一方的な闘争 その8

 モデスカルは、オズロワーナ貴族の誉れ高きビストイア伯爵家、その三男だった。贅肉をたっぷりと腹に乗せた三十代で、誰もやりたがらない今回の攻勢作戦の責任を預かる事になった。

 デルン国王のご下命あって森を攻め落とさなければならなかったが、何しろ軍として実績ある将軍の誰もが、失敗に終わってきた相手である。


 いつまで森にかかずらっているつもりだ、という叱責に際して、誰もが名を上げられなかったのは当然だった。そして同時に、もしも自分が、と考えた事はある。


 態度ばかりで不甲斐ない、軍閥貴族などに任せているからこうなる、と酒の席で大いに煽った事もあった。だが所詮は酒の席の事、軍を率いた経験もないモデスカルに、そのような大任を預けるなど考えもしていなかった。


 ビストイア家はオズロワーナの経済、取り分け商権の扱いで成り上がった家だ。

 露店の開業、あるいは見世物の回業で使う土地、場所代を取り扱う事で利益を得てきた。貿易都市だけあって、その利権から得られる富は膨大で、だから何もせずとも生きていけた。


 家を継ぐのは長男で、その仕事も既に父から多く受け継いでいて、その代役を務める場合でも次男がいる。幼い頃ならまだしも、既に長男に子も出来ている現在、今更三男の価値など無い。

 本来なら家を出て自分なりの生活基盤を作らねばならないのだろうが、ビストイア家が裕福である事は、果たして幸だったのか不幸だったのか。


 働かず食わせるだけの男が一人いたところで、莫大な富の前では一欠片の痛痒も感じなかったのだ。無論、父は元より長男も働くよう言ってはいた。

 しかし母はモデスカルに甘く、働かずとも生きて行けるなら、それで良いでしょう、と庇護する立場だった。母からの援護もあって、モデスカルの生活は平穏を約束されていた。


 その様な我儘が、未だ許されているのは、一重にその生活が質素である事も理由の一つだ。

 賭博をする訳でも、交友関係で身を崩す訳でもなく、単に日がな家で庭木の世話をしながら、食べて飲んでという暮らしをしているだけだ。

 その土いじりという貴族に相応しくない趣味と、腹に蓄えた脂肪が気に食わないのか、常に父はモデスカルを外に出す機会を窺っていた。


 基本的に温厚なモデスカルだが、酒が入った時だけは別人の様になる。

 気が大きくなり、普段は胸の内に溜め込んでいる様な事さえ口にしてしまうのだ。今回起きた国王のご下命にて、モデスカルなどという男が、今回の作戦に指名されたのは、一重にそれが原因だった。


 幾度と行われた魔族と人間の戦いは、常に人間側が勝利して来たものの、最も忌むべき森を攻略出来ずに現在まで継続している。

 いつも代々の王が望み、そして攻勢を仕掛けて来たが、いずれも失敗に終わっていた。

 それはモデスカルよりも、余程有能な将軍が行っていても無理だったのだ。軍の動かし方、基礎の基礎さえ知らないモデスカルに、攻略など到底不可能だと誰もが知っている筈だ。


 だから指名された時も、すぐに誰かが話を無かった事にしてくれる、と気にしていなかった。

 ビストイアは確かに名誉ある家柄だが、軍事に関わりは薄い。将軍を排出した事すらない。父は偉大な人物だが、その一声だけで押し通るものではないと楽観していたのだ。


 森の攻略、魔族の絶滅は、オズロワーナの悲願だ。

 常に目の上のタンコブであり、膨大な草原地帯を有しながら、それを開拓出来ていないのも、魔族が阻止してくるからだと聞いている。


 魔族がいなければ、更に土地を広げ畑を耕す事が出来る。オズロワーナは食料の多くを輸入に頼っているから、森の方面も開拓できれば、食糧事情も改善できる筈だ。常に人口が増え続けているオズロワーナにとって、食料生産は常に頭の痛い問題だった。


 なればこそ、将軍に据え、勝利を勝ち取れる人材というのは、然るべき選別を受けて選ばれなければならない。軍を動かす事そのものも当然だが、敗戦となればどれだけの金が溶けるか分からない。

 決して遊び心一つで、将軍を選ぶものではない筈だ。


 ――だと言うのに……。


 何故か、モデスカルが軍を率いる事になってしまっている。

 土いじりが趣味なだけ――それも多くは使用人が手伝ってくれる作業――の、戦略のせの字も知らない男を担ぎ上げる事態に発展してしまっているのだ。


 ――どうして、こんな事に……。


 モデスカルは嘆く事しか出来ない。

 周囲は刻印を持った、屈強な騎士に囲まれてしまって逃げられないし、軍の指揮は全て先任将校が行っている。モデスカルは格好だけは立派で、誰が見ても将軍だと思うだろうが、しかし移動手段は歩行かちだった。


 一人逃げられては困るからだろうか、それともいたずらに無駄に出来る馬などいなかったからだろうか。鎧は重く、歩く事だけでも十分辛い。威風堂々と振る舞う事を強要する癖に、しかし誰も指示を仰いだりしないのだ。


 全てはモデスカル以外で完結し、そして運用されている。

 一体ここに居て、何の意味があるのか、と何度も思った。

 だが、逃げ出す事は不可能だと理解しているし、直接戦う必要がない事も理解している。結局、ただのお飾り将軍が欲しいだけで、それが誰かなど関係ない。


 軍を動かす体裁、その最低限の形を整えるのに、将軍が欲しかっただけ。

 何しろ、誰も手を挙げなかったのだから仕方がない。しかし国王の下命はあるから、軍は動かさなければならない。


 しかし、有能であるだけで森が攻略できるのなら、当の昔に森は燃やされている。

 数を揃えたところで、どれほど戦略に優れた将がいたところで、攻略できなかった森だ。

 大事なのは群より個、という話はモデスカルとて知っている。


 だからこそ数によって劣る魔族に、これ程までに苦しめられている。

 外から森を燃やせず、中に入ろうと数を活かせず、強力な魔力を持つ魔族には、だから決め手が見つからなかった。


 冒険者の懐柔は、それが理由で始まった事ではないか、とモデスカルは漠然と考えている。

 ビストイア家も資金の提供においてこの件に関わっており、ギルド長の首を縦に振らせるのに、相当な苦労があったと聞く。どれだけ金を積んでも頷かなかったギルド長が、ある日唐突に呆気なく許可を出した。


 不審に思わない訳もなかったが、許可は許可なので、それを利用する運びとなった。

 積み上げた金の数に、ようやく納得がいったのだろう、と思う様にしている。だから今では、冒険者を尖兵として使える程になったのだろう。


 結局のところ、いつも魔獣どころか魔物を狩りに行く冒険者の方が兵より強くなりがちだし、そして兵一千を持ってしても勝ち得ない強者というものは、冒険者の中にしかいないものだ。


 その協力を取り付けた、という話があったから、兵の中にも今回は勝てると思っている者も多いらしい。彼らにとっては、誰が将かよりも、誰が生かして帰してくれるかが重要なのだ。

 その気持ちは、モデスカルにも良く分かる。


 モデスカルは周囲の騎士達に聞こえないよう、ひっそりと息を吐いた。

 早く終わって欲しい、と現実逃避にも似た思いで空を見上げる。

 直接武器を取って戦う必要も、作戦に必要な指示を出す必要もないから、余計にそう思った。


 ――帰れるのはいつだろうか。一日や二日で終るものでもないんだろうし……。


 既に温かなベッドや、贅を凝らした料理が恋しい、と思っていると、横合いから巨大な爆発音と土煙が舞い上がったのが見えた。


「な、なんだぁ!?」


 身を隠すところもない、広いばかりの草原に、突如として攻撃を打ち込まれたように見えた。敵襲か、と思うのと同時に、後列の部隊が爆発に巻き込まれる。

 視線を草原に向けた直後に起きた事だった。


 戦術の事など知らないが、最初の爆発が陽動だった事は分かる。

 悲鳴を上げて炎と爆発に巻き込まれる兵、そして直後に何事かの攻撃で吹き上がって行く兵、それを呆然と見ていたところに、横合いから肩を掴まれた。


「モデスカル様! 敵襲です、魔族の伏撃によるものだと思われます!」

「あ、あぁ! あぁ、そうだ、そうだな……!」


 森に向かって、兵を送り込むのが役割だと思っていた。

 それすらも他の誰かが指示をして、そしてモデスカルは横で見ているだけだと疑っていなかった。こんな場所で襲撃に遭うなど想定していない。


「に、逃げよう! すぐに逃げて……! そうとも、戦場はまだ先の筈だろう!」


 咄嗟に出た言葉にしては、説得力があると思った。

 ここは真の戦場ではなく、戦うべきは森である筈だ。こんな場所で無駄にして良い兵はいない。戦う事を義務付けられ、あるいは死ぬ事すら義務だったとしても、それはここではない筈だ。


「よろしいのですか、後列は置いていく事になります。今なら援護に入る事も……」

「私にそれを聞いてどうする!? お前たちが考えて決めることだろう! 最初からそうだったんだ、何故ここで聞いてくるんだ!」

「モデスカル様には、軍を預かった責任があります。被害が大きすぎれば、当然その責を負う事にもなります。最終的な決断は、モデスカル様に決めてもらわねば……!」

「分かる訳ないだろう! 逃げて良いなら逃げろ、私は知らん!!」


 モデスカルは、涙を目に溜めながら唾を飛ばした。

 責任だと何だと言われても、最初から将軍としての役割を求められていなかった。先任将校は森攻めについて他の隊長と話し合わせていたようだが、突発的な不意打ちについては何も考えていないようだった。


 しかし、考えが無いというなら、この軍においてモデスカル以上に考えなしは居ない。

 そもそも、求められてもいなかった。

 それを緊急事態だけ求められても、応えられる筈がないのだ。


「――撤退! 前方に向かって撤退する!」


 先任将校が声を張り上げ、周囲の兵に向かって指示を飛ばした。


「防護術を展開! 次の攻撃に備えつつ、安全圏まで退避する! 後に反転、後続の兵の救援を行う!」


 その声一つで周囲が纏まりを見せ、駆け足で前進を始めた。

 モデスカルのいる中列が走り出そうにも、前列が走ってくれなければ動けない。そうこうしている内に、後列を囲むように火輪の壁が発生した。


 モデスカルは恐怖に顔を引き攣らせながら、次はあれが自分たちを覆う事を想像し、悲鳴を上げた。炎の勢いはまるで地から吹き出しているようであり、とても逃げられそうにない。

 刻印を持つ者の中には、それに適切な対処を出来る者もいるのかもしれないが、モデスカルには到底無理だ。


 あの炎がこの中列を囲んでしまえば、成す術もなく焼かれるしかない。

 炎の壁の奥では、爆発と共に兵が打ち上げられていく姿が見える。あの炎の中では、別の何かによって蹂躙されているのだ。

 もし炎に囲まれてしまえば、次の同じ目に遭うのは自分たちの番だと思った。


「何をしているんだ、急がせろ!!」


 声を張り上げても事態は変わらない。

 足踏みを何度したか分からないほど時間が経って、ようやく前列最後尾が走り始めた。その背を追い、あるいは追い越さんと、モデスカルもまた走り始める。


 周囲を騎士が固めてあるし、そもそも鎧が重くて禄に速度も出ない。

 だが、あの恐ろしい炎から逃げずにはいられなかった。


 息が切れ、肺や横っ腹が傷んでも、死を前にして足は止まらない。

 そうして、息も絶え絶えに足も動かなくなって来た頃、それが起こった。


「うわぁぁ!!」

「なんだ、何が起こった!」

「前の連中、何やってんだ!!」


 周囲にいる騎士達のせいで、前方で何が起こっているのかは分からない。

 だが、軍の行進が止まった事だけは分かった。

 つんのめるように強制的に動きを止め、そして後続の兵たちが、モデスカル達を押し潰さんとばかりにやってくる。押される力が強く、息すら満足に出来ない有り様だった。


「何してるんだ、やめさせろ!!」

「無理です、行軍は急に止まれません!」


 悪態をついて見えもしない前方を睨みつければ、分からないなりに声だけは聞こえて来た。


「何があった!?」

「最前列がコケやがった! それで次々に折れ重なって倒れた!」

「何やってんだ、行軍訓練は受けてないのか!?」


 切れ切れになって聞こえてくる内容から、凡そどういう事情か分かり掛けて来た。

 走り出したは良いものの、誰かが転んでそのせいで身動きとれない状態になってしまったのだろう。基本的に列として動く事を訓練されている兵は、その形を維持しようとする。


 前列が急に動きを止めたとしても、後続はしばらく動くだろう。

 それこそ最前列にいた人間は、多くの人間の下敷きとなり、死んでしまっているかもしれない。

 苦虫を噛み潰して我慢しているしかない内に、ようやく背後から押し込もうとする力も薄れ、息が楽になってきた。


 だが、混乱もまだまだ収まらぬ中、動きを止めた軍隊に、雷に似た破裂音と衝撃が襲いかかった。ここに来て、更なる攻撃が仕掛けられたのだと、モデスカルは巻き起こる悲鳴で理解した。

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