一方的な闘争 その7

 ユミルにとって、それは至極簡単な仕事だった。

 逃げ落ちてくる兵どもを、更に待ち伏せて数を減じてやるだけ。それをルチアと共に行うとなれば、尚のこと楽だった。


 ただし、やはり大規模な魔術は使えない。

 特にユミルが扱う魔術の多くは、かつてミレイユと共に旅をしていた時代であっても、目にする事が稀なものだった。


 死霊術がまさに顕著で、魔術士ギルドでは使用するのは勿論、学ぶ事すら禁じられた魔術とされていた。だから、これを高度に扱う者がいるとなれば、それを知るエルフからすると、ユミルが近くにいる事を示唆してしまう。

 二百年前の戦争で生き残った者の中には、ユミルが死霊術を使う場面を、数多く目撃しているのだ。


 ――何事も扱い方、使い方次第だと思うけどね。


 ユミルは遠くで爆音と砂煙が巻き上がるのを見ながら、胸中で一人ごちる。

 死霊術の歴史は古い。それこそ、現在の有史以前より存在し、ユミルの一族はそれを上手く利用していた。


 対象の魂を利用する事から、禍々しく悪の象徴のように思われがちだが、実際は違う。魂を利用して生まれる存在は、その魂が汚染されてしまうと感じるとしても、全くの事実無根だ。


 だが得てして人間は見たものだけを信じてしまいがちだし、その本質まで見極めようともしない。それ以上を必要としていないのだ。

 だから迫害は無くならないし、簡単な印象操作で禁忌とも異端ともされてしまう。

 ――ユミルの一族ゲルミルが、そうであったように。


 思考が後ろ向きになりそうになって、ユミルは無理にでもミレイユの顔を思い出して、思考を揺り動かす。その印象操作を率先して行っていた神々に対する恨みは深いが、今更ここで邪気を発しても仕方ない。


 既に作戦も始まっていて、遠からず敵も逃げてくるだろう。

 下手な考えをしている場合ではなかった。


 現在ユミル達がいる場所は、森へと続く一直線の道の傍、打ち捨てられた家屋の影に隠れていた。倒壊している上に土と草に大半が埋没している所為で、遮蔽物としての効果は低い。そのうえ家屋自体、薄汚れていて苔生しており、身を寄せているだけでむせるような臭いがする。


 大人数が隠れられる場所でもなく、ユミルたち二人が身を寄せて、それで直視はされるかも、という程度でしかない。下生えもあるが、土に栄養がないせいで禄に生え揃わず、だから身を隠すには向いていない場所だった。


 しかし、幻術を用いていれば、この程度の瓦礫であっても、十分な遮蔽効果を生み出せる。

 混乱した部隊へ不意打ちと追撃を打てば良いだけとあって、大袈裟な隠蔽工作は必要ない。どれ程の人数がこちら側へ流れてくるか不明だが、ミレイユが決行を指示したというのなら、この四人で対処できる数だと判断したという事だ。


 だから、その部分については不安を抱いていなかったのだが、すぐ傍で控えているルチアは、心配そうな声と顔で覗き込んで来た。


「どうしました、何か怖い顔してましたけど……。まさか、緊張なんてらしくない真似、してる筈ありませんし……何か懸念でも?」

「いやね、アタシはいつだって可愛い顔してるでしょ」


 わざとらしくシナを作って笑みを浮かべたが、ルチアの反応は芳しくない。困ったような笑みを浮かべて首を横に振った。


「……本当なら、そこでもっとキレのある返しがあると思うんですけどね。やっぱり、らしくないじゃないですか」

「……かしらね? アンタにアタシの何が分かるのよっ、とかヒステリーに喚き散らした方が良い?」

「求めてませんし、よりらしくないので止めて下さい。そんな面倒なこと言い出したら、氷漬けにして放置して行きますからね」

「あら、酷い扱いだコト……!」


 楽しげに一頻ひとしきり笑ってから、ユミルはここで初めてルチアの顔を見返した。


「まぁ、やっぱり色々考えちゃうじゃない? こうして、ただ待っているだけだと尚更ね。私たちは神々の思惑を看破している。……している様に見える。でもその為に、自ら多くの枷を嵌めたわ」

「必要な事だと、納得していたと思ってましたけど。私が言うのも何ですけど、エルフにミレイさんの存在を知られると、絶対面倒な事になりますよ」

「信仰を捧げられる事を抜きにしても、やっぱりそう思う?」

「思います。いっそミレイさんをエルフという事にして、大っぴらに感謝しても良いようにしよう、とか言い出すぐらいなんですから。現在の追い詰められた状況を鑑みても、エルフ族の主軸に置きたいと考える人は、きっと出てきます」


 断言するルチアに、ユミルは皮肉げな笑みを向けた。


「アンタの父親みたいに?」

「間違いなく、その急先鋒でしょう。今から頭が痛いですよ。きっとリーダーに近い役職に就いているでしょうし、それなら会わないで済む訳ないですから」

「それはまた、ご愁傷さま。まぁ、だからさぁ……どこまでが計略なのか見えなくなっちゃった、っていうのがあるのよねぇ」

「それが怖い顔をしてた理由ですか」


 ユミルはあっさり頷いて続ける。


「裏の読みすぎ、穿ち過ぎ、そういう部分があったんじゃないか……。それを今更ながらに思い返してたのよ。神々は有能だけど、全能じゃない。それは分かってるコトよ。でも、例えどこかで転ぼうと、別のどこかで取り返せるよう手を打ってくる」

「それがどこまで及んでいるか分からない、ですか。現在の枷を嵌められた状況も、その手の一つと言いたいんですか?」

「考え始めるとキリがないけどね……。エルフに知られたくないだけじゃなく、ギルド介入の隙を与えたくないからこその枷でしょう? 鍵の掛かってない枷だし、いつだって外せるものだけど……でも、不意打ちを狙うには、狙いをつけてる、その背中を打つコトこそ有効よ」


 その言葉に、ハッとして忙しなく周囲を見渡す。

 言った本人のユミルが身動きしないのを見て、既に警戒済みだと理解したらしい。幻術は見抜くに難しい術ではないが、逆に使っていると認識している前提で探さねば見つからないものだ。


「私達は狩人と思い込まされてる獲物、と言いたいんですか?」

「いつだって油断はするな、って言いたいの。私達は神々が仕組んだ計略の渦中にある。いつだって不利な状況にいるんだと、肝に銘じておく必要があるわ。それが有利と思える状況であっても、尚更ね」

「……心しておきますよ」


 ルチアが深妙な顔付きをして言うと、ユミルはちらりと笑う。


「だからって、あんまり疑心暗鬼になっても困るんだけどね。挑むべき状況で、立ち止まられても困るもの」

「――それじゃ、今はどっちの方ですか? 挑むべきですか、それとも警戒すべきですか?」


 ルチアが砂塵を巻き上げながら、地を踏む音を響かせる集団を見据えながら、悪戯を仕掛けようとする子供のような笑みを浮かべた。

 鼻で笑って、ユミルは自身の肩でルチアを小突く。


「やる以外、選択肢ないでしょ」

「では、手筈どおりに」

「えぇ、お願いね」


 ミレイユから伝えられた作戦は、実に単純だ。

 使用する魔術を中級以下に絞って、逃げてくる兵達を半分に減らす、というものだった。方法については一任するとあって、それ以上の詳しい指示はなかった。


 聞く限りだと、余りに投げやりで適当なものに聞こえてるが、これはユミル達の実力を信用しての事だ。これが対応の難しい大群であったなら、そもそも攻撃は中止していて、ミレイユが合流して別の作戦へ変更するようになっている。


 敵軍が逃げてきたというのなら、問題なく作戦は実行できる規模でしかないし、そしてユミル達なら中級以下の使用、という枷を嵌めても結果を出せると思われた。

 それならば、ユミルとしてはその期待に応えるしかない。


 そして巻き起こる砂塵の大きさから、その軍隊規模は計る事も出来る。

 ユミルの目測が正しければ一万を超える程度、それより多かったとしても、更に二千を加える程でしかない。


 総勢二万強の軍、その約三割を削り取った残りが、こちらへ逃げて来ている。そして、ここから更に半分まで減らすのが、ユミル達の仕事だった。

 既に、彼らは森へ攻め込むつもりなどないだろう。後続が無事逃げてくるかもしれない事も加味して、一度野営地へ向かいながら後続を待ち、合流できたら部隊の編成なども行う、などと考えている筈だ。


「一度奇襲に遭ったからには、他にもまだ伏撃があるかも、って考えるところだと思うけど……」

「見渡しの良い場所で、ミレイさん達も攻撃した筈ですものね? 他も安全に通り過ぎられる、とは考えていないと思いますが……」

「警戒は強い筈……。少なくとも前列、そして将の周囲は防護系の魔術を使っていると見るべき。そうよね?」

「えぇ、そう思います。外側から打ち込むだけでは、効果を得られないでしょう。削れる人数は少数に留まり、その多くを逃がす事になります」


 防護の魔術は、術者本人か、あるいはその周囲に展開されるものが多い。そして集団で用いれば、さながら魚鱗のように術同士が組み合い、中央まで効果を及ぼすのが難しくなる。

 中級以下の魔術のみ、という枷がなければ、それを打ち破る方法は幾つもあるのだが、それをここで愚痴っても仕方がない。


「兵に直接攻撃するのでは効果が薄い。……なら、する事は一つよね」

「はい、こちらで上手くやりますので、崩れたところをお願いしますよ」


 ルチアが気楽に請け負って、それで魔術の制御を始めた。

 迫る軍勢の地響きは強くなり、既に目視するには十分な距離まで近付いて来ている。その上、ユミル達に気付いた素振りは見えない。


 もし気付いているのなら、盾として部隊を動かすにしろ、魔術が放たれる前に攻撃を加えるなど、何かしらの動きを見せる筈だ。

 しかし、軍は脇目も振らず前進を続けている。


 攻撃を受けてから十分な距離を逃げて、後ろからの追撃もないと安心して来た頃だろうが、将が馬鹿でない限り、ただ逃げるという事はしない筈だ。

 未だ追撃も伏撃もなく、畳み掛けてくる戦力も見えない事に、違和感も持っていて当然だった。


 その緩みと警戒のはざまにあって、必死に頭を巡らせている事だろう。

 そこへユミル達は攻撃を仕掛けるのだ。

 だが攻撃とは、何も兵たちのみを対象にしたものではない。


 ルチアの制御が終了し、いつでも行ける、という目線で合図を受ける。

 ユミルはそれに首肯を返し、その背を叩いて魔術の発動を指示した。

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