幕間
――御由緒家。
それは約九百年の歴史を今も連綿と受け継ぐ大家であり、そしてこの日本国の神として降臨するオミカゲ様の血を汲む子孫の名だった。
オミカゲ様の子が更に五つの子を設け、それぞれに家を立たせたのが由来とされている。その際に直接家名を賜り、それぞれがオミカゲ様を助ける忠臣として生きてきた。
その名に必ず『由』が入るのも、それが理由である。
由緒ある故正しくあれという意味、己を由とせよという意味、二つの意味を重ねてその名に組み込んだと伝えられる。
そして今、その御由緒家の一つ、
御由緒家は時に全ての権限を飛び越え、オミカゲ様の意思で動く。今回の命は大宮司様より賜ったものだが、そも大宮司という存在はオミカゲ様に最も近しい人物である、とされる。
また、これは御由緒家のみが知る事実として、大宮司様はヒトではない。オミカゲ様との関係も単なる主従という仲を超越した間柄であるから、大宮司様の命で動く事に問題はなかった。
しかし、そこに問題はなくとも疑問はある。
御由緒家とは、単に祖先にオミカゲ様を持つ家、というだけではない。その血に神の力を色濃く宿す家でもあるのだ。
理力と呼ばれる力を扱い、その力を持って魑魅魍魎、鬼妖から民を守るのが責務。かつてはオミカゲ様ご自身が先頭に立ち、刀を振るって幾つもの鬼を退治してきた。
御由緒家にはそれが真実であるという巻絵と共に話が伝わっている。
だから、その鬼退治について命を受けて動くというなら、いつもの事で終わった話だ。結界を張って秘密裏に処理することが基本としてある為、多くの民にその実態は知られていない。
何かしらの事業に携わる資産家という側面を持っているにも関わらず、むしろ軍人の家系という方がよく知られていた。
古くは将家とも呼ばれ、戦があれば陣頭に立って戦い、その武勇を示した。
理力を持つ者と持たない者との戦力差は想像を絶する。神の寵愛を受けし一族として、その力は大いに振るわれた。
しかしそれが大名になる事も、一国を預かる身となる事もなかったのは、一重にそこにはオミカゲ様の命があったからとされる。
政教分離を早くから謳っていた神は、民を分け隔てなく助けたものの、決して政に手を伸ばす事をしなかった。そしてそれは御由緒家にも厳命され、力なき民の為に戦う事は許しても、民の上に立つ事を許さなかった。
世界大戦の折りについても同様で、御由緒家の戦ぶり、まさに鬼神の如しと世に響いたものだった。
その鬼神の如しという強さもまた、理力を授けられたが故のものだったが、もしも間違った使い方をしようものなら剥奪される。
理力とは個人の力ではない。
神より授かり、それを使う事を許された力なのだ。
だから御由緒家以外にその力を扱える者がいても、厳選な審査を受けなければ授かる所までいかない。そして授からなければ、一般人と変わりない。
それだけの力を授けられたとなれば、それはつまり神の承認を得たと言う証明にもなる。実際それは神が手ずから行う儀式を持って授けられる。
子供の頃から神の御下に近づける御由緒家は別として、一般人が神に直接対面する機会は稀だ。剣術はそれに最も近い道とされ、だから全国に道場がある。
理力を持った人間は幾らいてもいいとはいえ、力だけでなく、その理性――人格まで求められるから、単に強い者が選ばれるという訳でもない。
結希乃も乞われて剣術道場に師範として行くことはあるが、理力を授けるに足る人間というのは恐ろしく少ないものだ。
どうしても量より質になってしまうので、最近ではその質の向上を図ることに余念がない。
数十年前からの試みとして、才能ある者を一同に集め学校で共同生活させつつ理力の扱いを学ばせる、という事をしている。
実際これは成果が出ているようだ。
今年は御由緒の五家が揃っている事もあり、それが学校に大いに刺激を与える事になっていると聞く。結希乃が卒業したのは五年も前だが、その頃に同年代の御由緒家の誰かがいたら、また少し違っていたのだろうかと、思った。
その学園に通っている妹が、ある時極秘任務を受けたとして報告があった。勿論報告があったのは全てが終わった後で、報告もまた上層部からの許しがあってからの事だが、とにかくその内容が結希乃の想像を超えていた。
今まで何の予兆もなく現れた理力を持った誰か。
たった一人ではなく、更に三人と加えて一人。理力は自然発生するものではなく、必ず神から授かるものだ。それ故に、把握してない理者というのは存在しない。
だというのに、そこには確かに存在しない理者がいたというのだ。
結希乃も阿由葉家の人間として、この件について詳しい報告書の開示要求を上層部に伝え、その了承を持って内容を確認した。
そして、そこに書かれた内容に絶句した。
結界への解析、侵入、そして目で追うこと事すら不可能な理力制御、元戻鬼の一撃を受け止め、そして行動不能にしてしまう手際。
その全てが容易く信じる事ができない内容だった。
しかも、内一人は明らかに監視の目に気づいていたようだと報告書にはある。それも二百メートルの距離を、夜の視界が利かない状態での事だった。
――あまりに危険な存在。
結希乃はそのように考えたのだが、上層部――それも大宮司様の見解は否だった。
敵ではなく、また今は味方でもない。
危険になるとすれば、それはこちらから攻撃した時。見ているだけなら害はない。
そのように返答があって、結希乃は明らかに訝しんだ。
大宮司様は何かを知っている。知っていて、それを皆に隠している。
隠し事があるのはいい。組織上層部があらゆる秘密を露わにするようなら、それは信用する事もまた恐ろしいものとなる。悪事を隠すというのならまだしも、漏れてはいけない秘密というものもまたあるものだ。
結希乃が疑問に思っているのはそこだった。
これは秘匿するに値する存在なのか。目の前に爆弾があるのに、その導火線に火を付けなければ安全だと、それを放置するのが最善だとは思わない。
箱に厳重に封印するか、せめて遠くへ離す必要がある。
だというのに、宮司様の命令は放置せよ、なのである。
そして極めつけは、今回の密命だった。
その四人と一人の居場所を突き止めたのはいい。何かあれば対処できるよう常に監視しているのも当然、しかしそれ以上の対処を禁ずるなどと言うのは、あまりにも弱腰に思えた。
なにも強襲して捕縛しろなどと言うつもりはないが、見ているだけで何もしないというのは――接触すら禁ずるというのは、また別の問題に感じた。
最初は隣人として付き合いを始め、そこから動向を探るという方法でもいいだろう。何も敵意を向けて動くというわけではない。単に相手の事を知る為に動くというのも、それはそれで意味あることだ。
理力の事を良く知るからこそ、野放しで理力を使う者がいて良いとは思わない。それこそが結希乃が彼らを恐れる理由だった。
無思想、無秩序に振るわれる理力などあってはならない。強い力なればこそ、制御された理念の元で振るわれねばならないのだ。
そして、今回の密命である。
既に彼らの傍には何名か張り付いていて、遠く足を伸ばす計画を盗み聞いている。どこまで行くかは定かではないが、質屋に行く可能性は高いという。
そして、その換金を密かに成功させろ、というのが命令の内容だった。
結希乃は鬼妖と戦う理者だが、同時に軍籍を持つ特殊捜査員でもある。
戦争があれば中尉相当官として従事し、時に理力絡みの操作を指揮する事もあれば、世界に誇る神鉄を使った神刀を、密輸しようと目論む輩を取り締まるのに動く事もある。
だから、今回のように裏方で動く任務も初めてではない。
換金を成功させろというのなら、やってみせるのが結希乃の仕事だ。
質屋に行くことは判明しているのに、どこを利用するのか分かっていないというのは不審にも思うが、付近に張り付いて聞き耳を立てる部下から逐一情報は送られてくる。
あまり多くの人員を用意できなかったのは、その数が増えてしまえば相手に感づかれてしまうからだ。それを何より警戒しているらしい。
敵対する事も、また排除する事も目的でないのなら、せめて取り込む努力をするという意向なのかもしれなかった。そうして陰ながら援助するのが目的なら、もう少しやり方もありそうなものだが、どうも目的はそれだけではないらしい。
相手が持ち込む物にも、只ならぬ興味があるようだった。
何を持ち込むかまでは教えられなかったが、必ずそれも回収しなくてはならない。大宮司様直々の命でなければ、これについて強く抗議していた事だろう。
部下から送られてくる情報から、店名までが割り出され、そこに先行して交渉する。
店主は明らかによい顔をしなかったが、問答している暇さえなかった。よく言い含め、自らの顔を晒さないよう変装してから待機した。
そして、その猶予は幾らもなかったのだと、来店してきて思わず頬が引き攣りそうになった。
時間的余裕がないのは部下の情報からも予測できたが、同時に油断ならない相手をしているのだと、その時初めて実感した。
あまりに強い理力。
その総量は元より、あらゆる全ての底が知れない。明らかに力を抑えているというのに、それでも全力の結希乃を凌ぐ程だった。
上層部が警戒し、また敵対を嫌がる理由が分かった気がした。
確かにこれを怒らせるような真似をしたくない。もしも本当に戦う事になれば、それこそオミカゲ様や大宮司様のお手を煩わせねば対処不可能だろう。
そして、同時に相手には慢心もない。
姿を窺い、また何か拾える情報はないかと見ていたが、その中心に位置する帽子を目深に被った女性からは何も得られるものがなかった。
すぐ傍には金髪の女性が護衛として必ずつかず離れずの位置を確保していたし、遠くには黒髪の女性が常に警戒して店内を移動している。
何かあれば、この二人が上手く対処する手筈なのだろう。
結希乃は笑顔を崩さぬまま、大宮司様の命が決して大袈裟ではないことを知った。
――あれは敵に回すべきではない。
そして同時に、相手は味方になる素振りで近づく事すら許さないだろう。
警戒自体が尋常ではなく、まるで要人の警護と言われても納得できるような有様だった。頼りなく見える少年が一人着いてきていたものの、あれはもしかしたら囮なのかもしれない。
あれが傍にいるなら容易に近づけるだろう、と勘違いした者を釣る餌として置いている、その可能性を考えた。
結希乃はもはや、この売買が素直に締結する事だけ祈っていた。
相手が激昂するような値段を提示したら、それこそ取り押さえるのは容易ではない。今は周囲の質屋に散開していた部下が戻ってきている最中だが、それを掻き集めてどうにかなる相手かと言えば……難しいと言わざるを得ないだろう。
祈りながら見守る中、無事にお互い納得できる売買が出来たようだった。
金銭を渡して退店していけば、あとは結希乃の仕事を終らせるのみ。
頭を下げて見送って、お互いに頭を上げた後は物品を回収し、店主によく言い含めて終了だ。
結希乃は重く溜め息を吐いたあと、部下を呼び寄せて回収を命じる。
後のことは別部署の仕事だ。たった数十分でひどく神経を擦り減らされたが、ともかく目的は達せられたのだ。
結希乃は改めて窓の外――もう見えなくなった彼女たちを思った。
敵ではないなら味方にしたい。可能であるなら是非、引き込むように動くべきだと。
結希乃はその任務が終われば帰ろうと思っていたのだが、彼女たちを見て気が変わった。その
二百メートルの距離でも察知されたと報告書にはあったから、そこから更に距離を取り、部下にも命じて適切な監視候補場所を探させる。
そして、そうしている内に事件が起きた。
どこからのチンピラ崩れが、彼女たちにちょっかいをかけたらしい。
勘弁してよ、と思わず額に手を当てたのも、致しかたないと言えるだろう。部下が周りにいなくて助かった、このような姿は上に立つ者が見せるものではない。
男達は彼女たちを連れ去り、そして路地裏へと押し込んでいく。
果たしてどちらが連れ去られて行く側なのか、彼らは正確に理解していないだろう。まさか殺害する事はないだろうが、例えそうしたところで止めに入る事はできない。
そうした努力をするには、二百メートルより近くに陣取る必要がある。今の結希乃にそれは難しい問題だった。
結希乃はとあるビルの屋上からその顛末を見ていた。
どのように解決するか見て、それから対応を考えようと思っていたのだが、彼らは路地裏で逃げ道を塞ぐように立った時点で倒れて崩れ落ちた。
結希乃は冷や汗が背中を流れるのを止める事ができなかった。
彼女たちが何をしたかすら、結希乃には分からない。ただひと睨みしただけで意思を奪ったようにも見えたし、あるいは早すぎる理力制御で何かしたのかもしれない。
もっと近付いていれば、どういう手段を取ったか分かっただろうか。
何にしても、この場所は遠すぎる。本来なら望遠鏡が必要な距離で、相手の手口を探ろうなど考える方が無謀なのだ。
――その時だった。
結希乃はその場から引くべきか、あるいは屈んで身を隠すべきか、一瞬迷った。
その迷いが彼女を硬直させ、そしてその硬直が彼女の視線を縫い留める事に繋がった。
明らかに、それと分かって結希乃を見ていた。
幅の広いツバ故に、その顔の全貌は見えない。波打つように僅かに湾曲しているツバは、その片目しか視線を通さなかったが、しかしそれだけで十分だった。
あれは警告だ。
これ以上自分たちを付け狙うな、という紛れもない警告。
気分を害すようなら同じ目に遭わせる、と言っているのだ。成す術もなく意識を刈り取る事ができる、それを相手に知らせるのは優しさだろうか、それとも傲慢だろうか。
とにかく結希乃は何の反応も示すのは不味いと思った。
さりとて不躾な態度もまた不味い。だから一礼する事でその場を去って、一心不乱に屋上を駆けた。
妹の七生も、彼女らの追跡を想定して必死に駆けたという。
その気持ち、今の結希乃もよく分かる。例えあれが警告で、今は行動を起こすつもりがないだろうと分かっていても、明らかなメッセージを受け取って動揺しない訳がない。
息を切らしてビルを飛び越え、また別のビルに移っても、なぜだか全く安心できなかった。
屋上から中に続く扉を抜け、地上に降りる。
適当な喫茶店に入ってアイスコーヒーを頼み、未だ落ち着かない気分で店外を眺める。何事もない筈だと分かっていても、全く落ち着く気分になれなかった。
一応上役に報告をして、スマホを机の上に投げ出すと同時に店員がコーヒーを持ってきた。
一気に呷って半分飲むと、それでようやく一息ついた。
今日はもう、何もやる気が起きなかった。
元より今日は、これ以上勤務する必要がない。この仕事は過密スケジュールとは縁遠い職務だが、それでも今日は午後が丸々オフだった。
しかしそれも、結界反応がなければの話である。
スマホが震え、結希乃に命令が下った。
鬼妖の出現があれば、自動的に結界が展開する。
そしてそれはコンマのズレなく祭祈部が感知し、部隊を招集、現地へ集合という流れになる。今回は結希乃が最も近くにいた為、彼女をリーダーとして部隊を組まれた。
結希乃はスマホを睨みつけながら、指示を受けて立ち上がる。
時刻は夕暮れ、逢魔が時。あいつらが出現する時間だった。人混みの多い時間帯だと地上は歩き辛い。それで適当なマンションに入って屋上に登り、そこから移動する事にした。
そうして辿り着いた集合場所には、既に三人が集まっている。
中には同じ御由緒家、比家由漣の姿もあった。御由緒家は何かと子供の頃から顔を突き付け合うから、漣の事も良く知っていた。
気心の知れた相手がいるのは有り難いが、普通は部隊単位で動く。即席で作ったメンバーでは連携も取りづらい。何故こんな事になっているんだ、と何気なく下を見て理解した。
そこには例の彼女らが、またもチンピラに絡まれて工事現場に連れ込まれている。
何やってんのよ、と喉まで出掛かり、言葉を必死に飲み込んだ。大した事にはならないだろうが、とはいえ上層部はそちらの心配をして結希乃達を呼んだ訳ではない。
あれらが結界に気づき、それに対処しようとするのを止めたかったのだ。
だから、恐らく最も近くにいた者たち――実力者たちを呼びつけ、早急に結界に対応するよう望んだ。
ならば、あちらの方は他の誰かに任せよう。
どうせ誰かが監視しているのだろうし、問題が起これば対処するつもりでいる筈だ。そうでなかったにしても、それは結希乃の知るところではない。
何しろ今は発生した結界への対処が優先だ。
グズグズして彼女たちが動くような事があれば、結希乃たちが呼ばれた意味もない。
結希乃は他三人を見渡し、ハンドサインで合図する。
彼らも心得たもので、余計な質問も異議もなく、リーダーの命令で粛々と動く。
結希乃は最後尾でそれを追いながら、最後にチラリと背後を伺う。
そこには黒髪の女性が一方的に男達を痛めつける姿があった。流石に逆鱗に触れたんだな、と思いながら、後でそれの対処に動く部隊に同情めいた祈りを送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます