御子神の一日 その10

「侑茉、お前に防護術の適正がないとは言わないが、より適しているのは支援系だ。それに特化した方が伸びるだろう」

「それは……真でございますか?」

「これ! 御子神様の言葉を疑うなどと……!」


 横から志満の叱責が飛んで、侑茉は肩を窄めて深く頭を下げた。堅苦しい謝罪を羅列し始め、ミレイユはそれに手を振って止めさせる。


「気にしてないから、今は捨て置け。大事なのは、お前にあるのは支援理術の才能だと言うことだ。防護術を鍛えてきただけあって、そちらも伸びているのは確かだが、既に頭打ちは近いだろう」

「では、支援理術はそうではないと……!?」

「防護術に比べれば、そうだ。治癒術はどちらとも言えないが……あって困るものでもないしな。伸び代は残っているように思うから、そちらも続ければ良いと思うが」

「ハッ、そのように……!」


 侑茉が深く頭を下げ、ミレイユは面倒そうにプラプラと手を振った。


「まずは練習用として自己支援、身体強化の術から慣れるのがいいだろう。先程矯正した制御術と合わせれば、そこそこ覚えも早いだろうしな」

「え、それでは……今ここで神前信与の儀を?」


 侑茉が畏れ多いものを見るように背を反らす。 

 志満を見ても似たような反応で、本来なら世間話のように口に出す事ではないのだと物語っている。これはオミカゲ様の特権であると同時に、信与とあるように互いの信用と信頼あって与えられる力だ。


 おいそれと慣習を飛び越えて好き勝手やって良いものではないのだろうが、何しろミレイユにしても時間がない。

 ――御由緒家は使える。

 これはミレイユが感じた、市井に埋もれた才人に比べた能力から分かる事で、幼少時から基礎を鍛えているせいなのか、とにかく地力が違う。


 そのような者たちには優先的に能力向上と、理術を会得して習熟してもらわねば、時間が勿体ないのだ。今となっては人材だけでなく、時間さえもが資源だ。

 形式と違う、慣習と違う、格式にそぐわない、そういう理由で鍛える時間を奪われる訳にはいかないというのがミレイユの考えだが、その辺りはオミカゲ様と意識の摺り合わせが必要かもしれない。


 だが今は例外措置として黙認してもらおう。少なくとも御由緒家に対しては、早急に戦力として完成して貰わねばならない。

 ミレイユは左手を差し伸べて、右手で目的の理術を制御し始めた。基礎的な初級術だけあって、一瞬で完了する。

 侑茉は何度やっても慣れないと見え、恐る恐る手を差し伸べてきた。侑茉と志満へ交互に視線を向けてから、握った左手でも術を与える制御を始める。


「本来なら、こんな気軽にやる事ではないんだろうが。今だけは目を瞑れ」


 返事を待たずに制御を完了させた術を、ミレイユの手を通して侑茉に与える。発動させるのと同様に右手から光が発し、それが収まるのと同時に侑茉は術を会得した筈だった。


「あぁ、そんな……! 本当に、この身体に力が流れ込んだのが分かります!」


 ミレイユは身振り手振りで術を使ってみろと催促し、侑茉は言われたとおりに術を発動させようとする。単に制御している時と、術を使おうとする時は勝手が違う。

 前と同じような制御をしようとするのを、未だ握られている左手から操作して矯正する。嗜めるような視線を向ければ、恐縮したように頭を下げた。


 そうして侑茉は自己強化の理術を発動させる。

 まだまだ拙い、改善の余地が幾らでもある制御だったが、発動した術は問題なくその力を発揮した。侑茉から手を離すと、自身の両手と見比べるように視線を移し、次いで腹を見るように顔を動かす。


「こんな……こんな簡単に! それにこの強化効率……信じられません!」

「私に言わせれば無駄が多いし改善の塊だと思うが、しかし初めてというなら……そんなものかもしれない。まずは使う事に慣れろ。理術制御だけでなく、剣を振るうとか、身体も一緒に動かしてな」

「はい、ありがとうございます! 仰せの通りにいたします!」


 侑茉が起立して一礼し、それを鷹揚に見やって頷く。


「苦難の時が訪れようとしている。今はまだ、始まりに過ぎない。御由緒家には苦労してもらう」

「はい、お任せ下さい! その為の御由緒家でございますれば……!」

「うん、期待している。……さて」


 ミレイユが視線をアヴェリンに向ければ、得心したような頷きが返ってきた。

 咲桜が察してミレイユの後ろに付き、腰を上げたタイミングで椅子を引く。ミレイユが立ち上がればアヴェリンもそれに続き、同時に侑茉達も立ち上がった。


「今日のところは、そろそろ帰るとしよう。ついでだからと余計な事までした気がするが……、乗馬は実に楽しかった」

「勿体ないお言葉でございます。よろしければ、またお越し下さいませ」


 志満が代表して頭を下げると、席に座った他の者たちも同時に頭を下げた。計ったように同時なのは、そうする事に慣れている故か。整然と頭を下げる姿は見事だった。


 ミレイユは目礼するだけでそれに応え、踵を返す。

 こういった場合、当主の先導で帰ったりするものなのだろうか。どうするのが正解なのか知らない身としては、せめてそれが当然と見えるように、自信の満ちた姿でいなくてはならない。


 ドア付近にいた執事が恭しく開き、一礼と共にミレイユを見送る。後ろに付いてくる御由緒家の気配を感じながら、玄関へ向かって逃げるように歩を進めた。



 ◆◇◆◇◆◇



 玄関から出て、迎えに来ていた専用者の前まで、来た時同様一家総出でお見送りする。車に乗り込んでしまえば、スモークガラスの奥でどのような表情をしているのか窺う事は出来ない。

 志満は精一杯の感謝と崇敬と共に頭を下げる。それに続いて使用人も含めた全ての人間が頭を下げた。車へ到着するまで一言もなかったし、誰も何も発しなかった。


 発進する直前になって窓が下がり、そこからお付きの咲桜が顔を見せる。伏せった顔に笑顔を忍ばせ一言発する。


「大変満足したと、大儀であったと申しております。皆様におかれましても、ご健勝であられますよう。それでは、失礼致します」


 それと同時に窓が上がって再び姿は見えなくなる。

 車が見えなくなるまで頭を下げ続け、エンジン音も聞こえなくなってから頭を上げた。


 オミカゲ様同様、饒舌に話す方ではなかった。その心の内にある真意についても、よく分からない。ただ、不興を買う事だけはなかった。言葉の表面だけ見れば、確かにそうだった。


 志満は娘を睨み付ける。

 場合によっては、本当に次期当主の権利を剥奪するつもりだった。それ程までに度し難い失態を侑茉は犯した。何事もなくいったのは、あくまで御子神様のご気質によるものだったと理解している。失態と叱責は不可分だ。


「侑茉、あまり勝手をするものではありません。お前の気持ちは分かっていましたが、直接嘆願などという愚を犯すなど思ってもいませんでした。何事もなかったのは偶然と幸運でしかなかったと、よく心得ておきなさい」

「……はい、申し訳ありません。己を自制できなかった事、深く悔やんでおります」

「だいたい……!」


 言い掛けたところで、周りの視線に気づいて声を抑えた。

 叱責も反省を促す事も、使用人総出の前でするべき事ではない。侑茉には実際、次期当主として立って貰わねばならないし、今回の事でそれがより強くなった。

 使用人の前での叱責は、後々の上に立った時に陰りを落とす。


 志満は見渡した顔の中に、目的の人物を見つけて声を掛ける。今回、乗馬をするに当たって付けた馬丁たちだった。

 志満は鋭い双眸からひたりと見据えて口を開いた。


「あなた達から見て、御子神様はどう見えましたか」

「えぇ……、馬の扱いが巧みで、お優しい気質の方かと思います」

「はい、馬もすぐに慣れて、よく懐いていましたよ。まるで数年は共に走ってきたかのようで」


 馬丁たちが互いに目配せするように答えると、志満は満足したように頷いた。それだけで二人を下がらせ、似たような質問を使用人たちにしていく。

 その答えは誰もが同じで、単に周りに合わせているだけ、悪いことを言いたくないだけ、という理由からではなく、本心で言っているのだと分かった。


 御子神様のご気質に関して、誰もが共通して悪い事は言わない。苛烈なように感じる物言いも、神ならばむしろ当然で、あの程度は不遜ですらない。

 御子神様とその御力を疑った事はなかった。ただ、オミカゲ様よりは劣って当然という認識があったのは確かだ。御子だからとはいえ――御子だからこそ、同じことは出来まいと思っていた。


 ――しかし。

 神の御業であるからこそ、なのだろうか。

 神前信与を何の気負いもなく、いとも容易く行ってみせたのには度肝を抜かれた。それだけではなく、その制御法さえ正してみせた。


 侑茉の表情を見ても分かる。

 これこそが神であると、その力の一端に触れて、すっかり感化されてしまっている。


「今更確認する必要はなさそうだけど、侑茉……御子神様の印象は?」

「こんな感動はオミカゲ様と直接対面した以来です、お母様。お優しい気質というのは、そのとおり。でも厳しい面もあるのだと感じました。その必要があれば、どこまでも苛烈になれる御方だと」

「そうね……。御由緒家には苦労してもらう、というお言葉に嘘はないと思うわ。今までも決して楽をして来た訳ではないけれど、確かに鬼に対して優位性はあった……」


 特に市井から選ばれた者たちから見て、相対的に御由緒家は強者で間違いなかった。

 だが、今日は事のついでと言いつつ、その矯正を御子神御自ら行ったのだ。その意味は決して軽くはない。


「……もしかしたら、視察を兼ねていたのかしら。御由緒家のオミカゲ様に対する信仰、忠誠……そういったものを」

「では、その御力の一端を見せてくださったのも……?」

「ええ、ある意味で楔を打たれたと見るべきでしょう。軽々しく捨てられるものではないとはいえ、プライドばかり高い旧家など必要なしと見るのかも。特に現在、鬼の強化が見える昨今、御由緒家不甲斐なしと断じられる可能性もある……」


 あまりに悲観的な物言いに、侑茉は大袈裟に手を振り否定した。


「御子神様がこうして力を引き出してくださったのに、それは余りに後ろ向き過ぎるのでは?」

「よく考えてご覧なさい。あなたは確かに力を増した。まだ伸び代もあると仰って下さったわね。でもそれは、御由緒家のみの特権ではないのよ。市井の才能ある者たちに与え、御由緒家がその座にあぐらをかいていたら、その力関係は逆転する。高みから見下ろしていたものが、見下されてしまうのよ」


 当然だが、御由緒家の総数より市井から見出された者たちの方が数は多い。

 しかし絶対強者として立っていた御由緒家は、その数の不利を容易く蹴散らす力があった。だが御子神様から指導を受ければ、御由緒家と並ぶ力すら身に着けるかもしれない。

 そうなれば、数の多い方を優先するのは目に見えている。


 その予想は詳しく説明するまでもなく、侑茉にも理解できたようだ。

 己の増した力とその比率は、自分が良く分かっている筈だ。それが平等に配られ、御由緒家を遠ざけたとしたらどうなるか、志満より余程詳しく想像できるだろう。


「分かりました、お母様。御子神様へ――いえ、オミカゲ様へより一層の忠節をお見せすること、それが何より大事だと心得ておきます」

「そうなさい。少なくとも今はまだ、その御心は御由緒家に向いている。それを決して損なわぬよう、努力するのです。……そうせよと、御力を与えられたのだと思いなさい」


 志満が神妙に言うと、侑茉も神妙に頷く。

 御由緒家はオミカゲ様の矛であり盾である。由井園はその中でも特に盾として、その任に当たってきた。だが、それでは不足だと言われたのだ。


 侑茉にとっては、むしろ待っていたと言いたいところだろうが、期待を裏切るような事になれば――。

 いや、と志満は首を振る。ついつい後ろ向きに考えてしまうのは、志満の悪い癖だ。

 少なくとも期待はされている。今はそれを励みに努力するしかない。


 志満は今は遠く、既に姿が見えなくなった車へ顔を向けた。

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