脅威拡大 その6
違う名前で呼ばれて、ミレイユは視線を一人の少女に向けた。
期待に満ちた顔は、お互いの目が合わさると同時に困惑へと変わる。似てはいても別人だと分かり、次いでそれが何者かも分かったようだ。
「まさか……御子神様!?」
「如何にも。オミカゲ様じゃなくて悪かったが、私でも役に立てるだろうと参じた。……ガッカリさせて悪かったな」
「と、とんでもございません!」
ミレイユがちらりと笑って見せると、恐縮しきった顔で頭を下げる。
だが勘違いしたのも無理はない。ミレイユが着ているのは神が身に着ける神御衣だ。この国で唯一、それを着用できる存在となれば真っ先に思いつくのはオミカゲ様の名前だ。
それも、これまでは、という但し書きが付くが。
それにこの服も、オミカゲ様が身に着けているものとは細かなところで違いがあるものの、そんなところまで分からないだろう。
ミレイユは改めて少女の顔を見つめる。
しかし見覚えのない顔だ。阿由葉からの救援要請といっていたから、てっきり結希乃がいるのだと思っていたのだが、それらしい姿を確認できない。
立っている者は全員、例の昼食会で見た顔だから、御由緒家に連なる者が残ったのだろう。
ではこの少女も、と考えて、消去法で御由緒家の一人だと当たりをつけた。
「お前が救援を要請した阿由葉か?」
「は……、ハッ! 恐れ多くも御子神様にお出まし頂きまして恐悦至極! 万難を排するが御由緒家の役目、この度の責は全て――」
釈明のつもりなのか、それとも咎を背負うのは自分だと言いたいのか、難しい言葉を並び立てた少女を、ミレイユは片手を振って止めさせた。
「ただ確認したかっただけだ、そういうのはいい。……名前は?」
「は、はい! 阿由葉七生と申します!」
うん、とミレイユは頷いて、今しがたアヴェリンが吹き飛ばした敵を見た。
四つの腕を持つ、青黒い肌をした巨人。最近見た敵がミノタウロスだった事を思えば、その敵の強化度合いが一足飛びに上がっている。
あの魔物は、ミレイユの知るところではサイクロプスと呼ばれていた。
青い肌で一つ目の、四つの腕を持つ巨人。
魔物も人と同様、個体差があるから確かとも言えないが、単純にミノタウロスの二倍から三倍の強さを持つ。
敵の強さが加速度的に増加している、その証拠とも言えるだろう。
既にこれだけの魔物が孔を抉じ開けて出て来られるなら、猶予は殆ど残っていないのかもしれない。不都合な現実を見せ付けられたような思いがして、ミレイユは思わず顔を顰める。
ミレイユの表情から現状が相当悪いと勘違いさせたのか、七生の表情も暗くなった。
だが実際、敵は強いが悲嘆するような状況でもない。この敵が今後の基本となるようなら絶望的だが、それを打破する為にミレイユはやって来た。
ミレイユは近くで控えていたユミルを呼び、アヴェリンの方へ顎をしゃくる。
「とりあえず、二人で協力して翻弄させていてくれ」
「腕の幾つか落としておく?」
「いや、そこまでしなくていい。こっちに来ないよう、引き付けておいてくれ」
「それだけ? ……ま、いいけど」
不満げではあったが素直に頷き、地を蹴ってアヴェリンの横へと降り立つ。伝言もしっかり伝えているのを確認してから、次にルチアを呼んだ。
「私は何します?」
「……あれが見えるか」
ミレイユが指差した方向には、未だ脈動を続ける孔があった。
あれだけの魔物を吐き出しても尚、残り続けているという事は、倒したところで終わりではない事を意味する。
今更ながらに気付いたらしい七生が、顔面を蒼白にさせていた。
「あれを放置できない。即座に塞げ」
「出来ますかね?」
「私が知ってる結界術を教える。現世結界のベースとなった術だろうから、効果はある筈だ。拡がった孔を小さくできるなら尚いいが、そこは努力目標だな」
「無理と判断したら、即座に閉じても?」
「それは任せる」
ルチアがしきりに頷いて了承を与えると、ミレイユは右手に魔術の制御を始める。
白い光が螺旋を描くように広がり、そして唐突に収束した。掌に収まる程まで小さくしたそれを、掲げるように持ち上げる。左手でも制御を始め、そこから緑色の光が掌と甲を周回するように円を描く。
光が一際大きくなると、掌を上にした左手をルチアへ差し出した。
ルチアがその上に掌を重ねると、右手にあった光がルチアの胸へ突き刺さるように入り込む。
一瞬びくりと震えたが、それ以上の変化もなく、軽く頭を振って手を離した。その顔には苦い笑顔が浮かんでいる。
「相変わらず反則ですね」
「それはこの際、言いっこなしだ」
ミレイユが苦笑を返すと、ルチアも己のやるべき事をやる為、踵を返した。
その背を見送りながら、今更ながら思う。
ミレイユには自身が修得した魔術を他人に与える能力がある。渡せば使えなくなるという意味ではなく、転写するという意味合いに近い。
あちらの世界ではゲームの機能として用意されたものだと勘違いしていたが、そもそも順番が違うのだろう。
オミカゲ様が言っていた事を信じるなら、あくまでこの身体で出来る事が、あのゲームで再現されていたに過ぎない。何の為にそうしていたのかは知る由もないが、便利なものは便利だった。
オミカゲ様に頼まれていた、用事の一つはこれで終わった。
この能力が問題なく使えるのか確認するのが、頼まれた用事の一つだった。そしてもう一つの用事が、問題なしと判断した時、それを御由緒家に使ってやる事だ。
戦力強化の手っ取り早い手段だから、使えるものなら使えというのは分かる。
オミカゲ様は自分なら出来ると言っていたから、ミレイユに確認させたのはあくまで念の為でしかなかったのだろう。それは別にいいが、ミレイユへ押し付ける事の意味が分からない。
だからそのように抗議したのだが、返ってきたのは神務の多忙さと、機会を持てない制度にあった。オミカゲ様は基本的に奥御殿から出てこない。それは警備上の問題や、御身の安全を思っての事もあるのだが、同時に一日のスケジュールが埋まっている事に起因する。
戦力の強化として隊士達に会おうと思っても、それを捩じ込む時間はない。あらゆる理術はオミカゲ様から与えられるもので、そういった場を年に一度設けているが、それすら時間的にギリギリなのだと言う。
既に体得している者たちへ、更なる上位互換を与えるというには、現在までの敵に苦労していないし優先度は低かった。かといって、新たに体得する者たちを蔑ろには出来ない。
いつだって戦力の補充は必要だから、そちらを優先した結果、今ある術で研鑽を積め、という方向に落ち着いたらしい。
らしいと言えば、らしい話だ。
いつだって喫緊の問題を優先して対処するもので、現状どうにかなっているなら、現状維持されてしまうのが普通だ。
ミレイユが改めて七生へ視線を向けると、驚愕と感嘆の表情で、まるで祈るような真摯な瞳を向けてきた。
佇まいを直し、深々と頭を下げてくる。
「神の御業、拝見させて頂きまして恐縮でございました」
「あぁ、うん……。そういう態度は好まないんだ、普通にしてくれていい」
そう言われても、素直に頭を上げられるものではないらしい。
あるいは御由緒家として教育されたものが、簡単に頭を上げさせてくれないのかもしれない。
その時、衝撃音と共に振動が足元を揺らした。
音の方向へ目を向ければ、アヴェリンが魔物を吹き飛ばしたらしいと分かる。あの程度の相手なら、アヴェリン一人で転がすなどいつもの事だ。そして、その横でユミルと何か言い合いをしてるのも、またいつもの事だった。
七生がそれを、信じ難い光景を目にしたように呆然と見つめた。
「すごい……。あの方たちが、御子神様の従属神なのでしょうか」
「従属しているとは言えるかもしれないが、別に神という訳ではない」
「でも、とても人の技には見えません」
「そうかもしれないが……、だが今日は近いところまで『上がって』もらう」
そうと言われても理解できる筈もない。
言葉選びを間違えたな、と首を傾け苦笑する。それから七生へ視線を戻し、改めて言った。
「私はオミカゲ様から、お前たちの強化を請け負ってきた。だからお前たちにはあの魔物を倒してもらわねばならない」
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