第三章
魔力と鍛練 その1
ミレイユは自室のベッドで目を覚ました。
昨夜、戦闘が終わって帰ったのが夜七時過ぎ。時刻は遅くなったものの、それから夕食の準備をし、アキラと共に食事を取ってから解散となった。
相当疲れたと見えて、食事の最中でさえ船を漕ぐような有様で、完食するや否や眠ってしまった。背もたれに体を預け、首を下に向けた状態で寝ていたので、そのままでは身体も痛めるし疲れも取れない。
叩き起こしてアキラの部屋に帰しても良かった。
何しろ邸宅から出れば、そこはアキラの部屋の中である。寝室まですら目と鼻の先、帰るに苦労という訳でもない。
それでもミレイユはアキラを箱庭に残す事に決めた。
理由は二つ。
一つに、邸宅の中にある部屋に入れずとも休ませる場所があるという事。
この箱庭には邸宅以外に離れがあって、客人一人なら不自由なく過ごせるスペースがある。いつか使う機会があるかもしれない、と用意したものの、結局今日まで使っていなかったので、折角だから使おうという目論見もあった。
もう一つが、魔力の回復をさせねばならない事。
本来なら魔力とはマナ溢れる世界で扱う力で、そして呼吸するように供給されるものだ。しかし、この世界ではその供給される場所が非常に限られる。この世の全てを見た訳ではないにしろ、今のところマナを補充しようと思えば箱庭以外に存在しない。
アキラの魔力総量は少なく、また吸収量も少ない。使うものが内向魔術ということもあって、燃費が非常に良いのだが、吸収するものがなければ磨り減っていくだけだ。
一晩過ごせば、寝ている間に全快するだろうから、それで離れを使わせて休ませてやろうという気になったのだ。
だが結局、このさき結界に挑む回数が多くなるとすれば、戦闘が終わった夜はこちらで過ごさせる必要が出てくるかもしれない。
今回の戦闘で分かったが、雑魚処理くらいならアキラ一人で出来る。出現する敵自体が強化傾向にあるから、慢心してしまえば、あっという間に死んでしまう危険はあるものの、何かと使ってやる機会は増えそうだった。
それを思えば、元より使わず腐らせていた離れである。当分はアキラ専用の客室として与えても良いか、という気分になっていた。
ミレイユはベッドから起き上がり、カーテンを開けて外を見た。
既に起きたアヴェリンとアキラが朝の鍛練を始めていたようだ。遠くにはお互いに武器を振るっては回避している姿が見える。
朝から精が出るな、と思いながら、ミレイユは部屋に備え付けられたシャワーでお湯を浴びた。
簡単に汗を流していつもの部屋着に服を着替え、今なお朝の鍛練に打ち込む二人へと近付いていった。
傍に近寄る程に金属を打ち合う音が大きくなっていく。
どうやら睡眠の妨げにならないようにと、あえて遠くで鍛練する事になっていたらしい。その気遣いに感謝しつつも、歩いて行くには距離があり過ぎるな、と不満も覚えた。
十分に二人の姿が見え、そして動きの邪魔にならない場所までやって来ると、その場に椅子を用意して座る。
昨日と今日とでどれほどの違いが出たものか、興味が出て覗いてみたのだが、なるほどやはり動きが段違いに良くなっている。
アヴェリンの攻撃をアキラが受け止め、時に躱して反撃に転じる。
反撃自体、以前はろくに出来ていなかった。アヴェリンの攻撃を受け止めるのに精一杯で、衝撃を逃すか、あるいは逃げに徹して隙を伺うしか出来なかったのだ。
そしてそれでも捕まり一撃を受け切れず、転がされるのが常だった。
今では積極的に攻撃をしかけ、そして反撃をいつでも対応できるように余裕ある動きを見せている。額に汗はかいても息切れはしていない。
俊敏な動きを見せつつ、決して無理な動きをして食らいついているという訳でもないようだ。全力ではあるのだろう、手抜きを許すアヴェリンではない。
しかし皮一枚分の余裕を残し、それでもアヴェリンの動きに対応出来ているというのは、前日までの動きしか知らない人間には瞠目するような姿に違いない。
地を蹴って一足飛びで接近したアキラに、アヴェリンが下から掬い上げるような一撃を合わせる。咄嗟に刀を横に倒して盾とし、防ぎはしたものの体が浮く。
浮いただけに留まらず、アヴェリンが腕を振り抜けば、そのまま民家二階に届くほどの距離を打ち上げられた。
二人の距離を三メートルほど離してアキラは着地した。その機微に動揺はなく、即座に動こうとしたが、しかしその首には既にアヴェリンの鉄棒が届いていた。
硬直は一瞬。
アキラは首を中心に縦に、時計の長針が回るように回転し、その鉄棒から逃げる。しかしアヴェリンもその対応は読んでいたらしい。アキラの動きの反動を利用して、横殴りに吹き飛ばした。
身体を曲げて吹き飛ぶアキラを見ながら、ミレイユは思わず笑ってしまった。
嘲笑ではない。
小馬鹿にするものではなかった。ただ、よくあれほど動けるようになったな、という思いと、あれだけ殴られてもケロリと起き上がる姿を見て、喜劇を見ているような気分になってしまったのだ。
アヴェリンが鉄棒を下げ、臨戦態勢を崩したのが終了の合図になった。
アキラも肩を落として息を吐き、刀を収めて戻ってくる。距離の問題で一足早く辿り着いたアヴェリンが、いつものように丁寧な物腰で挨拶してきた。
「おはようございます、ミレイ様」
「うん、おはよう」一足遅れて辿り着いたアキラに顔を向ける。「アキラも、おはよう」
「おはようございます!」
アキラは腰を曲げて丁寧に挨拶をした。
ミレイユは椅子に座ったまま、頭を下げるような真似もしない。そしてこの場では、それが自然で当たり前だった。
ミレイユは僅かに笑んで、頭を上げたアキラへ労うように言った。
「体調は万全か?」
「はい、痛みもなく、疲労もありません。ちょっと異常に感じる程でして……」
アキラは己の腕を持ち上げて、それをしげしげと見つめながら言った。
検分するように見つめる部分は、昨日トロールに殴られたところだ。本来なら粉砕骨折してるのが当然、そうでなくとも大きく腫れ上がって見た目にも酷い事になっていた筈。
帰る間際にも確かに痛々しい傷跡があったものだが、今はそれも綺麗さっぱり消えている。
「内向魔術士は自然治癒力も高い。お前程度でも、マナの供給さえ十分なら一晩で大抵の傷なら治るだろう。……まぁ、役得とでも思っておけ」
「……そうします」
アキラは複雑そうな表情だったが、しかし最後には笑顔で応えた。
ミレイユはそれに頷いて、それからアヴェリンを見て、次にアキラへ顔を戻す。
「朝の鍛練は見せて貰った。随分コツを掴んだようだな」
「はい、師匠の教えが良かったもので」
「当たり前だ、馬鹿者」
アヴェリンは鼻に皺を作って突き放すように言ったが、ミレイユの一言で表情が喜色満面に一変した。
「よく教えてやった」
「はっ、恐縮です! 物覚えが悪くて大変でしたが、まぁ最低限使い物になる程度には……」
「そうだな。見ていて思ったが、案外打ち合えていたしな」
ミレイユの感想に、アキラもまた恐縮するように身を縮めた。照れた顔を隠す為に、後頭部を搔く振りをしながら下を向いている。
「お言葉ですがミレイ様。打ち合えていたのではなく、打ち合わせてやっていたのです」
「勿論、そうだろう」
ミレイユは大きく見える動作で頷いた。
「本気の三割も出せば、アキラでは手も足も出ないのはよく理解している。その上で言うのだ。アキラはよくやっている」
「まだ二割の力も、僕では引き出す事が出来ないんですか……。昨日までの僕とは、まるで雲泥の差だと思うんですけど……」
「殻から顔すら出してなかったヒヨッコが、殻を被って顔を出した程度で何を言う。そういう台詞は、せめて殻を捨ててから言え」
アヴェリンの言葉は辛辣だったが、同時に真理でもあった。
アキラは確かに魔力を得て、魔術も行使するようになったが、同時にスタート地点に立っただけに過ぎない。殻を破って姿を見せてすらいない身である事もまた確かなのだ。
アキラは肩を落としたが、ミレイユはそれに笑って労ってやる。
「正直、アヴェリンの本気には二割にも達していないと思うが、それが当然だと心得た方がいいだろう。だが良くやっていると言った、それもまた本音だ」
「はい……、精進します」
アキラが神妙に頷いて、ミレイユもまた頷く。
そして鼻孔をくすぐるパンの焼ける香りが届いてきた。アヴェリンもそれに気づいたようで、頬を緩めて邸宅に顔を向ける。煙突から上がる煙から、朝食の気配を感じ取った。
アキラもそれを見ては涎を垂らし、腹を鳴かせる。
予想以上に大きな音が鳴って、アキラは慌てて腹を抑えた。
ミレイユが笑って椅子から立ち上がり、それを腕の一振りで消してしまう。
「我慢できない大きな子供もいるようだ。朝食にしよう、アキラも着いてこい」
「ありがとうございます……!」
アキラが大きく頭を下げ、次に顔を上げた時に、ミレイユは箱庭の出入り口を指さした。
怪訝な表情で指先とその先を見つめるアキラだったが、結局その意図を掴めず顔を傾げてしまう。それだけで分かる筈もないか、とミレイユは自らを戒め、改めて口で説明した。
「その前に汗だけは流しておけ。昨日もそのまま寝ただろう」
「はい、そうでした。それに寝床まで貸して戴いて……!」
「うん、その辺りも朝食の時でいい。早く何か腹に入れたいだろうし、手早く済ませてしまえ」
「分かりました!」
アキラは二人に一礼した後、箱庭の出口に向かって走っていく。
その背を見送って、アヴェリンは一人ごちるように呟く。
「アキラに対し、少々甘くありませんか」
「まぁ、今日ぐらいはな。実際、アイツは良くやった。殻を被ったままのヒヨッコにしても、そこだけは褒めてやらねば」
アヴェリンはそれに答えなかったが、複雑に表情を歪めては一礼して露天風呂の方へ向かっていった。
あちらは邸宅の影になっているので、アキラが早めに汗を流し終えたとしても、アヴェリンとかち合う事はないだろうが、一応注意しておくべきか。
迷ったが、それほど無防備を晒すアヴェリンでもない。
ミレイユはその背を一瞥しただけで結局何も言わず、自分もまた邸宅のダイニングへ向かっていった。
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