学園の転入生 その1
その日の夕方、アキラは車に乗って神明学園へ向かっていた。高級車の後部座席で、身体を小さくして座っている。
神宮から遣わされたという車だ。
ほんの少しの汚れも付けてはならない、という強迫観念めいた気持ちが、アキラを縮こませて座らせる原因だった。
車の窓から流れる景色にすら、視線を向ける余裕がない。不躾なところを見せる訳にはいかないと、膝の上に手を乗せて、その甲へと視線を落として微動だにしなかった。
アキラを迎えに来たのは昼過ぎの事で、昼食も済み、歯も磨いて準備万端整えた後の時間だった。落ち着きなく部屋をウロウロとし始め、もう一度旅行鞄の中を確認しようかと思い至った瞬間の事だ。来訪を告げるインターホンの音が鳴り、開きかけた鞄を閉め、ドタバタと音を立てながら玄関へと向かった。
扉を開いて出てきたのは若い男性で、パリッとしたスーツに身を包んだ姿は、出来る営業マンのようにも見えた。その人は一歩後ろに身を引いてから一礼して名を名乗った。
「本日の運転と案内を仰せつかりました、三瀬と申します。どうぞ宜しくお願い致します」
「い、いえ、どうもこちらこそ! よろしくお願いします!」
アキラがペコペコと頭を下げて礼を返すと、三瀬はアキラの持った旅行鞄へチラリと視線を向けて、にこやかに笑顔を向けて言った。
「準備がお済みでしたら、すぐにでも出発できます。手伝える事がございましたら、何なりとお申し付けください」
「いえ、大丈夫です! もう全部済んでます……済んでるんですけど、本当に着替えだけでいいんでしょうか? いえ、筆記用具やノートなんかも持ってきてますけど、教科書とかそういうの何も用意してないんです」
軍学校のようなもの、と言っていたが、まだ高校生の身分だから、本当に同じものではないだろう。訓練に日々を費やすよりも、勉学の時間の方が多い筈だ。学校によって扱う授業内容も教科書も違うだろうに、その事について一切の言及がなかった。
着替えだけで良いというなら、その辺りの手配も済んでいるのかもしれないが、何も言われていないというのが不安を煽った。
三瀬はやはりニコリと笑顔を見せて頷く。
「はい、問題ございません。全ての手配はこちらで済ませております。御子神様より、良きに計らうよう、ご命令を受けておりますので」
あのミレイユと古風な言い回しは、微妙に食い違って違和感を覚えたが、神と崇める存在からの言い回しとしては、それが自然なのかもしれない。
――でも、そうか……。
この男性は神宮からの遣いなのだ。神宮と言ったら和装をしている人を連想してしまうが、スーツを着ているのは周りからの視線を紛らわせる、一種のカモフラージュなのかもしれない。
神宮の関係者と改めて認識すると、緊張感が増してきた。無様な態度や不躾な姿を見せる訳にはいかない。
アキラの態度一つ、言葉遣い一つで、推薦しただろうミレイユの顔に泥を塗る事になるのだ。編入試験や面接など、そういった諸々がないのに即日転入を許可されるなど、余程の例外措置がなければ有り得ない。
その例外が、神からの鶴の一声だとすれば、アキラの評価はそのままミレイユの評価に繋がる。
今更ながらにその事を自覚して、大した覚悟も用意もしていなかった事を悔やんだ。
だが今は、とりあえず目の前の事態を穏便に済ませるよう、努力しようと心に誓った。アキラは心の底で意気込んで、改めて三瀬に頭を下げた。
「それでは、その……よろしくお願いします」
「お任せください。到着は夕方頃になる予定ですので、お疲れや体調が優れない事などございましたら、遠慮なくお声がけください」
三瀬に促され、アキラは鞄を持って家を出た。
愛着のある、生まれ育った家――アパートの部屋だ。手放す必要はないと慮ってくれたミレイユに感謝しつつ、車に乗り込む前に今一度部屋へ視線を向ける。
――行ってきます。
心の中で呟いて、三瀬が開けてくれたドアから乗り込んだ。
三瀬が言ったとおり、学園に到着したのは夕方頃、日が沈み始めるよりも前の事だった。
都市部から離れ、山間の中を進んでいくと、森に囲まれた校舎が目に入ってくる。三階建ての建物で、外観からは普通の学校のようにしか見えない。
違うところと言えば、グラウンドや体育館らしきものが複数ある事、また校舎から離れた所に学生寮がある事だった。校舎から向かって右にあるのが男子寮で、反対の左側にあるのが女子寮らしい。
グラウンドにしても野球やサッカーといった学校らしいものと違い、演習場といった方がしっくり来る。スポーツをしないという訳でもないのだろうが、授業で行う運動というのは、むしろ訓練といった内容になるのかもしれない。
だがそれは別に意外でも何でもなかった。
アキラは元より、この学園へ招かれた者たちは、より良い学生生活を送りに来た訳ではない。将来の高給取りを目指しに来た訳でもなく、戦う力を身に着ける為、ここへ来たのだ。
そして何より違うところは、この場が霊地にあるという所だろう。
校門から足を踏み入れてから分かった事だが、ここは神宮と同じ気配を纏っている。このような山奥に校舎を建てたのは、これが一番の理由だろう。
理力を使わず訓練をするなど片手落ちに違いなく、消費した理力をどうするつもりなのかと思っていたが、初めからそれを計算に入れた上で立地を決めていたのか。
感心する思いで校舎から目を離し、荷物をトランクから取り出してくれた三瀬に、アキラは礼を言って鞄を受け取る。
「えぇと、ありがとうございました。短い間でしたが、お世話になりました」
「いえ、こちらこそ。もっと気の利いた話題でも提供できれば良かったのですが……」
「そんな、とんでもない!」
実際、アキラの緊張ぶりを見て、気さくに声を掛けては解きほぐそうとしてくれていたのだ。しかし全くの逆効果で、神宮の人間に粗相をしてはいけないと、固辞するような形になってしまった。
何と反応して良いのか分からず、とにかく大丈夫ですの一言で片付けていた節さえある。
これについては相当申し訳ないと思うのだが、とにかく緊張ばかりでどうにもならなかった。
アキラは改めて礼をして感謝を伝えると、三瀬はやんわりとした笑顔を見せて同じように頭を下げた。
「それでは私はこの辺りで。ご健勝とご活躍をお祈りしております」
「は、はい! ありがとうございます!」
車に乗り込み、走り去っていく姿を見送ってから、アキラは改めて校舎に向き直る。
まずは寮へ行って自室で待機する事は決まっている。そこで諸々の説明を受けるのだとは思うが、十分な説明はされていないので、やはり分からない。
とりあえず寮へと足を向け、入口まで辿り着くと、奥から二十代後半と思しき女性が出てきた。見るからに厳しそうな、目付きの鋭い女性で、短く切り揃えてた髪型と鍛えられた体付きが、鬼軍曹というイメージを呼び起こさせる。
その女性がアキラを上から下まで見つめると、眼光を鋭くさせて口を開いた。
「由喜門暁、で間違いないな?」
「はい、そうです。本日からお世話になります、よろしくお願いします!」
「
アキラが鞄を地面に置いて頭を下げると、それを満足気に見て頷いた。
玄関を示すように腕を振って、自らもアキラへ背を向けて歩きだす。鞄を手に取って、それに慌てて付いて行った。
「……問題行動さえ起こさなければ、寮内で何をしようと自由だ。夕食は夜六時、門限は夜八時だ。風呂は十時までの間に済ませろ、就寝は十一時。起床は朝六時、七時から朝食、八時に登校、夕方まで授業だ。何か質問は?」
アキラを部屋へ案内するまで、顔も向けずに一通りの説明を続けていた。
一日のスケジュールだけでなく、寮内の細々とした他のルールもあって、例えば掃除などは持ち回り制であったり女生徒の連れ込み禁止など、様々な説明があった。
寮内は清潔で、また古臭さを感じない作りだ。
壁や床に傷や罅など見当たらないし、少々の汚れはあるものの、それは建築年数が長ければ自然と付いてしまう類のもので、染みを放置しているような不潔さはない。
寮内に音はなく、また人の気配も感じなかった。
聞こえてくるのは鳥の声や虫の音ばかりで、森が近くにあるせいか、とにかく動物由来の音が大きい。夜は夜でフクロウの鳴き声など聞こえてきそうで、睡眠の邪魔にならないかと不安に思った。
二階にある奥まった一室まで辿り着くと、鍵を使って開け、室内へと案内する。ちらりと他にもある部屋へと視線を向けても、そこも生徒はいるのだろうに、やはり気配は感じなかった。
あるいは、まだ六時にはなっていないから、学校の方にいるのかもしれない。
室内に踏み入ると、予想とは違うという意味で度肝を抜かれた。
部屋は広く清潔で、アキラが住んでいたアパートの一室よりも広い。2DKの部屋で暮らしていたが、それぞれが六畳間だったのに対し、ここは十畳もある。
ベッドも備え付けてあって、狭い二段ベッドを想像していたのに、セミダブルの大きさでしかも一段ベッドだ。クローゼットには制服やジャージ、運動着などが既に収まっていて、外靴中靴も置いてあった。
「サイズは合っている筈だ。試しに着てみて、違うようなら申告しろ。すぐに用意する。教科書は少し遅れているが、明日の授業中に渡す手筈になっているから、そこは安心しろ」
「はい、分かりました」
「それと、男子は女子寮への入室を認めない。理由の説明は不要だろう」
アキラが首肯すると、理衣は室内を不機嫌さを滲ませた視線で見渡す。
「こういう格差があるから、余計……」
「……はい? 何か言いました?」
「いや……。ああ、足りないもの欲しいものは売店で買える。売店は校舎側にしかないが、夜八時までに閉店するから、必要なものがあれば別途そちらで購入するように」
「具体的に何が足りないかも分からないんですけど……」
アキラがおずおずと答えると、鷲森は当然だと言うように頷く。
「現状、生活する上で不足している物はない筈だ。洗面用具、入浴道具、歯ブラシやタオルなど、生活必需品は全てあるが、破損したり消耗したりしたら自分で購入する事になっている」
「そうなんですね……」
「給料から天引する事も出来るが、金の管理は使わなければ覚えない。よほど事情がない限りは教育の一環としてやらせている部分もあるので、お前もなるべくは自分で購入しなさい」
「そうか、給料出るんでしたね……」
自己負担はケチくさいとも思ったが、そもそもそのお金すら提供されるというなら不満もなかった。寮生活では一人暮らしより支出も少ないだろうし、貯金すら出来るかもしれない。
今までが一人暮らしだったので、金銭管理も慣れたものだ。強く反発する理由もないので、アキラは素直に頷いた。
「質問がなければ、以上だ。後の詳しい事は、寮生に聞くと良いだろう。実際に生活している者からの視線で助言が貰える筈だ。私から教えるにしても、男子と女子では色々と勝手が違うからな……」
「分かりました。あとは追々、慣れていく事にします」
「それがいい。……私は理術の授業を持っているので、何かと顔を合わせる事も多いだろう。分からない事があれば遠慮なく聞きなさい」
「はい、ありがとうございます!」
アキラが頭を下げると、鷲森は早々に部屋から出ていく。
見送りを兼ねてアキラも外へ出ると、今しがたアキラ達がやって来た方向から一人の生徒がやって来た。制服姿をした同い年と思しき男性で、アキラに向かって剣呑な視線を向けている。
その男子生徒は鷲森に向かって丁寧に頭を下げると、アキラを親指で示した。
「お疲れ様です、鷲森先生。もう案内が終わった頃だろうと思って呼びに来ました。……ソイツが転入生で、新寮生ですよね。お借りしてもよろしいですか?」
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