無理に回しているせいで、ヨレてしまっている。

 緩急も多く真っ直ぐに走れていない、蛇行運転のような有様だった。


 それでも並の者では彼女に勝てないだろう。あまりに強い癖だとしても、それを捻じ伏せて勝ててしまうだけの総量がある。

 それだけに惜しい。これが生来のものなのか、指導された上で矯正できなかったのかは分からないが、直せるものなら直したいと思っているだろう。

 侑茉が先ほど頭を下げて言った事を思えば、あながち間違いでも無い気がする。


 ミレイユは、もう片方の手も差し出して、握るように催促した。

 やはりおずおずと手を差し出して遠慮がちに握ると、ミレイユは制御の流れを奪い取り、強制的に動かしてやる。

 それが例え正常な動きであろうと、慣れない方からすれば戸惑うし、恐ろしく感じてしまうというのは前回から学習済みだ。七生と凱人から得た経験から、いきなり正常で正確な流れを作るのではなく、徐々に導く形で修正していく。


「あ、ぁ、あぁ……!」

「落ち着け、抵抗するな。……そのまま、肩の力を抜け」


 ミレイユが諭すように言えば、青い顔をさせながら何度も首を縦に振る。

 強張って持ち上げるようですらあった肩も、少しずつ力を抜いて下がっていった。視線はどこか虚ろで斜め上を向いていて、震える身体は寒さというより感動に打ち震えるように変わっていく。


 その異常とも言える変化に、志満は恐ろしさを感じたようだ。

 ミレイユを見る視線に含まれていた緊張とは別に、畏怖も加わったように見える。それに安心させるように頷いてやると、即座の納得はしてないものの、とりあえず見守るだけはする事にしたようだ。


 ミレイユは侑茉へと視線を戻す。

 最初はミレイユの手を強く握っていた侑茉も、今では自然体で重ねるようにしていた。強張り震えていた身体も元に戻り、弛緩するように肩を落としている。


「いいか、その感覚だ。今までのやり方は一度忘れろ。その流れを維持するよう意識するんだ。今から制御を返す、やってみろ」


 言うや否や、ミレイユは重ねていた手を離した。

 その際、制御の流れは乱れたものの、すぐに調子を取り戻す。ミレイユが操っていた時と同一ではないが、それでも近い感覚で同じ事が出来ている。


「……うん、いいだろう。一旦、止めろ」


 ミレイユの命令通り止めようとしたが、流れの勢いは最初とは雲泥の差だ。まだそれに慣れない侑茉には、急な停止は無理なようだった。少しずつブレーキを踏むように、その制御速度も落としていく。


 たっぷり十秒使って完全に制御を停止させると、大きく息を吐く。吐いた息は震えていて、また身体も思い出したように震えだした。

 額から汗が一筋流れると、それを皮切りとして一気に汗が吹き出してくる。


「御子神様……、今のは……!」

「理力制御の正しいやり方だ。これはお前だけじゃないが、御由緒家の誰もが癖のある制御で行っていた。代々力の使い方を伝承していく内に、捻れて伝わっていったんだろう」

「それでは……、これは与えられた力ではなく……!?」

「お前本来の力だ。無駄なく正しく運用すれば、元よりそれが出来るだけのポテンシャルがあるんだよ」


 アキラの時は初歩の初歩から教えたから、そのような変なクセもなく順当に制御力を伸ばしていた。ミレイユやアヴェリンが普通、当たり前と思っているやり方を実践させていたのだ。

 だから、現世の人間も同様にやっているものだと思ったのだが、実際は真逆。


 家それぞれの個性とでも言うべきか、当時の実力者が自分はこの方がやり易いと感じて変えたのだろうが、本人は良くても、それはあくまで個人の範疇。誰の型にも嵌まる方法ではなかったという事だ。

 それを更に当代の人間が自分に合った方法を探し出していった結果、現在では歪な型として継承されるに至った。そういう事ではないか。


 侑茉は改めて理力制御を開始する。

 先程の目まぐるしく、ともすれば目障りとも映った理力運用が、全くの別物として滑らかに流れていく。無駄がそれだけ無いという事は、その余剰を自身の力へ転用できるという事だ。


 それが肌で理解できるのだろう。

 高揚する気持ちを抑えるように胸に手を当て、制御も止める。これもまた先程とは違い、実にスムーズだった。


「……うん、既に慣れ始めている。その辺りは流石というべきなのか、基礎力は高いんだよな」

「は……! 恐縮です」

「それにしても、今まで誰も指摘しなかったのか。それとも個性的の一言で片付けられていたのか?」


 ミレイユが多少苛立たしく口にすると、侑茉は大きく首を振って否定した。


「いえ、そのような……! そもそも手を取っただけで他人の制御を正せる方などおりませんでしたし、このような神業――そう、神ならざる者に出来る事ではありません!」

「オミカゲ様に見てもらうとか、そういう機会は?」


 これには志満が顔を青くしながら否定した。


「オミカゲ様にその様な事、あまりに恐れ多く願い出られるものではありません」

「見る機会があれば気づくと思うが」

「かつて御由緒家と共に戦場に立っていた時ならいざ知らず、ここ数百年ではお目にかける機会などございませんでした」

「……対面した時に、ちらっと制御して見せるとか」

「それでは叛意ありと見られてしまいます……!」


 青い顔を更に蒼白にして否定する志満を見て、まぁそうだよな、という他人事のような反応で頷いた。ご機嫌麗しく、と礼を取りながら制御を始めれば、それは刀を抜くのに等しい行為だ。

 ミレイユは視線を侑茉に戻す。


「その制御法を知ったとしても、まだ知っただけだ。修学し、そして修得したとは言えない。まずはそれに慣れる事だ。そうすれば、今より出来ることは格段に増えるし、そして修得していた理術も……」


 言い掛けて、ミレイユは唐突に言葉を切った。

 隣の夫からハンカチを借りて汗を拭っている侑茉と目が合うと、困惑の眼差しが返ってくる。改めて上から下まで見下ろし、そして制御の流れを奪っていた時の事を思い出す。

 それを脳裏に思い描いてから、侑茉の会得しているという理術の事を思い返した。


「防壁術と治癒術か……。支援、防御系に優れた才能……そう言われたのか?」

「は、はい。左様でございます」

「いつ?」

「それは勿論……、神前信与の儀の際でございますが……」

「初めて聞く単語だ……。説明しろ」


 侑茉は叱責でもされたかのように緊張した顔つきで、言われたとおり説明を始めた。

 神前信与とは、オミカゲ様から理術を与えられる儀式のことで、結界内でミレイユが雑に行った対象に術を覚えさせる事を、より格式張った形式で執り行う事を指すのだという。


 実際、人ならざる力を神から与えられるというのは、奇跡以外のなにものでもないだろう。その瞬間を当事者として目の当たりにする人間は、神との繋がりを得た気がして感涙に咽び泣く者もいるという。


 熱心な信者であれば理解できる気がするが、ともかくその際に適正を見てもらって才能に見合った理術を授けられるのだそうだ。

 基礎訓練しかしていない人間なら、どのような力でも五十歩百歩、特に何かに秀でているのか見抜くのは困難だろう。千年近く同じ事を繰り返してきた実績が、ある程度傾向を見抜いて授ける事にも繋がっているのかもしれないが、訓練次第で幾らでも化けるものだ。


 侑茉も由井園として防壁術と治癒術を会得した、と言っていた。

 この分だと、御由緒家はその背景に見合った術を与えられて、実際の才能と合致しなくても与えているのではないか。真剣に才能を見抜き、掘り起こすには時間が掛かる。オミカゲ様にその時間がないとなれば、ある程度流れ作業になるのも仕方ないのかもしれないが……。


 とはいえ、使える戦力を欲している現在、それだけでは不十分だった。

 特に能力があるものには、それに見合った術を授けてやらねばならない。

 ミレイユは改めて侑茉に視線を合わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る